2006年5月 7日 (日)

やっと!

パソコンが復活しました!

正確にはなんだか接触が悪かったようですが、素人には理解できないです。

中身を開けて見ないと分からないそうですから・・・

遠くから車で駆けつけて頂いたNさん夫婦に感謝、感謝です。

さて、これで週間消息が追いつきました!

でも、4月26日の週の分は届いていないので・・・後が怖いですね--;

さて、私のパソコンが壊れている間に日本軍「慰安婦」問題と同じように私の関心事であるピョンテクの状況が一変しました。

ニュースの伝える所によると500人近くの人々が拘束されているとか・・・

以前にピョンテクからのメールを紹介しましたが、彼は4月7日に拘束され未だに釈放されていません。状況は深刻です。

これは金泳三政権の時の98年(97年だったかな?)韓総連の出奔式で大量拘束者が出て以来の事件だとか・・・

私事ですが来週、光州に行く事になりました。

光州事件26周年の記念式典に参加するためです。

そこには慮武鉉大統領も参加するようです。

少し前の大統領なら嬉しい気持ちでその日を迎えることが出来たでしょう。

しかし、事態は変わりました。

光州市民2000人を虐殺し、クーデターを行った全斗煥の悪行は今や世に知らされました。

光州事件の起きた5月にピョンテクで軍隊を投入し、夜中の強制収用を行うなんて・・・

信じられません。

テチュリのキムジテ里長の牛舎では火災が起こり、牛などの家畜が死んでしまいました。

一体、このタイミングでの火事は何を意味するのでしょうか?

このピョンテクの事態を踏まえて慮武鉉大統領は光州での記念行事で何を話されるのでしょうか?

しっかりと聞いてきたいと思います。

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2006年2月19日 (日)

故・朴頭里ハルモニの冥福を謹んでお祈りします

本日2月19日午後6時20分、全日本軍「慰安婦」被害者として生涯を苦痛を受けながら生きてこられた朴頭里(パク・トゥリ)ハルモニが83歳でこの世を去られました。

1924年プサンで出生した故朴頭里ハルモニは、1940年17歳でサムリャンジンへ連行され、解放まで台湾で日本軍「慰安婦」として生活されました。

「慰安婦」生活中の殴 打や暴力で脊椎疾患と耳が聞こえないなどの後遺症を患い、精神的・肉体的苦痛を訴えられました。

2003年からは持病で継続した闘病生活を続けられ、本日午後亡くなられました。

ハルモニの亡骸は安養(アニャン)メトロ病院霊安室に安置されており(安養メトロ病院霊安室3階303号、031-466-6200)、出棺は2月21日9時安養メトロ病院霊安室、水原火葬場で12時、その後天安望郷の丘に安置される予定です。

故・朴頭里ハルモニ

1924年 慶尚南道蜜陽郡で出生

1940年(17歳) サムリャンジンで工場に就職させてやるという言葉にだまされ、以後台湾で日本軍「慰安婦」生活

1945年(22歳) 解放とともに輸送船に乗って帰国

1992年(69歳) 日本軍「慰安婦」被害者申告 2006年2月19日午後 安養メトロ病院で83歳の生涯をとげる

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=581

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