2006年9月17日 (日)

【挺対協】週間消息31

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息31【9月4日~9月10日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

9月4日(月)

① 博物館敷地と関連してソウル市南山公園管理事務所から連絡が来ました。補完招致が出たので説明できる方の話を聞いて論議をしようと言うのです。

急いで博物館共同建立推進委員長であるイ・ミョンジュ教授に連絡をし、イ・ミョンジュ教授を通じてエイテック〔施工業者〕のキム・フィオク所長に連絡が取れてエイテックの職員と一緒に約束した時間の10分前である午後1時50分に南山にいったのに、そんな・・・担当者は席になく、他の女子社員が公文を一枚差し出してこれさえ見てもらえれば良いと言うのです。電話をして欲しいと伝えたのに電話をもらえなかったと言います。私が間違ったのではないのにエイテックの職員には本当に申し訳ありませんでした。

② 朝にチ・ガァンスンさんから電話がありました。ハルモニたちに差し上げるのに一日中職員と一緒に熱中しながらマガモを捕まえましたと。午後1時頃、チ・ウィジュン先生がトラックでマガモ50匹を下ろして下さいました。ウリチプの冷蔵庫と事務所の冷蔵庫はマガモでいっぱいになりました。ウリチプではハルモニたちに夕食の時にマガモのお粥作ってみんな一杯ずつ召し上がりました。

日持ちしないので事務所の冷蔵庫のマガモは退勤時に取り出して水原のアン・ジョムスンハルモニの家に配達しました。夜10時でも甥っ子は仕事のために家におらずハルモニは一人でいらっしゃいました。貴重なマガモをこんなにたくさん持ってきてくれて有難いとハルモニは車が見えなくなるまで手を振って立っていました。

③ ファン・グムジュハルモニは梨大モクドン病院へ再び入院されました。福祉館から福祉士が電話を 早く来て欲しいと言いますが・・・カン・ジュヘ局長もいないし、ウリチプにハルモニたちがいるので動くことが出来なくて、キム・ドンフィ局長は手術をして休暇中で、事務所を空けることがとても出来なくて福祉士にハルモニの入院などの手続きを任せました。

そして、太平洋被害者補償推進協議会のイ・フィジャ代表か電話で支援要請をしてきました。〔ハルモニは木曜日に現代アサン病院へ移り腸の炎症を治療するために大腸内視鏡を受け、治療中です。付添い人が24時間付いていますが、イ・フィジャ代表が苦労されたようです。〕

④ 9月28日午後2時~5時に「歴史と戦争、そして女性」と言うテーマで開催される国際シンポジウムの発表者を選定する問題が難航しています。あちこち中東地域の女性たちの人権問題を発表する方を探していますが、論文をあさってミョンジ大学アラブ地域学科のチョ・フィソン教授を見つけました。お願いすると気持ちよく引き受けてくださいました。これで日本軍、ミャンマー、ベトナム、イスラエル地域の女性人権蹂躙について学べるようになりました。

⑤ チョンポクのチョンウプのチン・ファスンハルモニから電話が掛かってきました。「おーい、ユン会長かい?」「ハルモニ、会長ではなくユン・ミヒャン事務総長ですよ。」「うん、ユン所長~」ハハ、ハルモニにはそれでユン・ミヒャン事務総長は所長と呼ばれます。ハルモニは足がとても痛いので身動きも出来ないと伝えてこられ、秋になれば必ずネジャン山の紅葉狩りにおいでと言われました。会いたいと・・・

9月5日(火)

① 慶南ウィリョンに住まれるクォン・スルソンハルモニが今日、亡くなりました。ハルモニは仏教の社会福祉施設に住んでいましたが、委員長が連絡を下さいました。これで230名中生存者は123名です。

② 憲法裁判所でハルモニたちが憲法訴願したことに関連して韓国政府外交通商部の返事が来ました。勿論、憲法訴願を棄却して欲しいと言う内容でした。チョ・シヒョン建国大教授、キム・チャンノク慶北大教授にメールで送り、文章を送り検討を要請しました。

③ チャン・ジョムドルハルモニは白内障の手術を受けられました。両方の目を受けましたが、直接電話を下さり「目の手術をしたので水曜デモに行けない」とおっしゃいました。

④ 水曜デモの準備をしている日帝強制動員市民連帯から声明書と式次第の草案を送ってきました。検討・修正してもう一度送ります。

⑤ 沖縄と平和紀行チームを募集していますが、航空予約が順調ではありません。大韓航空は沖縄行きが運営されていません。アシアナは運行していますが、一週間に3便あります。そのせいで座席を早く予約しなければならないのに・・・それで、早く平和紀行チームを集める仕事で忙しいです。

⑥ 日本軍「慰安婦」ハルモニと共に活動する会のオーストラリアの友人たちから連絡が来ました。オーストラリアの友人?!メールも送りました。来年3月8日、世界女性の日にオーストラリアの日本大使館前でデモをする計画を推進しているが、アドレイドに住むオランダ人被害者のヤンおばあさんからにメッセージを送ると、来年のデモに対してとても積極的だと言うことです。

⑦ 国際シンポジウム時の資料と一緒に見るビデオ資料があるか探していますが、容易く探せません。アムネスティーに問い合わせをすると英語版だけあるので知恵を絞っています。

9月6日(水)

① 今日、第725回水曜デモは日帝強制動員市民連帯で主管しました。執行委員長と事務局長、会員たちが一緒に行い変わりなくシスターたちも参加して下さいました。韓国労総金融もみんなと共に参加しました。日本人たち、中・高校生、市民たちも参加しました。

② 女子勤労挺身隊被害者たちが名古屋の高等裁判所に被害補償を要求した裁判をしています。この裁判を進めながら名古屋訴訟支援チームの要請によって裁判所・日本政府・三菱に正義実践を促す署名運動をホームページで行っているが、参与が低調でホームページ会員に加入している1500名に署名参与メールを発送しました。挺隊協は会員団体?市民団体にも送りました。

③ 水曜デモが終わりクォン・スルソンハルモニの葬儀に参加するためにカン・ジュヘ局長とソン・ヨンミ室長と共にチンジュの葬儀場に行きました。木曜日の出棺まで参加して来ました。

④ ウリチプにはイ・ヨンスハルモニがいらっしゃって歌の教室を取りやめませんでした。夕方にはアン・ソンミ監査がハルモニと共に過ごしました。

⑤ 憲法訴願と関連した今度の日程を論議する会議を持ちました。テグ市民の会のパク・ジョンフィ事務局長が参加して、民弁は参加出来ませんでした。

9月7日(木)

① 事務所会議を持ちました。国際シンポジウムと平和紀行、上半期水曜デモ主管団体参与状況、博物館建立関連と関連した行政手続きなどについて検討して論議しました。

② 大阪からウリキョレ女性展を準備している同胞女性たちが連絡を下さいました。9月28日~30日まで展示会の日程が確定し、仁寺洞のトンドク美術館で行うそうです。26日には20名の会員が挺対協事務所を訪問してウリチプも訪問したいと、27日には女性史展示館を訪問し、水曜デモに参加すると。挺対協も事務所次元で広報のために積極的支援をする事にしました。

③ 9月16日、民族民主女性烈士犠牲者追悼際が開かれます。日本軍「慰安婦」犠牲者の方々を挺対協が引き受けることにしました。これを準備するための会議が午後4時にありましたが。

9月8日(金)

① キム・ドンフィ局長が治療のため8月末から病気休暇をとっていますが未だにお見舞いにも行けなくて、今日は準備をしてお見舞いに行きました。今は病院を退院して家で療養中ですが、脊髄関連!?座る事も出来なくて立っているか横になっていなければならないとストレスが多いようでした。

② ファン・グムジュハルモニのお見舞いに行ってきました。現代アサン病院に行くとハルモニは大腸内視鏡を受けるための準備をしていて、付き添いのイ・フィジャ代表が相変わらず苦労していらっしゃいました。

③ キム・グムジャハルモニと現代アサン病院のロビーで会いました。薬を受け取りに来たようでナヌムの家の車を待っていらっしゃいました。先日、ナヌムの家を訪問した時より顔色が良くなっていて少し安心しました。

④ 博物館建立と関連してイ・ミョンジュ、キム・フィオク共同建立推進委員長と一緒にヤンジェ洞にあるキム・フィオク委員長の事務所エイテックで午後6時30分から会議を持ちました。美味しい夕食の接待も受け、3時間を越えて本当にたくさんの論議を行いました。今後、建立基金を準備する活動、コンテンツ構想、実施設計、着工など今後の推進日程をともに論議し、沖縄平和紀行についても意見を分かち合いました。お二人は設計と関連して論議することが多くて、ユン・ミヒャン事務総長が席を後にしてからもさらに長時間その場にいらっしゃいました。

9月6日(土)

①仁川のハン・オクソンハルモニをイム・ジヨン監査が会いに行って来ました。ハルモニは少し太られて、とても元気になられたようでした。

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2006年9月10日 (日)

【挺対協】週間消息30-②

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息30-②【8月28日~9月1日】

8月28日(月)

① 日本軍「慰安婦」ハルモニと共にするトンヨン・コジェ市民の会のソン・ドジャ先生と久しぶりに電話で話しました。トンヨン・コジェのハルモニたちの消息を伝え聞きました。キム・ギアハルモニは最近足も少しずつ動くようになったようです。イ・ドゥスンハルモニは膀胱が相変わらず具合がわるく心配です。

② 葬儀サービス関連の会社である「ハヌル(空)文化院」にいらっしゃるキム・ドンウォン理事長が電話を下さいました。キム・ドンウォン理事長はハルモニたちの葬儀サービスをしてくださったスカイ天使社で仕事をされていますが、現在はハヌル文化院でもハルモニたちの葬儀サービスのすべてを支援してくださるとおっしゃいました。

一度、訪ねることにしてお礼を申し上げました。大部分に家族がなく挺対協が葬儀手続きを担当するハルモニたちの場合、霊柩車、寿衣などの費用も馬鹿にならないので本当に有りがたい事です。

③ 明日の早朝5時に釜山へ発つためにウリチプに挺対協実行委員であるチョン・テホ牧師(生存者福祉委員長)チェ・オクスンシスター(対外協力委員長)が来られハルモニたちと共に眠られました。チャン・ジョムドルハルモニも来られ、キム・ボクソンハルモニも来られました。太平洋被害者補償推進協議会のイ・フィジャ代表と会員たちはソウル駅の近くのサウナで休まれ、明け方西大門郵便局へ来る事になりました。

④ 釜山、会場前で記者会見も集会も出来ないようだという消息が釜山から伝わってきました。大統領が参加する行事であり、外国の首相も4名参加するために警察が周辺を統治して承認証を持たない人は立ち入ることが出来ないと言う事です。

仕方なくカン・ジュヘ局長を予め釜山へ向かわせ状況を把握することにしました。夜12時30分までカン・ジュヘ局長と釜山ILO総会に参加するために予めいらっしゃったユン・ヨンモ先生、カン・ジュンホ韓国労総国際局長、イ・チャングン民主労総国際部長と緊密に連絡を取り合いました。

⑤ のり巻き・飲物とおやつを買い、写真展とピケ、英語の横断幕を製作、報道資料と記者会見文を印刷して明日の明け方、釜山に向かう万端の準備を終えました。

8月29日(火)

① 明け方5時30分に西大門からバスが出発し、午前11時30分に釜山に到着しました。釜山のイ・オックムハルモニ、イ・マクタルハルモニも来られ、テグからイ・ヨンスハルモニも来られました。バスの中で釜山チームと連絡を取りながら論議の末に釜山会場まで記者会見と集会は取消して日本領事館前に場所を変えて行う事にしました。そして、ユン・ヨンモ先生に電話をしてハルモニたちと参加者たちにこのような状況について説明をお願いしました。

② 午後1時に日本領事館前に釜山市民団体たちと大学生たちがたくさん集まりました。いつもは釜山日本領事館前で集会をすることもないと思います。しかし、この日は領事館の正門前でハルモニたちが真正面に立ち、記者会見と集会を行いました。KBSとMBCのカメラがあり、数人の取材記者もいました。集会を終えた後、約40名の大学生の参加者たちとハルモニたちの交流会を持ちました。

③ これで終わらす事は出来ません。記者会見と集会が終わった後、ILO総会に参加しているユン・ヨンモ先生に再び電話をして周辺の警察を解除されればハルモニたちが総会会場に向かい、事務局の人々と会えるようにして欲しいと。このままソウルへ帰ることが出来ないと、この消息をILOソマビア事務総長と随行しているイ・チャンフィ博士と論議してほしいと言いました。

そして午後4時頃、私たちは最後に総会会長の中でユン・ヨンモ先生とヘウンデ警察署情報課の職員の助けで承認証なしで会場に入りました。そこでILO総会労働者グループ実務者担当者と面談しハルモニたちが支援を要請し、総会場のあちこちを周り韓国側の参加者たちに積極的な活動を要請するなどの活動を行いました。そして最後の団体撮影をILOアジア太平洋地域総会の横断幕がかかる総会場前からソウル行きのバスに乗り込みました。ソウルに到着したのは11時になっていました。ハルモニたちとチェ・オクソンシスターはウリチプで一緒に休まれました。

8月30日(水)

① 第724回水曜デモはハンサルリムが主管しました。有機農業耕した米と豆で作った餅を作ってハルモニたちに差し上げ、カンガンスォウレなど盛りだくさんの文化行事を準備して参加者たちと一緒に行いました。カンジャン中学校の学生たちが30数名参加し、韓日大学生たちも20数名参加しました。

② 東京地方裁判所は中国人である従軍慰安婦8名が申し立てた損害賠償訴訟を棄却したという消息が伝わってきました。30日、東京地方裁判所は第二次大戦当時日本政府が行った性奴隷に対してこれら8名が申し立てた損害賠償訴訟は過去戦争憲法下で成立した事で責任を現政府に問う事が出来ないと言う理由で棄却したと明らかにしました。

③ ソウル施設関連公団から博物館建立文書と関連して事務所に来て説明を聞きたいという連絡が来ました。来週の初めに会う予定です。

8月31日(木)

① ユン・ミヒャン事務総長は取れずにいた夏休みを今日と明日の二日間で取る事にしました。

② ソン・パニムハルモニは集中治療室から一般病棟へ移りましたが、退院しても良いと言うのでソンナムの息子さんの家に近くが良いと家族が決めました。カン・ジュヘ局長が退院に付き添いました。

③ ファン・グムジュハルモニは今日も事務所の実務者たちの白髪を増やそうとします。事務所で住民登録所を盗んだと言われます。

9月1日(金)

① ユン・ミヒャン事務総長がナヌムの家に言ってきました。キム・グンジャハルモニがずっと具合が悪く動けないでいて、チ・ドゥリハルモニも忠告へ行って来た後にとても体調が悪いと言われますが、平日には時間が取れないので休暇中に時間を作りました。キム・グンジャハルモニはベットにずっと横たわり、目まいがするので起き上がる事も出来ないと話されます。何を食べても吐いてしまうので食べる事が出来ないと言います。

チ・ドゥリハルモニは壁だけを見つめて横たわり、人も見分ける事が出来なくて手真似をします。パク・オンニョンハルモニ、イ・オクソンハルモニと話をしていてこんなに時間が立つと思いませんでしたが、夕食頃になりカン・イルチュルハルモニ、キム・スノクハルモニに挨拶をしてナヌムの家を後にしました。

② 夕方7時に教育館で「戦争と女性人権センター」の7回目の月例セミナーを開きました。テーマは戦時下性暴力と日本軍「慰安婦」問題で行い、カン・ガラムさんが講義をしました。

*次回は博物館関連の活動と9月28日に予定されている「歴史の中の戦争、戦争の中の女性」国際ジンポジウム、10月中旬頃に予定されている沖縄平和紀行チームの募集及び推進事業を中心に事業を行う予定です。

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2006年9月 1日 (金)

日本軍「慰安婦」被害者ILO事務総長と面談、問題解決要請

日本軍「慰安婦」被害者ハルモニ“謝罪を受け、補償を受けなければ”

日本軍「慰安婦」明白な条約違反事項

フアン・ソマビアILO事務総長と日本軍「慰安婦」ハルモニたちとの面談が電撃的に行われました。26日午前9時民主労総を訪問したILO事務総長は両大労総の関係者たちとお面談が終わった後、隣の部屋で待機していた日本軍「慰安婦」被害者ハルモニたちと韓国挺身隊問題対策協議会〔挺隊協〕ハン・グギョム共同代表、ユン・ミヒャン事務総長、両大労総関係者たちと共に公式面談を持ちました。


△挺身隊慰安婦問題解決を訴えて発言中に泣き出しそうなイ・ヨンスハルモニ

「雨が降っても雪が降っても日本大使館前で集会を行っている。韓国の日本軍“慰安婦”被害者たちが日本に謝罪をしろと切実に願いました。10年を超える歳月の間、努力しても少しの変化もありません。ハルモニたちが年を取って・・・私が生きている間に解決しなければならないと思って信じてきました。この年になるまで一人で生きて来て・・・私は謝罪を受けなければなりません。」

79歳のイ・ヨンスハルモニが泣き出しそうになりながら発言を行いました。日本軍「慰安婦」問題解決を願いILO事務総長の手の甲に深い信頼をよせて口づけをしたりした。

現在の生存者は124名、私たちがみんな死んでも罪は消えません

昨年、ILO総会に行ってきました。良い知らせを聞けなくてどれほど足取りが重く、胸が痛かったことか・・・

罪を許すのが愛ですが謝罪もなく補償もなくこのように歳月だけ送っていたのにどうして許すことが可能ですか?私たちはどんどん死んで行きます。124名しか残っていません。私たちが死んでいって問題が解決できるのではありません。その罪は残ります。解決するようILOで努力して下さることをお願いしたいです。強い国が圧迫すれば解決出来ますか?頭のてっぺんから爪の先まで痛いです。この服がビリビリと引き裂かれ、お腹は4度の大きな手術をした。私は胆嚢もありません。足も踏みつけられ・・・薬に依存しています。水曜デモに参加するのは謝罪を受けて補償を受けたいからです。

必ず良い知らせをお願いしますと。その後、79歳のキル・ウォノクハルモニの発言が続きました。

心の平和を・・・適切な補償を必ず受けられる事を希望する

ハルモニたちの発言後、フアン・ソマビアILO事務総長は「皆さんとお会いしたかったです。皆さんが受けた歴史的な経験を聞き、感情が込み上げてきます。私の胸が痛み、皆さんを理解することが出来ました。私が感じた事は戦争が罪のない市民の人生を考えると言う事です。女性たちが継続して戦争の被害を受けています。心から申し上げる言葉は適切な補償と賠償を受けることを望むと言う事です。また、心の安らぎを保てるよう・・・すべての人々が心の安定と平和を享受する権利があります。皆さんの勇気に感動しました。話された事は全世界的に支持される事でしょう。」

民主労総のチョ・ジュノ委員長はこの場で10年間、提訴されながら今回も補完資料を準備したとしてILO事務総長に伝達し、ハルモニたちは自ら書いた手紙を伝達しました。

日本軍「慰安婦」明白なILO条約違反事項

日本軍「慰安婦」問題は民主労総と韓国労総が去る1995年からILO基準適用委員会の公式議題に採択され、ILO次元で適切な解決策と勧告を出さなければならないと主張してきた。しかし、日本労総である連合の曖昧な態度と日本政府の強力な反発で一度もILO基準適用委員会で公式議題として扱わなかった。

しかしILO労働者グループでは“慰安婦”問題が日本政府によってILO条約題29号〔強制労働禁止〕違反で、これによってこの問題がILO基準適用委員会で扱わなくてはならないと主張していた。国際法専門家たちから成るILO専門家委員会でもこの事案は明確なILO条約違反と言う事実を数回結論付けた。

ILOアジア太平洋地域総会の開幕式である29日〔火〕12時、釜山の総会場前で日本軍「慰安婦」被害者たちと挺隊協は市民団体と共同主管で記者会見、及び集会、写真展示を行う予定だ。

この日、両労組も共に連帯する計画だ。

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2006年8月 4日 (金)

【挺対協】週間消息28

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息27【7月17日~7月23日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

7月17日(月)

*今日は憲法記念日で祝日です。

① 教育館空調施設2次工事:工事は始めが肝心。これが今日の教訓です。2001年に教育館の施設を作りながら工事をする時、防水と換気施設問題を全く考慮しなかったため雨が降れば壁側から水が入ってきて資料が痛んで、換気が出来ないので湿気が多い日にはカビの臭いがしていました。

防水のための工事を昨年に終えましたが、換気対策は立てていませんでしたが私たちの健康のために今回は必ず解決する事にしました。この為にボランティアを引き受けて下さった方がいました。キョンギ大社会教育院で社会福祉を勉強しておられる方がウリチプのソン・ヨンミ室長の話を聞いて応援して下さいました。ご自身の仕事があるために週末か祝日を利用して工事をして下さいました。一月前に工事をして教育館の天井に換気施設を4つ付けて、事務所の横に出し換気する工事をしました。

② 実行委員会と博物館のコンテンツ会議を準備する作業を一日行いました。

③ 自宅にいる時にも挺対協HPを検討して意見があれば質問をしてもらって答えると言う活動をしていますが、今日は祝日にも関わらず大学生たち数人が事務所に電話をしたようです。事務所に電話をしても電話を受けないので掲示板に書き込みをして水曜デモについての質問をしていました。普段は事務所の電話を実務者たちの携帯に接続していましたが今週には実務者たちが不定期的で事務所に出勤していましたが・・・祝日なので実務者たちが休務すると言う公示を残しました。

7月18日(火)

① 博物館コンテンツ委員会の会議開催:シン・ヘス共同代表、ハン・グギョム共同代表、チョン・ジンソン、前共同代表、ユン・ミヒャン事務総長が会しコンテンツ委員会会議を行いました。アン・ヘリョンさんは欠席でした。1)コンテンツ委員会拡大:ハン・ウォンサン記者、パク・ジョンエ戦争と女性人権センター研究員、挺身隊研究所のヨ・スンジュ副所長に交渉することにしました。2)次の会議は来週の木曜日午後18:30分に行う事にしました。

② 7月の定期実行委員会を開催:シン・ヘス、ユン・スンニョ、ハン・グギョム、チョン・テホ、キム・ソンシル、チェ・オクスン、キム・インスク、チョ・ユニ、ユン・ミヒャン委員が参加する中で実行委員会を持ちました。1)下半期のヨーロッパでの行事準備2)名古屋:三菱女子勤労挺身隊訴訟支援の集いの活動に連帯3)オーストラリアAmnesty Internationalの8月4~14日の行事参加4)戦争と女性人権センター国際シンポジウム開催などを論議しました。

③ ソン・パニムハルモニ訪問:事務所の近くにいるソン・パニムハルモニを訪問して来ました。ハルモニはすでに他のところに動きたいと言う様子を見て実務者たちの心配と落胆は深いです。

④ ソウル都市公園委員会開催:戦争と女性人権博物館敷地審議:午後3時にソウル市都市公園委員会で博物館敷地と関連した審議をして通過しました。ただ、もう一階高くしたいと言うイ・ミョンジュ共同建立委員長の要請に対して小委員会で現状調査をして受け入れるかどうか判断して最終承諾する事にすると言われました。

測量はキム・ガンレ共同建立委員長(ミョンチ大教授)がしてくれる事になりました。これからはコンテンツ委員会活動も拍車をかけ、募金も積極的に行わなければなりません。

7月19日(水)

① 第718回水曜デモ、アンシン民衆連帯、安養・グンポ・ウィワン統一連帯、民族和合運動連合、アンサン統一フォーラム、平和づくり共同の主管で開催:今回の水曜デモは学生たち100数名が参加しました。可愛いピケも作ってきて、予め発言を準備して来て発表する学生もいました。

今日は水曜デモを主管した団体たちと参加者たちは最近、北のミサイル発射と関連して日本に先制攻撃を云々しカン・ジュヘ半島に戦争の脅威を助長する軍事大国化へと進むように見える日本を糾弾する主旨で声明書を作成し、自由発言を準備して来ました。テルン高、シンガァン中、プルアム中学校学生たちが参加しました。

② チ・マノン名誉毀損損害訴訟裁判がありました。

③ ウリチプでハルモニたちのアートセラピーがありました。

7月20日(木)

① 靖国神社反対運動、国際シンポジウム開催:ソウル銀行連合会館で“世界の目で靖国を見る”“文明と野蛮の間”と言うテーマで国際シンポジウムを開催しました。今日から明日まで行われるこのシンポジウムには台湾、中国、日本、沖縄、アメリカ、ドイツから学者及び市民団体が参加しました。

② ウリチプでハルモニたちの園芸治療教室がありました。

③ プチョン市民連合女性会のプチョン文化センターで第4回の女性平和教育で講義:プチョン市民連合女性会が日本軍「慰安婦」問題を女性平和教育の第一回目の講義を開きました。午後7時30分から9時までユン・ミヒャン事務総長が講義を行い、共に“消せない歴史”のビデオを上映しその後、感想を共有するなど交流会まで続きました。9月中に水曜デモも主管すると言います。

7月21日(金)

① 今日だけは特別な日程がなく事務所の日常業務を行いました。勿論、ハルモニたちとの電話は外す事が出来ない仕事です。時間をおいてイムハルモニだけは今日一日に3回も電話を下さいました。98年に政府から支給した慰労金を自分は受け取った事がないので調べて欲しいと言う内容だったのですが、確認する方法がありません。女性部はすでに10年前のことなので資料がないと言い、老人の痴呆と無視する事も出来ずおそらくハルモニは市庁にも銀行にも何度も電話をしたようです。

② 日本「女性たちの戦争と平和資料館」の渡辺ミナさんと電話しました。ILO専門家委員会の報告書のために英語の資料を補完、8月13日から15日まで東京での靖国反対国際行動にハルモニたちと参加する事などについて論議しました。

③ 日本の立法実現を求める会にメールを送りました。やはりILO専門家委員会の報告書を補完する資料のために立法活動の追加事項、強制連行、慰安婦調査局設置法案などについて英語の資料を要請しました。

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2006年7月26日 (水)

【挺対協】週間消息27

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息27【7月10日~7月16日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

7月10日〔月〕

① 名古屋の女性勤労挺身隊弁護団が訪問:名古屋から勤労挺身隊訴訟をしている弁護士団の代表、二名が事務所を訪問しました。そして挺隊協へ勤労挺身隊問題についての共助を要請しています。名古屋高等裁判所と日本政府、三菱に葉書を送るキャンペーンに参加、水曜デモ通じて日本政府に慰安婦問題と合わせて女性勤労挺身隊問題の解決を要求し、韓国政府に勤労挺身隊被害者たちにも人道的な支援を要請した。

来る9月21日に裁判があり、12月頃に結審、来年3月頃に判決が下ります。挺隊協に何が出来るのか7月の実行委員会の案件にしようと思います。

② 埼玉県のウエダ・キヨシ知事妄言糾弾声明書発表:埼玉県ウエダ・キヨシ知事「慰安婦はいたが日本軍「慰安婦」はいない」と言う妄言を言い再び日本の政治家たちの歴史観を露呈した。

頻繁に日常的に妄言を行う日本の政治家たちにその度ごとに対応しなければならないと言う考えもあるが、ある地方の政治団体の責任者は道知事が「慰安婦」歴史を否認する妄言を行う深刻な問題であるためにカン・へジョン国際協力委員長と論議の末に糾弾声明書を発表する事にし、ウエダ・知事に妄言撤回と謝罪要求する声明書を発表しました。

7月11日〔火〕

① ファン・グムジュハルモ二の新しいカバン:ファン・グムジュハルモニがウリチプに来て事務所に来られました。「所長、ハルモニが来られました。」実務者たちのこの言葉はファン・グムジュハルモニが来られたと言うことだ。ファン・グムジュハルモニは真っすぐユン・ミヒャン事務総長の席に来て横のいすに座って話し出します。

今日は新しいカバンを買ってこられました。ハルモニ新しいカバンを記念して写真を撮り、しばらくいすに座ってあれこれ話をして実務者たちと昼食を一緒に食べてからウリチプへ向かわれました。

② イ・スンドクハルモニのお見舞い:イ・スンドクハルモニが入院されている病院に行って来ました。ハルモニはウリチプでいつも「頭がいたくてたまらない」と言われていましたが、数回の検診でも何の病気でもなく健康でしたが、今回新しく見つかった病院は脳梗塞があるようで気をつけなければならないと。

③ 日本語消息誌17号を発刊、発送:日本語の消息誌17号を発刊して今日、日本への発送作業をしました。

7月1日〔水〕

①第717回水曜デモを全国女子大生代表者、女性歴史紀行団が主管:第717回水曜デモでした。ただの雨ではなく暴風雨と言う言葉がピッタリのそんな日でした。

全国女子大生代表協議会の女性歴史紀行団が主管しました。空色のカッパを着て、“岩のように”の歌に合わせて公演を行い、糾弾発言と声明書の発表、ハルモニたちが日の丸に小道具を投げつける順に進められました。ハルモニたちは雨が降る中、小道具を投げるので少しづつ落ちて白い面だけ残りました。それを見てハルモニたちが喜ばれました。

このパフォーマンスのためにハルモニたちのストレスの重みが少しは軽くなったと思います。日本からも大阪・神戸の新日本婦人会、憲法9条を守る会の会員たちも一緒に参加して発言と歌を歌いました。

②ウリチプでハルモニたちのアートセラピー:ウリチプでハルモニたちのアートセラピーが行われました。今日は扇に“プルガクシ”と言う童話を作る活動をしました。

③ チ・マノンさんの名誉毀損の裁判と関連した調停のためチョ・ボンシク弁護士がスゥオン地方法院に言って来ました。

7月13日〔木〕

① ソウル市女性発展基金で「戦争と女性人権センター」月例セミナー“歴史の中の戦争、戦争の中の女性”を行いました。今日はそのプロジェクトの中間報告書を提出しました。

② ソウルのソン・パニムハルモニの西大門サラン老人看護センターへ転移:ソウルのソン・パニムが病院に入院して病院費がとても高く請求され他の所に移りたいと言われました。それで事務所から近いアヒョン洞に“西大門サラン老人看護センター”がありハルモニの同意を得て転移しました。

③ ウリチプでハルモニの園芸治療がありました。今日はハートの籠に花を生けるのがテーマでしたが、ハルモニたちは可愛く草花を生けてその上にハルモニたちの名札を付けました。そして事務所にも下さいました。ハルモニたちはやはり土と草、自然と共に過ごす事が幸せなようです。

7月14日〔金〕

① 水曜デモに来る前にまず学生たちの教育を受けたいと言う連絡が来ました。今日が教育の日でキム・ドンフィ局長が学校へ行き80名の学生たちに2時間の教育をして来ました。

② イファ女子大学のキリスト学科のチョン・フェソン先生がハルモニたちの中で宗教を信仰しているハルモニたちを対象に信仰心のあるハルモニたちの心の回復にどんな影響を与えるのかなどについて研究をしながら事務所を訪問して共に論議をしました。すでにキル・ウォノクハルモニ〔キリスト教〕をインタビューしました。

③ 2007年ILO総会を準備するための会議を行いました。挺隊協の教育館で韓国労組カン・チュンホ局長とイ・インドク局長、民主労組イ・チャングン部長、挺隊協からユン・ミヒャン事務総長、カン・ジュヘ局長が参加してILO対応のための会議を持ちました1)8月中旬までにILO専門家委員会に報告書を提出2)8月29日プサンで開幕するアジア地域ILO総会対応活動について論議しました。

④ 社会福祉共同募金会2007年配分事業でウリチプ事業を提出しました。

⑤ 事務所会議を行いました。1)8,9世界連帯集会と2)アジア地域ILO総会準備3)靖国反対国際連帯活動参加4)実行委員会準備5)博物館コンテンツ委員会準備などを論議しました。

⑥ キル・ウォノクハルモニが定期診療を受ける日でした。イ・ドンウ家庭医学科病院に行って治療も受けて、栄養剤の注射も受けました。手の震えがあるので総合病院での治療も要請しました。

7月15日〔土〕~16日〔日〕

① カァンジャン中学の学生たちの教育:カァンジャン中学の学生たちが水曜デモに参加する前に特別授業の時間にカン・ジュヘ局長が学校に行き、100名の学生たちに教育をして来ました。

② ハルモニたちの台風被害状況調査:週末の間、雨が降り続きハルモニたちが心配になりました。コヤンに暮らすファン・スニハルモニ、スウォンのアン・ジョムスンハルモニ、ソウルのチェ・ガプスンハルモニ、イ・ヒョスンハルモニ、マサンのイム・ジョンジャハルモニなどアパートでなく、住宅が半地下などに住んでいるハルモニたちを中心に電話を掛けました。幸いにもハルモニたちの家はすべて無事でした。

③ スウォンのアン・ジョムスンハルモニだけ除いて・・・アンハルモニは半地下の部屋なので普段でも部屋が湿っぽいのに雨が降って壁に水が伝うと言います。大家に出て行くと言っても大家に借金が多くて、家もすでに担保に入っていて部屋を出るのも大変です。

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2006年7月23日 (日)

【挺対協】週間消息26

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息26【7月3日~7月9日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

7月3日(月)

① 博物館敷地と関連して6月30日、西大門刑務所横の売店場所の使用と関連してソウル市庁の最終決裁が出た後、7月都市公園委員会に審議申請をする為の手続きが論議されています。

イ・ミョンジュ博物館共同建立委員長、アン・ヨンエ建立委員もとても苦労して下さいます。今日もソウル市に訪問して今後の日程などについて論議したと電話して下さいました。

② 7月の第一金曜日にある「戦争と女性人権センター」“歴史の中の戦争、戦争の中の女性”の5回目のセミナーがあります。今回のセミナーはベトナム戦争と女性、そして韓国派兵と言うテーマでキム・ヒョナ先生が講義してくれる予定です。このセミナーを宣伝する広報メールを作成して発送しました。

③ 事務所会議を行いました。水曜デモ点検、中・高学校教育日程点検、ハルモニたちの状況共有、実行委員会公示、8月行事、事務所活動家たちの夏季休暇日程などを論議しました。

7月4日(火)

① 6月、スイスのジュネーブで行われたILO総会基準適用委員会労働者グループ会議でオランダ労総のトム・エディさんが日本軍「慰安婦」問題と関連して発言を行ったという報告を受けました。

昨年、労働者グループで特別提案も行い、抗議メールも送りましたが、相変わらず日本側に反応はなく、今回の基準適用委員会専門家委員会の報告でも抜け落ち、来年には必ず組み入れてもらえるよう促さなくてはならないと発現したようです。この消息は民主労組のイ・チャングン部長から伝えられました。

② 韓国労組と民主労組の名で準備している専門家委員会に提出する報告書を準備している韓国労組のカン・チョンホ国際局長と民主労組のイ・チャングン部長と電話し報告書と今後ILOを向けて私たちの活動の本格的な論議が始まりました。来週の木曜日に集まり対策を論議することが決定しました。

7月5日(水)

① 憲法裁判所憲法訴訟要求書を提出:午前10時に憲法裁判所の正門前で日本軍「慰安婦」被害者たちの憲法訴訟審判請求記者会見がありました。

ナヌムの家・挺対協・ハルモニたちと一緒に市民の会・チョンシン大研究所・民主社会委員弁護士の会が共同推進して行い、ファン・グムジュハルモニ、キム・スナクハルモニ、キム・ブニハルモニ、ペ・ジュヒハルモニ、パク・オンニョンハルモニ、パク・オクソンハルモニ、キム・スノクハルモニ、イ・オクソンハルモニ、パク・オクソンハルモニが共に参加しました。挺対協で実行委員たちが忙しく朝の時間にも来て下さいました。シン・ヘス先生、ユン・スンニョ先生、キム・ソンシル先生、チェ・オクスン先生も共にしました。

ユン・ミヒャン事務総長の司会で始まり、市民の会のパク・ジョンフィ事務局長の発言・キム・カンウォン弁護士の発言、憲法訴訟審判請求の主旨説明が行われ、イ・オクソンハルモニの発言とイ・ヨンスハルモニの外交通商部前での一人デモ宣言がありました。最後に記者会見文をシン・ヘス共同代表が発表しました。そして10時40分に憲法裁判所の請願室の事件受け付けを行っている職員に受付して接収証を受け取りました。

② 第716回水曜デモがありました。ソウル女性のテレフォンセンターの主管で行われ、60数名が参加しました。韓日学生フォーラム会員たちが参加し自由発言もしてくれ、司法研修生たちも参加し自由発言をして下さいました。

ファン・グムジュハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・オクソンハルモニはまん中で並んで座っているのが大変なようでデモが行われている40分の間ほとんど目を閉じていました。お疲れのようでした。若い人たちも午前中から一度に二つの行事を行うのでみんな疲れていますが・・・

③ 水曜デモが終りいつも食事をする食堂「清流館」で食事を一緒にしました。食事をしているとある女学生と会いましたが、フィラデルフィアでちょうど高校を卒業したウン・ジラと言う学生でした。友だちと一緒に三人でブレスレット、ネックレス、イヤリングなどを作って学校行事のときに販売したようです。日本軍「慰安婦」問題を知らせたりもして。その販売売上を持ってきたといい来週に伝達してくれると言います。日本軍「慰安婦」問題と関連して質問事項を予め整理して来て一緒に話を分かち合いました。

④ 午後に事務所にアメリカ人であるジョシアさんとキム・ウンギョンさんが事務所を訪問しました。長い間ハルモニたちについて、ハルモニたちの歌の中に込められた戦争と希望について2時間を超えて会話しました。

⑤ マサンでイム・ジョンジャハルモニの甥から電話がありました。ハルモニの家で一緒に住んでいる甥ですが、「ハルモニの支援金で生活をしている甥です。ハルモニが最近、ずっと具合が悪いようでもし亡くなったら葬儀費は誰がくれるのか?市では50万ウォンくれるといいますが・・・」と尋ねます。

本当に腹が立つ出来事です。こんな電話を事務所に掛かって来れば事務所は一気に活気を失い「怒り」でいっぱいになります。それでも我慢してハルモニのお墓は天安の丘へ申請すれば良いから心配しなくても良いと言うとそこまでは移動する費用はまたどうすれば良いのかと尋ねます。「私たちが行います」身震いがします。電話を切って何の遠慮もなしに悪口を言うファン・グムジュハルモニを思い出しました。私たちもそうする事ができたらむしろ気持ちが元気になる気がします。

⑥ ウリチプのソン・ヨンミ室長がキョンギ道ムンサンへ行って来ました。チ・ウィジュン先生の家を訪問してハルモニたちに下さったマガモの卵を持ってきました。地域にいらっしゃるハルモニたちにもマガモの卵を差し上げれば良いと言われます。ウリチプのハルモニたちも毎朝、生の黄身にごま油をたらして召し上がるので肌のつやが良くなりました。

⑦ ハンギョレ新聞にアメリカ議会に提出された「慰安婦」問題決議と関連した原稿を準備して紙面の交渉をしましたが、今日の朝に新聞に「寄稿」ソ・オクチャワシントン従軍慰安婦対策委員会の会長として文章が載せられました。

⑧ 北のミサイル発射の消息にハルモニたちの憲法訴訟提出の記事が埋もれてしまうかと心配しましたが、テレビでも報道してくれました。インターネット新聞と日刊紙にもハルモニたちの写真と一緒に記事を載せてくれました。

7月6日(木)

① ウリチプのイ・スンドクハルモニが入院されました。脳梗塞のようです。頭が痛くてたまらないと言われて119で救急車を呼び病院にお連れしました。入院をしましたが早く全快することを祈っています。

② アムネスティ・インターナショナル(AI)韓国支部から連絡が来ました。8月9日、オーストラリアAIが集会を行いながら韓国からハルモニ1名と活動家1名を招請することを決定したようです。メルボルン・シトニー・アドレイドなどの地域で大学の講義と記者会見、8月9日世界連帯集会などの一週間の間、日本軍「慰安婦」問題キャンペーンを行うとようです。すべての経費はオーストラリア側が負担するとの事です。

③ ハルモニたちが憲法裁判所に憲法訴訟の請求書受付した事と関連してラジオのインタビューが行われました。キリスト教放送、SBS,KBS時事プログラムと電話インタビューを行いました。

7月7日(金)

① 戦争と女性人権センターで3月から行われている「歴史の中の戦争、戦争の中の女性月例セミナー」が5回目を行いました。はじめに決めていた講義テーマは「ベトナム戦争と女性、そして韓国派兵」でしたが講義を聞きながら私たちが使用しているベトナム戦争という言葉は実はベトナムの人々は使用しない言葉だと言います。ベトナムには「抗米戦争、アメリカ戦争」と言うようです。言葉の中にイデオロギーがあると言う事を今更ながら私たちもテーマを「ベトナムでの抗米戦争と女性、そして韓国派兵」に修正しました。

② ソン・パニムハルモニが病院に入院されかなり日が経ちます。カン・ジュヘ局長がハルモニを訪問しましたが、ハルモニは動くのがさらに困難になったようです。病院費がとてもかかってハルモニは他の病院に移らなければいけないと調べています。

③ ウルサンに「10代たちの巣」と言う青少年団体があります。8月8日の午後4時から6時に教育がありますが、挺対協で引き受けて欲しいと言う依頼がありました。事務所の活動家たちは8月9日の世界連帯集会の準備と靖国行事など8月行事の準備で行くことが出来ないのでカン・ヘジョン国際協力委員長が引き受けて下さいました。

④ 挺対協は今、この間に記録して来たビデオと録音テープ、写真などをデジタル化する作業を行っています。ハルモニ一人づつの写真、ビデオ、文書などを一つのCDに集める作業も並行して行っています。

ところがビデオ、録音テープをデジタル化する経費がとても高くてすぐに行わなければならない物とそうでない物を選択する論議を行っていました。ところが、ウリチプと事務所の主治医であるユン・ヨンシク先生が事務所に来られた時に実務者が悩んでいる事を聞きつけ、ご自身のパソコンを事務所に持ってこられ設置までして下さいました。そのパソコンは自動的に録音テープをデジタル化してくれる昨日が付いているもので費用の心配をしなくても良いようになりました。

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少し休んでしまったので・・・間が空いてしまいました。。。

取り戻すのはとても大変です。ひとまず、最近のものをアップしました。

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2006年6月11日 (日)

【挺対協】週間消息⑳

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑳【5月22日~28日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

5月22日(月)

① ウリチプのキル・ウォノクハルモニとイ・スンドクハルモニは病院へ行く日です。栄養注射も気力を補い、また糖尿と血圧などハルモニたちの健康チェックをして薬も受け取りました。

チェ・ガプスンハルモニは荷物をまとめるのに余念がありません。もうすっかり気持ちは家に住んでいるようです。明日、家に帰るので約一ヶ月のウリチプでの生活に終りをつげ引越しの準備をしています。

② AALA(アジア、アフリカ、ラテンアフリカ連帯)千葉支部から代表と会員たち10名が事務所を訪問して教育館でユン・ミヒャン事務総長と二時間の教育のプログラムを受けました。

③ 午後2時から事務所会議をしようと思いましたが、日本からの訪問者のために時間が遅くなって3時から始める事にしました。実行委員会の報告と日程の共有、業務についての論議をしました。

④ 2006年二回目の日本語消息が発行されました。

5月23日(火)

① 午前11時に南山植物園(旧、朝鮮神宮敷地)噴水台の前で「靖国反対共同行動韓国委員会結成式」がありました。同じ時間、日本と台湾でも各地域委員会が結成されました。

靖国反対共同行動は韓国・台湾・日本・沖縄と四ヶ所の地域の連帯行動で靖国神社合祀取り下げ訴状と、集会などの国際連帯活動としています。今後8月13日~15日の期間には日本の東京の靖国神社前でキャンドルデモを準備しています。

今日の結成式に挺対協からキル・ウォノクハルモニとイ・スンドクハルモニをお連れして事務所からも共に参加しました。結成式が終わった後、事務所の近所でハルモニたちと一緒に熱いカルビタンで一緒に昼食をとりました。

② 日本語消息誌を発送するために郵送作業をしました。イム・ジヨン監査の友人が来てボランティアをして下さいました。

③ チェ・ガプスンハルモニ、ウリチプで養生されついに家に帰られるのでお送りしました。

5月24日(水)

① 第710回水曜デモが反米女性会の主管で行われました。特に今日5月24日は「平和軍縮のための世界女性の日」であるために水曜デモの内容もそれに合わせて行われました。

千葉県のAALA会員たち、日本の教会代表団13名が共に参加され、クマム中学校の学生も30名、プチョン高校の学生20名など平日にも約80数名が参加されました。チャンサン連合会のシスターたちも参加され、挺対協の大会協力委員長も参加しました。

② 「5・24平和と軍縮のための世界女性の日」記念女性平和祭が“ピョンテク、生命と平和の地で”と言うタイトルで5月24日、ピョンテクの平和公園で開催されました。水曜日なので挺対協からはピョンテク女性平和祭には参加できませんでしたが、声明書を共にしました。

③ 事務所は今日朝からとても忙しかったです。今日から2006年女子プロバスケットボールの夏リーグが始まるためです。今年の女子プロバスケットボールの夏リーグ戦からも昨年のように「戦争と女性人権博物館建立基金」募金キャンペーンを行う事で確認され、今日が開幕戦です。水曜日の上に開幕戦行事が重なって何人もいない実務者が二つのチームに分かれて活動しなければなりません。

アン・ソンミ監査とキム・ドンフィ局長は朝からチャンチュン体育館に移動して写真展と募金箱行事の準備をして、残りの実務者は水曜デモを準備しました。

そして、水曜デモが終わるとすぐ昼食もとらずにチャンチュン体育館で移動してハルモニたちと一緒に開幕戦行事に参加しました。

午後2時から開かれた開幕式にはハン・グギョム共同代表とキル・ウォノク、ファン・グムジュ、チャン・ジョムドル、イ・ヨンスハルモニが参加して「戦争と女性人権博物館」の募金の伝達式を持ちました。プロバスケット団のキム・ウォンギル総裁200万ウォン、ウリ銀行ファン・ヨンギ頭取100万ウォン、新世界ユ・ウォニョン団長が50万ウォンの募金を伝達して下さいました。

ハルモニたちは伝達式が終わった後、戦半期と後半期まで選手たちのシュートと観衆たちの応援の熱気で楽しみ席を立とうとしませんでした。(勿論、ファン・グムジュハルモニは例外)夏リーグは7月末まで行われ、行事の合間に募金行事が行われる予定です。

④ ファン・グムジュハルモニは今日の水曜デモに行く時までまたバスケット行事に参加するときにもずっと気分が良くありませんでした。他のハルモニたちが楽しんでいることも見るのが嫌なようです。「あ~」と言うファン・グムジュハルモニのため息「どうしたんですか」イ・ヨンスハルモニが苛立ちます。「私が死んでも私の面倒を見てくれる人もいない・・・」また確認されようとします。何度話しても無駄です。確認してまた確認をしたいようです。

⑤ 日本の民主党の鳩山由紀夫幹事長を始めとして共産、社民などの野党三党の国会議員たちが国会図書館内で「慰安婦」と強制連行実態などを調査してその結果を国会に報告すると言う“恒久平和調査局”を設置すると言う内容の発案を23日衆議院に提出しました。

発言によれば恒久平和調査局は日帝が

●戦争を引き起こした経緯

●強制連行の実態

●日本軍「慰安婦」実態

などを調査して調査結果を国会に報告するようにする役割を引き受ける事になります。この発案が提出されたことは今回が四度目で過去の三度はすべて廃案された事があります。

これに挺対協は上記の法案提出を歓迎し迅速に法案が審議され“恒久平和調査局”を設置する事を促す声明書を発表しました。

同時に去る3月29日、日本の野党3党81名の署名で日本の参議院に提出された“戦時性的強制被害者問題を解決する促進案”も一日も早く審議、性的されることを促しました。

⑥ 午後3時に日本のトラリ学院奄美地区沖縄日本教会団13名がチュ・ムノン牧師と共に事務所を訪問しました。水曜デモに参加した後、事務所を訪問したようです。

この方たちの今回の訪問は韓国の“恨”を体験する事だそうです。教育館で一時間を越え日本軍「慰安婦」問題について韓国の運動について、生存者たちの状況について共有して交流しました。

5月25日(木)

① 午後2時、アンサンで女性プロバスケット競技が開かれました。博物館募金行事の為に事務所から一緒に参加しました。

② 韓国語の消息誌を準備しています。31日までが原稿の締切りで、消息誌の内容作成を分担して記事を書いています。今回のあいさつ文はチョン・テホ福祉委員長が引き受けてくれました。

③ ファン・グムジュハルモニの昨日の気がかりはまだ続いていて事務所に電話がありましたが、ユン・ミヒャン事務総長が席を外していると言うと電話して欲しいと言われたようです。電話をして見ると特別なことはありません。「ウリチプにハルモニたちはいる?」そうして「事務所は変わりない?」と言われます。しばらく電話をしながらハルモニの気持ちを慰め、何も心配しないで気がかりな事がなんなのか話さなくても分かっているので気持ちを楽に持って下さいと話すと「そう、ありがとう。」とまるく収まりました。

5月26日(金)

① ソウル市公園委員会に博物館建立と関連した審議のため追加の書類準備の要請を受けました。今後、博物館の建立のための予算と予算の補充法案、今後の組織及び事業などの運営について全般的な事項を今日までに送れと言う事でした。

修正して補完を繰り返しながら提出しました。そのまま執行すると言うことではなく事務所で任意的に作って提出したもので草案を確認しました。ソウル市も私たちも6月中に審議を終わらせるように努力しています。

② 去る3月26日、アメリカのエバンス民主党議員と共和党クリストファー・スミス議員たち34名が党を超えて支持署名を行いアメリカ下院の国際関係委員会に日本軍「慰安婦」問題について日本政府の責任を問う決議案を提出しました。この決議案の通過のため提出した議員たちが積極的に進み出て上程に問題がないと言う嬉しい知らせが5月25日に伝わってきました。

ところが日本政府が小泉政府の6月29日訪米日程を前後して大物のロビー活動家まで動員して決議案上程総力阻止を進めていて小泉訪米の前に決議案上程が難しいようだと言う消息が今日伝わってきました。

本当に最後までこのように卑怯な事があるのかと思いました。そこで挺対協では直ちに声明書を出し、日本政府に決議案上程阻止ロビー活動を即時に中断して、今からでも反人道的な犯罪について謝罪と補償、未来世代のための教育などを実施することを要求しました。

③ カン・ジュヘ局長は今日から日曜日まで慶南地域のハルモニたちを訪問する日程に入りました。今日と明日はサンチョンとチンジュのハルモニを訪問し、日曜日にはマサンのハルモニたちの行事があります。

5月27日(土)

①キム・ドンフィ局長とチョ・ジョンフンボランティアが一緒に資料整理をしました。

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【挺対協】週間消息⑲

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑲【5月15日~21日】   

                            報告:ユン・ミヒャン事務総長

5月15日(月)

① チョンブク大学病院でチョンブク地方の被害者ハルモニたちの目の周り垂れ下がった肉の手術と総合検査を無料でして下さいました。カン・ジュヘ局長が車でチョンブク地方を回ってハルモニたちを病院へお連れして入院手続きなどを行いました。

② ソウル大の学生たちが事務所を訪問して教育館で講義を受けました。

③ ついに去る総会時に新しく選出された任員陣と改訂された定款に関する許可を受け、登記も新しく修正されました。今日、外交通商部から改訂許可の公文が来ました。

5月16日(火)

① 女性プロバスケットボールから今年の夏リーグ戦で「戦争と女性博物館」建立基金募金キャンペーンを共に行う事にしました。来週が開幕式なのでこの日から写真展示して募金活動も行うなど、昨年一年間の経験を活かしてもっと力強く活動します。

② キョンフィ大の歴史学科の学生が一日店主をする日です。今日の一日を通じて得た収益は博物館建立基金として寄付すると学生たちが決意して集めました。

5月17日(水)

① 第709次水曜デモを行いました。「私たちのマダン」が主幹しましたが、この団体が欲張りで準備した内容が多かったようで1時間が過ぎようとしているのに「私たちのマダン」の広報活動をするためにハルモニがくたびれているのにも気が付かず私たちはとても心配しました。

日本民主医療の会の会員たち約30余名がともに参加して発言も行い、食事も一緒に行い、後援金も伝達して下さいました。作家志望であるサンミョン女子高性も開校記念日の休みとと重なった為に参加し、サムユックコン大・ホンイク大・韓国神大などの大学生も参加しました。挺対協のユン・スンニョ共同代表を始めとして太平洋被害者補償推進委員会のイ・フィジャ代表、韓国挺身隊研究所のイ・ソンスン所長なども参加してイからを合わせて下さいました。

② 事務所のパソコンが故障して修理に入りました。古くなって、埃がたくさん積もってメインボードを出しました。

③ アムネスティー・インターナショナル(略AI)韓国支部の事務所でキャンペーンを担当するキム・ミョンシクさんから嬉しい知らせが伝えられました。AIは昨年10月、女性暴力問題で日本軍「慰安婦」問題を調査し、報告書を発表しました。

この報告書を通じて日本政府に法的責任履行を勧告しました。そして、これを実行するためにキャンペーンを進めています。このキャンペーンの一環で今年の8月15日を前後した水曜日である8月9日、AIが各国で日本軍「慰安婦」問題の解決を促す連帯集会をすることが決定しました。

特にオーストラリアでは韓国で生存者の招請を提案して下さいました。これで水曜集会は本当に私たちだけのデモではなくなりました。本当に力が湧きます。正義回復を実現する!

④ アンサンのソウル芸術専門学生たちが今日、日本軍「慰安婦」問題を写真展示してドキュメンタリー映像の上映、指紋アート(参加者の指紋でハルモニの肖像画を作成するもの)などのキャンペーンを構内で行います。初めてこのようなことをするので準備を以前から行ってきたのですべてうまく行くと思います。水曜デモでなければ実務者たちも一緒に協力できたのに残念です。

⑤ アサンとナヌムの家の出会いについて企画記事を書いているフリー作家と事務所でインタビューを受けました。1995年、光復50周年を迎えながらアサン財団から生涯無料診察権を日本軍「慰安婦」ハルモニたちに下さった背景とカン・ドッキョンハルモニ、イ・ヨンスハルモニなどのこの間のアサンと特別な縁を結んで下さった方たちについて事情、初期ハルモニたちを心から面倒を見て下さり、共に支えて下さったアサンのイ・ドッチャ看護士などについてお話ししました。

⑥ 来る5月24日は平和と軍縮のための世界女性の日です。韓国では平和を作る女性会、反米女性会などがこの日を記念して「女性平和祭」の行事をピョンテクで開く事に決定したと言う連絡が来ました。挺対協も公式参加団体なのですがよりによってこの日が水曜日なので行動行事には参加が出来ません。代わりに水曜デモを軍縮のための世界女性の日として行わなければなりません。

5月18日(木)

① 台湾の日本軍「慰安婦」被害者たちを支援して、問題解決のために活動している団体は台北市婦女福祉救援財団です。この団体の中で日本軍「慰安婦」分科が別途、組織され活動していますが私たち挺対協とは92年から15間、継続して連帯して来ました。この団体に8月29日、アジア太平洋地域ILO総会の対応キャンペーンに参加して欲しいと言う要請文を送りました。

② 10時から12時までウリチプでフェミニスト歌手のチヒョンさんが行う7回目のハルモニたちの歌教室が開かれました。「しかめっ面をしないで」歌と律動を習いました。キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニ、チェ・ガプスンハルモニが参加しました。

③ 事務所のパソコンが故障してコムダクトと言う会社が来て点検した結果、メインボードを完全に交換しなければならないと言う電話がかかって来ました。CPUが壊れたようです、ところがそれも7.8万ウォン程度の費用がかかります。

ところが、その後に「事務所はその・・・挺身隊ハルモニたちを助ける団体でしょう?それで、それは私たちが後援します。」そして、直接来られて設置して下さり、このパソコン、あのパソコンとすべてのパソコンを点検して下さいました。

5月19日(金)

① 午前10時30分から午後1時30分まで挺対協の5月定期実行委員会を持ちました。ユン・スンニョ共同代表の司会で行われ、ハン・グギョム共同代表、チョン・デホ生存者福祉委員長、キム・ソンシル財政委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長が出席され、チョ・ユニ書記とキム・インスク文化広報委員長は委任しました。関連団体たちの円滑なネットワーク、6・15南北女性大会からの「慰安婦」問題、ウリチプの話など本当に沢山の話を共有しました。

先月の事務所及び委員会別の事業報告と会計報告を受け、案件と討議しました。

始めにチ・マノンさん、シム・ミジャさんと挺対協間の双方の民事検事訴訟と関連して挺対協の立場を論議し、

二つ目、対 韓国政府活動で憲法裁判所へ提訴の件と国家人権委員会提訴などを挺対協が積極的に推進する事を決議しました。

三つ目、博物館建立基金を準備するため計画中である「ヴァギナ・モノローグ」公演について。

四つ目、最近のアジア女性国民基金の国内外的活動、日本軍「慰安婦」問題と挺対協運動についてニューライトなどの批判的な執筆物についての対応で挺対協運動について再認識と評価のために出版物を企画することにし、学者たちで専門委員を立てることに決議しました。

五つ目、2000年法廷裁判文の見出しである「ヒロヒト有罪!」に決め、発行部数は500部に決意し、

六つ目、8月の行事日程と関連してAI、日本の日本軍「慰安婦」活動ネットワークなどと共に8月9日水曜日を世界同時太春集会にする事にしました。

七つ目、その他の案件で6月の実行委員会の日程を決め、23日の靖国反対共同行動韓国委員会結成大会の参加などについて論議しました。

② 太平洋被害者補償推進協議会のキム・ウンシク事務局長と電話しました。8月29日~9月2日、アジア太平洋地域のILO総会と関連して挺対協で推進している記者会見、集会、特別イベントに日本で「強制連行裁判全国ネットワーク」で参加するそうです。

③ 「戦争と女性人権博物館」建立基金を準備キャンペーンを共に行う女子プロバスケットの夏リーグ企画者実務者が事務所を訪問しました。そして、対策会議を行いました。特に24日が開幕日について論議しました。挺対協はユン・スンニョ共同代表とハルモニたち、事務所からも一緒に参加する予定です。写真展とハガキ送りなども一緒に準備します。

④ 神戸からイ・アデさんが事務所を訪問しました。久しぶりに会って夕食を一緒にして、今後もお互いに共助して出来る事について論議しました。

5月20日(土)

① テウォン高校から17名の学生たちが教育館に来て教育を受けました。キム・ドンフィ局長が一日教師になりました。

【来週の日程案内】

① 5月22日(日)日本のAALA10名が事務所訪問

② 5月23日(火)午前11時靖国反対共同行動韓国委員会結成大会(南山植物園噴水前)

③ 5月27日(土)青少年サークルセムルのヤンソ高校の集まり

④ 5月26日(金)~29日(月) 慶南、釜山地域のハルモニの訪問

⑤ 5月28日(日)慶南、馬山地域のハルモニたちの行事

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2006年6月 5日 (月)

【挺対協】週間消息⑱-2

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑱-2【5月8日~14日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

5月18日(水)

① ソンゴンフェ大学、午前チャペルの時間にプピョンに暮らしているチャン・ジョムドルハルモニとカン・ヘジョン国際協力委員長が共に参加してハルモニの歴史と学生たちに伝える言葉を話されました。11時と12時の二時間を任されていましたがハルモニは学生たちを前にして話す事が辛いとおっしゃりながら重要な話をして下さいました。

夕方6時にユン・ミヒャン事務総長が他のチャペルの時間に招請され共に参加され40分間、学生たちに講義をしました。韓国政府と国会に送るハガキも一緒に書きました。

② 今日の水曜デモは両親の日の特別水曜集会として進行しました。アニャンでアニャンを愛する青年会とアニャン女性の電話が共同主幹し、6・15アニャン本部も一緒に参加しました。

プチョン市民連合女性委員会、キョンフィ大の学生たち、ソガン大女性学の講義を受講している学生たち、カトリック教誠心修道会のシスターたちなど多くの方が一ひと粒ふた粒と落ちてくる雨をものともせず参加して下さいました。

参加者たちはみんな「両親の恩」を合唱してアニャン女性の電話が直接作ったカーネーションの花を胸につけて差し上げました。シャボン玉を飛ばしてハルモニたちの夢と希望を私たちの愛を込めて広がっていきました。アニャンを愛する青年化と参加者たちみんなが自分とハルモニが末永く健康に暮らせますようにと深くお辞儀をしました。

③ 韓国神大学の民主同門会から連絡がきました。5月から博物館建立基金で毎月5万づつ寄付しようと総会で決定されたようです。ハルモニを始めとして様々な幹部たちも特に韓国神大の先輩たちから健康を祈ると言うメッセージまで一緒に下さいました。本当に神様からの知らせです。

同門会から私たちの問題を案件として扱い決議をして下さったと言うのに小額で心苦しいと言われますがそれは違います。私たちにはいつもそうですが、大金が重要なのではなく多くの人々の真心と気持ちの詰まったお金、すべての同胞が一緒に作る博物館を夢見ています。

④ チェ・ガプスンハルモニの息子さんはハルモニが呼べばウリチプに駆けつけます。自身のハラボジになったと言うのにいつもハルモニの前では親孝行です。朝からハルモニが豚足を食べたいと言うと息子さんはそれを買って来られます。どれほど沢山買って来られるか、ハルモニも召し上がって事務者たちも食べて、水曜デモの参加者たちとの昼食の時も一緒に食べました。

⑤ 水曜日の午後は仕事を進めるのが難しいです。毎週行う水曜デモも手がかかる仕事が多いです。だからそうなのでしょうか?水曜日の午後になれば気が抜けてしまうようです。

5月11日(木)

① 午前10時、世宗路総合庁舍正門前で女性団体の「ピョンテク強制執行か過程で発生した女性人権侵害糾弾女性団体記者会見」がありました。

この場に挺対協も共に参加しました。「私たちは強行鎮圧と鉄条網を望んでいるのではなく意思疎通と平和を望む」去る5月4日、ピョンテク米軍基地移転地域で行われた国防部の強制執行過程で深刻な人権蹂躙とセクハラが発生しました。

特に女性たちに対してのセクハラ問題と関連して40余個の女性団体の会員たちが共に記者会見を持ちセクハラ真相究明と責任者の処罰を行えと言う事を訴えました。

被害事例を報告した各女性団体の批判発言と声明書を朗読した後、すべての参加者たちは我々の要求を書いたリボンとバラの花を手に庁舎に向かい正門にそのリボンを結ぶと言うパフォーマンスを行いました。

国家権力の下で暴言と上半身裸体捜索などの女性の人権侵害を行った事実は韓国政府が国連人権理事会招待理事国に選出された状態の中で一層残念な事であり憤るばかりです。

② キョンギ道コヤン市で暮らしているファン・スネハルモニが来られました。

チェ・ガプスンハルモニがセラン病院で手術を受け脊髄の痛みがはるかに和らいだようでハルモニも一度検査をしようと言う事で来られました。ハルモニは腰がほとんど70度ぐらいに曲がっています。

ところが検査の結果、ハルモニは手術をしても良くならないとこの事でした。ひょっとしたらと言う希望を持って来られたのにダメでした。しかし、ハルモニが来られたついでに漢方医で漢方薬を処方すると喜んで帰られました。

カン・ジュヘ局長がハルモニの家まで直接自動車でお連れしました。腰が曲がった姿が痛々しくてそのままタクシーに乗せて送り出す事が出来なかったのです。

③ 国際赦免委員会の韓国支部のキム・ミョンシク活動家と事務所で会いました。そこで今後、日本軍「慰安婦」問題を人権次元でどのように国際的に対応していくか論議をしました。まず、国際赦免委員会の場合、昨年10月に発表した日本軍「慰安婦」報告書で勧告をしていることを実行させるため活動をしていく事に決定したと報告されました。

アジア太平洋地域が中心になり推進するが、日本政府に送る要求書に世界の各支部長がサインして、日本政府に送る事になりました。そしてハンドブックを作製して広報するなどの活動も推進していく事になりました。今後、国連人権理事会体制を通じて問題を牽引していく方法についてもっとお互いに論議する事にしました。

④ チェ・ガプスンハルモニはウリチプで手術後、順調に回復されています。食事もよく召し上がり、物理治療も受けられ、ソン・ヨンミ室長の愛情も一杯受けられて・・・

⑤ ドイツで日本軍「慰安婦」問題のキャンペーンを展開する事と関連して手紙を書きました。ドイツの女性団体とキリスト教機関で共に連帯すれば良いと思います。

5月12日(金)

① 13日に沖縄には“恨の雨”除幕式がありました。

沖縄に連行された労働力として、軍人として、性奴隷として強制徴用され、人権蹂躙されて亡くなられた方々を追悼して過去の戦争を通じて現在の教訓にすると言う作業の一つです。すでに慶来ヨンヤン地域に1999年8月に建てられた後、それと同じ物を沖縄に建てる事になりました沖縄の作家である金城ミノルさんが組織されました。

この除幕式を前後して挺対協の連帯辞を送りました。

② 元々、今日は実行委員会の日程がありましたが、一週延期になって実行委員たちに電話をしました。会議の日程を決めるのは本当に簡単ではありません。皆、他の活動を同時にしていて、その忙しい時間を裂いてくれる方々なので。

③ 英語の消息誌を今年に入って初めて製作していますが、英語を翻訳してくれるアメリカの留学生たち、活動家たち、研究者たちなどが一生懸命助けてくれています。ありがとうございます。

④ 慶南河東の博物館で5月19日から21日までお祭りが開かれますが、今年も日本軍「慰安婦」ハルモニたちを招待してお祭りをするようです。主に慶南地域のハルモニたちが他の戦争被害者たちと一緒にされるようです。ハルモニたちが健康に一緒に楽しめれば良いですが、現実はそうではないようで私たちは残念です。

これと関連してカン・ドンオ館長と電話で論議をして、サンチョンハルモニの近況を共有しました。

⑤ 日本語の消息誌を準備しています。一次翻訳は出来ていて、これをボランティアしてくれているソ・イレさんが監修をしてくれます。来週には発送する事が出来ると思います。

⑥ ネイバーで暖かい社会を作る社会福祉団体、市民社会団体などの事業と接触して、寄付と寄贈、ボランティア参与などを通じて公益団体とネイバー会員たちが作るオンライン「分かち合いの場」の一角を挺対協も提供を受け活動をしていますが、女性団体の中で挺対協の博物館寄付が最も増えています。

小額の寄付者たちの参与が社会を変化させるのに重要な基盤と言うことを私たちは知っています。本当に嬉しい知らせです。

⑦ 沖縄の調査活動をビデオに収めた内容をまず、日本語で起こしています。ソンゴンフェ大学の学生のヨネさんがボランティアを本当に真面目にして下さいます。ヨネさんはカン・ヘジョン国際協力委員長がソンゴンフェ大で教えていますがそのクラスの学生です。水曜デモの参加して教育館を訪問してカン・ヘジョン委員長(教授)と授業を共にした後、このように参与してくれるようになりました。

5月13日(土)~5月14日(日)

① ウリチプのパートでヤン・ノジャさんが仕事をしています。

② 「週末にも事務所を訪問しても良いですか?」と言う問合せが来るのです。うん・・・私たちも休みが必要です。来週には大学生たちの事務所訪問が目白押しです。

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2006年6月 1日 (木)

【挺対協】週間消息⑱-1

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑱【5月8日~14日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

5月8日(月)

① 両親の日です。両親の日に何もしないわけにはいかずウリチプでハルモニたちと一緒に食事会をしました。

民主労働党からパク・インスク最高委員とキム・ジョンチョルソウル市長候補、イ・スジョン、チョン・ホジン比例代表候補と民主労働党の女性委員会などが共に参加してハルモニたちの胸にカーネーションをつけて、美味しい昼食と両親の日の歌を歌ってくれました。「ハルモニ!頑張って下さい、私たちがいるじゃないですか~!ハルモニ、頑張って下さい~私たちがいます」と言う歌声にハルモニたちは目を静かに閉じて幸せな表情を見せて下さいました。ハルモニたちの幸せな表情は私たちの心にも幸せが伝染しました。

② 午前10時から11時まで挺対協の教育館にはメソジスト教女性たち20名以上が来ました。メソジスト女性開発院で推進するキリスト女性指導者大学の受講生たちが来て「消せない歴史」のビデオを見て、ユン・ミヒャン事務総長の講義も聞き、質問と提案などとても有意義な一時間でした。

③ 博物館建立基金後援消息が届きました。日本で博物館建立委員会共同推進委員長を引き受けているヤン・ジンジャさんから連絡がありました。ある方が10万円を振り込んで下さいました。日本では郵便局口座を作って募金をしています。

④ 子どもの日にアニャンでキャンペーンをしながら募金箱に集まった博物館への募金金額は88、000ウォンでした。

⑤ チェ・ガプスンハルモニはセラン病院に入院しており、今日は手術をされました。手術と言うと怖がっていましたが、簡単な手術でした。腰の痛みを80%は抑えられるようです。

⑥ 両親の日なので地方で暮らしているハルモニたちを一人づつみんな訪ねることが出来ない代わりに電話を通じで胸にカーネーションを送りました。

釜山に住んでいるキム・ボクドンハルモニはどうして来ないの?会いたいのに早くおいでと催促されました。そして、自分が女性部で行っている漢方治療をこの間継続して受けてきた釜山市民の会のキム・ユンジャさんを通じて続けたいと女性部に伝えて欲しいと言われました。

キム・○○さんが今年、釜山地方のハルモニたちの漢方薬を準備するようになったのに、電話をするのも嫌で不愉快だから私に解決して欲しいと言われます。今まで継続して訪ねてくださり、助けてくれた人なのにどうしてそんな風に気持ちが変ったのか。釜山市民の会のキム・ユンジャさんへの誉め言葉ばかりでした。「そのキム、そのユンジャさんはよく来る。来れば手足の爪を切ってくれ、全身の按摩をしてくれる。おかずも作ってくれてどれほど助かっているか。人が本当に良い。人が好きだから出来る」と話されました。私も相づちを打ちました。「そうですよ、ハルモニ。その方は本当に良い人ですよ。私が女性部に電話し見てますからね。そして、すぐに釜山へ行きますからね。」

アジア太平洋地域のILO総会対応活動を兼ねて釜山市民団体たちに会わなければならないようです。

⑦ チョンブク大学病院でハルモニたち目の上の垂れ下がった部分を切り取る手術をして下さいます。第一次でチョンブク地方に住んでいるハルモニたちを先に行う事にしました。手術を行う前に全身の健康検査もして下さり、病室も別途に準備して下さいました。ありがとうございます。

⑧ 日本から戻ったカン・ヘジョン国際協力委員長が連絡をくれました。日本の「女性たちの戦争と平和資料館」西野留美子さんの要請が二つありました。

一つ目は来る8月9日が8・15を目前とした水曜日だがこの時東京集会を準備しているようです。亡くなられた方々の数のランプを作り「亡くなった者の声を聞け!」と言う感じで活動をしようと考えています。すでに120個のランプを注文したと言います。亡くなった方々についての名簿と日にちなどを整理して欲しいと言う要請事項でした。

私たちはまた8月までは考えてもいないのに、またこの時にも世界同時多発デモをしなければならないようです。現在、考えているのは8月9日(水)から16日(水)を解放週間として定めるのが良いと思います。今度の実行委員会でこの案件を取り上げなくてなりません。

二つ目の要請は最近日本軍「慰安婦」問題を含めた韓日間の過去史について他の観点で執筆している学者たちの動きについての対応と関連したものでした。

特に日本軍「慰安婦」問題と関連しては95年日本の村山政権時、法的責任の方法ではない「女性のためのアジア平和国民基金」法案で解決しようとした後、挺対協がこれを拒否し、過去の歴史の真相究明と法廷賠償、責任者処罰などを継続主張して活動してきた方向性について批判的な文書を書いている韓日の学者たちがいます。

特に女性運動を始めて、女性人権回復の支援から女性暴力の追放の方向で平和運動の方向で挺対協運動は継続されてきたのにそこでむしろ国内の過去史団体からは挺対協運動が女性運動に偏っていると批判を受けているのにも関わらず、挺対協運動に「女性」がないという主張をしています。

カン・ヘジョン国際協力委員長との対話で日本の女性たちの戸惑いと対応策を準備しなければいけないという要求が伝わってきました。それで私たちの立場を明らかにする必要があると言うのです。

私、個人としては実は挺対協の運動を学者たちはしらずに文章にしているという思いがします。学者たちが誰も「慰安婦」被害者女性たちの人生に関心を持っていないとき、韓国の女性団体たちは「慰安婦」運動で組織化され、生存者たちを組織化させこれを通じで社会の中に広めていった「慰安婦」被害者たちの「個人的な羞恥」と言う認識を「女性人権回復運動として拡散させ」これを通じて個人的な問題ではない社会共同の責任として牽引してきました。

太平洋戦争の一般的な被害事実の中に埋もれ男性たちが受けた被害の中に女性たちが受けた「慰安婦」問題が知られる事を避けていた時、挺対協がこの問題を特別化させ運動化し、その過程を通じてこの問題を民族的な問題だけではなく女性人権問題であり、平和問題であり、韓日間の問題でアジア女性の問題であり、国際的な女性暴力問題だと世論を形成してきました。それが正に挺対協運動でした。

それだけでなくどの誰も国際機構でこの問題を提起しようとしなかった時、国連人権委員会に提訴して運動を始めながらついに戦争中に恣行された女性たちに対しての性暴力、強かんを戦争犯罪として、非人道的な犯罪として規定されるようになり国際法的判断基準を作る時にも挺対協運動は大きな役割を果たしました。

これを通じて生存者たちも日本軍「慰安婦」問題についてただ、個人的な日本政府から謝罪を受けて補償を受ける問題とだけ見るのではなく歴史清算の問題で、女性人権の問題で、現在も継続している女性暴力と現在も平和の脅威となっている問題だという新しい認識を持つようになり、その中で女性たちと連帯するようになり、他の戦争被害者、性暴力被害者たちの問題も認識してみるようになりました。これは初期の運動状況を考えれば本当に驚くべき変化です。

⑨ 挺対協は東北アジアの平和実現のために対日活動ネットワークと日本の過去史清算を要求する国際連帯協議会韓国委員会などの団体とともに日本の国連人権理事会理事国候補出馬と関連して「日帝被害者人権問題の解決なしには日本の国連人権理事会理事国加入を反対する」と言う声明書を発表しました。

⑩ 挺対協は国際アムネスティー韓国支部、天主教人権委員会、国際民主連帯、外国人移住労働者対策協議会、国連人権対策センターなど14の人権社会団体と共に国連人権理事会の出帆と関連して韓国政府の理事国出馬に関する立場を共同声明所で発表しました。内容は韓国政府に国連人権理事会理事国選挙出馬を国内外の人権状況について自省の契機とすることを促しています。

【参照】

国連人権理事会理事国選挙、韓国政府の公約内容〈国内人権状況改善のための公約〉

△女性差別撤廃協約選択議定書(個人請願権)加入

△自由権規約14条5項(すべての人の上訴権認定)、拷問防止協約21条と22条、女性差別撤廃協約16条1項(家族の氏性及び職業の同等な選択権)に対する留保撤回検討

△拷問防止協約選択議定書(国内拘禁施設訪問および調査)加入検討

△国際労働機構(ILO)、98号(団体協約権)、29号(強制労働)、105号(強制労働廃止)を2008年までに批准

△国家人権政策基本計画(2007-2011)を2006年末までに確定

△人権の主流化実現のための公共の認識高揚のための人権教育強化

△公共政策の開発と履行、評価の過程で市民社会との協力とパートナーシップ強化

〈国際社会の人権増進のための公約〉

△国際人権条約監視機構の改革論議に持続的な寄与

△国際人権条約について履行報告書提出期限遵守、条約監視機構の勧告について迅速な履行

△技術的協力を通じて国連会員国の人権義務履行を支援

△民主主義、法の支配、人権と基本的自由について尊重強化のため直接的・間接的協力

△民主主義の共同体活動を通じて民主的制度定立についての支援を要請する国家と協力

△国連人権高等弁務官室の業務向上のために寄与

△国際人権条約未加入国が主要条約に加入するよう督励

△障害者人権条約の成案のため論議に積極参与

△アジア太平洋地域の地域人権機構設立のための論議に積極的に参与

△生命倫理、情報技術(IT)など新しい人権問題に関する基準を定立する過程に寄与

〈国連人権理事会の運営に対する公約〉

△国連人権理事会が透明で生産的、実質的な機構となるように業務方式論議に積極参与

△人権侵害に迅速で効果的な対応が出来るよう(理事国としての)役割を遂行

△市民的、政治的、経済的、社会的、文化的権利が同等に強調、実現できるよう努力

5月9日(火)

① 午前9時に外国からのお客さんが訪ねて来られました。アンドリュー・コーヘンと言うカナダのマスコミですが、一時間を越えるインタビューをしました。挺対協の財政支援から挺対協の活動、生存者たちの状況、日本政府の立場、韓国政府の立場、国際団体の支援状況などについの質問でした。

そして、インタビューの最後にハルモニたちが生きている間に日本政府が賠償する事が可能か?と言う質問を受けました。どんな風に答えたかと言うと。「可能性は本当に希薄だと思います。しかし、歴史は進むものです。私たちの運動も進んでいきます。日本国内の政治的な現実を見ても、韓日間の政治外交的関係を見ても日本政府を変化させる事ができる可能性は10%も大変だが運動がやり始めた時に比べれば今の状況は本当にたくさん変ってきています。この変化が10%を20%へ30%へと変化させる事が出来る力となるでしょう。そして、何よりも生存者自身がまた私たちによって私たちの周辺が、日本女性たちが、国際社会が「慰安婦」問題について、女性暴力問題について、戦争と平和について、女性人権について重要な変化が起こっています。この変化が日本政府を変化させるのに重要な役割となると思います。と・・・」大体はこのように答えました。

② カン・ジュヘ局長がソウルのキルム洞に住んでいるイ・ヒョスンハルモニを訪問して、ハルモニと一緒に漢方医に行き診療を受け漢方薬を処方してもらいました。

③ チェ・ガプスンハルモニは手術がうまくいったのか今日、退院しても良くなりました。退院をしても家に戻れずウリチプに行かなければならないようです。

準備するのが遅くなってしまったと言う気がするけれど本当に事務所から近いところにウリチプをよく作ったものです。午後にカン・ジュヘ局長が病院にハルモニを退院させて、ウリチプにお連れしました。

④ ウリチプは時に過ぎるにつれ一人で暮らされるハルモニたちに大切な休憩と健康回復と日常的な生活の場としての役割があり、ハルモニたちに必要な空間となっています。しかし、福祉法人ではないために個人の後援金で運営していますが、いつまでこのように持ちこたえられるか分かりません。そこで思案の末、ウリチプ後援会を別途で作る問題を事務所で論議しています。アニャンの6・15本部のパク・キリョン代表が提案をしてくださいましたが、推進しなければなりません。

⑤ スウォンのアン・ジョムスンハルモニが気力回復の助けになればと思い紅さん(朝鮮人参の根)を買って渡しました。ハルモニがどれほど喜ばれたか。子どもたちも出来ない事をいつもこんな風に心を尽くしてもらって有りがたいと。

⑥ 本当に英語が上手だったらと思います。コングリッシュではなくスラスラ手紙も書けて、あちこちに文章を書いて送りたい気持ちで一杯です。ドイツの女性たちに送る長文の手紙を書いてボランティアに英語の翻訳を頼む時はもっとそう思います。

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やっと、コレだけ出来ました。今週分は本当に量が多いです(涙)

残りはもう少し待って下さ~い。

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2006年5月15日 (月)

【挺対協】週間消息⑰

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑰【5月1日~7日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

5月1日(月)

① 今日、事務所は労働者の日に合わせて休みました。

② 挺対協の健康治療を引き受けて下さっているユン・ヨンソク先生が事務所にまで来られてユン・ミヒャン事務総長とキム・ドンフィ局長の治療をして下さいました。

ユン・ミヒャン事務総長は今日に限って体がひどく腫れて目を開けることが辛かったのですが、治療の結果心臓が弱っているので針治療を受けました。目の上の腫れも治まり体も楽になりました。

③ 先週、訪問された1935年生まれのハルモニがまた来られました。今日は少し腹が立ちましたが、我慢しました。

静かに差し迫った仕事をしようと事務所の扉を閉めたままで一人でいると扉を開けて入ってこられました。それでも怒る事も出来なくて・・・申し訳ありませんが忙しいので30分だけしか時間がありませんと、予め話を切り出しました。今日も変わりない話をされて帰られました。

④ キョンボクのチョンウプのチン・ファスンハルモニが電話を下さいました。「おーい、ユン・ミヒャン所長かい?私よ、わたし~」はい、ハルモニお元気そうで。と答えると「アイゴ、声を聞いただけでもすぐに分かるのね。みんな元気かい?」尽きる事のない報告をし合いました。

私は足が痛くて歩けないよ。這っているよ・・・一度、おいで。他の所?いいや、嫌だ。ここが良い。みんなおかずを作って来てくれるから大丈夫。そのようにしてハルモニと30分ほど会話が続きました。

⑤ チェ・ガプスンハルモニが倒れえて腰を痛めたと連絡が来ました。それでカン・ジュヘ局長が明日の朝、出勤前にウリチプにお連れする事にしました。

5月2日(火)

① 5月、家庭の月が本格的に始まりましたが、ハルモニたちの消息があちこちから飛び込んできました。良い知らせもあり、心配な知らせもありました。

② 朝から奔走しました。チェ・ガプスンハルモニを訪問したカン・ジュヘ局長が電話をかけてきて「ハルモニをお連れしてウリチプに向かっています」と。ところが、ウリチプによる事もなくすぐに病院に行かれました。ウリチプにいる状態ではありませんでした。

カン・ジュヘ局長の車にのってカンブクサムソン病院の応急室に行きレントゲンを撮りましたが、その病院では入院が出来ず入院が出来る病院をあちこち電話で確認して、幸いにも関節・神経が専門のセラン病院が入院可能と言うのでそこにハルモニを移して入院手続きを行い、MRI検査も受け付添いを探して・・・MRIはどうして医療保険が利かないのか36万ウォンもしました。カン・ジュヘ局長は夜の9時までずっと付き添っていました。

③ 仁川地方の在宅ボランティアをしているユン・サムソンさんからムン・ブジョンハルモニを訪問した日誌が届きました。レースをあしらった少し派手な下着を買ってソンガ養老院を訪問するとハルモニは受け取って手を叩いて喜ばれたそうです。

④ ソウル市に博物館建立と関連して都市公園委員会の審議手続き推進のための公文を手続きしてから、8月末に博物館建立基金を準備するためのボジャイノ・モノローグ公演開催予定場所であるイファ女子大学の大講堂を利用と関連してイファ女子大の総務事務所に行って来ました。

5月3日(水)

① 今日は日本の平和憲法が制定された日です。

憲法記念日にあわせて日本政府が戦争をしないように制約をした憲法9条を日本政府の主導で改悪しようと言う動きがあるのでこの日、糾弾する共同声明書を出しました。

参与連帯、平和博物館、平和をつくる女性会、民主会のための弁護士の会、挺対協などが共に参加し、声明書は「平和憲法は東北アジアの平和人権共同体の土台である」としました。

② 今日は第707回水曜デモの日でした。水曜デモの主幹は平和を作る女性会で行い、対日行動ネットワーク所属団体たちが平和を作る女性会、大学生など約80名が参加しました。キム・スギム平和女性会代表の挨拶から参加者たちの発言、大部分が憲法9条改悪の動きと日米同盟体制、日本の軍国主義計画についての糾弾などでした。

③ 午後3時に挺対協教育館でキョンフィ大の学生たちを対象とした教育がありました。

④ 午後4時に事務所会議がありました。5月4日に戦争と女性人権センター月例セミナーの準備、5日に子どもの日の行事の準備、8日に両親の日の準備、10日に両親の日の水曜デモの準備などについて論議しました。

5月4日(木)

① 韓国労総の事務所で民主労総国際部長、韓国労総の国際部長、挺対協事務総長が会い、6月のILO総会と10月のアジア太平洋地域総会の準備のための会議を持ちました。論議に先立って韓国労総のカン・チュンホ局長と民主老荘のイ・チャングン部長のこの間の経過報告を聞きました。

まず、オランダ労総と会った結果をカン・チュンホ局長が報告されたのですが2006年ILO基準適用委員会の専門家委員会報告書で「慰安婦」問題が扱われない事についての怒りと共にこれからはオランダ労総がオランダ「慰安婦」被害者事例を持って直接基準適用委員会に報告書を持ち込むと言いました。

日程は6月の総会が終わった後、提訴する事にしました。Amnesty International報告書、国際活動決議文、要求書などを送る事にしました。決まって良かったです。いつも韓日間だけの問題として見えてしまうようで良くないのですが・・・

また他の意見は基準適用委員会(労・使・公三者で成立つ)次元でなく労働者グループ次元で推進するように活動する事とした。これを今度の総会で努力するとした。イ・チャングン部長は国際自由労連(ICFTU)会議で扱っている活動について報告をしてくれました。アジア太平洋総会と関連した韓国市民団体側の活動について予め予測したと言います。

今後の計画を推進するために役割分担をしました。

1) 6月の総会は両労がオランダ労総と共に積極的な活動を行い、

2) 10月のアジア太平洋地域総会は-場外記者会見、集会、キャンペーンなどは挺対協が主導的に組織、推進するが、

団体動員などについては両労が非公式的に支援する。日本団体とアジア被害国団体、被害者たちが共に参加するように積極的に活動する。

-場外では両労総が積極的な活動を通じて場外活動について知らせる。

-場外で日本軍「慰安婦」関連写真展示が出来るのか労働者グループに同意を求める問題を両労組が推進する。

② 戦争と女性人権センターで今年に入って主催している三回目の月例セミナーが開かれました。一回目は「歴史の中の戦争、戦争の中の女性」と言う全体セミナーのテーマを要りか出来るように女性と平和をテーマとしてキム・エリさんが、二回目のセミナーは日帝の女性動員、日本軍「慰安婦」問題についてパク・ジョンエさんが講義を行い、今日の三回目セミナーは「韓国戦争と女性」と言うテーマでキム・ギィオクさん(ハンソン大学教授)が講義してくれました。今日も20数名が参加しました。

5月5日(金)

子どもの日は休日です。しかし・・・私たちは子どもたちと一緒に過ごしました。

① 午前10時からアニャン中央公園でアニャン全教祖と市民団体たちがともにする第13回アニャン子どもの日フェスティバルに挺対協が一緒に参加しました。

会場の本部席前に別途のブースを設置して韓国政府にハガキ送りキャンペーンと「私も夢多き少女時代に戻りたいです」と言うテーマで展示会と体験活動を行いました。キョンイン教大の学生たちがボランティアをしましたが、たくさんの子どもたちが注意深く展示した内容を読み、クイズも解き、ハガキも書くように積極的に活動をしてくれました。博物館建立基金が集うも行いました。

事務所から総出動だったのですがウリチプのハルモニたちも一緒に同行しました。キャンペーンの場を準備して下さったアニャン市民団体に感謝申し上げます。

5月6日(土)

① 挺対協の教育館に仁川プフン高校の学生12名が来て教育を受けて帰りました。

5月7日(日)

① 仁川の在宅ボランティアであるユン・サムソンさんが両親の日を目前にしてプチョンのムン・ブジョンハルモニがいらっしゃるソンガ養老院を訪問しました。美味しい刺身を買っていって一緒に美味しく食べたそうです。

* 来週の日程

1. 5月8日、ハルモニたちと一緒に両親の日の食事会-ウリチプ

2. 5月9日、カナダのマスコミとのインタビュー、反靖国共同共同代表団会議

3. 5月10日、両親の日特別水曜デモ

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2006年5月14日 (日)

【挺対協】週間消息⑯

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑯【4月25日~30日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月25日(火)

① ソウル市を訪問して博物館の建立と関連した今後の行政的な手続きをどのように推進すれば良いのかについて会議をしました。ソウル市土地公園委員会の審議手続きが残っているが、これからの行政的な手続きを無事に終えられるように協力関係を良好に維持しなければなりません。

② イ・ヘジョン女性文化芸術会の理事長とシン・ヘス共同代表、ユン・ミヒャン事務総長、キム・ドンフィ局長、チャン・ボギョンさんと教育館で8月31日午後7時、イファ女子大学の大講堂で行う博物館建立基金を準備するためのポジャイノ・モノローグ公演と関連した会議を持ちました。

この公演の為にはアメリカで作家であるイブ・エンスラーとV-Day担当者たちが来て映画俳優でもあるポンダが来る予定です。韓国からも6名ほどの俳優が参加する予定です。公演企画、演出、チケット販売、俳優交渉、企業協賛交渉、後援金、募金など仕事が多いです。

③ ファン・グムジュハルモニがウリチプに来られました。ところがウリチプはいつもの雰囲気と違います。

ファン・グムジュハルモニは急にイ・スンドクハルモニに「娘を自分で産んだの?」と、尋ねました。「いいえ、ハラボジの子ども・・・」イ・スンドクハルモニはそう答えました。

それからファン・グムジュハルモニはキル・ウォノクハルモニのところにも行きました。「そんな風に息子がよくしてくれるのにここに何しに来たの?」キル・ウォノクハルモニも養子縁組をして育てヒョプソン新大、メソジスト協会神学大学を卒業して、現在は仁川で牧師をされています。その牧師様はハルモニによく尽くします。牧師様もお母さんを手本にすると女の子を養子縁組して育てています。

ファン・グムジュハルモニにも朝鮮戦争孤児を4人も連れて育てられ、嫁入り道具まですべて準備しました。ところが、その子どもたちとハルモニは連絡を絶っています。

だから、キル・ウォノクハルモニに尽くす事が不満で仕方ありません。結局、ハルモニは自分が育てた子どもに対しての不満をキル・ウォノクハルモニにあたっているのです。キル・ウォノクハルモニの心もずい分傷ついた事でしょう。

ファン・グムジュハルモニの3人の息子さんと一人の娘さんはどこでどうして暮らしているのか、ハルモニに本当に優しい愛を注いでくれたらと思います。

4月26日(水)

① 午前9時30分、事務所で日本から牧師と信徒15名と韓国キリスト教長老会キョンギ中部老会の牧師様5名と一緒に事務所を訪問されました。この訪問客に日程を合わせて事務所は朝早くから忙しかったです。

9時30分から11時まで教育館で行事を開きました。教育ビデオ視聴とユン・ミヒャン事務総長の講演、質疑応答などを行いました。

② 午前10時、国防部の前で従属的な韓米同盟とピョンテク基地拡張反対のための女性団体記者会見がありました。挺対協も参加団体として連帯しました。

③ 第706回水曜デモがありました。韓国キリスト教長老会女性信徒全国連合会が主幹しましたが、50名を越える参加者で熱かったです。教会の礼拝形式を若干変更して進められました。日本から来られた日本キリスト教団関東部の牧師様たちと信徒たちも参加し、発言されました。

④ 午後2時、民主化運動記念事業会の会議室で国連人権理事会の新設と国際人権レジームの変化懇談会がありました。社団法人国連人権政策センターで主催され、韓国人権財団が主幹をした行事でしたが挺対協も一緒に参加しました。

⑤ ファン・グムジュハルモニは水曜デモを終え、昼食をとりながらもずっと怒っていました。ユン・ミヒャン事務総長が横に座ってハルモニの怒りを静めようとしましたが、今日はうまくいきませんでした。

いつまでも険しい顔をしていました。「あー、大変」とため息が事務総長の口から漏れました。そうするとハルモニは財布から急にお金を取り出しながら挺対協に後援金を出すと言われます。5万ウォンです。食事を終えてウリチプへお連れしようと手を握る実務者の手をはらいハルモニは結局、家に帰られました。具合が悪いと言いながら。

ところが・・・家に帰ってもハルモニの怒りは治まりませんでした。電話をくださり「ユン・ミヒャンに代わって」と言われます。そして、もうまた他のハルモニに悪口を言いながら自分のストレス解消をします。他の悪口を言わないようにと言っても無駄です。「誰がいつ、他人の悪口を言ったの?」と言われます。そうしてもう終りにしようと思われたのが「私がそのお金を置いてきたからさっぱりした。」「ハルモニ、それなら良かったです。夕食を召し上がって少し早く休んで下さい。薬も必ず飲んで、そして本当に具合が悪ければウリチプにいつでも来て下さい。一人で過ごされる事は私たちも不安ですから、ウリチプに来て下さることは私たちを助ける事ですよ」と言うと「うん、分かった」と答えました。一時間続いた電話はこのように終えました。

4月27日(木)

① キム・ドンフィ局長は沖縄から病気になって事務所に出勤できません。治療を続けて受けていますが、まだ良くなりません。ウリチプボランティアを続けているユン・ヨンシク先生が治療をしてくれています。どれほど有難いことでしょう。

② ファン・グムジュハルモニ、今日はウリチプへ電話をしてソン・ヨンミ室長にまた他のハルモニたちの話を話されます。大変です。ハルモニが日が経つごとに酷くなっています。

③ シム・ミジャ、チ・マノンと挺対協、ナヌムの家、ユン・ミヒャン事務総長に対して民事裁判がスウォン地方裁判所でありましたが、私たちの事を奉仕で引き受けてくれています。弁護士が連絡をくださいましたが、裁判部は和解をするように誘導していて、またチ・マノンさんもそうなることを望んでいるようだと言うのです。ただ、後悔謝罪は出来ず、チ・マノンのHPにアップされている挺対協に対する文章をすべて消去して今後、挺対協運動に対して妨害しないようにと話しました。どうするか挺対協の立場を決めなければなりません。

次の裁判日程は6月9日と聞いています。その前に挺対協の実行委員会で決定しなければなりません。

④ アニャン市に旧朝鮮総督部ソイ面所があります。アンヤン市でその面事務所を復元しようと言う動きを見せ市民団体たちが対応を始め、努力の結果アニャン市でソイ面事務所「アニャン日帝収奪写真展」として作り、日帝収奪時に焦点をあてアニャン市民の民族意識を鼓吹する場することで市民団体たちと約束をして協議書まで作ったそうです。

ところがアニャン市がそれを履行しないようでアニャン市民団体がもう一度、アニャン市に約束を履行する事を要求する記者会見がありました。

午前10時、アニャン市庁別館の記者会見所で6・15宣言実践アニャン本部の主幹した記者会見にユン・ミヒャン事務総長が参加して連帯発言をしました。

記者会見の主催団体とは去る2月故パク・ドゥリハルモニの葬儀を挺対協と共に主幹しながら共に連帯する事としその後、第700回水曜デモにも大挙参加して私たち挺対協に力を与えてくれた団体です。

4月28日(金)

① 午前8時、ヌティナム(けやき)カフェで日本軍「慰安婦」名誉と人権のための「戦争と女性人権博物館」建立委員会共同建立推進委員長団会議がありました。カン・ジウォン、シン・ヘス、チョウ・ウン常任委員長とキム・ヨンミ、イ・ヨンジュ、チョン・ヒョンベク、ハン・グギョム共同推進委員長が参加され今後の日程について論議しました。

② 1935年生まれのハルモニが事務所を訪れました。日本軍「慰安婦」被害者ではないハルモニでした。一時間以上にわたってユン・ミヒャン事務総長を捕まえて怒りをあらわにしました。

他でもなく日帝時代の日本人たちが朝鮮人をどのように扱ったのか、自分がこの目で見て経験したのに考えただけでも腹が立つのに独島を自国の領土だと言うことについてとてもお怒りの様子でした。

それで空港に行ってタスキをかけてパンフレット英語・日本語・ドイツ語で作って外国に出国する人々と韓国に入国する人々に配って広報したようです。

挺対協には今、博物館建立のために努力しているので募金活動を何度か行っているが大変だと話しました。ところが、あなたは出来ると言います。友人さえ探す事が出来れば。その友人は放送人であるイ・グミさんと同じ町に住んでいるがその町の名前が分からない、その町さえ分かれば私がその友人を探す事が出来ると言われます。その友人を見つける事が出来ればお金になると言います。そのお金を受け取って私たちが黙っていてはならず、日本に恥をかかせなければと言います。

普通ならこのような訪問者に対しては挺対協がすべての日本との問題を扱っているのではないと申し上げるのですが1935年生まれと言うハルモニの話なので「そうよ、私が経験しなかった植民地の“恨”がどれほど大きなものか。だからこうして事務所まで走ってきたのではないか」と思って受け止めました。それに挺対協に来る前にいくつかの市民団体を回ってきたが誰も話を聞いてくれなかった悔しさもあるのだろうと思いました。

しばらくして「私がお送りしますね」と言いながら席を立ったのとは対照的にハルモニはそのまま席に座って一時間ほど話を聞いていました。そしてイ・グミさんがどこに住んでいるのか探してみると言う努力もしました。しばらくたってそのハルモニがようやく気持ちをさっぱりとさせ椅子から立ち上がりました。ありがとうと言いながら。すこし気持ちが楽になったのなら幸いです。挺対協の事務所に座っていればすべての事に関連するようです。

③ ウルサンのボランティアであるキム・ミジョンさんが自分の家族と一緒にウルサンのある養老院に住んでいるソン・ナミハルモニを訪問しました。

前回の訪問の時にハルモニの具合が良くなくて心配していましたが今回、訪問したときには少し良くなっていて、タバコを消した後、お菓子も召し上がって食事もよく召し上がりました。食事をよく召し上がったと聞いて私たちはハルモニの健康状態が良くなったと思い少しは安心しました。

④ 5月からウリチプに週末のパートタイム実務者が新しく仕事を始める事になりました。まず、ヤン・ノジャさんが引き受けてくれました。ヤン・ノジャさんは在日同胞の女性で京都出身です。今学期からソンゴンフェ大学で社会学科に編入して勉強をしていて、挺対協の日本関係のボランティアをして来ました。

4月29日(土)

① 今日ウリチプの週末の当直がキム・ドンフィ局長だったのですが、沖縄の調査活動後、休む事が出来ないでいて体の調子が良くなくてソン・ヨンミ室長が自分がやるからキム・ドンフィ局長に休むように言いました。

4月30日(日)

①故キム・サンフィハルモニのボランティアだったチョウ・ジョンフンさんが両親と共に故キム・サンフィハルモニのお墓を訪問して、ハルモニのお墓を綺麗な花を植えて来ました。写真も撮って送ってきました。

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2006年5月 7日 (日)

【挺対協】週間消息⑮-2

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑮-2【4月16日~23日】                     

                      報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月20日(木)

① 午前11時に日本大使館前で独島と関連した記者会見を開きました。統一連帯と日本の教科書を見直す運動本部、興士団、韓国挺身隊問題対策協議会などの団体が主催しました。

② ウリチプで10時に歌の教室がありました。12時には4月生まれのハルモニたちの誕生会がありました。午後には南山へハルモニたちはお花見に出かけました。風が強くてすこし苦労しました。

③ カン・ジュヘ局長がソンブクのチェ・ガプスンハルモニとサンド洞のイ・グムスンハルモニを訪ねました。ウリチプにお連れしようと思って訪ねたのですが、イ・グムスンハルモニはサンドソンキョル協会のキム・ウォンドンさんを待っていて病院に行くとおっしゃいました。チェ・ガプスンハルモニはお客さんが来られるとおっしゃりウリチプにお連れする事は出来ませんでした。

④ ユン・ミヒャン事務局長とキム・ドンフィ局長は調査のために沖縄を訪日しました。博物館の資料収集の一環で沖縄の過去の戦争と現在の戦争に焦点を絞っての調査活動でした。故ペ・ポンギハルモニについての調査活動にも比重を置いて行いました。

【沖縄で】

① 12時頃、空港に到着すると沖縄と平和会のエイコさんとキム・ジイルさんが一緒に出迎えに来てくれていました。空港で第700回水曜デモの時に作った横断幕を開いて立っていると空港職員に制止されました。理由は空港でそのようなことをする事を本来は認めているが内容がダメだと言うのです。それでも堂々と写真を一枚撮って出発!

② 荷物を車に詰め込み早速、日程を消化しました。まず、糸数洞窟に行きました。その洞窟は自然のものですが、沖縄戦の時に日本軍と沖縄住民、朝鮮の徴用者及び日本軍「慰安婦」たちが身を隠したところです。洞窟の中は負傷兵たちの治療場、軍医所、武器保管所、治療室、死体保管、沖縄の住民避難、そして最も危険な地域で米軍の銃弾に倒れた朝鮮人徴用者たちと日本軍「慰安婦」女性たちもいました。

その場所で生存者と会いましたが洞窟の入口に元々、慰安所だったと証言した。この場所が慰安所であることがどうして分かったのかと聞くと、日本軍たちが列をなしていたので村人たちはここが慰安所だと分かったと証言しました。

米軍の攻撃が酷くなり朝鮮人日本軍「慰安婦」女性たちが洞窟の中に避難しました。現在は慰安所であった場所に戦争時に犠牲になった人々を追悼する追悼碑が建てられています。

③ 市内のあるホテルで朝総連のキム・ヒョノク先生と4時間会いました。沖縄が日本に返還された1972年後、朝鮮人強制連行真相調査団がハルモニの存在を知り、新聞でも掲載して沖縄でペ・ポンギハルモニの事情が知られるようになりました。

91年に亡くなる前までキム・ヒョノク先生夫婦がハルモニのお世話をしていたそうです。それで、キム・ヒョノク先生を通じてペ・ポンギハルモニの話を聞き、また沖縄の住民たちとハルモニ、同胞とハルモニの関係について話を伺いました。

④ 日本のテレビニュースでは続けて独島問題を報道していました。韓国の日本大使館前でのデモの模様に焦点を当てていました。

4月21日(金)

① ウリチプにユン・ヨンシク先生が来られてハルモニたちに漢方治療をして下さいました。そして、ウリチプの古くなった米でトックを作りました。トックを煮込んで食べれば美味しそうです。

② 消息誌を発送している方の中でヨスの方が名前は伏せて欲しいと100万ウォンを送ってくださいました。チェ・ガプスンハルモニの入院費用と付き添いの問題でウリチプなどの消息を読んで送ってくださいました。

チェ・ガプスンハルモニの治療費と付き添いのために使いたいと思います。そして、消息誌と一緒に発送した振込用紙を通じでも後援金が振り込まれていました。

【沖縄で】

① 朝8時に宿所を出て渡嘉敷島へ向かう為に港へ行きました。渡嘉敷島はペ。ポンギハルモニがいた慰安所があった島で、沖縄も出勤時間には交通渋滞が深刻ですね。船が出発する1分前に到着してようやく船に乗りました。沖縄にも私たち一行の他に沖縄から5名も一緒に行動しました。

② 渡嘉敷島でペ・ポンギハルモニが暮らした慰安所、白玉の塔、アリラン慰霊碑、敗戦時日本軍によって集団自決した現場で生き残った方がたから証言など戦争の痛みをあちこち調査しました。渡嘉敷島には7名の朝鮮の日本軍「慰安婦」がいました。その中の4名の遺骨は塔に一緒に合葬されたと言います。別途に設けられているのなら私たちがお連れしたかったが、合葬されているため持ち帰ることが出来ないようです。

集団自決犠牲者たちのために毎年3月28日に慰霊祭が開かれているそうです。私たちも参加しなければと思いました。5分休む時間もなく額に汗しながら一生懸命に調査活動をしました。歴史的に意義深い所なので博物館に使えるかも知れないと思い、石まで集めました。

③ 渡嘉敷島は本当に美しいです。海の色は本当に表現が難しいほど美しい翡翠色と青色が広がっていました。ところが・・・私だけがそんな風に感じるのでしょうか?渡嘉敷島は本当に胸が痛む“血”を抱いているようでした。まだ見ぬ憤怒と“恨”がいっぱい詰まっているようでした。この島の歴史を考えると私の体まで痛みます。

4月22日(土)

① ウリチプの週末の当直はイム・ジヨン監査で日曜日まで行います。

実務者たちが本当に有りがたいです。

週末を休むことが出来ず24時間、ハルモニたちと共に過ごしながら活動をしているソン・ヨンミ室長の助けになろうと貴重な週末の時間を犠牲にしています。

【沖縄で】

① 今日は沖縄の過去と現代の戦争そして、日本軍「慰安婦」問題についての記録と調査活動を行う日です。朝8時30分に宿舎を出発して平和運動の象徴である辺野古の米軍基地を訪問し米軍基地阻止のための活動をしている活動家と会い、とてもよい勉強しました。タイラ牧師の報告をビデオに収めました。その場で韓国の緑色連合の活動家と会えて嬉しかったです。

② 午後にはシカマ美術館を訪問しましたが、そこでは沖縄戦争に関して描かれた絵画展がありました。絵は戦争中の子どもたちと女性たち、亡くなった人々の姿を通して今日の私たちが何をしなければならないのか考えさせられました。そして、沖縄の過去と現代、未来がその美術館には一緒に抱かれている気がしました。

自然とその場が一つになって息づいているような、沖縄戦争前の平和で美しい姿を取り戻しながら未来の新しい姿を描こうとしています。特に屋上には美術館で感じた戦争の痛みや苦しみを感じ、私が戦争を無くすために何を行うのか誓える空間に近づきました。

③ 韓日民衆連帯沖縄のコミヤマさんをインタビューしました。米軍基地反対運動と韓国の平和運動との連帯、沖縄平和運動と日本軍「慰安婦」問題関係などについて話を伺いました。そして、沖縄の歴史と韓国の歴史、沖縄と日本の関係について意義深い意見交換を行いました。

4月23日(日)【沖縄で】

① 日曜日なので道が混んでいなくて今日は少し余裕を持って出発しました。9時に宿舎を出てまず、南風原(ハエバル)文化センターへ向かいました。向かう途中でキム・ドンフィ局長が「ここは歯医者だけは多いですね」と言いました。現地に住む人々は違うと答えました。しかし、その後から車の中でみんなの視線は看板に注がれました。そして、歯医者の看板が見えるたびに笑いました。本当にそうでした。歯医者が多いんですね。私たちが沖縄を離れても私たちと共に活動して下さるキムジイルさんとエイコさんが歯医者の看板を見ながら笑う仕事が出来ました。

② 南風原(ハエバル)で沖縄戦の時に陸軍病院で書かれた歴史の現場を勉強しました。そして、こそで出て「ナガト慰安所」があった南部農林高校を調査し直接、沖縄戦争の生存者を訪ねました。証言をしてくださるオシロ・マサヨシさんは1933年生まれだそうです。

③ 対馬丸会館を訪問しました。日本は米軍が沖縄を攻撃する前に沖縄県民たちに避難命令を行いましたが、対馬丸言う船に貨物船に子どもたちと女性、老人たちを乗せて避難をしたがその船が米軍の魚雷に爆破され犠牲になったそうです。

ところで、私たちを驚かせた事はその当時、貨物船に子どもたちを乗せれば当然、戦争物資を運ぶ船と誤認され爆撃を受けても無防備状態に置かれた事ものと考えられますが、その子どもに配られた救命胴衣が綿で作られた事です。理解できません。

船が爆撃を受けた場合、救命胴衣をきる事は生きる為なのに綿は水を吸収して水に沈んでしまうではないですか?

この会館は犠牲者たちの補償要求に対して日本政府が作って運営しているそうですが、補償していません。

④ 米軍基地を反対する運動をする女性会の事務所に行きました。その場所で沖縄の慰安所地図を作ったムラサキさんと会いインタビューしました。

慰安所地図が作られた過程、意味、故ペ・ポンギハルモニについていの話、日本軍「慰安婦」問題を解決運動と沖縄と女性たちの平和運動などについて長い時間、共に学びました。午後8時40分にインタビューが終え、ムラサキさんの家も訪ね慰安所の写真、沖縄の米軍収容所で発見した写真などをコピーし、他の資料も調査しました。

ムラサキさんは単身、調査した日本軍「慰安婦」関連の資料について私たちにすべて見せて下さいました。私利私欲なくひたすら日本軍「慰安婦」問題のために親切に資料を探して提供して下さったムラサキさんに感動しました。

タカサトさんはこの日、誕生日だったのに私たちに遅くまで付き合ってくださり・・・申し訳ありません。宿所に到着すると11時30分でした。

4月24日(月)【沖縄で】

①少し前に教師をしていて活動のために辞職したエイコさんは沖縄の4泊5日の間、私たちのガイドをして下さり、自家用車で私たちを移動させてくれ地元の人々に紹介して下さいました。エイコさんは平和会のメンバーで韓日民衆連帯沖縄のメンバーで沖縄では米軍基地撤収運動や日本軍「慰安婦」問題や、また沖縄のアイデンティティーを回復する問題など体を張って活動していると感じる女性でした。

それで、空港に向かう前に時間不足でしたがエイコさんをインタビューしました。時間が足りなかったので先に空港まで移動した後に継続してインタビューを続けました。そして・・・熱い抱擁で連帯の友情を分かち合い、12時40分の飛行機で仁川空港に向かいました。

このように4泊5日間の沖縄調査を終えました。これから20個あまりのビデオを整理して、収集した資料を分析、展示用に保管する方法などが残っています。勿論、沖縄平和運動家たちと継続して連帯する仕事、韓国で平和運動ともっと密接に連帯する仕事が残っています。

-夕方に家に着いてスウォン市民新聞の記事を検索すると沖縄で運動を通じで米軍が維持する烈火ウラン弾を撤収させる運動から撤収され、韓国にやって来たました。スウォン飛行場にもこれが大量にあるそうです。沖縄女性たちならばこれを「許さない行動をする会」を作っただろうと思いました。私が住んでいる町、生命を守るためにすばやく行動しなければなりません。

*4月26~5月7日の週間消息の主要日程

1. 4月26日、第706回水曜デモ:韓国キリスト教長老会女性信徒全国連合会が主幹

2. 4月26日、午前10時に国防部前:従属的韓米同盟とピョンテク基地拡張反対のための女性団体記者会見(挺対協も共に参加します)

3. 4月28日、午前8時ケヤキカフェ:日本軍「慰安婦」名誉と人権のための「戦争と女性人権博物館」建立委員会(共同建立推進委員長団)会議

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【挺対協】週間消息⑭-1

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑭【4月9日~15日】 

                    報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月9日(日)

① ユ・ジョンスクさんがウリチプのボランティアをしています。申し訳なく、有りがたいです。来週からは実務者を中心に可能なら週末当直をしようと順番を決める事にしました。

② チン・ギョンペンハルモニは今日もカン・ジュヘ局長に電話をしました。田舎に引越しをすると心配で寂しいと言われます。

③ ファン・グムジュハルモニは週末に必ず電話をかけて来られます。「ウリチプにハルモニたちは来るの?」そうして「何かあれば電話して。私はいつ、行こうか?」と言われます。

以前なら何も言わずに来られていたのに、最近は必ず初めにこのように他のハルモニたちが来るのかと話を切り出されます。そして、「ハルモニ、いつでも来て下さい。今、来られますか?」そうすると、その言葉を待っていたように薬を準備してウリチプに来られます。そして水曜デモまで参加して木曜の歌の教室が終われば家に帰ってまた、週末に同じように「ウリチプに他のハルモニたちは来る?」と電話を下さいます。

4月10日(月)

① 英語の消息誌の原稿を編集しています。おそらく、一年ぶりに英語の消息誌を発行することになります。英語で翻訳をしなければならないのですが、英語専門の人員がたくさん必要です。誰かの横でこの噂を流して下さる方はいないでしょうか?

② 教育館では今日も挺対協所蔵の資料整理、リストと内容の記録などのために埃をかぶり「ゴホゴホ」と咳をしながら仕事をしています。キム・ドンフィ局長と友人のキヨンさんとボランティアのミンジさんが苦労してくれています。

③ 社団法人理事変更登録をする事が本当に大変です。何をこんなに大変で複雑にして・・・別途、このような業務をする職員がいるのでもなく、登録税を払わなくてはならず、会議録を公証しなければならず、会議録を公証するためには会議に参加した人々の委任状も受けなくてはならず、印鑑証明証を受けなければ受けなくてはならず、その後になって登記をしなくてはならず、提出して・・・

どうか行政業務の中にこのように堅苦しくないように是非、少し簡素化をしましょう。

④ 第700回水曜デモの映像編集をして下さいました。チャン・ヒョジョンさんが編集して送ってくださいました。本当に有難うございます。これで第700回に参加できなかった方たちにもHPで映像を見ていただけるようになりました。

⑤ 4月19日、4・19があったので4月の水曜デモのテーマは過去史問題の正しい清算にしました。ところが、すぐに主幹団体と交渉が出来なくてやきもきしました。今日、ついに確定しました。太平洋戦争戦争被害者補償推進業議会のイ・フィジャ理事とキム・ウンソク事務局と電話をしてその日の主幹をする事になりました。ファイト~!

4月11日(火)

① 12時に光化門チョンゲチョンの入口で性暴力追放キャンペーンの発足式がありました。韓国女性団体連合、韓国女性の電話連合、性暴力相談所などの女性団体たちが主催をしたのですが、挺対協も共に参加しました。

今年の挺対協活動の目標が“STOP!性暴力、正義!日本軍「慰安婦」被害者へ”です。今回の行事は特に“平和男性”も共に参加して、女性暴力根絶のために平和男性宣言と女性宣言も人目を引きました。

クォン・ヘヒョさんが進行したので田舎から観光で来られたおばさんたちは嬉しそうでした。お陰でその方たちにも性暴力根絶のメッセージを伝える事ができたようです。

② 事務所に日本語のボランティアが出来ると言うトングッ大の男子学生が訪問しました。学校で日本軍「慰安婦」問題で発表を任され、準備の為に資料を探しに来たと言います。必要な資料を探し、ボランティアの約束までしました。

③ 英語のボランティアが出来る女性が訪ねてきました。2001年度にボランティアをしていましたが、再び出来るという事でした。イデの英文科を卒業し、英語の通訳をしていると言います。

④ テグから市民の会のカク・ドンヒョプ代表が電話を下さいました。18日に日本軍「慰安婦」問題を今後、どのように展開するのかについての討論会があるが、この討論会と関連して論議をしました。今回の討論会の核心は韓国政府をして韓日間の外交焦点に日本軍「慰安婦」問題を引き出せるようにしようと言うことで絞られる事でしょう。

⑤ 司法研修生37期生たちが研修を終えるにあたり、社会福祉共同募金会から後援機関の推薦を受けたが、その中の18名が毎月、1万ウォンずつ2007年まで挺対協を後援することにしたと言う連絡を受けました。申請者の名簿を事務所に送ってくださいと言いました。ありがとうございます。

⑥ ソウル、トンジャク区に住まれるイ・グンスハルモニを訪問しました。ハルモニを担当するボランティアと一緒に訪ねました。

⑦ 日本大使館まえには3つの大きな植木鉢があります。昨年8月10日、政界連帯の日集会を通じて作った“ハルモニたちの名誉と人権花畑”です。冬の間、寂しかった花畑に2006年の春を迎えて“平和”の花畑が新しく生まれました。実務者たちがクパバルまで行って花を買って来て植えました。今後、日本大使館前を通る人たちは必ず水をあげていきます。

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日にちが前後しますがアップしました。

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2006年5月 5日 (金)

【挺対協】週間消息⑮-1

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑮【4月16日~23日】 

                          報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月16日(月)

①キョンナム・マサン地域に暮らすハルモニたちのために活動をしちえるボランティアたちの教育がありました。

②アニャン市民団体と一緒にする子どもの日の行事の計画をしています。今回の事業は新しく活動を始めたアン・ソンミ監査が担当して準備しています。

③午後10時30分から11時30分までアニャン芸術総合大学の女子学生二人がインタビューのためにビデオカメラを手に事務所を訪ねてきました。先週の水曜デモの時も参加し、戦争と女性人権センターの月例セミナーにも参加されましたが、このように努力している彼女たちの助けになりたいと思いました。

④午後1時、キョンミン大学映像学から男子学生が二人インタビューのためにやって来ました。教育観を見学し、実務者たちのインタビューをしました。

⑤国際交流団体から発刊される英語の消息誌にユン・ミヒャン事務総長がキョンヒャン新聞の紙面で書いた「第700回水曜デモ、その“恨”と希望」と言う文章を翻訳して掲載したいと依頼が来たので同意しました。外国に知らせる事が重要なのにその架け橋になってくださるのは有りがたいと思います。

4月17日(火)

①スウォンに暮らしているアン・ジョムスンハルモニを訪問しました。ハルモニは子宮ガンの治療を受けてからまだ1年も経っていませんが、相変わらず両方の骨盤が痛いとおっしゃります。部屋の半分が地下である部屋は湿気が漂い、マットの下には湿気を少しでも取り除こうとしたのか新聞紙がはみ出ていました。「消化が悪いのはこの湿気のせいと、それから歩くことが出来ないから」だとおっしゃった。ハルモニを車に乗せてスウォンにある漢方医に行きました。

漢方医の院長は1年前にハルモニをお連れしたときに会いましたが、本当に感じの良い方でした。勿論、実際にはもっと良い方でした。その時はハルモニは薬も飲まなくても良いと言いながらハルモニに漢方の消化剤をたくさん処方して下さり、物理治療と針治療をして下さいました。今日も変わらずよくして下さいました。気分が本当に良いです。

「ハルモニ、お久しぶりでした。この間、どうして来られなかったのですか?」と挨拶をして下さいました。ハルモニは「アイゴー、申し訳なくて来られなかったんですよ。治療費を受け取らないから。」治療が始められたので今日は先生の表情が嬉しそうに見えました、「ハルモニ、脈が見つからないですね。どうして、こんなに衰えたのですか。」私も横で手伝いました。

「子宮ガンのためにハルモニが放射線治療を受けておられるのです」ハルモニが消化もよくなないと伝えると二の検査もして下さいました。胃炎もひどくないのに胃が全く動いていないし、お腹にもガスがたまっているので冷たい食べ物を食べずに湿布をお腹に貼ってくださり心臓が弱っているので食べもには気をつけて、などなど・・・下半身が弱っているので下半身を強くする薬を処方しなければならないとおっしゃりました。少し前に朝鮮人参を煎じて飲んだと言うと院長はハルモニは人参を飲んではいけないとおっしゃりました。代わりに高麗人参の根は大丈夫だから飲みたい時はそれを飲みなさいと言い、ハルモニもうなずきました。

治療がすべて終わって治療費と薬代を計算してくださいと受付に向かうと院長が出てこられ「今回の薬は私が買います。ハルモニの家まで届けます。」続けて先生は「次は買ってください。」とおっしゃいました。本当に感謝します。こんな方と会うたびに私も100歳、200歳まで生きることが出来るような気がします。

②チャンウォン大学で日本軍「慰安婦」問題で講義がありました。講師として事務所からカン・ジュヘ局長が参加しました。学生たちは100余名参加しました。

③マサン地域のハルモニたちをボランティアたちと共に回りました。ハルモニたちは他の地域のハルモニたちに比べて健康そうでした。キム・ミヨン先生をはじめとしてマサン地域のボランティアたちがあれこれ尽くしてくださっているので安心しました。

④沖縄の渡嘉敷島は故ペ・ポンギハルモニが日本軍の性奴隷としての生活を強要された所です。そして、沖縄と島全体が第二次世界大戦当時の激戦地だったために歴史遺跡地だと言うことができます。キム・ドンフィ局長とユン・ミヒャン事務総長は調査のために沖縄を訪問します。「慰安所」を探したり、証人を探したり、調査のために木曜日の早朝に発つのですが、その事で沖縄に住んでいる在日同胞のキム・ジイルさんが苦労してくれています。電話やFAXなどでインタビューの確定や調査地などを確定しています。

⑤午後3時から国家人権委員会の学習会で2006年日本軍「慰安婦」問題を解決展望の討論会がありました。討論会の司会をユン・ミヒャン事務総長が行いました。シン・ヨンスク強制動員真相究明委員会の調査官二名、キョンブク大キム・チャンノク教授、コンクッ大チョ・シヒョン教授、チェ・ボンテ弁護士が発題して下さいました。ドイツから他の行事のために参加されたバーバラ・ドゥリンコ教授とハン・ジョンノさんも参加されました。

討論会を通じで韓国政府が日本軍「慰安婦」問題を韓日間の外交争点とするために国際司法裁判所へ提訴、外交保護権の責任任務を不履行した韓国政府に対して国家人権委、司法部へ提訴などの事業などが論議されました。今後より具体的な事は関連団体と専門家たちの歓談会などを通じて確定しなければならないようです。

⑥討論会を終えて事務所に戻り、明日に控えた「正しい過去史清算で明るい未来を!」の水曜デモの準備をしました。韓国の近現代史の中で清算されなかった過去史の問題を考えることが出来るように準備しています。

4月19日(水)

①午前9時30分から11時30分までドイツからEMS(Association of Churches and Missions in South Western Germany)のルーズ・トゥレショウ牧師を始めとして20数名の会員たちが教育館を訪問しました。お互いに挨拶をし、ビデオ“消せない歴史”を見てユン・ミヒャン事務総長の講義がありました。その後、質疑応答や提案などを11時30分まで2時間のぎこちない授業を行いました。質問もとても多様でした。

ハルモニたちが戦後にどのように生きてこられたのか、挺隊協の運動がどのように始まったのか、その契機となったのは何なのか、韓国の教科書はこの問題をそのように扱っているのか、韓国政府は何をしたのか、日本のマスコミはこの問題をどのように扱っているのか、日本の協会はどのように参与しているのか、北側の被害者たちがいて活動はどのように行っているのか、主張は何なのか、日本の右翼勢力の動きなど質問に対しての返答をする時間だけでもほとんど一時間は掛かりました。おまけに通訳までもあって。

②午前9時30分に戦争と女性人権博物館建立と関連して第二次関門であるソウル市都市公園委員会審議を受けるためにソウル施設管理公団側の担当者との集まりを持ちました。この集まりにエイテック職員も一緒に参加しました。

③午前10時30分、外交通商部前で記者会見がありました。韓国政府へ積極的に日本軍「慰安婦」問題を解決に進みですことを要求した会見でした。イ・ヨンスハルモニ、ファン・グムジュハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニが参加され、ナヌムの家からもイ・オクソンハルモニ、パク・オクソン、キム・スノクハルモニ、ペ・ジュヒハルモニ、パク・オンニョンが参加されました。

④韓国政府に送るハガキ送りのキャンペーンが行われています。ハガキの内容は日本軍「慰安婦」解決に韓国政府が進み出る事を要求しています。

⑤今日は第705回水曜デモでした。太平洋被害者保障推進委員会(以下、保推協)で主管されましたが、土砂降りの雨でした。キム・ウンシク事務局長が司会をされ、イ・フィジャ理事が発言、ユン・ミヒャン挺隊協事務総長の経緯か報告がありました。雨の音が騒がしく、独島問題のために私たちの気持ちも複雑でした。傘の隙間から声を大きく出すもののすぐにみんなの声は小さくなってしまいました。

日本からも多くの方々が参加されていて、ドイツのEMSの方々、ベルリン自由大学のバーバラ・ドゥリンコ教授と在独平和女性会のハン・ジョンノさんも一緒に参加しました。保推協からも多くの遺家族の方々が参加されました。参加した団体の自由発言もありました。ユン・ジョンオク先生も来られ、キム・ヘウォン先生も参加されました。集会を終え、バーバラ・ドゥリンコ教授とハン・ジョンノさんは事務所へ来られ、ハン・グギョム共同代表とユン・ミヒャン事務総長と一緒に挺隊協活動についての意見交換をしました。

⑥今日も教育館の訪問教育は続きました。ソンゴン会大学で教えているカン・ヘギョン(挺隊協、国際協力委員長)先生が学生たちと一緒に来られ直接教育活動をされました。

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続きはまた、近いうちに・・・

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2006年5月 3日 (水)

【挺隊協】週間消息⑭-2

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑭【4月9日~15日】

                           報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月12日(水)

①今日は第704回水曜デモです。キリスト教女性民会が主管しました。ノレペ“アムハレッツ”の歌で始まりユン・ミヒャン事務総長の挺隊協の経過報告が続きました。

何よりも今日のハイライトは公演でした。プチョン市オジョン区老人総合福祉館の方々、12名が参加され楽しい体操を披露して下さいました。豪華な色とりどりの衣装にあったカッコイイ動きにお年寄りの動きとは信じられないほど活気に満ちていました。ハルモニたちも拍手を惜しみませんでした。いつでも水曜デモはこのように共に参加してくださる多くの方々の力で成りなっています。

②水曜デモが終わり、ナヌムの家におられるパク・オンニョンハルモニがウリチプにいらっしゃるソン・パニムハルモニに会いたいと言われハルモニたちみんなでウリチプへ行きました。

ハルモニたちはウリチプへ到着するやいなや久しぶりの再会に矢つぎばやに言葉を交わされました。「孫はどこに住んでいるの?息子たちはみんな元気なの?」具合が悪いと聞いていたが会って見たらとても元気そうで安心したなどひとしきり情を交わしながらおしゃべりをしたハルモニたちはナヌムの家に戻りました。

そして、ウリチプにはイ・ヨンスハルモニ、ファン・グムジュハルモニ、ソン・パニムハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニが残りました。

③事務所の実務者たちは荷物を片手に、おかずを買いにヤンピョン方面に向かいました。1/4期の挺隊協の事業評価と今後の事業計画を論議するためにワークショップを行うためです。目的地に到着して夕食をとり、すぐにワークショップを始め夜中の1時に終えました。

④実務者たちがワークショップでウリチプを空けている間、ウリチプにチョン・ジョンフンボランティアが残ってくださいました。

4月13日(木)

①朝7時にヤンピョンから出発して事務所につくと9時でした。みんな寝不足なのか眠そうでした。さぁ!しっかりして。そして、昨晩の意欲どうり力強く働き始めました。

②今日は午前10時からウリチプでフェミニスト歌手チヒョンさんが行う4回目の歌の教室でした。トゥンチョン洞からキム・ボクソンハルモニ、キム・キョンスンハルモニまで歌の教室に参加するために来られました。ファン・グムジュハルモニは今日は参加しませんでした。

「連絡船は旅立った」と「焼き栗タリョン」(キョンギ民謡のひとつ)などの歌でハルモニたちの歴史を解かれました。ところでハルモニたちはその昔の歌を歌いながらみんな心の奥で泣いているようでした。瞳が潤んで見えました。

③8月に「戦争と女性人権博物館」建立基金準備のために開催するポジャイノ・モノローグ公演のためにイファ女子大の総務長と総務課の課長を訪ねました。イファ女子大の大講堂を公演場所として後援を受けるためです。偶然、総務長がシン・ヘス共同代表の同窓生で仕事ではあるが私的な再会でその場が和ませました。

勿論、8月31日木曜日、午後7時にイファ女子大で日本軍「慰安婦」名誉と人権のための「戦争と女性人権博物館」建立基金を準備するための“ポジャイノ・モノローグ”公演をする事に決まりました。校内が工事中で騒がしいことは予想していますが、皆さんが理解してくださると思いそのように決まりました。

④午後5時、イファ女子大の学生とキム・ウンシル教授と会う場を設けました。1時間半の間、現在の日本と韓国が過去の歴史問題で決定的な解決方法がないまま平行線を辿り葛藤だけを増幅させている状況について論議をしました。対話を通じていつものように今後、女性研究者たちの間で日本軍「慰安婦」問題を取り巻く状況についての関心と研究が必要だとお互いに共感しました。

⑤ソウルのノウォン区に暮らすパク・スニハルモニを訪ねました。ハルモニをお供して漢方院を訪ねハルモニの漢方薬も処方しました。ハルモニには漢方医に着くと実務者を親戚の娘だと紹介しました。もしかして自分が日本軍「慰安婦」だった事を隣人が知ってしまうかといつも用心深く暮らしているハルモニがとてもお気の毒です。

4月14日(金)

①4月提起実行委員会がありました。シン・ヘス、ユン・スンニョ、ハン・グギョム共同代表が参加してキム・ソンシル財政委員長、チェ・オクスン対外交渉委員長、チョン・テホ生存者福祉委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長、チョ・ユニ書記、ユン・ミヒャン事務総長が参加しました。決議したのは①第700回水曜デモで韓国政府に伝達した要求に対して外交通商部が送ってきた返答の中で日本政府に対して積極的に法的責任履行を要求する事を「消耗的な論争」と比較する返答してきた事を問題だと判断し、これに抗議する記者会見と面談要請、集会などを行うこととし、②8月29日~9月1日、ILOアジア太平洋地域総会に対応した活動でアジア被害国及び、韓国市民団体の連帯記者会見、連帯集会、写真展示・ビデオ上映会などの活動を持ち、③博物館建立基金を準備するために「ポジャイノ・モノローグ」公演を開催し、④こどもの日の行事をアニョン市民団体と共同で開催することに決まりました。この他にも⑤両親の日行事⑥会員団体財政費⑦その他の案件などについて論議して決議しました。

②ウリチプでパートの実務者を一人増やすことにしました。

ウリチプに現在、ソン・ヨンミ室長がすべての事を担当していますが、週末までハルモニたちについている事が心理的に大変で実務者たちが一週ずつ当直をするようにしましたが、実行委員会で実務者たちがそのようにする事は健康面に害があると判断して募金で運営費を別途、準備しても週末に仕事をする実務者を募集する事にしました。

③文化財省で現状変更審議委員会が開かれました。私たちが審議を申請したことも取上げられました。結論は「門を叩くものには開かれる!」西大門刑務所の売店の場所に博物館を建てても良いという承諾を受けました。このために博物館カン・ジウォン常任共同建立委員長、イ・ミョンジュ共同建立委員長、キム・ヨンミ共同建立委員長、エイテックのキム・フェオク所長まで本当に苦労して下さいました。

ありがとうございます。後はソウル市都市公園委員会の審議が残っています。

④ソン・パニムハルモニは少し家に戻って荷物を整理しようと出かけましたが、間違えてもう一度ウリチプに戻ってこられました。カン・ジュヘ局長が車に乗せて行く途中に気分が悪くなって再び戻るしかありませんでした。

⑤キム・ドンフィ局長のお母さんが今日はウリチプに来られてハルモニたちと私たちに美味しいお肉を買ってきていただき美味しく頂きました。体にお肉の匂いがついて幸せな心配をします。^^

4月15日(土)

①今週の週末にウリチプを当直はアン・ソンミ監査でした。土曜日の午後から日曜日の午後まででした。

②最近、週末ごとに教育観で訪問教育があります。高校が土曜の授業を特別活動時間としているのが現状です。今日はクァナク高校の学生たちがインチョンのテイン高校の学生たちが訪問してビデオの視聴・教育・実践活動をしました。

③ヤンピョンのヤンソ高校で作った初めての挺隊協の青少年サークル“セムル”の二回目の集まりがありました。キム・ドンフィ局長が直接ヤンソ高校まで会いに行きました。青少年サークルを今後、各学校ごとに広げようということが私たちの目標です。

*来週の重要日程

①4月18日午後3時、国家人権委員会の10階でデグにある「挺身隊のハルモニと共にする会」の主催で“2006年日本軍「慰安婦」問題の解決のための展望”討論会があります。

②4月19日の水曜日は正しい歴史の清算で明るい未来を!と言うテーマで水曜デモが開かれます。太平洋被害者保障推進協議会が主管します。

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2006年4月16日 (日)

【挺対協】週間消息⑬

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑬【4月3日~8日】                     

                                         報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月3日(月)

① インチョンのハン・オクソンハルモニの健康状態が良くなったようです。痴呆もとても良くなって記憶力もはるかに良くなったと言います。

② チョン・ジンソン、ソウル大教授と電話で話しました。日本の“女性のためのアジア平和国民基金”について、国連人権委員会などについて意見を交わしました。

③ 消息誌39号1次編集の見本が企画者から出ました。それで、修正をしていますが写真や書体に全然、神経を使っていないので少し不愉快です。

④ ソンゴン大学の学生たち45名が教育館を訪問して教育を受けています。イ・スクジン先生が行っている“女性・生命・平和”の科目を受講している学生たちです。オリエンテーションと“消せない記憶”のビデオ上映、ユン・ミヒャン事務総長の講義を行いました。学生たちの瞳は希望でキラキラしていました。今日の講義は成功~!

⑤ カン・ジュヘ局長がチン・ギョンペンハルモニを訪問して来ました。ハルモニは遠くの親戚の家の隣に引越しされました。地方へ。

⑥ スウォン、地域オーケストラ運動協議会のキム・チョルゴン団長が電話を下さいました。土曜日にスウォンで開かれた“希望を開く春の音楽会”が終り、みんなに電話をして下っているようです。チャン・ジョムドルハルモニの証言を聞いて、またユン・ミヒャン事務総長の講演を聴きながら、初めて聞いた時の事を思い出して日本軍「慰安婦」問題が衝撃的でその時にすぐには関心を持てず胸が痛がったと言われます。それでも振り返ってでもこのような行事を準備する事ができて良かったと話して下さいました。

そして、“嬉しい知らせがある”と言われた。今後、スゥオン地域で持続的に日本軍「慰安婦」問題を市民たちが広めると言う事をする事に決まったと言われました。5月から10月まで月に1~2回スゥオン駅、市民公園で青少年オーケストラ運動を行いながら写真展示を一緒にする事にしたと言われました。本当に志があるところには道が開けます。

30分後にまた電話を下さいました。ハルモニたちが喜ばれる歌や唄っている歌があればそれを協奏曲に作って行事の時に歌うと言われます。それで“岩のように”と“アリラン”“力を集めて、力をおくれ”“今のように堂々と”を教えました。

4月4日(火)

① キム・ドンフィ局長が風邪をひどく引いたので午前で早退しました。疲労からくる風邪のようです。声が完全に枯れていました。

② 10月にドイツで行事を開く準備をしています。このためにメールのやり取りをしています。今日は挺対協活動状況とハルモニたちの生活について英語の資料を作って送りました。

③ 5月10日の“両親の日”の二日後、水曜デモを両親の日の行事を日本大使館前で持つことにしてハルモニたちに慰労と愛を伝える行事として企画しています。この日は子どもたち、青少年がたくさん参加して文化行事にしたいが、平日なのでどうなるか分かりません。

④ 総会が終わって定款改定、信任理事登録など行政業務をしようとイム・ジヨン監査が忙しいです。チョ・ユニ書記の住民登録謄本、実印を要請して、関連文書を作って登録税を納付して本当に仕事が多いです。

⑤ 今、チン・ギョンペンハルモニからかかってきた電話がカン・ジュヘ局長の携帯をずっと呼んでいます。引越しがうまくいったと伝えて下さいました。

⑥ シン・ヘス代表が事務所に来てアン。ソンミ監査と一緒にこの間の後まわしにしてきた国連人権委員会に関連した資料などの整理を始めました。今日もやっと小さな封筒をひとつを整理しただけで午後の時間をすべて費やしました。まだ、しばらくかかるようです。国連関係のビデオも点検して長く保管できる方法で残さなければなりません。

⑦ 第700回水曜デモの映像をHPに簡単にアップしようとしています。ボランティアのチャン・ヒョジョンさんが苦労しています。

4月5日(水)

① 今日の水曜デモは第703回水曜デモでした。新しい世界を開くチョンジュ教女性共同体で主幹をしました。今日、参加した団体は永遠の聖母修道会、中央大の1年生たち、北海道から来た北城高校、チョンジュ教人権委員会、太平洋戦争被害者補償推進協議会などの団体が一緒に参加しました。

この日の目玉は5歳の男の子が進み出て「こんにちは」と挨拶して“独島は私たちの土地”を歌いました。ハルモニたちの拍手喝采は本当に熱かったです。ハルモニたちは、こぞってこっちにおいでと手を伸ばしていました。

② 水曜デモが終わって学生たちの質問が降り注ぎました。ほとんどが記者の水準の質問でした。30分以上もそのままに学生たちの質問に答えて立っていました。

③ 水曜デモが終わってファン・グムジュハルモニとチャン・ジョムドルハルモニをお連れして西大門にある漢方医に行きました。そして、ハルモニたちの体に良い漢方薬を処方しました。チャン・ジョムドルハルモニは風邪を引いてひと月を過ぎ、二ヶ月目になるのに未だに治りません。咳が相変わらず続いています。漢方薬を飲めば力が少し出るでしょうか?

④ 事務所に患者が発生しました。キム・ドンフィ局長が疲れによる風邪のために声も出ず、体も辛いので欠勤しました。ウリチブのソン・ヨンミ室長も風邪が引いてしまいました。事務所の実務者たちが健康であればハルモニたちも健康だと言うのが普段からの私たちの持論ですが、倒れてはダメなのですが心配です。

カン・ジュヘ局長をみると「カン局長、あなたも体調を壊さないで~」と言いながら笑います。

⑤ LAタイムズの韓国支局長と記者が水曜デモに参加して午後から事務所を訪ねていきました。小さな記事ではなく大きく取り上げるつもりで取材したいと言います。二時間を越えるインタビューをしました。ハルモニたちの状況、65年の韓日協定についての状況、外国でのこの問題を見つめる立場についての意見などなど。

⑥ 元々、今日は水曜デモが終わった後で事務所の実務者たちの研修をする事になっていましたが、患者たちが発生したので一週間延期しました。宿舎も予め予約していたので、当日になっての取り消しは出来ないのですが、私たちの事情を話すと幸いにも延期して下さいました。

4月6日(木)

① ウリチプで10時からフェミニスト歌手のチヒョンさんが歌の教室を開かれました。今日はイ・ヨンスハルモニがいらっしゃらない中でキル・ウォノクハルモニとイ・スンドクハルモニ、ファン・グムジュハルモニが共に参加しましたが、イ・スンドクハルモニは先週には歌をあまり歌いませんでしたが、今日はとても気分良く歌も歌いました。

チヒョンさんと一緒に昼食をしながらこの間の歌の教室についての評価を一緒にしました。

② ソン・パニムハルモニの病院に退院手続きに行ったカン・ジュヘ局長が電話をかけてきました。「ハルモニが退院しようとするのですが、状況がちがいます。ところが、ハルモニがどうしても家に帰ると言うのです」ハルモニに変わって欲しいといって電話で直接話しました。ついにハルモニはウリチプに来られる事になり、有りがたいと話されました。

午後にソン・パニムハルモニがウリチプへ退院されました。ハルモニは具合がとてもよくありません。顔と足がとてもむくんで、私たちが見ても気の毒なほど体が不自由に見えました。ハルモニはパーキンス病になり、また骨粗しょう症で脊髄がずれていました。その上、倒れて腰にヒビまで入って・・・

当分、ウリチプで過ごされて本当に良くなれば家に帰られると言います。早く快癒されることを私たちも祈ります。

③ ウリチプでファン・グムジュは今日の朝、食べたものをすべて吐いてしまって何も食べられなくなりました。顔色も黒く、黄疸も一緒に出ていて今日に限って髪型を整えずに二階から降りてきました。

ところが、ハルモニは具合が悪いなら自分の家に帰ると立ち上がろうとします。長くウリチプにいようと薬などいっぱい準備されていたのに家に帰れば気分が楽になると言われます。「ハルモニ、ハルモニが具合が悪いのに独りで帰ることも、家に独りでいる事も不自由ですよ。このままここにいて下さい。私たちを助けると思って」「いや、私は帰らなきゃ」歌の教室が終わってから「帰る」「帰らないで下さい」と言いながら30分間言い争ってしまって、結局ハルモニは帰りました。

歌の教室のチヒョンさんが帰り道に駅まで車に乗せてくださいました。一時間後に電話をしてみるとハルモニは無事に家に到着していました。声がさっきより少し良くなりました。

④ ハルモニたちの漢方薬の時期がやって来ました。ハルモニたちから電話がかかり始めました。「薬代は出たの?」「私は○○薬を飲みたい」

どうして漢方薬ですって?女性部からハルモニたちに漢方健康治療費を半年に35万ウォンの予算で策定されていています。この仕事を事務所でしています。健康治療が始められた年と二年目の年には漢方医協会でこの仕事を引き受けてくれましたが多くのハルモニたちがこの恩恵を受ける事が出来ず、結局団体を通じてする事になりました。

それで、挺対協とナヌムの家、地方の市民の会たちがこの仕事を代行していますが、細かい作業が並大抵ではありません。忙しいけれど春に漢方薬を飲めば体に良いと言うので地方にいらっしゃるハルモニたちまでみんなが漢方治療を受けられるように急いでいます。

⑤ キム・ワンソプと言う人がいます。

彼は親日派のための弁明と言う本を書いたり、右翼集会に参加して親日発言をして物議をかもし出しました。

-朝鮮総督府がなければ今の韓国の発展もない。

-日本の統治時代に搾取と言うものはなく、軍隊化のノウハウを拡散させる役割をした。

-日本によって被害を被った従軍慰安婦や徴用被害者たちの主張を聞いて見ると彼らがあたかもそれ以前には進んだ先進国で人間らしい営みをしていたが、ある時急に日本によって人権を踏みつけられたように主張しているが、これは当時の現実を勘案しない不当な主張だ。彼らが経験した苦痛と非人間的な処遇は充分に悲劇的だと言うが、当時はすべての人々がそれぞれ悲劇的な生活をした時期で戦地にまで連れて行かれて、そこで生き残った事だけでも幸いな事だ。

-100年前、韓日併合を反対しながら自決したり、義兵を起こした抵抗して死んでいった人々は守る価値もないもののために闘って犬死にしたのだ。

-イ・ワニョンの訴えによって1919年3・1運動は6月始めに軍隊によって流血弾圧なく平和的に終える事が出来たのだ。

-韓国政府は独島を無断占拠して自国の領土だと主張しているがこれは泥棒と同じだ。

-金九は罪のない日本人を殺害した朝鮮王朝の忠犬だった。

-多くの若者たちが愛国心に燃えて自発的に日本軍に支援したのだ。

-北に対応して韓日軍事同盟を作ろう。

本当に話しにならない話しですが、この人は日本では人気があり右翼たちの集会に招請されて本当に危険な事がおこりました。

ここに多くの人々と共に名誉毀損で告訴したのですが、1審では勝訴し2審に入りました。日本軍「慰安婦」生存者の中からはパク・ドゥリ、キム・グンジャ、キム・スンドク、パク・オンリョン、ファン・グムジュ、ムン・ピルギハルモニが告訴人として参加しましたが、パク・ドゥリハルモニはいらっしゃらない為に3名で再び2審にも告訴人となりました。

⑥ キム・ドンフィ局長は相変わらず風邪が治りません。しかし、今日まで休む事が出来ずに事務所に出てきましたが、声が出ず顔も腫れて散々です。

ウリチプのソン・ヨンミ室長も風邪が酷くなっています。具合が悪ければ身動きするのも大変ですが、ハルモニたちのお世話をしなければならず、仕方なく明日は家事の手伝いを呼ぶことにしました。

4月7日(金)

① ドイツのキリスト教会関連であるEMS会員とスイスMission 21チョン・ミヒョン博士が事務所を訪問されました。

② 韓国語の消息誌39号が発刊されました。教育館でそれを広げて発送作業をしました。ボランティアたちまで一緒に郵送作業をして、郵便局に運びました。そして、ようやく会員たちの家に消息誌が届く事でしょう。

③ 国家人権委員会に出すプロジェクトの選考にもれました。AI(Amnesty International)の日本軍「慰安婦」問題勧告を実行させるグローバルキャンペーンを申請しましたが落ちましたね。

それは出来れば8月末に開かれるILOアジア太平洋地域の総会事業にも影響を与える事が出来ると考えたのですが残念です。他をあたらなければなりません。

④ 午前に日本のある小説家が平和市民連帯カン・ジェスクさんの案内で事務所を訪問しました。そして、インタビューをしました。

小説家の方は84歳ですがフィリピンに日本軍「慰安婦」被害者たちについての本をすべて書き、韓国の日本軍「慰安婦」被害者たちの本を書くために取材活動中でした。

トンヨンに行ってこられ、キョンブクを訪問してテグにある市民団体の助けてハルモニお二人と直接会ってインタビュー出来たと話されました。

⑤ 5月5日、子どもの日に日本軍「慰安婦」問題と子どもたちと一緒に考えるプロジェクトをアニャンの市民団体たちと一緒に推進しています。うん・・・他の地方も考えてみます。

⑥ 下半期にドイツで行事を開こうと現在、推進中です。一生懸命メールのやり取りをして、またどんな最も良い方法なのか考え中です。来週の水曜日に土いるのEMSから事務所を訪問されると言うのでその時に何か意見を聞いて共同事業を提案し見るつもりです。

⑦ ウリチプのハルモニたちは今日、ウリチプの裏にあるヒョリム院に物理治療と様々な老人福祉プログラムに参加してこられました。今日は銭湯に行く日でハルモニたちはさっぱりしたようです。ソン・パニムハルモニも一緒に行かれました。イ・スンドクハルモニはヒョリム院のプログラムに参加してまた幸せそうでした。

⑧ 午後7時から9時30分まで教育館で「戦争と女性人権センター」の二回目の月例セミナーを開きました。今日は日帝侵略戦争での女性動員日本軍「慰安婦」問題についてでした。講義はパク・ジョンエさん(サンミョン大の講師、スクミョン女子大博士終了)がして下さいました。

20名を越える青年たちが参加して、女性学を専攻する人、歴史の勉強をする人、アニメーション、映画を作る人、医大生など多様な人々が参加しました。

4月8日(土)

① 今日はパク・ドゥリハルモニが旅立たれて49日目になる日です。この日、仏教では四十九日を行うと言います。

ナヌムの家で11時に行なわれました。黄砂が今日に限ってどうして酷いのか、度々走る道だがいつも道を間違えてしまうのでナビを頼りに朝早く出掛けました。

ナヌムの家に到着すると学生たちがたくさんいました。ハルモニたちは居間に集まっていましたが、私を見つけるとみんな明るく笑って下さいました。

一時間ほどハルモニたちと談笑をしてそして、11時に法堂に移動して四十九日に参加しました。四十九日はパク・ドゥリハルモニの遺族とナヌムの家の委員長と僧侶たち、ハルモニたち、そして訪問中の大学生たち、ボランティアたちが参加しました。外部団体の参加は挺対協を除いてはいないようでした。

四十九日が12時ごろに終りパク・ドゥリハルモニの娘さんとお孫さん、ハルモニたちと一緒に食事を美味しく頂きました。お餅と果物まで接待を受けました。

食事後は居間でハルモニたちと第二次雑談を行っていましたが、地方から来ていた大学生たちが「パク・オンニョンハルモニ、あの~」「キム・グンジャハルモニ、あの~」「イ・オクソンハルモニ、あの~」と学生たちが呼んでいました。ハルモニ一人づつ学生たちが数名づつが、せがんでハルモニの証言を聞いて講義を聴いて教育をしているようでした。「あっ、ハルモニたちがお疲れだ」ハルモニたちともっと話をしたいが学生たちが待っているので席を譲って立ち上がりました。「ハルモニ、私はこれで帰ります」そして、再びきた道を車で引き返しました。黄砂はもっと酷くなり頭まで頭痛までします。

② カン・ジュヘ局長はナヌムの家から今日のウリチプの当直の為にウリチプへ向かいました。帰り道にパク・ドゥリハルモニの娘さんとお孫さんを家の近所まで乗せていきました。

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2006年4月 9日 (日)

【挺対協】週間消息⑫

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑫【3月26日~4月1日】                                                                報告:ユン・ミヒャン事務総長

3月26日(日)

① ウリチプにキル・ウォノクハルモニが帰ってこられました。ソン・ヨンミ室長によると顔が痩せたようです。これでもう体調を崩す事が無いように祈ります。

② ウルサン在宅ボランティアであるキム・ミジョンさんがソン・ナミハルモニの様子を伝えてきました。キム・ミジョンさんはウルサン女性会の活動家です。

ハルモニの具合がとても悪いと言うのです。息子さんに会いたいと言うのでトッポキなどを買って息子さんと一緒に訪ねましたが話も出来ず、顔もとても痩せてしまったようです。笑顔も見られず・・・

③ チェ・ガプスンハルモニの在宅ボランティアであるパク・ソンヒョンさんがハルモニの消息を伝えてくれました。ハルモニはパク・ソンヒョンさんがお気に入りです。訪問すれば手を握って話しません。

ハルモニはソンヒョンさんの顔を見るなりウリチプでの話や、そこで受けた物理治療の話し、そのお陰で体の調子がとても良くなった話し・・・ハルモニはトクス教会で運営している老人学校に登録もされたそうです。そこで歌も習い、踊りも習っているそうです。

3月27日(月)

① シン・ヘス代表がAPWLDの機関紙に第700回水曜デモの記事を書かれて、その記事を事務所にも送ってくださいました。うーん、英語の小さな文字の意味をすべて理解する事は出来ないが、私の英語の実力でも第700回デモの熱い雰囲気が伝わってきました。

事務所で写真を選んでAPWLDに短い英語の手紙と一緒に送ったところ、幻想的な写真を送ってくれてありがとうと言う返事が返って来ました。

② 事務所の文書資料がもう一度、すべて教育館の机の上に並べられました。博物館を準備しながら、今からコンテンツを準備するために現在、挺対協が所蔵しているすべての文書の区分、リスト化して、可能な限りすべて文書をDVD化するつもりです。オム・ギヒョンさんがこの仕事を引き受けてくれています。

③ ユン・ジョンオク先生がベトナムに言ってこられました。今回は韓国軍によって被害を受けたベトナムの女性のインタビューも含んだ様々な調査活動をして来られたようです。先生のベトナム調査記録活動のために事務所で事務作業を加える事にしました。

④ 今週の水曜デモは挺対協でボランティアをしている友人たちが主幹します。チョ・ジョンフン、ユ・ジョンスクさんは少し特別な式次第のために替え歌にピケを作るのに忙しいです。

⑤ カン・ジュヘ局長がウルサンのソン・ナミハルモニとユン・ドゥリハルモニの家を訪問しました。ソン・ナミハルモニがとても具合が悪く、話す事もほとんど出来なくて人を見分ける事も出来ないので心配な状態です。

3月28日(火)

① 東京からヤン・ジンジャさんが来られました。博物館の建立委員会日本側共同建立推進委員長を引き受けているヤン・ジンジャさんは日本で日本軍「慰安婦」問題と関連して広報大使のように活動していらっしゃいます。

私たちの女性ネットワークの活動をしながら挺対協と連帯を始められて日本軍「慰安婦」問題にとても熱心です。1992年、8月ソウルで開かれた第1回アジア連帯会議の時に参加もされました。ソン・シンドハルモニと支援する会を作り、牽引して来られ下関判決を生かす会の活動もされています。今はソン・シンドハルモニに関連した映画も作っています。とてもとても忙しい中でもいつも挺対協実務者たちに暖かい慰労と激励を惜しみません。私たち共に頑張りましょう!

② アン・ヘリョンさんが来られました。シン・スンドハルモニの映画の製作と関連して多くの仕事をしています。映画製作基金を作るためにコンサート開催もヤン・ジンジャさんと一緒に論議して推進しています。日本軍「慰安婦」問題と関連して本当に苦労を厭わず仕事をされていますが・・・

③ ソウル市福祉事業の一環で賃貸住宅を日本軍「慰安婦」被害者たちのためウリチプやグループホームのため無償で貸与するとして今日が申請の締切日で私たちも申請をしました。ソギョ洞側の住宅を申請しましたが、うまく行けば嬉しいです。

ハルモニたちはすでに「私もその家で住む」と言われます。しかし、心配がもっと大きいです。そうするために事業が大きくならなくてはならないが、運営をどうやってすれば良いのか今からもっと考えなければならないようです。

④ キム・ドンフィ局長がボランティアのチョ・ジョンフンさんと今日ついに青少年サークル“セムル”活動を始めました。ヤンピョンで夕方、仕事を終えた後に電車に乗ってヤンソ高校の学生たちに会って今後のサークル活動と関連した最初の集まりを持ちました。

学生たちが8時30分ごろに授業が終わる為に時間がそのように合わせました。夜10時30分に電話をするとその時も学生たちと話し合いをしている最中でした。始めての集まりにも関わらず14名が参加してとても関心が高かったようです。

⑤ スウォン、コドゥン洞聖堂でスウォン市民新聞社と地域青少年オーケストラ運動協議会が共同主幹で来る4月1日、“希望を開く春の音楽会”を開きます。この時、ハルモニの証言も行いユン・ミヒャン事務総長の講演も行い、挺対協のビデオも上映する予定です。しして、写真展示もするつもりです。これを準備するためにスウォン市民新聞のキム・サムソク代表と電話のやり取りをしました。

⑥ 今日もユン・ジョンオク先生が来られて、昨日出来なかったベトナム調査記録を整理しました。午前に仕事を終えて美味しい昼食をご馳走してもらいました。その場所でロシアで宣教活動をしているユン・ヨンエ先生(前韓国教会女性連合会総務)も席を共にしました。

⑦ カン・ジウォン共同建立委員長が電話を下さいました。運転中で電話をつかんで発信者の名前も見ずにぐずぐずしていたら、あ~カン・ジウォン弁護士でした。車の中で時計を見ると夜の10時30分を示していました。本当に気分が良いです。

お忙しい委員長です。今回は私が携帯メールを送ったり番号を残してもいないのに連絡を下さり博物館建立敷地と関連した意見を下さり、現状変更審議の手続きと関連した情報を下さいました。元気いっぱいに頑張ります。

3月29日(水)

① 朝から事務所は騒がしかったです。テジンさんが替え歌の歌の練習をして「踊らなきゃダメ?」「えー、どうやってするの?」今日の水曜デモを準備するために騒がしいです。

挺対協でボランティアをしている青年たちが今日のデモを主幹しながら何かハルモニたちに楽しんでもらえる事がないかと考えて青年たちが好きな運動歌より大衆歌謡がハルモニたちには慣れ親しんだものだろうと思ってハルモニたちがよく知っている歌の歌詞にハルモニたちの問題に変えました。事務所で一番奥の席に座っている私の所にその姿が見えて本当に良いです。これで挺対協の事務所はいつも笑いが絶えず、力が湧いてきます。

② ファン・グムジュハルモニに電話をしました。「ハルモニ、キム・ワンソプさんを名誉毀損で告訴したじゃないですか。ハルモニが一人で告訴されたでしょう。その初裁判で勝ったんですがキム・ワンソプさんが再び2次裁判を起こしたんですが、その裁判も同じく損害賠償をしろというのですが、ハルモニ一人当り5千万ウォンを賠償しろというのですが、ハルモニそうすると裁判所に一人当り20万ウォンづつ出さなければならないんですって」そうすると「えっ、なんだって?それで私にどうしろって」「20万ウォんを出さなければならないでしょう」「分かった。後で話そう」このようにして電話が終えた。どうやって説明すれば良いのか考えなくてはなりません。

③ ユン・ドゥリハルモニと電話をしました。カン・ジュヘ局長が訪問した時に会いたいと言われていたので電話を差し上げたのですが、ハルモニが涙を浮かべているのが見えるようでした。

「テレビでお前が出ているのを見てその夜にどれほど泣いたか分からない」ハルモニはそう言うといつもの言葉「早く息子を一人産まなきゃ。息子を産んでいないわつぃが息子を産めと言っているが、死ぬ時にどうするの」と言われます。「ハルモニ、娘は最高ですよ。ハルモニ、私が死ねばハルモニと一緒に全国を回るのに何が心配ですか?神様がすべて見守って下さいます。法事も必要ありません。ハルモニ~」ハルモニが教会に通っている為にハルモニの信仰で解釈して欲しいと伝えました。そうして話した後、本当に死んだ後に良い場所で再び会えれば良いと思いました。そして、いつ実行できるか分からない言葉を・・・「ハルモニ、花が咲いてよい時期にウルサンへ行きますからね」そうしてハルモニは受話器を置くことができるのです。「そうね、その時会おう」

④ 今日で水曜デモは第702回目です。第701、第702回。本当に慣れていないように感じるのは何故だろう・・・本当に水曜デモをもう一度始めたような感じがします。

第702回水曜デモは挺対協でボランティアをしている青年たちが主幹しました。チョ・ジョンフンさんの司会、ボランティアたちがテジナさんの“幸せに”と“お爺さん、どうして呼ぶの”を替え歌にして律動と共に歌いました。ハルモニたちは慣れた曲調にのせて自分たちの事を歌った歌を喜ばれました。今日もシスターたちは来られていました。ソンシムシスター会からも来られていました。ヨンセ大学の学生たち、トングッ大学の学生たちも来ていて、大阪の在日韓国民主女性会からも参加しました。チョンシン大学の研究所イ・ソンスン所長、太平洋戦争被害者補償推進委員会イ・フィジャ代表も参加され、ハク・ドビョン生存者、チョン・ギヨンさんも参加され、発言もされました。

⑤ ファン・グムジュハルモニは水曜デモが終わって、薬を持ってくるのを忘れて家に帰られました。カン・ジュヘ局長がキム・ボクソンハルモニを訪問するので一緒に向かいました。ところが、夜には再びウリチプに来られたようです。連絡もなく来られて私たちは本当にビックリしました。

⑥ わずか数年前からでも集会をしたりデモをしながら対峙していた警察たちと食事を共にするなんて想像も出来ない事でした。ところが、挺対協がその壁を壊しました。第700回水曜デモが終わった時にすでに時間は午後4時に近づいていましたが、その時間までハルモニたちも私たちも食事をとる事が出来ませんでしたが、日本大使館を担当しているチョンノ警察署の職員たちも私たちを同じで食事をしていませんでした。それで、集会が終わってハルモニたちと一緒に食事をしようと勧めると本当に気持ちよく受けてくださいました。

そして、食事代を返そうとその日から毎週水曜なら夕食をもてなしたいと電話を下さいました。その度に私たちも何かの集まりがあったり、約束があったりしたので、行く事が出来ませんでしたが、今日はついに時間が合って一緒に食事をしました。そして、農民問題など全般的な社会問題について簡単に話しました。

今日もまた一つの教訓が浮かびました。人との出会いにおいてその外見や表面だけで判断したり、普段の偏見で接しないようにしよう。本分を忘れてはいけない、誰でもその人々を私たちの運動に向き合ってくれる友人として運動を共にしてくれる人になるように努力しよう。

3月30日(木)

① ユン・ジョンオク先生が事務所に来られました。ベトナム現地調査活動の整理、記録をされています。事務所でアン・ソンミ監査が手伝っています。おそらく、今日一日中仕事をされるようです。

② ウリチプではフェミニスト歌手チヒョンさんが行う歌の教室が二回目を迎えました。ファン・グムジュハルモニ、イ・ヨンスハルモニ、イ・スンドクハルモニ、キル・ウォノクハルモニが参加されました。

③ 日本からタケオミキメモリアルファンデーションの研究生バロリー・ラムビンが事務所にきました。日本語が少し出来ると言うのでユン・ジョンオク先生は急に対応して下さる他ありませんでした。

④ 韓国労総のカン・チョンホ局長と会いました。昼食を一緒に食べて、コーヒーを飲みながら今後のILOで日本軍「慰安婦」問題をどのようにしなければならないかを論議しました。今後ILO総会で基準適用委員会ではなく理事会で日本軍「慰安婦」問題を提訴する事にしました。これを今回の総会からロビー活動を展開する事にして、関連準備をする事にしました。そして、8月29日から9月2日まで釜山で行われるアジア太平洋地域ILO総会の時に記者会見、集会などの活動を通じてILO関係者たちに私たちの意志を伝える事にしました。

⑤ ウリチプでささやかな変化がありました。ウリチプはソウルとは思えないほど空気も良くてこじんまりとしてハルモニたちも喜んでいます。しかし、建物が古くなっていて玄関前のセメント床にひびが入って木で作った玄関は落ちてギジギジと音がします。家の電球はウィーンと言う音を出して私たちの神経が高ぶります。

そんな消息をキョンギ大学の社会教育院で勉強しているアン・グンモさんがウリチプでボランティアをしている漢方医のユン・ヨンシク先生から聞いたようです。アン・グンモさんはすぐに駆けつけて取り付けていた玄関の扉を外して新しく取り付けて、玄関前のひび割れた部分を修理して古くなった蛍光灯を交換するなど大々的な作業をしてくれました。材料費だけでも差し上げたいと言っても受け取らず、私たちにボランティアの意味と姿勢ついて感動も与え多くの事を考えさせてくれました。

⑥ ソン・ハニムハルモニが倒れられたようです。腰にびびが入って病院に入院されましたがハルモニのパーキンス病に骨粗鬆症に脊髄まで痛めて本当に心配で仕方がありません。ウリチプに来たいと言っていたのにそのように腰を痛めるなんて・・・

⑦ ソンゴンフェ大学で授業でハルモニと学生が一緒に過ごす時間を作りたいとチャン・ギヨン神父が連絡を下さいました。5月10日(水)11時と12時の2回はハルモニが午後6時には私が行く事にしました。一時間の授業当り学生数は200名を越えるそうです。こんな機会が本当に良いと思います。ハルモニが素晴らしい講演を出来なくても歴史の証言者として戦争の経験者として人権回復運動の実践者として学生たちに良い教訓を与える事が出来ると思うからです。

⑧ 裁判所から通知書が舞い込んで来ました。シム・ミジャ、チ・マノンさんが挺対協とユン・ミヒャン事務総長に対して詐欺・横領・名誉毀損で告訴したことは該当項目がないと判定したと言う消息でした。そうだと思っていましたが気持ちががすっきりした感じです。

3月31日(金)

① 教育館で資料リストを整理しようと広げておいた作業を一旦、整理する事にしました。土曜日に高校生たちが教育を受けるためです。そして、月曜日にもソンコンフェ大学の学生たちが45名も教育を受けに来ます。実務者たちは資料を整理して動かしました。そうして資料を受け継いで仕事するという感覚を消す事は出来ません。この資料は挺対協の運動史の記録です。

② 今週は月曜日に事務所会議が出来ませんでした。それで今日、事務所会議をしました。週末に行事もあり、写真のチェックもしなければならないです。

4月1日(土)ファゴク女性情報高校教師2名と学生15名が教育館を訪問して教育。同じく4月1日スウォンコドゥン洞聖堂で行われる日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする希望を開く春の音楽会の準備、4月3日行われるソンゴンフェ大学の学生の訪問教育。4月5日事務所ワークショップ準備、4月7日に行う「戦争と女性人権センター」月例セミナー、4月8日パク・ドゥリハルモニ四十九日と東京で開催されるソン・シンドハルモニの記録映画作成費を準備するためのコンサートなどについて論議しました。

③ 4月下旬頃、チャンウォン大学で日本軍「慰安婦」問題で講義をする要請が来ました。

④ 今後、ハルモニを訪問しながらハルモニたちが自筆で自分の名前を書けるように、それを残すようにしました。そして、水曜デモに来られたハルモニたちは各自が要求することを自筆で書いて残すようにしました。

⑤ 青少年サークル“セムル”をヤンピョンのヤンソ高校で始めましたが,全国的に拡散させる事を決定し、このために具体的な計画に入りました。

⑥ 今日はハンギョル法律事務所で引き受けてくれている“チ・マノンさんを名誉毀損“で民事告発したことについて裁判がある日でした。忙しい裁判日程中に私たちハルモニたちの問題まで引き受けて下さって本当に感謝して面目ありません。裁判がうまくいって追って少しでも弁護料を差し上げる事が出来れば良いと思っています。

⑦ チョン・ユノンハルモニがソウルで一人暮らしをされていましたが、末っ子の息子さんがいるチュンナムのアサンへ引っ越されました。チョン・ユノンハルモニも引越しを短い期間で思いの他、沢山されました。今回は長く健康に過ごされる事を願います。

4月1日(土)

① 今日はエイプリルフールですね。誰を騙そうかと考えていると、笑いがこみ上げています。

② 事務所にフェゴ女性情報高校の学生たちが訪問しました。ビデオも見てキム・ドンフィ局長の講演も聞いて質問もして日本軍「慰安婦」問題について一緒に考えました。

③ カン・ジュヘ局長がインチョン・ブピョンのチャン・ジョムドルハルモニを迎えに行きました。ハルモニは今日の午後7時にスウォンのコドゥン洞聖堂で開かれる希望を開く春の音楽会で発言をする事になっています。カン・ジュヘ局長から電話が来ました。「ハルモニの風邪がひどくて心配です、会場で会いましょう」 と。

④ 午後3時ごろ、雨がしとしと降る中で写真展示、物品、リーフレット、募金箱、ビデオなどを車に積み込みました。

スウォンには支援を要請したボランティアたちがいないために娘にお願いして同じ中学1年生の女子学生2名をボランティアとして急いで組織しました。スウォンコドゥン聖堂に到着すると午後3時30分、写真を貼り付けて広報ブースを作ってあれこれ準備を終えました。5時ごろにカン・ジュヘ局長がチャン・ジョムドルハルモニをお連れしました。天気が肌寒いために暖かいご飯で体を温めました。

7時に始めようとした行事は準備の関係のために7時30分に開始しました。今回の行事はスウォン市民新聞と地域オーケストラ運動協議会が共同主催で開かれました。美しい演奏と合唱は外で雨が降っていることも忘れるほど暖かい希望を感じさせてくれました。

その中で上映された日本軍「慰安婦」問題ビデオとチャン・ジョムドルハルモニの証言、ユン・ミヒャン事務総長の講演は歌の中で、音楽の中で歴史が生きていなければならない事を確信させてくれました。博物館の募金箱には20万ウォンのカンパが集められチャン・ジョムドルハルモニはスウォン市民新聞の代表が下さった講演料を再び博物館のカンパとして入れてくださいました。

音楽界が終わって写真を整理して荷物を整理するなど夜の10時まで仕事を続けました。体は疲れましたが、しかし私は個人的には横にいる娘が私と一緒に仕事しているのが嬉しくてまた、スウォン地域でもこれから日本軍「慰安婦」に関連した対応を始めたと言う感じがして幸せでした。

*来週の水曜デモは4月5日。第703回です。新しい世界を開くチョンジュ教女性同體が主幹します。そして、事務所は水曜デモが終わった後に今後の挺対協事業論議のためのワークショップの為に事務所を空けます。4月7日、午後7時には挺対協附設、戦争と女性人権センターで二回目の月例セミナーが開かれます。今回のテーマは日帝時代の女性動員、日本軍「慰安婦」問題と関連して、です。

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2006年3月30日 (木)

【挺対協】週間消息⑪

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑪【3月19日~3月25日】 

                    報告:ユン・ミヒャン事務総長

3月19日(日)

① 公休日

② 6・15共同宣言実践アニャングンポ市本部チン・スンイルチーム長が電話をくれました。アニャングンポ地域の女性たちと共にする事業を一度検討してみようと話しでした。そこで、次の水曜日の夕方に会うことにしました。

③ 水原メウォンメソジスト教会ユ・サレさんのご両親が生存者福祉後援金を下さいました。以前は娘さんの名前で後援金を下さいました。メウォン教会は2年間、毎月10万ウォンづつウリチプに後援して下さっています。

3月20日(月)

① スイスのジュネーブにいるチョン・ミヒョン博士からメールが来ました。3月15日12時にジュネーブでも簡単な行事を行ったと。第700回水曜デモが開催された場所はこれで9カ国17都市になりました。

② イム・ジヨン監査がチョンノ警察に一ヶ月間行う水曜定期デモ集会の申告をしてきました。 ③

文化財庁で審議申請書類と関連して若干修正と補完を要請する電話があり、手続きをしています。

④ 事務所会議をしました。第700回水曜デモの評価とプロジェクトの推進日程、国連人権委員会の状況の共有、水曜デモの準備、実行委員会の報告、HPの活性化、ハルモニたちの状況の共有など本当に多くのことについて論議しました。

3月21日(火)

① 4月5日、19日の水曜デモの主幹団体がまだ、決まっていないので会員団体を中心に交渉していますが、みんな忙しくて・・・

② キム・ドンフィ局長が2000年女性国際法廷の判決文の出版と関連してイルタル企画社に行ってきました。本当に長年の作業の末に得た結果なのでうまくいけば良いと思います。判決文はソウルで勉強している日本人のイママサさんなどでチームを作って翻訳して、校正する作業を通して行われ、序文はユン・ジョンオク2000年女性国際法廷共同代業が書いて下さいました。

日本軍「慰安婦」問題と関連した国際法廷の判断などを総体的に知ることが出来る本です。大学の教材としても良さそうです。先着順で注文を受けています。一般書店では買うことは出来ません。

③ イファ女子大学の総務に9月1日、ホジャイノ・モノローグ公演のために大講堂の場所提供を要請する公文書を発送しました。ところが、イファ女子大学から場所提供と関連して外部に貸し出す事が難しいと言う返事だったので、イファ大学の内部機関と共同主催する方向で考えています。

④ キム・ドンフィ局長がソウル市に行ってきました。文化財庁に博物館建立事業と関連して現状変更審議を申請した書類について修正と補完の要請があったのですが、この問題を解決するために行ってきました。

⑤ ドイツ・ベルリンに住んでいるアン・チャジョさんとユ・ジョンスクさんが事務所を訪問してくれました。二人は在ドイツ韓国女性の集いで一生懸命活動している方です。先週の第700回水曜デモの時にソウル集会に参加して連帯発言もして下さいました。事務所に来て在ドイツ韓国女性の集いと挺対協が日本軍「慰安婦」問題を解決するために今後も良いパートナーとして共に連帯することを確認しました。

⑥ スイス・ジュネーブで開かれた国連人権委員会に挺対協がどのように参与すれば良いのか悩んでいます。今回の会議は第62回ですが人権委員会としては今年で最後です。国連が体制を変えながら人権委員会を人権理事会に格上げするためです。今年にもまったく同じ日本軍「慰安婦」問題を戦争、或いは葛藤状況での女性に対しての暴力問題と共に連携して他の国の女性たちと共同でフォーラムも開催して公式発言もしなければなりませんが、正確な日程も決定していません。

特に今回は去る10月Amnesty Internationalが発表した日本軍「慰安婦」問題報告書で明らかにした勧告状況を履行させるためにキャンペーンを展開する問題を論議しようと準備しています。勿論、国連人権委員会に参加出来なくてもこれについては展開していきます。

⑦ 釜山のイ・オックムハルモニと電話をしました。ハルモニが引越しする事はハルモニの昔の生活を見せているようです。ハルモニは私たちが出会った後に引っ越しただけでも何回目なのか・・

・釜山→ナヌムの家→その隣の町→釜山→ナヌムの家→ウリチプ→パジュの養老院→プサンの親戚の家の近所→プサントンレ養老院。このようにハルモニは引越しをしてきました。こうしてみるとハルモニの引越しの荷物はとても簡単です。

ナヌムの家からウリチプに来られた時だけ見ても少し大きな風呂敷包み一つがすべてだったんです。釜山のトンレ養老院には少し長く住まれて良かったのですが、もう気に入らないようです。ウリチプにまた来てと言っても嫌だとおしゃって・・・

⑧ ファン・グムジュハルモニがウリチプに来られました。勿論、事務所によってユン・ミヒャン事務総長の机の横にしばらく座った後にウリチプに行かれました。

⑨ キョンヒャン新聞の時事評論に私が書いた“第700回水曜デモ、その恨と希望”と言う記事が掲載されました。

3月22日(水)

① 第701回水曜デモがありました。ソウル女性の電話が主幹したのですが、電話相談の教育を受けている教育生と事務所の活動家など、役員たちがたくさん参加しました。

日本からも名古屋から朝鮮女性勤労挺身隊訴訟を支援している団体でAALAからも参加し、大阪の在日韓国民主女性会からも参加しました。毎週、参加されるシスターたちも参加されハルモニたちも今日は10名も参加されました。おそらく参加者は100余名は参加したのではないかと思います。

あるシスターがフレジアの花を準備してこられ、ハルモニたちに差し上げました。花を持ったハルモニたちの姿は本当に美しかったです。

② キム・ドンフィ局長がチョ・ジョンフン活動家とアン・ソンミ監査と一緒に労働部で推進している青年雇用推進プロジェクトに挺対協も参加するためマポにあるソウル西部地方労働部事務所に行ってきました。

③ 大阪の在日韓国民主女性会から大阪で行った第700回連帯水曜デモの式次第と新聞記事、デモを記録したビデオテープを民主女性会の会員を通じて送って下さいました。第700回で募金した博物館へのカンパも1万円送って下さいました。今後も継続して募金活動をして下さるようです。

④ 女性歌手チヒョンさんが明日からウリチプでハルモニたちと一緒に歌の教室を開きます。これを準備しながら、ほぼ一ヶ月前から続けて水曜デモに参加してお昼も一緒にとりながらハルモニたちと心が通うように努力していました。

⑤ 6・15共同宣言実践アニャングンポ市本部から3・1節の行事で日本軍「慰安婦」問題と日本の歴史歪曲、今日の戦争などと関連した写真展示を行いながら博物館の募金箱を置いて募金をしました。今日になって募金箱を開けて、数えてみると227,360ウォンでした。

⑥ 昨日ウリチプに来られたファン・グムジュハルモニは水曜デモが終わった後、鉢植えの花に水をやるために家に帰ってきました。家に着いて「お母さんが来たよ」そうして鉢植えに水をやって再びウリチプに来られました。最近、ウリチプで過ごす日が家で過ごすより多いと思います。

⑦ キル・ウォノクハルモニと電話をしました。今日は電話の声が少し元気でした。力も出てきたようで、今度の日曜日に教会に行った後に戻ってくる予定です。

3月23日(木)

① 午前10時にウリチプで女性歌手チヒョンさんがハルモニと一緒に歌の教室を開く予定なので事務所に着いてすぐウリチプへ行きました。イ・ヨンスハルモニ、ファン・グムジュハルモニ、イ・スンドクハルモニが居間に座っていました。キル・ウォノクハルモニは今日も具合が悪いので戻っていません。早く治れば良いのに・・・

今日はオリエンテーションをする日で今後ハルモニたちとどんな歌をするのかハルモニたちと一緒に論議する日でした。主にハルモニたちが昔々子供の時に歌った歌を中心に曲名を探しました。「江南月」「サンゴ洞を泣いて泣いて連絡船は発つ」「皇城遺跡」「私もお母さんになって」「お母さんの気持ち」タリョン(朝鮮の曲調)など昔の歌を聞いて選びました。

ファン・グムジュハルモニは歌や踊りをすれば逃げ出したり、露骨に怒って嫌がるのですがどうした事が今日はリズムに合わせています。「私たちが幼い頃にたくさん聞いた歌だ。あれはファン・グムシムが歌っていたし、あれは誰かが歌っていたと・・・」「私たちが幼いときにはこんな歌を歌うだけでお母さんがどれほど殴ったか。

そんな歌はませた子たちだけが歌う歌だと」その話を聞いて私たちはゲラゲラ笑いました。私たちを笑わせて楽しくなったファン・グムジュハルモニは話を続けます。今日のファン・グムジュハルモニ語録となりました。

ハルモニたちが幼い頃は日帝の植民地時代です。植民地時代の歴史の痛みが染み付いた歌を習って歌えばハルモニたちがたとえ80歳を越えて90歳を目前にしていますが、今からでも新しく子どもの時の時間を作っていければと思います。ウリチプから事務所に戻るとお昼休みの時間でした。

② イデでボランティアをしている学生が来て日本軍「慰安婦」問題と挺対協活動について基調教育を行いました。すでに教育を受けた学生も来てボランティアをしています。

③ 39号の韓国消息誌の原稿を書いています。今日までが原稿の締め切りで来週に編集・修正して発送する予定です。

④ ドイツのある民間団体が運営しているHPで挺対協の第700回水曜デモに関連した内容が載っていると言う連絡が来て見てみると本当に具体的に掲載されていました。

HPのアドレスはhttp://www.doam.orgです。

⑤ 2006年雇用保険、産業災害保険と関連した書類をイム・ジヨン監査が作成していますが用語が難しいようです。本当に。公文書の中で用語が本当にいたずらに難しいものが多いです。

⑥ カナダ・オタワに住んでいる方が自分に出来る事が何かないかと問合せがありました。今後、カナダ・オタワの市民団体たちと連帯する掛け橋になれば嬉しいです。

⑦ 4月7日にある「戦争と女性人権センター」の“歴史の中の戦争、戦争の中の女性”二回目のセミナー「日本の侵略戦争と女性動員、日本軍「慰安婦」」-広報メールを送りました。今回の発題はスッミョン女子大博士課程のパク・ジョンエさん(強制動員真相究明委員会専門委員)が行います。

⑧ キム・フェオク代表が運営しているエイテックと言う設計事務所があります。その事務所は“戦争と女性人権博物館”現況変更審議関連して設計を引き受けてくれました。文化財庁の審議と関連して難しい業務まで含んでいます。

ところが、キム・フェオク代表だけではなく職員たちまでとても真心を込めて私たちを助けてくれているので挺対協事務所はいつもいつも感動させられています。一から十まで口出しするところが無い仕事振りにむしろ、お願いした私たちが申し訳ないぐらい親切にしてくれます。

それで、今日は私たちもプレゼンを送りました。職員たちにピザを届けました。反応は想像がつきます。あ~幸せです。

3月24日(金)

① カン・ジュヘ局長が事務所に出勤せずにソウルのソン・パニムハルモニの家を訪問して見るとソン・パニムハルモニの具合が良くないので病院にお連れしました。ウルチ病院緊急室で入院しようと待っていましたが結局、入院も出来なくまま夕方になって再び家にお連れしました。ウリチプにいらっしゃれば良いのに、ハルモニはみんなで一緒に暮らすのが嫌だとおっしゃり・・・

② ウルサンのソン・パニムハルモニがとても衰弱しています。来週頃には訪問しなければならないと思います、ユン・ドゥリハルモニにも会って。

③ 今日、一日だけで挺対協のHPを通じてCMS(自動振替)後援会員が二人加入されました。テジョンのキム・ギョンピル様、ソウルのキム・ギョンミン様ありがとうございます。3月に10名以上が加入されました。

④ 外交通産部から第700回水曜デモの時に訪問して伝達した要求事項についての返答が公文書で到着しました。

返事となると全く同じです。政府は国際機構の発言を通じてそして、日本政府に日本軍「慰安婦」問題について法的責任があると伝えているとの事です。もどかしいです。政府は継続して尽力していると言い、私たちは政府が日本に積極的に要求していないと感じていて。突破口をどうやって見つければ良いのかアドバイスを受けなければなりません。

⑤ トンチョン洞キム・ボクソンハルモニから電話が来ました。キム・ギョンスンハルモニと数日連絡が取れないと。トンチョン7洞東北担当のボランティアチームと連絡を取ると昨日、福祉館で行事があったがハルモニは出席出来ないとの事。

そこで、もう一度キム・ボクソンハルモニに電話をして見ると「帰ってきたよ。どこか、知り合いの家に行って来たみたい。連絡もなく行ったからこんなに新お会いをかけたね」とおっしゃいます。心配はしましたが、今回を契機にトンチョン洞の福祉館とハルモニたちに関連した新しいネットワークを作る事が出来ました。

⑥ チェ・グムソンハルモニの娘さんから電話が来ました。ハルモニが最近、とても具合が良くなったようです。ハルモニは申告されて約3年ほどになります。

ハルモニが暮らしている所が水原なので始めは水原の家を訪問しました。その時ハルモニの本心をたくさん聞かせて下さいました。初めて会ったにも関わらず。結婚をしましたが子どもには恵まれずこのように虐待を受けて、現在の娘さんは養女です。その時、娘さんに本当の娘のように勉強もさせ、結婚するときも本当の娘のようにしてやれる事はすべてしたが寂しいと話して下さいました。

ところで、ハルモニが一人で暮らしていて倒れたので水原のアジュ大病院に入院され、その時に私たちは娘さんに会うことが出来ました。娘さんは本当に献身的でした。お母さんのために家族の面倒は娘と夫に任せ、ハルモニの傍で下の世話をしてご飯も上手に食べさせて本当によくお世話をしていました。

私たちはその時、その時のハルモニたちの話を聞き、家族・親戚たちに対して偏見を持ってミスを犯す事があります。当然、家族たち親戚たちとの関係でハルモニ側に立っている私たちですが、ハルモニの周辺の方々と会わない状況でハルモニの話だけで決定する事を少し間隔を置こうと思います。

この間の経験から私たちはどの誰よりもハルモニたちの身内がハルモニたちに尽くす事が最も重要だと思っていて、私たちとその方々との関係形成にも神経を使います。病院のお見舞いに行く時にもハルモニの最も近い家族や親しい知人と一緒に会ってお見舞いしてハルモニの状況について論議して、そしてハルモニに対する責任を負う事ができる情緒と条件を作り出す事など努力します。勿論、すべて思い通りにはなりませんが・・・

チェ・グムソンハルモニは病院で約一ヶ月入院され、今は病院で世話になる事もなく娘さんの家に引越しされました。ハルモニは身体に麻痺があり、痴呆までありました。娘さんは時にはハルモニと喧嘩して一緒に泣いたりもして、そうするうちに一人で手におえなくなると事務所に時々、電話で訴えたりもします。しかし、その度に感じる事は本当に自分のお母さんを愛していると言う事です。最近はハルモニが娘さんに精神状態が安定していれば「ありがとう」と言ったりします。

⑦ カンルンのキョンポ台高校の先生が電話を下さいました。国語の時間に教科書に「慰安婦」問題が出てくるのですが学生たちと一緒にビデオを見て勉強をしていますが、学生たちが進んで本も借りてコピーして分けて読んで、また評価文も書いていますが内容がとても深くて良いので自分一人で読んでしまうにはとても、もったいないので電話をして下さいました。それで私たちがそれを受け取って水曜デモの時にハルモニたちに読んでさし上げて、HPにも掲示し、消息誌にも掲載するので送って欲しいと言うととても喜んで下さいました。

⑧ 挺対協に青少年のサークルを作っています。キョンギ道アンピョンのヤンソ高校の教師と学生たちが提案し推進していますが、一度本格的に動いてみようと思います。サークルの名前は“セムル”にしました。今は準備段階ですが、すでに活動する学生たちがいます。

⑨ 消息誌の原稿を書こうと実務者たちは一生懸命、キーボードを叩いています。消息誌は二ヶ月に一度発行していますが、これも仕事です。

⑩ 行政者自治部にプロジェクトを出そうと準備しています。韓日女性交流プログラムを企画しています。

⑪ 事務所にエピソードがあります。内容と言えば、まず私がご飯をおごると言うのですが・・・

事務所の実務者たちがラジオのインタビューをしたり、何処かに原稿を送ったり、後援に行ったりすれば講演料、原稿料、インタビュー料など事務所の後援金で出しました。ところが、今年に入って実務者たちに講演料などは10万ウォンを越える為に後援金にするが(通常、事務総長がたくさん行います)ラジオ・電話インタビュー料などの放送局から支給されていて、また金額も3万ウォンから4万ウォン程度なので必ず後援金に入れなくても良い事にしています。

ところが、第700回水曜デモを準備しながらカン・ジュヘ局長がラジオインタビューを受けて4万ウォンが入りました。そして、ユン・ミヒャン事務総長にも入りました。それを持ってお互いに今日は私がご飯をおごると順番を計算します。他の実務者たちは誰が先でも関係ありません。挺対協の事務所は心理的に精神的につらい事も多いですが、こんなことで笑う事が本当に多いです。お互いに対しての愛情も深まるようです。

⑫ ユン・ミヒャン事務総長がサンギョプサルをおごりました。カラオケにも行きました。私たちの食事会には可能ならばボランティアたちも一緒に行きます。実務者たちとボランティア間の友情が深まる夜です。

3月25日(土)

①キム・ドンフィ局長とカン・ジュヘ局長はメディアセンターで運営するビデオ撮影、編集教育を週末ごとに受けます。

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2006年3月23日 (木)

【挺対協】週間消息⑩

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑩【3月12日~3月18日】                                                                 報告:ユン・ミヒャン事務総長

3月12日(日)

① ユ・ジョンスクさんがウリチプのボランティアをしています。一日中、ハルモニと食事をして話をしているそうです。ハルモニはずっと横について話をする事が嬉しいようです。

3月13日(月)

① 第700回参加団体の総数確認のために事務所の電話回線はすべて話中です。

② ファン・グムジュハルモニがウリチプに行く途中で事務所を訪ねられました。何の連絡もなく突然、朝に来られて私たちはビックリしました。「まぁ、ハルモニどうしたんですか?こんなに早く」「うん、ただ全身が痛くて、それで家にいる事ができなくてウリチプへ行こうと」そして、私の机の横に少し座ってアレコレ話をした後にウリチプへ行かれました。何か言いたそうな感じだったにも思えましたが、心情が複雑なようでした。第700回水曜デモを終えてハルモニともう一度、ゆっくり話してみようと思います。

③ 第700回水曜デモを迎えて韓国政府に送る要求書を作成して、デモ行進の時に市民団体に広報する第700回水曜デモの新聞内容の編集を終えました。内容はボランティアのチョ・ジョンフンさんが担当しました。お疲れ様、そしてありがとうございます。

④ チョンノ警察署から結局、第700回水曜デモのデモ行進は不許可だと通知が来ました。初めて不法集会をするようになりますね。しかし、最後まで合法的な集会にしるために最善を尽くしています。

⑤ オーストラリア・キャンベラからも水曜デモを開催すると言う知らせが届きました。とても忙しいです。英語で準備した声明書とハルモニたちの連帯辞、海外連帯辞、主要な活動写真などを送りました。これで、韓国を含む8カ国16都市で開催する事になりました。

⑥ 第700回水曜デモ舞台用車の交渉が紆余曲折の末に日本大使館前の水曜デモに用にぴったりの車を見つけました。イム・ジヨン監査が連絡をすると担当者もとても良い人だったようです。挺対協の水曜デモも知っていて、そのお陰でレンタル費用も50%も割引して下さいました。

⑦ 第700回水曜デモの点検のために事務所会議を持ちました。同時に各自が担当して進めている一週間の業務についても論議しました。

⑧ 戦争と女性人権博物館のカン・ジウォン常任共同建立推進委員長に電話をしました。ところが、受け取ってもらえず、メールを送りました。「電話下さい。ユン・ミヒャン」夕方7時30分ごろにカン・ジウォン常任共同建立推進委員長から電話が来ました。

西大門独立公園内の売店の土地に博物館を建立するために文化財庁に現状変更審議の申請書類が受付された現状を報告して、このために私たちが準備しなければならない事などについて論議しました。カン・ジウォン常任共同建立推進委員長と電話をする度に感じる事ですが、時に市民運動をする私の中に有り得る不自然な習慣、先入観などをさっぱりと整理してくれたりもします。公務員たちを相手にする時も私たちが大変だと感じた障害も整理して、助けて下さる。

実務で直接動いている公務員、実務者、職員などを重要視する態度など私たちに「常に初心を忘れずに」と言う言葉を思い出させて下さいます。特にメールだけを残しても必ず、返事をくださり「慰安婦」問題、特に博物館建立問題に積極的に関心を持って明確に指針を示して下さりありがとうございます。

⑨ ソウル市市庁公募事業プロジェクトを提出していましたが、うまく行きました。ILOとヨーロッパ共同キャンペーンです。

3月14日(火)

① チョンノ警察署情報課から集会デモ行進の不許可公文を持ってきました。デモ行進について内部的に論議をしました。数人づつ固まって歩く事にしました。しかし、人が多ければそうならないので不可能でしょう。でも行進になるでしょう。

② ハン・グジョン共同代表が事務所に来られました。第700回水曜デモについて論議をしました。

③ 「明日は第700回デモもしなければいけないし、警察にも行かなければならないし・・・」「明日の事は明日考えて下さい。所長!」事務所の実務者たちと私の会話です。明日、第700回デモ参加者たちがたくさん来てくれるだろうか?心配になります。

とにかく、第700回水曜デモの準備のための最終点検会議をしました。私たちの事務所会議にはいつも実務者だけが行うのではなくボランティアたちも一緒に会議をします。だから、もっと良いアイディアも意見も出てくるのです。

④ 報道資料を作成して発送しましたが、ミスがありました。参加団体の中のとても重要な6・15共同声明実践アニャングンポ市本部の団体が抜けていました。それで、もう一度作成しました。

⑤ デモ行進する時、キルノリ(楽器の先導隊)をしてくれるプンムル隊の交渉が最後の段階になって失敗しました。しかし、集会が始まるまで最善を尽くして探しています。行進する時にプンムルが無ければ力が入らないような気がします。

⑥ 第700回水曜デモの記録・撮影をチャ・ヒョジョンさんにお願いして、写真撮影はインターネットニュース:チャンマル(真実の話)のイ・チョル記者にお願いしました。みなさん、一度で承諾して下さいました。ありがとうございます。そして、よろしくお願いします。

⑦ ソウル市政参加事業実務者のワークショップがあり、キム・ドンフィ局長が参加しました。

⑧ イ・ヘギョン(女性文化芸術企画理事)博物館共同建立推進委員長とシン・ヘス共同代表と一緒に9月に博物館建立基金を作るために開催するポジャイノ・モノローグ公演を準備するために会議を持ちました。

3月15日(水)

① 朝に交通放送でソウル警察がモニターで今日の集会を知らせてくれていますが、12時から2時までソウルチュンハク洞、日本大使館前で第700回水曜デモがあり、歩道を使用してデモ行進をして外交通商部前まで行くと案内をしてくれました。それで、ホッとして笑みがこぼれました。デモ行進は不許可にも関わらずソウル警察署にデモ行進の報告が出来ていたと言う事じゃないですか。

② 10時に事務所にすべての荷物を準備してトラックに積んで日本大使館に向かいました。

③ 新しく活動を共にしているアン・ソンミ監査も今日に限って女性部共同協力事業団体のワークショップがあり、第700階水曜デモを経験できずにワークショップ会場に向かいました。

④ 10時31分、日本大使館前に舞台車両が到着しましたが。予想以上に気に入りました。こじんまりとしたサイズで会社の担当者たちも好意的で本当に水曜デモ用にピッタリです。今後、姉妹提携を結ばなければなりません。

⑤ 11時、記者たちが集まりだしました。すでに日本大使館前はポリスラインも引かれ、舞台も設置され、参加者たちだけ集まるだけです。

⑥ 11時30分、歌で第700回水曜デモを始めてくれる“パダソリ”のメンバーたちも早くに到着しました。ハルモニたちも来られました。ところが、参加者たちが見えません。どうして、来ないのか?心配する実務者たちの声があちこちで聞かれます。

⑦ 今日の水曜デモは特別な発言者がいるのですが、イ・ウッチュン君(中学2年生)です。水曜デモが始まった年が1992年なので、企画会議の中で1992年に生まれた学生を探していつか、水曜デモで発言をしてくれたイ・ウッチュン君を思い出しました。

11時40分ごろ、私たちとイ・ウッチュン君を出会わせて下さったウリチプと事務所の漢方主治医ユン・ヨンシク先生とウッチュン君、そしてウッチュンくんのご両親がきてくださいました。そして、後援金20万ウォンを伝達して下さいました。「ハルモニたちに美味しいものです買って下さい」と言いながら。ありがとうございます。

⑧ 私たちが信じていたとおり一人、二人と参加者が集まってきました。団体たちもピケを作ってきました。約500名になったのではないでしょうか?

⑨ 11時50分ごろ、“パダソリ”の歌で第700回水曜デモが始まりました。

⑩ 12時10分ごろ、ユン・ミヒャン事務総長の司会で第700回水曜デモを進行しました。数十個の団体名で作られたピケと旗が見えました。目についた順番に紹介をしましたが、紹介出来ない団体も多かったです。

ユン・スンニョ共同代表の開会挨拶、ハン・グギョム共同代表の水曜デモの歴史と第700回の現状報告、民衆歌手“美しい青年”の歌、韓国女性団体連合ナムユン・インスン共同代表、6・15アニャングンポ市本部ソン・ユンソク代表の発言、全国女子大生協議会のカッコいい公演、在ドイツ女性の集いのアン・チャジョ総務の連帯発言、イ・ウッチュン訓の発言、イ・ヨンスハルモニの発言、全州から来られた全国助成農民会の歌の公演、そして声明書の朗読で日本大使館前の集会は終わりました。

午後1時30分に近づいて来ました。デモ行進が始まりました。100メートル前に警察が道を塞いでいました。人が押し寄せた状態で道を空けるように叫び、チョンノ警察署の情報課担当者と交渉の末、横断幕とピケなどを降ろして行進隊列ではない形で進むなら良いと言うことなのでそうする事にしました。

しかし、実際は行進隊列でないはずがないでしょう。本当にプンムル隊も緊急に結成されました。聞いてみると韓総連の前幹部たちが緊急に集結したそうです。

最後までプンムル隊が演奏しながらの行進は元気が出ます。プンムル隊についてスローガンも叫び、また時には降ろしたピケや横断幕を持ち上げたりして行進をしました。ハルモニたちもみんな予め準備した車に乗る事を拒否され直接歩いて行きました。

午後2時30分ごろ外交通商部に到着して面談をしました。ファン・グムジュ、イ・ヨンス、イ・オクソン、チャン・ジョムドルハルモニとハン・クギョム共同代表、ユン・ミヒャン事務総長が入っていきました。アジア太平洋区イ・ギョンス審議官と面談し、要求書と市民たちと書いてくれた抗議のハガキを伝達しました。昼食を食べるために食堂で座るとすでに3時30分になっていました。

同じ日、日本の東京、大阪、名古屋、神戸、福岡、沖縄でも一緒にデモを行ない、台湾・タイペイ市の日本大使館前で、ドイツ・ベルリンの日本大使館前で、アメリカ・ニューヨーク日本領事館前で、イギリス・ロンドンの日本大使館前で、オランダ・ハーグの日本大使館前で、オーストラリア・キャンベラ市内でデモを一緒に行い、国内でもマサンと釜山で同時に行い、計8カ国16都市で第700回水曜デモを行いました。

⑪ 中央地検に電話をしました。今日は元々、第700回デモが終え、チ・マノンさんが挺対協、ナヌムの家、ユン・ミヒャンを告訴した事に関連して被疑者調査を受けようとしましたが到底、時間的に不可能なようなので電話をしました。明日、午前に行くようになりました。幸い、時間が空いていました。

⑫ 第700回水曜デモと関連してKBS第一ラジオ“ニュースワイド3部”インタビューを受けました。 ⑬ 事務所に戻り荷物を整理して、今日の仕事を終えました。午後5時50分ごろ、事務所を閉めて久しぶりに夕食を一緒にしました。

3月16日(木)

① 午前9時、中央地検に到着して507号監査室に入りました。そして、調査を受けました。チ・マノンさんは昨年に「水曜デモをしているハルモニたちは一日当り3万ウォンを貰って動員された偽者たち」「80%が娼婦、偽者」「シム・ミジャだけが日本の法廷が認定した唯一本物の被害者で、本物であるシム・ミジャが認定した33人がおり残りは偽者」等の内容をインターネットで公開しました。

これがインターネットニュースと日刊紙などに掲載され私たちみんなが戸惑いました。その事についてハルモニたちと挺対協、ナヌムの家が名誉毀損で告訴、告発をしながら記者会見をしましたが、その記者会見が自身の名誉毀損だと告訴しました。

また「挺対協がハルモニたちを金儲けに使って」「ナヌムの家の入居者数を誇張して支援予算を受けた」など、本当に根拠の無い事を告訴状に書いてありました。午前9時から始まった調査は挺対協のこれまでの歴史をすべて話して終える事が出来ました。

午後2時30分ごろ、調査が終り事務所に戻りました。何もする気がおきません。意欲を失いました。

② 挺対協の掲示板に第700回水曜デモの時に合同授業を行った小学校6年生たちが本当に良い書き込みをしてくれていました。

③ 女性部で全国のハルモニたちのために活動している市民団体、地方団体の担当者たちが一同に集まるワークショップがありました。今年はハルモニのための事業はどうすれば効率的で、ハルモニたちに喜ばれるものを提供出来るよう出来るのかについて論議しました。

④ 明日、(17日)実行委員会がある予定なので、実行委員会の資料を準備しました。連絡もしています。今回もたくさんの参加は見込めません。

3月17日(金)

① カン・ジュヘ局長についに体調に異変が現れました。朝に電話がありました。「所長、少し遅れます。体に蕁麻疹ができました」

② 事務所に到着して続けて実行委員会の準備をしていますがまだ終わっていません。今回の実行委員会の準備はいつもより遅いです。参加者の連絡をもう一度しました。2/3は参加するようですが、1/3は委任されました。

③ 午後3時、実行委員会がありました。ユン・スンニョ共同代表、シン・ヘス共同代表、ハン・ウソプ教育委員長、チェ・ウクスン対外協力委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長、チョ・ユニ書記が参加しました。午後5時に実行委員会が終わりました。

④ 今年から挺対協附設[戦争と女性人権センター]の主催で月例セミナーを行います。今日がその最初のセミナーです。午後7時、20名を越える青年女性たちが教育館に集まりました。今日の主題は「戦争・女性そして平和」キム・エルリさんが講師をして下さいました。

4月:日本の侵略戦争と女性動員、日本軍「慰安婦」-パク・ジョンエ

5月:韓国戦争と女性-キム・キィオク

6月:米軍駐屯と女性

7月:ベトナム戦争と女性、そして韓国派遣-キム・ヒョナ

8月:韓国社会の軍隊問題と女性-クォン・インスク

9月:今日の戦争と女性

⑤ ユン・ヨンシク先生が事務所に来られました。疲れた目に必要な目薬を直接作って実務者たちとボランティアたちにまで下さいました。そして、今日も実務者たちの治療をして下さいましたが、ユン・スンニョ共同代表とシン・ヘス共同代表は特別治療を受けているために私の腰だけ治療をうけて実務者たちは次回に持ち越しました。いつも感謝しています。

⑥ 挺対協内に青少年サークルを作ろうと準備中です。これと関連して良い意見を下さい。

3月18日(土)

① ウリチプのイ・スンドクハルモニが娘さんの家で週末を過ごすので車でお連れしました。

② 実務者たちはこの週末だけは仕事ではなく休息する・・・

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2006年3月22日 (水)

【挺対協】週間消息⑨

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑨【3月5日~3月11日】

3月5日(日)

① キル・ウォノクハルモニはサムソン病院の病室に移られて本格的な検査を待っています。

② 福岡の関釜裁判支援会がパク・ドゥリハルモニと関連して亡くなられる前のハルモニの状況についての消息原稿を頼まれていたので、今日になってようやく原稿が完成して送りました。

3月6日(月)

① 月曜日なので一週間を始めるにあたって事務所会議をしました。一週間の業務について論議し、特に第700回水曜デモの検討と3・8世界女性の日の水曜デモについて論議しました。

② ファン・グムジュハルモニが急に電話をくれました。恐ろしく、振るえた声で「7団地のファン・グムジュハルモニが昨晩、死んだと」ビックリしました。全くそのような連絡を聞いていなかったからです。その瞬間、私はファン・グムジュハルモニと続けて電話して振るえているハルモニを落ち着かせ、カン・ジュヘ局長はキム・ボクソンハルモニに電話をして確認しました。キム・ボクソンハルモニと色々話をしているカン・ジュヘ局長は「ハルモニ、最近のファン・グムジュハルモニはどうですか?」と聞く体は少し痛むけど、別に何も代わりがないとの事でした。

イム・ジヨンさんが直接、ファン・グムジュハルモニの家に電話をかけました。「もしもし・・・」少しかすれた声、ハルモニ特有の声が受話器から伝わってきます。「ハルモニですか?最近、どうですか?辛い時は私たちにすぐ、連絡を下さい」と言ってイム・ジヨンさんは電話を切りました。

ファン・グムジュハルモニにもう一度、電話をしました。ハルモニは「どんな奴が、私(ユン事務総長)にそんな電話をしたんだ?」おそらく、夢でも見ていたのではないかと考えました。これが今日の最大のハプニングでした。

③ 午後にファン・グムジュハルモニは事務所に来られました。ウリチブで何日か泊まろうと来られたようでした。ファン・グムジュハルモニに関する心無い消息を聞いておそらく不安だったようでした。

小さな包みにはTシャツ三枚を買って、私とソン・ヨンミ室長、カン・ジュヘ局長を見て着なさいと言いました。青い模様にシルバーの模様が光っている到底、私たちが着るには難しいデザインです。もう、何度目の事か分かりません。「ハルモニ、有り難く頂きますよ。今度からは、店の主人にプレゼントをしようと思うけど若い人が喜ぶ服はどんなものか聞いてください。ハルモニの気持ちを思えば、いつでも着なければならないけど、こんな服では事務所に着てくる事が出来ないじゃないですか」(実は家でも着るのが難しい服でした)そう言うと、ハルモニは喜んで「うん、そうする」と答えられました。

そして、カン・ジュヘ局長に私の住民登録証はどうなったって?と急に住民登録証の話を始めました。「ハルモニの住民登録証は金剛山でハルモニに直接帰しましたよ。よく、探して下さい。もし無くしたのなら、もう一度作れますからその為の心配はしなくてもよいですよ。」しかし、明らかにハルモニは今日一日その為に落ち着かない事でしょう。

④ アン・ミヒョン監査の後任で監査志望のある女性を教育館で面接しました。年は81年生まれなのでとても心配していましたが会ってみると年の割にしっかりして見え、またNGOについての認識も私が考えていた次元よりは理解しているようでした。

⑤ ソウル市から博物館の敷地使用同意と関連した公文原本が到着しました。明日、西大門区庁に受付すれば手続きは開始されます。

3月7日(火)

① ドイツEMSからルージュ・トゥレッショ牧師がメールを送ってくださいました。4月19日にドイツEMSから3名が水曜デモに参加して、挺対協の事務室を訪問して私たちの活動を聞きたいとの事でした。

② 今日も第700回水曜デモの準備のために忙しいです。

③ 日本で第700回水曜デモに関連した日程が決定しています。京都から連絡がきました。京都は3月15日、午後6時に三条河川敷に集合して7時から行進を始めるようです。行進するコースは三条河川敷→三条川原町→四条河原町→市庁→川原町を往復するそうです。主催は全国同時証言集会京都実行委員会です。

④ 福岡からも連絡がきました。主題は「第700回水曜デモに連帯して、パク・ドゥリハルモニと亡くなられた数多くの被害者たちを追悼する福岡行動」として被害者の写真を展示しながら3月15日、午後3時から西鉄福岡駅で集会をするそうです。

⑤ 沖縄からも連絡がありました。沖縄では平和会が第700回水曜デモに連帯する集会を主催していて、計画は次のとおりです。

1.学習会【米軍と性暴力】講師:林ヒロシ(カンコ学院大学教授)

日程:3月11日(土)午後6:30~8:30

場所:ティルル3階 練習室1

2.フィールドワーク(沖縄と日本軍「慰安婦」)

日程:3月15日(水)午後1:00~5:00

集合場所:トマリン 1階

内容:那覇市内にある慰安所跡地を訪ね、軍隊と性暴力の問題、沖縄戦と日本軍「慰安婦」に対して考えます 3月15日のフィールドワーク後、沖縄総合事務局に要請書を持っていく予定だそうです。

⑥ デイリースプライズからシン・ヘス共同代表をインタビューしました。V-dayキャンペーンと博物館に関連した内容のインタビューでした。

⑦ イ・ミョンジュ共同建設委員長から電話がかかって来て文化財庁の現状変更審議と関連した手続きについて論議しました。

⑧ 韓国労総のカン・チュンホ局長とILO専門家委員会報告書がいつ発表されるのか等、今後のILOの日程について論議しました。

⑨ 戦争と女性人権センターの月例セミナーの案内メールを送りました。

⑩ キム・ドンフィ局長が西大門区庁に博物館の現状変更審議申請書の受付を済ませました。

簡単ではありませんでした。

電話で予め向かうと連絡したのに受付を拒否されたんです。ソウル施設管理公団に文書を提出しなければならないので、拒否したようです。現在、土地を掘り起こすための許可を受けに来たのではなく掘り起こす為の前段階でこの場所に建物を壊し、新しく建てる事が出来るのかの審査を受けるのにどうして拒否するのかと尋ねました。そして、西大門公園課と関連して政策を作っている公園課から許可を受けているのに施設を管理する機関がどうして否定的なのか。機関が必ず申請しなければならない根拠は何なのか教えて欲しいと綿密かつ積極的に確認作業をしていくと、ソウル市と連絡をしてまた連絡をすると言いました。10分後、「受付して下さい」と言いました。そして、受付を終えました。

⑪ カン・ジュヘ局長がサンド洞に暮らしているイ・グムスムハルモニを訪ねました。体の心配をして訪問をしましたが、ハルモニは私の心配をよそに元気なようでした。

⑫ 大阪のパン・チョンジャ先生が電話をくれました。あれこれ状況を聞き、水曜デモの共同声明書をいつ頃受け取る事が出来るかと聞かれたので、今書いているので木曜日ぐらいに送れると言ったのですが、私が無理して答えた事が分かった様子で月曜日までに送ってくれれば良いと言って下さいました。あー、感謝しなきゃ。

⑬ キム・ソンレ博物館共同建立推進委員長が博物館建立基金50万ウォンを送って下さいました。ありがとうございます。

3月8日(水)

① 新しい監査として働くようになったアン・ソンミさんが初出勤しました。まず、お互いを確認する過程として3ヶ月の研修期間として始めました。

② 3・8世界女性の日の水曜デモを行いました。統一連帯女性委員会が主管してくれましたが、各分野で熱心に活動されている代表も一緒に参加して下さいました。ユン。グムスン女性農民会の会長と副会長、パク・ドクジュン全教祖区女性委員長、全国女子大生代業者協議会議長、全国公共労働組合連盟・女性委員長、大学生たち、民主労働委員長が参加されました。マスコミと放送局の取材も熱気を帯びていました。フランス公営ラジオ放送もあちらこちらから取材をしていました。

③ 大阪から連絡がきました。6月7日に大阪の在日韓国民主女性会と在日韓国青年同盟などが水曜デモを主管するために来る事となり、8月2日には大阪の反差別部会、8月23には韓統連平和研修団が参加する予定だそうです。

④ 第700回水曜デモに参加を呼びかけるメールなどを送りました。

⑤ キョンギ・ヤンピョンのヤンソ高校から第700回水曜デモの日に共同授業を行うようです。学生たちが第700回水曜デモに直接参加することは出来ないが、同じ時間に「慰安婦」問題について勉強をして水曜デモに連帯すると言うのです。まだ、他の学校からは連絡がありません。

⑥ アメリカの女性たちに第700回水曜デモを共に連帯して欲しいと言う要請をメールで送りました。ニューヨークの女性団体には写真展示用のファイルも送りました。

⑦ デイリースプライズからシン・ヘス共同代表とインタビューした記事がネットに掲載されましたが、間違いがありました。博物館を民主労働党と一緒に推進していると出ていました。すぐ、電話をして修正を要請しました。

3月9日(木)

① ニューヨークから返事が来ました。アメリカの女性たちは第700回水曜デモ行うようです。送ってくれた写真などを集会のときに展示すると言います。

② イギリスでも日本大使館前で第700回水曜デモをするようです。韓国留学生たちが中心になって行うようです。

③ 昨年まで全国女子大生代表者協議会で活動していて、今は社会人のユ・ジョンスクボランティアがPCで第700回水曜デモの素晴らしいデザイン作ってくれました。PCの腕前が並外れています。それを印刷して大きく出来ればもっと他に仕えるかもしれませんが、今はPCの画面がとても豪華になりました。

④ カン・ジュヘ局長がサンド洞に暮らしているイ。グムスンハルモニを3日ぶりに再び訪ねました。中国から来られて何年も経たないハルモニなので心配が多いです。ウリチプに来て暮らして下されば私たちも心配がなくなるのですが、ハルモニはこのまま自分の家で死ぬまで暮らすとおっしゃるので私たちの心配は続きます。

⑤ 韓国キリスト教長老会全南老会にいる友人の牧師が電話をくれました。「すまない。100万ウォンはしなければいけないのに、50万しか出来なくて」博物館の募金がうまくいかなくて全南老会教会と社会委員会で決議して50万を入金して下さいました。100万ウォンでなくて済まないだなんて、本当に有り難いばかりです。

⑥ アニャンで教会牧師会をしているペ・ジョンス牧師が電話を下さいました。キリスト教長老会キョンギ老会と日本協会と共に交流しているのですが、4月26日の水曜デモに参加したいと言われました。そして、事務所を訪問して挺対協運動について説明を聞きたいそうです。大歓迎です。

⑦ 第700回水曜デモを迎えて日本政府に送る要求書を作成して日本に送りました。この要求書は日本市民団体が集まって第700回水曜デモに時に伝達する予定です。韓国の被害者ハルモニたちが海外から集会している団体に送る連帯辞も一緒に送りました。

⑧ 連?ニュース(原文のまま)記者が事務所に来て第700回水曜デモなどについて取材をしました。ちょうど、イ・ヨンスハルモニがいらっしゃったのでハルモニにインタビューも合わせて行いました。

⑨ 事務所は連日、第700回水曜デモを組織して色いろ作成するのに忙しいです。ボランティアのユ・ジョンスクさんは全国女子大生代表者協議会の活動を卒業して他の所で活動して、第700回水曜デモを目前にして自主的に出勤して助けてくれています。

⑩ 第700回水曜デモのために日本大使館に外交通商部まで行進集会申告のためにチョンノ警察署に出かけたイム・ジヨン監査から電話がかかって来ました。集会申告を受けてくれないと。

チョンノ警察に日本大使館前集会を担当しているパク・ヒョンサさんに連絡を取りました。変わらず、返事は不可でした。セジョンノの横断歩道を渡る事を許可した事がないために前例を残したくないためにダメだと言います。それでは私たちがこの間、見てきたセジョンノでの集会はすべて不法集会?論議をするためにイム・ジヨン監査は一旦戻ってきました。

3月10日(金)

① モクトン・キリスト教放送局にイ・ヨンスハルモニと一緒に放送出演をしました。教界週間ニュースの招待席に出演したのですが勿論、テーマは第700回と関連した事でした。9時に到着してあれこれ準備して9時20分頃、録画を始めました。約30分間、放送しましたが、イ・ヨンスハルモニを見ながら、どうして途切れることなく上手にはなされるのか?と、今日も思いました。土曜日の午前10時、午後8時、日曜日の朝6時に放送されると言いました。

② 第700回水曜デモ共同声明所を完成させ、日本とドイツに送り英語に翻訳を頼みました。

③ 西大門警察署の情報課に新しく西大門の女性団体を担当することになったソ・スギョンさんが事務所を訪問されました。ソ・スギョンさんは10年前に私たちの事務所を担当していた刑事だったのですが、再び担当になったようでした。10年前と事務所の状況が変わって今の雰囲気に私たちも適用しているようです。その時には事務所に入ってくるなんて事は夢にも思わなかったものです。

④ 女性部共同協力事業プロジェクトとなった団体実務者たちのワークショップにキム・ドンフィ局長が参加してきました。会計整理方法などが以前と変わったと報告しました。

⑤ ユン・ジョンオク先生が事務所を午前に訪問されました。15日にベトナムに行かれると言われました。私たちに会って昼食をご馳走して下さいました。そして、この間の挺身隊研究所と挺対協で研究調査したハルモニたちの中で信憑性に問題があると判断されていた何名かのハルモニたちと関連して挺対協内部で真実をよく整理して、そして公式的に記録を残す事をもう一度、要請されました。

⑥ 午後4時に実行委員会をしようと思いましたが大部分の参加が不可能だと言うので17日に延期しました。参加者が忙しく、他の団体の活動をしているのに挺対協の仕事までされていて皆さん忙しいです。

⑦ シム・ミジャさんとチ・マノンさんがユン・ミヒャンと挺対協、ナヌムの家を名誉毀損で逆告訴しました。チ・マノンさんの「ハルモニは偽者、水曜デモは3万ウォンを受け取って動員された偽者のハルモニたち」などに対してハルモニたちと関連団体たちが名誉毀損で民事、刑事訴訟したことに対して逆告訴したものです。

検察から連絡が来ました。水曜日に出頭しろと。告訴したことについて調査を受けなければならず、第700回水曜デモをする日なので忙しいのに。しかし、その日行く事にしました。私も早く悪夢から抜け出せると思います。この裁判のためにチョン・ヨンスン弁護士がいらっしゃった(現在は3月から国家人権委員会、差別改善本部長になられました)ハンギョル法律事務所が奉仕で引き受けて下さいました。

⑧ 第700回水曜デモの準備のために事務所会議をしました。実務者たちだけではなくご覧ティアのチョ・ジョンフンさんとユ・ジョンスクさんも一緒に席に着きました。各自の役割分担と進行計画について集中討論をしました。

すでにデモ行進については前例を作った団体があるということが分かりました。アメリカ大使館の裏道からセジョンノの横断歩道をセジョン文化会館前まで歩き外交通産部の建物前まで行ったと言います。チョンノ警察署に電話しました。そして、私たちが15年間法を守ってきたとして平和集会を行ってきたように今後も継続して法を守り集会を平和的に行うとのでそれを保証してくれるようチョンノ警察署で会議を開いて欲しいと要請しました。事務所会議が終わったのは夕方でした。夕方にも私たちの討論は続きました。

3月11日(土)

① 実務者たちが第700回水曜デモの前日に徹夜をしないように週末に出勤するようにしました。集会道具を作るのは平日に出来ないために週末にしなければなりません。11時に事務所に到着するとすでに教育観にはボランティアたちが出てきていて木を切ったり、横断幕をつけたり、色付けをしたりと忙しいです。キム・ドンフィ局長が12時を過ぎて、家で作ったのり巻きを作ってきました。事務所は本当に人も多く、その分の情も多く、気持ちが溢れています。体力は辛くても本当に幸せです。作業は夕方まで続きました。

② キル・ウォノクハルモニは病院から退院しました。検査の結果、異常は無いとの事です。ハルモニは解放後、養子を育てましたがその息子さんがインチョンで牧師をしています。ハルモニはウリチプに戻ろうとしましたが、お嫁さんと信者さんが一緒に来られ、まずは息子さんの家に退院されました。

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2006年3月11日 (土)

【挺対協】週間消息⑧

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑧【2月26日~3月4日】

2月26日(月)

① ウリチプで一日休まれた慶北ヨンチョンのキム・オクソンハルモ二が家に戻られました。アメリカでV-dayキャンペーンのために疲れているにも関わらずそれでも家が良いようです。

② "真珠湾侵攻"の著者であるチャン・イルソク先生が事務所に来られ本の販売金のすべてをハルモニたちのために使って欲しいと伝達のために来られる予定でしたが先生は来られず,代わりに先生から頼まれたユン・テヒョン先生が来られカンパ10,030,000ウォンを伝達して下さいました。

ファン・グムジュハルモニ、イ・ヨンスハルモニ、キル・ウォノクハルモニが代わりに感謝辞を述べられました。このカンパはハルモニたちを訪問及び慰労費・病院治療費支援費、葬儀費などのために福祉事業に使用されます。とてもありがたいです。

また、チャン先生からはウィジョンブで歯医者をしている友人からハルモニたちの歯科治療の後援も約束してくださいました。

③ アニャン・クンボ・ウィワンジ地域の615本部スタッフのチン・スンイルチーム長とアン・シンジョン活動家が来られました。3・1節行事の内容で日本軍「慰安婦」問題をアニャン市民たちと共に考えたいというのです。

これはすべてパク・ドゥリハルモニが作ってくれた繋がりです。挺隊協から所蔵している写真・本・ビデオなどを貸し出しました。そして、昼食を一緒に取りました。

④ 反米女性会からスタッフが来ました。3・8女性大会を前にして写真展示を行なうそうです。

⑤ 円仏教(仏教の一宗派)女性会のハン・ジヨン会長が週間消息を読んで返信メールを下さり、博物館の共同建立推進委員長であることに変わりがないとして円仏教女性会から1千万ウォンの建立基金の約定をして下さいました。あー、ありがとうございます。とても力になります。

⑥ キム・ユノク前共同代表からメールが届きました。パク・ドゥリの葬儀費の募金を受付けていると言う事を週間消息を通じて知ったようで10万ウォンを送るとして、すぐに送ってくださいました。ありがとうございます。

⑦ HPを通じでCMS後援申請が途切れることなく入ってきます。私たちの運動の最も安定的な財源がこのCMS後援会員のようです。1月から3月4日まで21名が申請され、毎月1万ウォンから2万ウォン、3万ウォンの後援があり5万ウォンの後援者もいます。

⑧ 故パク・ドゥリ葬儀委員たちが会費を全国で出して下さいました。葬儀委員たちが集めて下さった会費は1千万ウォンを越える葬儀費用に対して逆に約200万ウォン残りしました。

アニャン市民団体の方々と葬儀委員長と討論の末このお金は今後ハルモニたちの葬儀費用に使用するため別途、積み立てておく事にしました。みなさん、本当にありがとうございます。

⑨ 金剛山に行く日が迫ってきましたがハルモニたちの心は一日に何十回も変わるようです。電話がひっきりなしに鳴ります。「私は行くよ」「私は行けないよ」「いや、行くよ」

⑩ パク・ドゥリハルモニの娘さんが博物館に650,000ウォンのカンパを下さいました。

2月28日(火)

① ウリチプで休まれていたテグのイ・ヨンスハルモニから電話がありました。「私、とても体調が悪いから金剛山へ行けないよ」しばらく話をした末に結局は再び金剛山に行くとおっしゃりました。おそらく、慰労の言葉を待っていたのではないかと思います。

② ファン・グムジュハルモニは何かあると本当に一日に何度も電話をかけてきます。事務所に電話をしても他のスタッフが電話を受けると必ずユン事務総長に変わって欲しいと言います。今日も電話が来ました。電話を変わる時は心の中で次の事項を忘れないようにしようと考えます。

1) ハルモニに対して謙虚に

2) 私がハルモニを一番、知っていると思わないように

3) 前日までの先入観でハルモニに接しない。-いつも新しく会うハルモニのように心がけて最善を尽くす

4) 誰でも過ちを犯すことはあるけれどハルモニたちを自分と同じように考えて傷つけることがないように

しかし、・・・電話が長くなり私の声が大きくなりました。「ハルモニ!どうか、どうか、他のハルモニの話をしないで下さい。」そうするとハルモニは少し前に私に他のハルモニを物まねをしておいて「私がいつ他のハルモニの話をしたの?誰が?私が他の人の事を話したって?この口が軽いだって?」

もう一度、心を入れ替えます。そう、辛い人生を生きてきた人なのに、87歳のハルモニなのに・・・

古い時計をだけどハルモニはそれをとても良いものだからと言って事務所まで持ってきては私にくれました。「家にもって帰って使いなさい。事務所に置くのではなく」

重たいコップ、古い食器にも関わらず事務所まで持ってこられ、とても可愛いから他の人が持っていってしまうと思って。

お母さんにあげようと思って持ってきたの。家に持って帰りなさい」ハルモニは私の事を時々お母さんと呼びます。イ・ヨンスハルモニがそんな風に呼んではいけないと言ってもダメなようです。それは気になりません。私たちみんな家族なんだから。

そころで、ハルモニが家からひとつ、ふたつと持ってきた品物はまだ私の椅子の横に積んであります。家に持って帰れるものではないのです。それでも断れば寂しかると思うのでそうするしかないのです。

③ 明日、金剛山への出発を前にして地方におられるハルモニたちが一人、二人とウリチプに来られました。チョンジュ、プサン、テグ、マサン、トンヨン、ソウル、チュンチョンからも・・・ウリチプで布団が足りなくてハン・クギョム共同代表が携わっている移住女性人権センターで寝袋を借りてきました。

④ 地方から来られたハルモニたちと一緒に外食しました。

⑤ 国家人権委員会でプロジャクトの公募があったので挺対協も申請書を提出しました。事業はSTOP女性暴力!日本軍「慰安婦」被害者に正義を!グローバルキャンペーン-国際アムネスティーの勧告実行のために、として事業内容には昨年、AIから発表された日本軍「慰安婦」報告書と勧告を履行させるためにAIの各国支部と連帯する事業になっています。

⑥ ソウル市公園課から博物館管理敷地使用許可に関する公文が来ました。今回は多くの進展を含んだ内容です。キム・ヨンミ博物館共同建立推進委員長に諮問したところ内容がはるかに明らかになった、このまま推進しようとおっしゃいました。文化財庁に現状変更審議を受けるための手続きに入りました。

⑦ 3・1節記念デモ及び第698回目のデモは金剛山で行なうために日本大使館前はどうしようかと言う論議を行ないました。チョ・ジョンフンボランティアが水曜デモを日本大使館前でも行なうと進み出てくれました。本当に有りがたいです。

⑧ 金剛山で行なう3・1節記念式及び第698回目の水曜デモ式次第が決定し、決意文を作成しました。事務所で終えることが出来ず家まで持って帰りました。事務所のスタッフたちはウリチプでハルモニたちと一緒に眠ったり、事務所で少し目を閉じていました。夜中の2時を回ってカン・ジュヘ局長に決意文を渡しました。

3月1日(水)

① 朝8時、お店でハルモニたちとテンジャンチゲで朝ご飯を食べました。

② 現代アサンから専務と職員たちが来てハルモニたちの金剛山人権キャンプの出発を見送りして下さいました。とても、有りがたいです。

③ 9時、ハルモニたちは二台のバスに分かれて乗り込み金剛山へ出発しました。ハン・クギョム共同代表とチョン・テホ生存者福祉委員長も一緒に行動しました。私たちを乗せて出発したバスは金剛山まで乗っていくバスです。ハルモニたちなので乗換えがないようにアサンで特別な対応をして下さったようです。本当に有りがたいです。

④ スタッフたちはこのように話します。ハルモニたちとどこかに行くとその場所の景色や美しいものなど全く思い出さず、ハルモニたちのお尻を思い出すと。

それもそのはず、ひょっとしてハルモニが転んでしまうかと心配ですぐ横や後ろでハルモニについて行き、バスに乗るときもお尻を持ち上げて、降りる時も手を繋いで抱えながら・・・今回も休憩所で休みがあるごとに、南側出入管理所で審査をする時もハルモニたちの横でみんな手を繋ぎ付き添ったスタッフたち、在宅ボランティアたちもいました。

⑤ 金剛山に到着してすぐに私たちは準備されたホテルで荷物を解き、ハルモニたちと一緒に金剛山ホテルに移動しました。そこで北側で直接、栽培された野菜と魚、豚肉など正式に接待を受け、北側の女性たちにお世話を受けながらハルモニたちは本当に幸せそうでした。

食事を終えた後87周年3・1節記念式と第698回目の水曜デモを行ないました。

私の司会、ハン・クギョム共同代表の大会辞、テグから一緒に同行した“挺身隊ハルモニとともに”の市民の会のアン・ギョンオク運営委員長、キョンナムからマサンのハルモニたちをお連れしたキョンナム女性団体連合のキム・ミヨン会員、トンヨンのハルモニたちをお連れした “日本軍「慰安婦」ハルモニたちとともに”のトンヨンコジェ市民の会のソン・トジャ代表の連帯発言、アルンダウン(美しい)青年の歌公演、チョン・テホ生存者福祉委員長とイ・ヨンスハルモニの決議文朗読などの記念式を終えました。

3月2日(木)

① 朝7時からハルモニたちは食堂に降りて食事をしました。

② 食事が終わった後、ハルモニたちは九竜淵観光に行きました。とろこが、天気が曇ってきて少し肌寒く感じました。

③ ハン・クギョム共同代表とユン・ミヒャン事務総長は九竜淵観光に行けず、金剛山ホテルに行き、そこで9時から開催される“葛藤紛争予防東北アジア会議”のオープニングに参加しました。会議はすべて英語で行なわれました。ウラジオストックから来られた代表だけが通訳を立てて発表しました。

④ 会議が早く終わったので一足遅れて九竜淵へ向かいました。中間の駐車場に到着するとハルモニたちの大半がバスの中で歌をうたい、おしゃべりをして、また北のマッコルリを買って飲んでいたのですがスタッフはほとんど山の方へ行っていて何人もいませんでした。

現代アサンの少し偉い方のようでしたが、その方がハン・クギョム代表と私に「ボランティアたちはハルモニのお供で来たのではなく観光に来たんだな」と言う言葉を残して山へ登られました。瞬間に寒気を感じました。そして、恥ずかしくなり顔が赤くなりました。一つでも過ちがあればそんな風に見えるものだと思いました。

⑤ 昼食をオンジョン閣食堂でとり、少し休んだ後に金剛山温泉でハルモニたちと一緒にお風呂に入りました。ハルモニたちが本当に喜ばれました。ボランティアたちもハルモニたちの背中を流そうとあちこちハルモニを探していました。本当にお疲れ様でした。今でもハルモニたちの背中が目の前に浮かびます。

⑥ ピョンヤン巧芸団の巧芸を観覧しました。何度も見たが、本当に見るたびにハラハラしてすぎて大変です。ハルモニたちは歓声を上げました。

⑦ 巧芸団の公演が終わると午後6時でした。ハルモニたちは食事をしてハン・クギョム代表と私は再び葛藤紛争予防東北アジア会議に参加するために車を頼んで参加しました。ハン・クギョム代表が挺対協報告をするようになっていました。ところが、到着すると参加者たちは食事をしている真っ最中でした。食事の時間に挺対協の発表をしろと言う事でした。少し戸惑いましたが、ハン・クギョム代表は準備された原稿を要約して読みあげその場を後にしました。私たちも戸惑いましたが、ご飯を食べながら“慰安婦”問題の発表を聞かなければならない外国からの参加者たちも本当に大変だったと思います。

⑧ 夕食を終えた後、ハルモニたちと一緒にオンジョン閣のあるカフェを借りてその場所でハルモニたちの紹介と地方から一緒に来たボランティアたちの紹介や歌など交流の時間を持ちました。

⑨ ホテルに戻る途中でマサンから来られたイム・チョンジャハルモニは病院へ向かいました。ハルモニの顔色がとても白くてまた顔がとても冷たくなって心配になって行ったんですが、それもそのはずハルモニは6日間も便秘だったそうです。だから、食べるたびに消化が出来ず当然、血液循環も悪く・・・

宿舎に戻ったハルモニは病院から直接看護士が訪ねてきて点滴を受けました。ハルモニは結局、次の日も病院へもう一度行き浣腸をすると顔色が回復しました。

3月3日(金)

① 朝食をとる時に荷物も詰めて発つ準備をしました。食事を終えた後、荷物を車に積み急いで海金剛へ行きました。海金剛には朝に行かなければいけないと言います。ハルモニたちが歩けない事を予め知っているのですぐ傍までバスを着けてくれました。そこでハルモニたちと一緒にマッコルリと羊肉の串、じゃがいものお焼き、さつまいもなど食べやすく美味しいおやつを買って食べました。

② サミルポ観光を終えて再びオンジョン閣に戻り昼食を食べ、午後1時に私たちは南側へ出発しました。

③ ソウルに到着すると夜の9時になっていました。チュンチョンのハルモニたちとソウル、トンヨンハルモニたちはすぐに家に向かい、テグ・マサン・プサン・アンドンのハルモニたちはウリチプで一泊して次の日に家に帰るようにしました。

3月4日(土)

① 地方のハルモニたちは朝ご飯を食べた後、みんな家に帰っていきました。

② キル・ウォノクハルモニは体の具合が良くないようなのでサムソン病院の応急室にお連れして検査を受けました。そして、入院されました。以前に体の片方が中風になった事があるようです。そして、それが今も体に潜伏しているようです。

③ ソン・ヨンミウリチプ室長がキル・ウォノクハルモニをお連れして病院に行き、キム・ドンフィ局長が代わりにハルモニたちの昼食の準備をして事務所に来ました。

カン・ジュヘ局長、キム・ドンフィ局長、イム・ジヨン監査と私の4人はヨンサン区民会館で今日開かれる民主労総と民主労働党などが開催する3・8女性大会に日本軍「慰安婦」写真展、韓国政府に送るハガキ、博物館募金活動などのキャンペーンのための準備をしました。そして午前11時30分ごろ、その荷物を車に積んでヨンサン区民会館へ向かいました。今日、一日も日本軍「慰安婦」被害者へ正義を!の為に休む事は出来ませんでした。

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2006年3月 4日 (土)

【挺対協】週間消息⑦

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑦【2月19日から2月25日】

                                                           報告:尹美香事務総長

2月19日(日)

① 週末をウリチプで過ごしているキム・ドンフィ局長に電話をしました。「ハルモニたちは何してるの?」ハルモニたちは教会にも通い、チェ・カプスンハルモニは息子に会いたいと電話をするとそんなハルモニの言葉を受けて飛んできたと言います。

② 日曜になので、ゆったりとした気持ちで本当に久しぶりに家族だけで食卓を囲んでいました。ご飯を食べようとしたスプーンを口の前まで運んだ時に携帯が鳴りました。発信者の名前は“パク・ドゥリハルモニの娘さん”でした。

一瞬にして不安になりました。ついに来るべき時が来たと、ご飯を食べずに電話を受けました。「お母さんが息を引き取りました。お母さんが、お母さん!お母さん!」予想はしていましたが本当に呆然となりました。どうすれば良いのか。

③ 30分で病院に到着しましたが、ハルモニはすでに息をひきとっていて、ベットの上に横たわっていました。娘さんはお母さんはまだ、死んでいないとハルモニの体をしきりに揺すっていました。ハルモニの体を触ってみると冷たくなっていて、息もしていませんでした。ハルモニは本当に逝ってしまいました。でも、ハルモニにまだ声が届くと思ったので「ハルモニ、安らかに。もう、手術もなく戦争もない。病院ではない所に。」最後のお別れをしました。ハルモニは6時20分にご臨終されました。

娘さんに「ハルモニは苦しませないで。天国へ堂々といけるようにしてあげて下さい」と。娘さんと孫のミンギョンを抱えて病院の霊安室に移動し、葬儀の準備を始めました。

④ パク・ドゥリハルモニの娘さんはすべての葬儀の手順を「ユン・ミヒャン事務総長に任せます」と話されました。「お母さんが話した事、それが遺言です。水曜ごとに大使館に行け。そこに行ってユン・ミヒャンを訪ねなさい。」そう話されたその日からハルモニは言葉を発しませんでした。それが遺言だったのです・・・

⑤ 日曜日ですが急いで連絡を受けて走ってきたキム・ドンフィ局長、ソン・ヨンミ室長が葬儀準備のために事務所であちらこちらに連絡をして、準備をしました。そして、アニャンへ車で駆けつけました。

⑥ アニャンメトロ病院の霊安室。スタッフたちと協議をして3階3号室をハルモニの葬儀場として予約しました。

⑦ スウォン火葬場を予約しました。幸い、火曜日12時の時間が空いていてその時間に予約しました。ハルモニを長い間、訪ねていたハルモニの友人となっていた日本人女性のサカモト・チズコさんが来ました。着いたとたん、何をすれば良いのかと聞かれました。本当に有りがたいです。

⑧ アニャンの市民団体の幹部たちとスタッフたちがハルモニの霊安室に到着しました。6・15共同準備委員会アニャン本部の実務チームとアニャンを愛する青年会、チャジュ学校活動家たちでした。彼らにハルモニがアニャン市とは特に縁がないが、2年余りこの場所で闘病生活を送ったことを説明するとこの間、全く知らなかったと驚いていました。

私の落ち度です。なぜ、考えが及ばなかったのか?論議の末、ハルモニの葬儀を市民葬にしたいと提案し、それをアニャン・クンボ・ウィワン市民社会団体が快く引き受けてくれました。そして、すぐに動き出しました。ハルモニの天国への道を市民団体の愛と共に送ることにしました。

⑨ ナムヌの家に電話をしました。また、ボランティアが電話を受けました。ハルモニの遺影と寿衣と持ってこなければならないと言うと、今は持っていける人が誰もいないと言います。少し腹が立ちました。早く連絡をして対策を練らねばならないのに、来れる人間がいないなんて話にならない。アン・シンクォン局長に電話をして伝えたのかと聞くと、電話で伝えたと言います。もう一度、連絡してハルモニの霊安室に写真もなく祭壇を準備することも出来ないから早く持って来れる方法を論議して欲しい言いました。

⑩ ハルモニは2年以上アニャンメトロ病院で過ごされました。少し体が良くなってナヌムの家に退院したいと望んでいたハルモニでしたが、ナヌムの家に再び戻る事はなく認定老人専門病院に退院しなければなりませんでした。そして、その病院を退院しようとしていた時に医療事故が起こり、ここアニャンメトロ病院に転移し手術を受けなければなりませんでした。これが2年もの間、ハルモニが病院から退院出来なかった原因であり、三回の医療事故のためにハルモニの体は退院の出来ない体にしてしまったのです。

アン・シンクォン事務局長に電話をしました。アン・シンクォン事務局長はチュンチョン方面にいるようでした。明日の午前中には病院に向かうようにすると言われました。葬儀委員にナヌムの家の関係者、ソン・ウォルジュス僧とウォン・ヘンス僧に引き受けてもらうのはどうか、と論議しました。受話器の向こうで「そうしてください」との返答でした。

⑪ 事務所から挺対協のスタッフたちが到着しました。キム・ドンフィ、ソン・ヨンミ室長、ボランティアのチャ・ジョンフンが一緒に来ました。本当にありがたい同志たちです。身を惜しまず、勤務時間・休憩時間の区別もなく仕事する友人たち。私たちはお互いに支えあっているようです。

⑫ 統一ニュースイ・ゲファン代表に電話をしてパク・ドゥリハルモニと関連したインタビューをしました。

⑬ ナヌムの家の歴史館まりおさんと電話をしました。ソウルにいるのでナヌム家に戻り、自分が直接ハルモニの遺影と寿衣を準備して向かうと言ってくれました。安心しました。ありがとうございます。

⑭ 夜10時ごろ、ほぼ葬儀と関連した準備と予約関係がすべて終わりました。

⑮ スカイ天使オム・オクソン代表と電話しました。オム代表は2年以上ハルモニの葬儀の後援をしてくれていますが昨年、パク・ボクスンハルモニの葬儀後少し今後の事について検討したいと言っておられました。オム代表にパク・ドゥリハルモニの事を伝えて援助の要請をしました。オム社長は本当に不可能な状況の中で、ハルモニの花冠飾りと運柩車とバスの後援してくださると言います。本当に大きな後援です。また、大きな安心を得ました。大きな力になります。

⑯ ナヌムの家歴史館まりおさんと電話をしました。ナヌムの家から出発するとの事でした。

2月20日(月)

① 午前0時ごろ、ナヌムの家歴史館まりおさんが遺影用の写真2枚と額、寿衣を持って来ました。おそらくどちらを選べば良いのか簡単に決める事が出来ずに二枚用意してきたようでした。一つを選び、寿衣と他の写真を霊安室に別途保管しました。祭壇を菊の花で飾り付け祭壇の準備を終えました。

② アニャン市民団体活動家と一緒に葬儀委員を組織、葬儀日程の論議などのためにキム・ドンフィ局長はアニャンを愛する青年会事務所に行きましたが、午前1時を過ぎても終わらないようです。2時ごろ、キム・ドンフィ局長がアニャンを愛する青年会活動家と一緒に303号に戻ってきました。論議結果を共有しました。

③ パク・ドゥリハルモニの娘さんの決定でチョナン望郷の丘にハルモニを埋葬するため申請書を提出しました。納骨堂よりお墓が良いように思ったので、それから墓石に刻む言葉を聞いてみると、ハルモニがとても可愛がっていたお孫さんが「愛しています」にすれば良いのではないかと言いました。

④ 午前9時からオーマーニュース、キョンギ日報、アニャン市民新聞、連合ニュース、KBS、SBSなどの記者たちの取材が多かったです。関心を持ってくれて幸いです。これにも安心しました。

⑤ 午後10時30分ごろ、ナヌムの家から副院長とアン・シンクォン事務局長とまりおさんとウォン・ジョンソン看護士がパク・オクソン、イ・オクソン、カン・イルチュルハルモニをお連れしました。

ところが、着いたとたん昨日、まりおさんが持ってきたのこりの写真を探しました。「その写真はどこにあるのですか?歴史館に保管しなければなりません」霊安室の机の引き出しに保管しておいた写真を取り出しながら、何か問題があるように感じました。詳しくは報告しないほうが良いと思うので、私の日記にだけ記録するようにします。

ハルモニたちの状況が分かるので特別理解したくて、気配りもきかせたいのですが・・・ナヌムの家のハルモニたちはパク・ドゥリハルモニにお別れをして、遺族と言葉を交わして帰りました。

⑥ 弔問客たちが一人、二人と来られます。アニャン地域の方々が大部分です。ハルモニのお世話をした501号室の付き添いの方たちが来て下さいました。ところが、二年間初めからハルモニをお世話した付添いの方が見えません。今日は休みの日だそうです。すぐに会わなければならないのに・・・

⑦ 午後1時ごろ、キル・ウォノクハルモニとファン・グムジュハルモニをソン・ヨンミ室長がお連れしました。イ・ミギョン議員も弔問に来られました。久しぶりに少し話すことが出来ました。パク・ドゥリハルモニについて事務所について、博物館建立活動について。キル・ウォノクハルモニとファン・グムジュハルモニはKBSテレビのインタビューを受けました。ファン・グムジュハルモニは一晩中かけても語り尽くせないハルモニの歴史について話をしました。キル・ウォノクハルモニは横で「ほら、また違う話をしている」と言いながらヤキモキしていました。二人のハルモニは長い間、病院に詰めていましたが夜、遅くにウリチプに送りました。

⑧ 夕方になって葬儀会場は弔問客でいっぱいになりました。アニャン・クンポ・ウィワァン市民団体の方々がほとんど来られたようでした。取材陣たちも多かったです。弔花がひっきりなしに届きました。地域市民団体の活動家たちと挺対協スタップたち、全国女子大生代表者協議会の女子学生たちなども弔花でハルモニの棺を可愛らしく飾ってくれました。もう、スタッフたちは葬儀に関する専門家になりました。

⑨ 夜9時10分、弔問に来られた方たちと一緒に故パク・ドゥリハルモニのお通夜がありました。事務総長である私の司会で始まり、ユン・スンニョ挺対協共同代表の故パク・ドゥリハルモニの経歴紹介、福岡から来られたハナフサ・エイコさんの追悼辞、アニャン地域代表の追悼辞、パダッソリの追悼歌、参加者たちは献花をしながらハルモニとお別れの時間を持ちました。ハルモニの唯一の血縁者である娘さんはお通夜の間、床に突っ伏し慟哭する姿が参加者たちを一層悲しくさせました。

⑩ 葬儀が終り参列者たちと挨拶をしているのにパク・ドゥリハルモニの娘さんが来ました。ハルモニの遺骨をチョナンではなく、ナヌムの家にすれば良いとナヌムの家のアン・シンクォン局長がそう言っているので・・・

娘さんの意見は重要だと、挺対協やチョナン望郷の丘には少し話を複雑にして申し訳ないが取消せばいい事だと話しました。娘さんが簡単に決めきれない様子だったので、ナヌムの家のアン・シンクォン事務局長を探しで論議した末、そのようにする事にしました。

⑪ 葬儀委員会執行委員たちが作成した明日の葬儀の順序と市民団体に配布する広報誌を作り、また葬儀費の募金のための会議をしました。アニャン地域で400余万ウォンの葬儀費が集まり、挺対協関係者たちから約200余万ウォンの葬儀費が集まりました。しかし、葬儀費の支払いは700万ウォンを超えています。

⑫ 霊安室で約7年ぶりに知人を会いましたが、文化財庁で働いていました。博物館に関して論議をしましたが、文化財庁史蹟課を通じて先に知らせる方が良いそうです。

2月22日(火)

① 朝8時、出棺式を霊安室で行いました。ユン・ミヒャン事務総長の司会で、アン・シンクォン局長の追悼辞、参加者が献花を行ないました。チョナン望郷に丘に急いで取消しの連絡をしました。申し訳ありません。手続きも大半終わっていたのですが・・・

② 出棺式が終り9時30分に日帝時代の最初の事務所で日帝収奪の象徴であるアニャンソイ面事務所前で一次出棺を行ない、10時にアニャン駅で集まり出棺をしました。行き交うアニャン市民たちも一緒にハルモニを追悼してくれました。⇒一時間後にハルモニの棺と葬儀委員たちはスウォン火葬場へと向かいました。火葬場に向かう車中、ハルモニの娘さんは解放後ハルモニが自分を生んで、自分を負ぶって野菜の行商をした事から病院での闘病生活から・・・退院したら自分の家に来るはずだったのに何故、一度来ることなく逝ってしまったのかと慟哭されました。私たちも悲しかったです。

③ 11時スウォン火葬場でハルモニはそうして一握りの灰となり私たちの胸に帰ってきました。ところが、火葬がすべて終り遺骨をすべて収めたのにナヌムの家から到着する車がやってきません。一握りの灰となったハルモニの遺骨を抱いて家族と参列者たちは胸が引き裂かれそうなのに風も冷たかったです。ナヌムの家の車が現在、クリまで来ていると言います。私が大声で怒鳴ったことは省略します。

腹が立ちましたが早く対策を立てなければならず、再び大忙しでした。休む暇がないとはまさにこの事です。車を早く探す為にスウォンの知人たちにあちこちに電話を・・・結論1まず、車で遺骨とウリチプのハルモニたちで移動し、2残りの人たちは少し待ってユン・ミヒャン事務総長が実家から車を借りて乗せていく。あー、火葬場にはタクシーもない。紆余曲折の末に車を持ってきて30分があっという間に過ぎ、ナヌムの家に到着するとそこでハルモニの追悼式を行なっていました。

④ ナヌムの家のハルモニたちと一緒に話した後、午後6時ごろ出発しました。車を返して家に着くと10時を過ぎていました。

2月23日(水)

① 第697目の水曜デモでした。反米女性会が主幹だったのですが、二人の男子中学生のハーモニカ演奏と歌を習い、独島守護隊の独島関連の発言などが続きました。島根県で竹島の日が制定されて1周年行事のために日本大使館前もファルビン党ホン・○○さんは私たちの集会の間中一人で集会をしていました。私たちはたまにこの方の集会をコバンザメ集会と呼ぶのですが、他の日にすれば良いのに必ず水曜日、私たちが水曜デモをしている時に横で行なうのでそんな風に呼んでいます。

② パク・ドゥリハルモニの葬儀費用の決算をしました。アニャンで葬儀委員の中でまだ会費を出していない方々にはみんな回収すると言ってくれました。心の広さに涙が出るほど感謝しています。

③ ソウル市に電話をすると博物館業務関連の担当者か休暇でした。来週には出勤予定だそうです。

④ 午後から事務所では地方ボランティアたちとハルモニたちと電話をしました。3月1日に金剛山へ出発するので忙しいです。28日はウリチプで約40名が宿泊しなければならないようです。こんな仕事で事務所はとても騒がしかったです。ハルモニたちが耳が遠いために私たちは大きな声で電話をしなければならなかったんです。こんな習慣は他の場所で失敗を招く事もあります。電話の声がとても大きいために。

⑤ アメリカの同胞団体の中でワシントンNAKAが一周年を迎えました。祝辞を頼まれたので送りました。とても疲れました。スタッフたちに少し早く退勤するように言うときりのよいところまですると言って事務所を去りませんでした。

2月23日(木)

① バウネットジャパンの消息誌に載る原稿を送りました。原稿依頼内容はスタッフたちの状況やハルモニたちの状況でしたが最近、文章が暗い感じがするようで心機一転しなければなりません。

② 3月2日から金剛山で開かれる葛藤紛争予防北東アジア会議にハン・クギョン代表とユン・ミヒャン事務総長が参加しますが、挺対協に発言を任せられました。英語で行なうのです。そこで代表が原稿を作成しました。明日、翻訳を頼まなければなりません。

③ あるハルモニから電話が来ました。自分の通帳に生活費が入っていないが、どうしてあなたたちが持っていったのかと。あー、ハルモニたちの老人病は仕方がありませんが、スタッフたちは胸が強い気持ちでいなければならないでしょう?そんな反面、ハルモニたちにも電話をするとパク・ドゥリハルモニの葬儀を終えてご苦労様だったと声をかけてくれました。ありがとうございます。

④ 今日もパク・ドゥリハルモニ葬儀費の決算は終わりません。

⑤ パク・ドゥリハルモニの娘さんが電話をくれました。49日が終わればナヌムの家からハルモニの法事を自分の家で行なうと言いました。ナヌムの家で数日を過ごして、多くを考えたようでハルモニが願っているのはナヌムの家ではなく自分が世話をするのが良いとそう話でした。そして、あれこれ一時間ちかく話をしました。そして、お母さんに会いたくなった時には電話をするから少し付き合って欲しいと言いました。嬉しい気持ちでそうしようと答えました。

2月24日(金)

① 金剛山人権キャンプ報道資料を作成し、発送しました。

② パク・ドゥリハルモニ葬儀に参列して下さった方々にお礼の手紙を書き発送しました。

③ 事務所に良い事がありました。ウリチプのハルモニたちとスタッフたちを治療してくださっている漢方医のユン先生が事務所の椅子すべてがスタッフたちの腰を痛めるしかない椅子だと椅子を二つ持ってこられました。そして、年の順で占有するように言いました。若いスタッフたちにまず譲るのが私の性格なのですが、ユン先生はその事も察しているようでした。何よりも年をとった者が若い人より腰が悪い為に下した配慮でしょう?お陰でとても良い椅子で勤務できるようになりました。どうもありがとうございます。その上、体がとても疲れて肩もとても痛くて、足も痛くて頭もとても痛いので治療を受けました。針治療も受けて・・・体が軽くなりました。

④ ソン・パニムハルモニが電話をくれました。ソン・パニムハルモニはパク・ドゥリハルモニとカン・ドッキョンハルモニ、キム・スンドクハルモニ、パク・オッニョンハルモニと一緒に92年からナヌムの家初期の大変な時期に苦楽を共にした方です。私にお疲れ様、ありがとうと言いながら「もう、オッニョンとヨンスだけが残った」と泣かれます。「ハルモニ、泣かないで下さい。そして、ハルモニに是非お願いしたいのは体調が悪ければウリチプで過ごして下さい」と言いました。ハルモニたちが心配です。一人、また一人と逝かれる度に心が弱くなって・・・

⑤ 西大門警察署情報課の女性刑事が訪ねてきました。この間、ウリチプでの仕事もたくさんしてくれましたが、他の地方に移動になったそうです。後援金も10万ウォン下さいました。

⑥ 女性部共同協力事業のプログラムで博物館に関連した資料をDVD化、資料収集などの内容を作って提出しました。あー、貧しい暮らしがこのように軌跡をずっと作っていました。

2月25日(土)

① イ・ヨンスハルモニ、キム・オクソンハルモニ、カン・ジュヘ局長、シン・ヘス共同代表がアメリカから帰ってくる日でソン・ヨンミ室長が車で仁川空港まで迎えに行きました。カン・ジュヘ局長とハルモニと電話で話しました。お疲れ様でしたと挨拶をして今日の仕事を終えました。

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2006年2月25日 (土)

【挺対協】週間消息⑥

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑥【2月12日から2月18日】

                                                                報告:尹美香事務総長

2月12日(日)

① インチョンのハン・オクソンハルモニをカウン病院へお連れしました。インチョン地域のボランティアであるキム・キョンオクさんがハルモニを環境の良いところに移したいと努力の末にカウン病院に転移しました。病院は山の麓に位置しており、入口からとてものんびりとした感じのする所だそうです。

② ソンナムのチン・キョンペンハルモニをカン・ジュヘ局長が訪ねました。チン・キョンペンハルモニはとても信仰深いです。ソンナムのサンジャ教会に通っていますが、最近は教会も遠くて通うことが出来ないと残念そうだったようです。

そして、同じアパートに住んでいるイム・○○ハルモニも訪ねました。

③ チェ・カプスンハルモニを訪ねようと病院へ行ったのですが、すでにハルモニは退院していました。入院費の心配と病院が窮屈で退院してしまったようです。ハルモニは初期の中風です。家へ行ってハルモニの荷物をまとめてウリチプへお連れしました。ハルモニはウリチプに着くなりとても喜ばれました。

④ アメリカのV-dayと関連して一日に何通もメールの交換をしました。土曜日にもV-day“日本軍「慰安婦」被害者へ正義を!”アメリカキャンペーンに参加するハルモニのことで何度もメールと電話のやりとりをした末に最終的に元々行く予定だったキョンブクのパク・オクソンハルモニとイ・ヨンスハルモニが行く事になりました。そして、イ・ヨンスハルモニの簡単な英語の略歴をアメリカのV-day進行チームにメールで送りました。

2月13日(月)

① 小正月の次の日である月曜日です。一日遅れでハルモニたちと一緒にウリチプに集まりました。ソン・ヨンミ室長が準備した美味しい五穀米とナムル、焼肉とサンチュなどハルモニたちが好きな料理がずらっとお膳に並びました。ソウルトゥンチョン洞から来られたキム・ボクソンハルモニとキム・キョンスンハルモニも美味しいと喜ばれ、ハルモニたちのお陰で家のご飯が好きな私も嬉しかったです。

ポケットから1000ウォンづつ出して交通費をかけてユンノリ(すごろく)をしました。スタッフたちとハルモニたちの班に分かれて・・・「4だよ!もう、1だね」「5だ!まったく!」ウリチプは瞬間的に騒がしくなりました。

四つの班すべてハルモニたちが勝ちました。やはり、ハルモニたちを相手に適うはずがありません。そうでしょう。どんな思いで生き抜いて来られた方たちなのか・・・そうやって生き抜いてきたハルモニたちだから、戦争も死の淵からもすべて克服してこの場所に私たちと共にいらっしゃるのに・・・私たちが勝てるはずがないでしょう。

キム・ポクソンハルモニとキム・キョンスンハルモニはタクシー代をもうけたと言ってとても喜ばれました。

② ソウル市公園課イ・ウォンヨンチーム長と電話で話しました。本当は会って話そうと思っていましたが忙しいと言われるので、まず電話で話し合いたいと話し、率直に「ソウル市から受け取った公文書では西大門区庁から文化財現状変更審議申請書の受付が出来ないと言われていて、どうすれば良いのか、助けて欲しいと」話しました。

そうすると、「西大門区庁がなぜそうなのかよく分からない」とし「西大門区庁がその書類を受付できないと言われた時はソウル市が政策的に推進している事業だ」と言ってもう一度、西大門区庁に受付の申請をして欲しいと言われました。

③ キム・ヨンミ博物館共同建立推進委員長が電話をくれました。博物館の敷地問題と関連してソウル市と関わる問題でどのように解決すれば良いのか助言して下さいました。カン・ジウォン共同建立推進委員長と電話をしました。

この間の状況を報告して、どのように進めれば良いか意見を聞いてみると、担当者に直接会ってその場で今まで浮かばなかった新しい意見が出るかもしれないと、とても簡単ながらもカッコいい助言をして下さいました。

私の頭の中もすっきりと整理できました。“そうだ順番に解いて行こう!”

④ KBS1ラジオとインタビューをしました。内容は博物館と第700回目の水曜デモについてでした。

⑤ ハルモニたちから電話が途切れる事がありませんでした。シム・ミジャハルモニからウスキ・ケイコと日本男性のハラダさんまた、韓国男性と一緒にハルモニを訪ねてきたと電話がありました。「来るな」と言ったのに結局、訪ねてきて戸を叩き騒ぎを起こしたと。

ソウルのサンゲ洞のソン○○ハルモニは戸を叩いても出なかったら、言ってしまったと、

ソンナムのチン○○ハルモニはやって来て5万ウォンをよこして行ってしまったと、

ソウルのサンゲ洞のパク・○○ハルモニは15万ウォンをよこし、何か書類にサインしてくれと言うのでダメだと言ってお金を振り払いながら、こんなお金をくれなくても政府から支給されているお金で充分だと言うと、結局テレビの上に置いて行ったと、

ソウルのトゥチョン洞のキム○○ハルモニは家に来ると言うので来るなと言ったが、もしかしてと思い、町の集会所に行っていたが警備が教えたのでそこまで押しかけて10万ウォンをよこして書類を作らなければならないと言い、行ってしまったと言います。何か企んでいるのかも知れないと言って大変なお怒りでした。

そして、トゥチョン洞のキム○○ハルモニは門を叩いても戸を開けなかったら、行ってしまったと言います。

-挺対協の毎日は本当に根くらべです。あまりにも大きな忍耐を要求します。

2月14日(火)

① 10時30分に東京から15年間、活動しているツブカワさんとノブカワさんが事務所を訪ねて来られました。ファン・グムジュハルモニも一緒に同行しました。一緒に第700回水曜デモについて論議をしました。(バレンタインデーなのでチョコレートも準備してこられ、私たちに笑顔をプレゼントして下さいました)

② 午後、3時にソウル市公園課を訪問して文化財現状変更審議申請書のために土地使用同意と関連して論議しました。もう一度、公文を送るときは公文様式で送ってくれると言いました。

③ 第700回水曜デモ企画会議を行ないました。第700回はすべてのものを虹で象徴化するようにしました。私たちの7大要求も“7”、第700回も“7”そして、韓国政府に公開要求書を伝達する事にしました。

④ ソウル市の市民団体支援プログラムで“日本軍「慰安婦」被害者に正義を!”グローバルキャンペーン事業を提出しました。

⑤ 挺対協スタッフとして活動したいとある女性が願書を送ってきました。しかし、幼いです。81年生まれだと言います。もう少し、願書がくるまで待ってみようと思います。

⑥ ファン・グムジュハルモニが事務所に来られた時には家に帰ろうとしていましたが、テグのイ・ヨンスハルモニがソウルに来られるので自分もウリチプに泊まって帰ると心変わりしたようです。他のハルモニより少し欲張りなファン・グムジュハルモニは今日の夜が気になって家で眠れないようでした。

それで、ウリチプにはチェ・カプスンハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニ、イ・ヨンスハルモニにファン・グムジュハルモニまで・・・ソン・ヨンミ室長は今日は大変です、どうしましょう?

⑦ 良くない知らせがまた、入ってきました。新しい本が一冊出たようですが、またそこに挺対協運動を非難する内容が一箇所あると電話をしました。

私たちとインタビューでも一度行なってそのような本を書くのであれば受入れもするが、インタビューを一度もせず、運動に全く参加したこともなくてどのような評価が可能なのか少し考えてみました。

ある女性学者たちは挺対協運動が女性人権運動ではなく民主主義的な性格が強いと言いますが、むしろ挺対協は過去史団体たちから挺対協運動がとても女性人権問題として偏向していると評価を受けています。

気にしないようにします。被害者たちの経験・立場に立って、彼女たちの名誉と人権回復のために又、私たちの人権のために、私たちの社会の正義回復のために最善を尽くして活動しているからです。そして、世界各国から女性たちが、平和運動たちが、人権運動家たちが、私たちと連帯して私たちの運動によって被害者たちがあのように堂々と主体的な運動家に変わることが出来たと評価してくれていますから心配していません。

歴史が語ってくれるでしょう。

2月15日(水)

① 今日は第696回目の水曜デモでした。キョンギ南部民族問題研究所が主管の日でした。みんなスウォンから電車に乗って来られたのですが、力強く情熱的なデモを進行してくださいました。

ナヌムの家で主催しているピースロードに参加している韓日青年たちも一緒に参加して、シスターたちも共に参加しました。

② パク・ドゥリハルモニを午前中に訪ねました。今日でなければまた、来週になってしまうと思いアニャンメトロ病院に行きました。

ハルモニはずっと眠っていて顔は黄疸がとてもひどかったです。胆嚢管が詰まって、食べても美味しくなく、ご飯もよく食べられなくなった為に手術をして他の管を入れましたが、ハルモニがそれを抜いてしまったようです。それで、今日再び手術をすると言います。ところが、看護士も心配していました。

気力がなく、手術後に回復出来るか分からず、こんなふうに寝つづけるのはダメだと言って起こさなければならないと起こし、私も起こしてみましたがハルモニは眠っていたいようでした。結局、席を立つまでの一時間の間ハルモニと目と目を合わすことも出来ず、まぶたを開いて眠っているハルモニの黒い瞳を見つめる事しか出来ませんでした。

③ 午後にパク・ドゥリハルモニの娘さんから電話が来ました。手術が無事に終わったようです。ところが、認定老人専門病院とは関係なく疾病なのでハルモニが手術費を負担しなければならないと言われたと心配していました。それで、私が調べてみるから心配ばかりしないでと声をかけると、相談する相手がいて、良かったと喜んでいました。

④ キョンブッ、ヨンチョンからキム・オクソンハルモニがウリチプに到着しました。もう、アメリカに行く準備がほとんど終わりました。

⑤ 夕方にイ・ヨンスハルモニと少し会議をしました。アメリカで行なわれる行事についての案内と説明をしなければならないためです。

V-dayが何なのか、ボジャイノ・モノローグ公演が何なのか、ハルモニたちが経験した女性の体に対する暴力問題とアメリカの女性たちとの連携性などの説明を行い、予想していた質問なども一緒に考えてみました。ハルモニは小学生のように私の言葉を良く聞いて良く理解もされました。

2月16日(木)

① 朝、7時にウリチプに電話をしました。ウリチプは朝食の真っ最中でした。イ・ヨンスハルモニとキム・オクソンハルモニが7時30分になればウリチプから空港に出発しなければならない為です。ハルモニとカン・ジュヘ局長と電話で話し出発前の挨拶をしました。

② 事務所に到着したとたんV-dayキャンペーンについての報道資料を作成してマスコミと関係団体にメールとFAXで送りました。V-dayキャンペーンである“日本軍「慰安婦」被害者に正義を!”はワシントンとニューヨークなど17日から23日まで開催されます。

2月17日(金):午後2:00 ワシントンキャンペーン

(場所:国会記者会見-アメリカエバンス下院議員、主催記者会見)

2月18日(土):Vagina Monologue ニューヨークキャンペーン参席

(場所:ニューヨークHunter College)

2月19日(日):Fordham and PACE universitiesキャンペーン

2月21日(火):Rhode Island大学キャンペーン

2月22日(水):コネティコート州大学キャンペーン

2月23日(木):V-dayレセプション-ポジャイノ・モノローグ劇作家イブエンスルロ参加(午後:7時30分にニューヨークUN Plaza Hotelで開催)

③ 最近、事務所のスタッフたちにはとてもありがたい先生が一人います。ユン・ヨンシク先生がまさにその方です。先生が来られればスタッフたちは右の肩が痛いです。頭が痛いです。腰が痛いです。等など・・・痛い所の羅列が始まります。先生についてはよく知りません。ただ、先生は漢方医先生だと言う事。

スタッフたちは「ここが痛いです。」と言えば一度、確認して「ここが良くないですね」そして治療。「わぁ、本当にちっとも痛くないです」こんな風です。ユン先生は元々ウリチプのハルモニたちのボランティアでの先生でしたが、事務所スタッフたちの主治医まで日聞きうけてくれています。今日も事務所にはスタッフたちの治療があります。私も肩がとても軽くなりました。固く固まっていた肩もほぐれました。

④ ウリチプのキル・ウォノクハルモニがついに針治療を受けました。若いときに針に対してのトラウマがあるので拒否されていましたが、針治療を終えて腕が上がると喜ばれました。

⑤ 正しい歴史企画団(東北アジア歴史財団設立委)にチョン・ウンジョン課長とチョン・ヒョンテチーム長など3名が事務所に訪ねてきました。挺対協事業と国際連帯事業について意見交換をしました。

⑥ 一日中、電話が鳴りつづけました。パク・ドゥリハルモニの娘さんと10回以上も電話で話しました。夜中でも構わないからいつでも電話をして下さい、気持ちを楽に持って、本当に逐一電話をくれました。パク・ドゥリハルモニの血圧が下がっていて集中治療室に移ったと言います。ところが、集中治療室は入院費が高いために請求金額が相当なものになるようです。

元々パク・ドゥリハルモニの病気は認定老人専門病院で過失致死による火傷から大腿部骨折に至るまで病気となったため、入院費を一切負担するように言うのですがハルモニがナヌムの家から娘さんの家に移った後に態度が変わったようです。

過失致死、民事刑事訴訟、行政提起など様々な方法で調べてみました。しかし、ハルモニにもっと多くの損害を被るかもと思うと心配で不安になります。

2月17日(金)

① ナヌムの家に電話をして認定老人専門病院でパク・ドゥリハルモニの入院費の負担する内容の覚書を受け取りました。書類は4項目に分かれていて娘さんとナヌムの家、認定病院の三者の名義になっていたのですが、認定老人専門病院がキョンギ道立病院となっていました。

病院はパク・ドゥリ患者の今後の治療と回復に最善を尽くし道義的な責任を持ちアニャンメトロ病院、及び認定病院での持続的な治療及び療養で発生する費用のすべてを負担する、となっていました。

ところが、最後に病院の治療と関連して民事・刑事上または行政的な問題について「一切、異議申立てをしない」と言う項目がありました。

こんなこともあるんですね・・・そうであっても挺対協が行政的に申立てできる方法を調べて病院費を負担する方法を探しています。

ハルモニを2年以上病院に縛り付けるようにしておいて、ここに来て疾病内容が違うから負担しないと言う事は覚書合意に違反するのではないでしょうか?

② 女性家族部福祉チームから電話がありました。シム・ミジャハルモニがハンナラ党の国会議員に挺対協の被害者支援事業(女性部プロジェクト事業)に対して問題提起をしながらムグンファ会33人については挺対協が事業のサポートが出来ないと言います。

そこで、資料を提出しました。すでに全国的にすべてのハルモニたちには挺対協から漢方薬と処方し、人権キャンプも行い、年末プレゼントも贈り、地域市民団体と温泉も行ったと報告しました。

ただ、シム・ミジャハルモニ本人が挺対協運動に反対すると言う仮処分申請を出した為にどうすることも出来なくて、心理治療事業も出来なくなったと事。33人の被害者は嘘である事も証拠と共に申告してしまいました。

33人の数字自体もおかしいですが、その名前を確認するとすでに亡くなった方もいるし、名前が確認できない方もいました。そして、ハルモニたちはムグンファ会に加入したことがない方も入っていました。正確に数えると4人だけ残りました。

あー、いつまでシム・ミジャハルモニとのこの長い闘いが続くのか・・・いつまでこのように名誉毀損を受けても黙っている他ないのか・・・

③ 明日は一人娘の小学校の卒業式なので今日は少し早く退勤しようと思っても8時になって電話がかかってきました。受けるとハンナラ党コ・キョンファ議員室からで、シム・ミジャハルモニがハンナラ党に挺対協とナヌムの家に請願を出したようです。

自分が本当の「慰安婦」ハルモニで33人の慰安婦被害者の集いムグンファ会会長だと言いながら、挺対協とナヌムの家について何か話したようです。

本当に一時間の間95年、日本の“女性のためのアジア平和国民基金”設立後シム・ミジャハルモニと挺対協の関係にすいて、そして挺対協研究室と一緒に行なった証言集調査過程で信憑性に問題があると判断された後からのシム・ミジャハルモニと挺対協との関係についてその長い歴史を報告しました。

今日は肩の治療も受けて、肺の治療も受けて気分が良かったのに・・・言葉を失いました。心が泣いているからか胸の痛みを感じます。

2月18日(土)

① 午後にパク・ドゥリハルモニを訪ねました。午後5時集中治療室へ面会時間に訪ねたのですが、血圧が依然として79/54で、ハルモニは未だ気力がありません。心配です。早く元気にならなければならないのに・・・

② 今日はウリチプのソン・ヨンミ先生が家族の集まりがあるために実家に帰り、キム・ドンフィ局長がハルモニたちを守っています。夕食はカレーライスとキムチの煮物のようです。あー、美味しそう。

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2006年2月17日 (金)

【挺対協】週間消息⑤

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑤【2月6日から2月12日】

                                                                   報告:尹美香事務総長

2月6日(月)

① 2006年ILO総会をどのように対応すれば良いのか見通しがつきません。去る10年間、韓国の両労組が一生懸命に活動してきましたが依然と私たちが目標にしていた案件採択されませんでした。

ここに来て引き下がる事は運動家として到底受け入れられない事であり、いつまで両労組が労働関連の重要案件を後まわしにして、この問題に戦力を傾けてくれるものではなく・・・この問題で韓国労総のカン・チョンホ局長と電話で論議をしました。民主労組は現在、国際局が臨時体制で前国際部長であるイ・チャングン部長と電話して現在の状況を共有して意見を聞いてみましたが・・・

② 東京からFAXが届きました。第700回水曜デモに連帯し、東京の参議院会館前で連帯デモを行なうように決定したので関連資料があれば送って欲しいとの事でした。現在、提案書と企画案を準備しました。

③ 夜9時ソウル、ウミョンドンに住んでいるユン・ユンマンハルモニから携帯に電話がありました。今日、事務所でもカン・ジュヘ局長にも電話をされたのに夜は私の順番のようでした。ハルモニは電話で「あなたはユン・ボソンさんの孫で、独立運動の子孫だ、などなど・・・3・1節に万歳を叫びにチョナンに行かなければならない・・・でも金剛山には行くから・・・」と30分も受話器を握りしめたままでした。

2月7日(火)

① 世界日報の記者が事務所に来ました。ハルモニたちの金剛山観光と博物館建立に関連した内容の取材をして、また電話もしました。

② ソウル市文化財課の担当者と電話して博物館のために必要な現状変更審議委員会への申請書類と関連しての助言を聞きました。

③ 博物館共同建立推進委員長団に博物館敷地準備の活動と関連した中間報告をしました。

④ 2月10日に行なわれる定期総会参加者の確認をしました。各会員団体もそろって忙しいようでした。何度か電話をしましたが、確認は不可能でした。

2月8日(水)

① 第695回水曜デモでした。今日に限ってとても寒かったです。今日もナヌムの家のハルモニたちは来られませんでした。代わりにアメリカから帰国してテグに戻らずウリチプに残っていたイ・ヨンスハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、ファン・グムジュハルモニが参加されました。

幸い韓国労組が主管で体の大きな男性と若い女性たちがハルモニの後ろに立って風を遮ってくれました。シスターたちも今週も欠かすことなく参加して下さいました。学生たちも参加して、日本の学校の学生たちも一緒に参加して寒くても熱い集会になりました。

② 世界日報記者の取材は今日も続きました。

③ 定期総会報告書が、ようやく最後のページにたどり着きました。一日中作成した報告書を修正して、補完してはまた修正して補完しながら、昨年1年間の挺対協事業報告を作りました。報告書を整理してみると我が挺対協事務所では本当にたくさんの仕事を行ないました。(もし、私たちの報告書が必要な方がいらっしゃればお送りします)

④ 文化財庁から金曜までに博物館変更申請書の受付をすれば良いとの連絡が来たようです。キム・フィオク所長が設計図を完成させて届けてくれます。本当にありがたい気持ちになります。

⑤ ソチョ洞中央地検のある検事室から電話が来ました。チ・マノンさんとシム・ミジャさんが挺対協のシン・ヘス代表とナヌムの家のソン・ウォルジュ理事長、そして私、ユン・ミヒャン挺対協事務総長を名誉毀損で控訴したようです。訴状を見ると私をシ・マノンさんとシム・ミジャさんは(逆に私の方が名誉毀損を被っているのに・・・)北へ潜入脱出し、(2002年にピョンヤンにシンポジウムに行ったことを指しての事)シム・ミジャハルモニに対して名誉毀損しているという内容でした。

これはもう4度目の訴状になります。シム・ミジャハルモニと言う方は挺対協に4度回目の訴訟を起こしました。初めは97年にハルモニたちが受け取ったお金を横領したと、二度目は2004年水曜デモ中止及び募金活動中止の仮処分申請、三度目はやはり2004年にネチズンたちの博物館へのカンパを挺対協が支払わなかったと言うもので、四度目が名誉毀損・・・あ、際限がありません。

97年に検察から初めて調査を受けて虚無感と傷ついた気持ちを抱えて耐え切れずに挺対協を辞めるしかなかった、その当時が再び悪夢のように思い出されます。“チョン・ヨンスン弁護士~!お願いしま~す!ひょっとして逆にシム・ハルモニの国民基金関連のブローカ活動などに対しての調査は不可能ですか?”

2月9日(木)

① 最近、事務所に着いてすぐに始める業務はプロジェクト申請するところがないか、探索する事です。大部分の民間団体がそうであるように財政が劣悪なので外部プロジェクトをたくさん探します。

今日は9月1日行なう“日本軍「慰安婦」被害者に正義を!”V-dayキャンペーンの一つとして推進する“ホジャイノ・モノローグ”公演の経費の支援を受ける事が出来る所がないかを探していました。この公演の収益金は博物館建立基金に使用されるものです。

② ハルモニたちの金剛山人権キャンプ申請書類の整理をしました。思っていたより申請されるハルモニが多いです。日程が迫ってからまた取り消される方もいらっしゃるとは思いますが現在まで45名のハルモニたちの申請があります。

おそらく今回が最後の機会だと考えていらっしゃるのかハルモニたちみんな“今度は行かなきゃ、行きたい”とおっしゃります。

③ 世界日報の記者の取材は今日も継続しました。最後の仕上げをしているようです。おそらく明日ぐらいに新聞に掲載されるのか?

④ 西大門区庁、文化財課を訪問して博物館今週のための現状変更申請書を提出し、審議手続きを踏む最初の段階でしたが、暗礁に乗り上げました。西大門区庁でソウル市から確実な土地使用許可書を受けなければならないそうです。ソウル市が私たちに送ってくれた書類は公文で検討していると言う内容になっていました。

再びソウル市と協議して始めなくてはならないようです。イ・ミョンジュ委員長とキム・フィオク所長に報告をし、キム・ドンフィ局長は「私って不幸だわ~」と言う表情をしていました。ソウル市担当者ともう一度、論議を始めなければなりません。

⑤ ボランティアと共にこの間に撮影したビデオを鑑賞しました。

⑥ 女性家族部の体系が以前とは変わりました。この間、権益増進局権益企画課から「慰安婦」被害者たちの生活安定支援法を遂行していましたが、女性部がチーム体系を変えハルモニたちの支援問題が福祉チームに移りました。カン・ジュヘ局長とソン・ヨンミ室長そして私が一緒に女性家族部を訪ね福祉チーム長と「慰安婦」担当者と会いました。

直接会ってこの間、挺対協が一貫して要求してきた内容について説明しました。最も重要な事はハルモニたちに対して福祉事業を円滑にするために政府と地方自治体「慰安婦」事業担当者、市民団体活動家及びボランティアたちのネットワークを作らなければないらない事で、この為にワークショップを行なおうと提案しました。肯定的に検討すると言う回答でした。

この他にも様々な状況に対してお互い意見を共有し、望ましいも方法について論議しました。

⑦ ドイツからメールが届きました、第700回水曜デモはどのように準備しているのか知らせて欲しいと言う内容でした。私たちはすてに来各案を作っているのに・・・早く翻訳して送らなければなりません。

⑧ 女性部に行ったので昼間に出来なかった仕事を夜にしているのですが、キム・ウルレハルモニの娘さんから電話がありました。行かなければならないところがあるので、二週間ぐらいハルモニをウリチプでお世話して欲しいと、ウリチプにいらっしゃるイ・スンドクハルモニの娘さんと親しい間柄とは知りませんでしたが、親しいようでした。お互いに相談して電話をしてきたようです。

一緒に旅行にでも行かれるのか、遠いところに行かれるようです。少し気分を害しました。あなたたちのオモニを私たちに預けてあなたたちは旅行に出かけ、それならウリチプのスタッフは?

そのような方々はおそらく当たり前のように考えているようです。ハルモニたちを考えれば今以上にもっと出来る仕事もあるけれど時には図々しいと思えるその家族、親戚たちが本当に憎らしく思います。

このような時に気持ちを癒すのに一番良い方法は他のことを考えてハルモニだけを考える事です。そうします。

⑨ スタッフたちは席につけば心配します。チェ・ガプスンハルモニが中風にかかり病院に入院しました。80歳をはるかに越えたハルモニは自分が辛くて入院されながらも老いていく息子が心配な様子でした。スタッフたちがハルモニを週末に訪ねなくてはならないようです。

2月10日(金)

① 朝刊の世界日報に記事が掲載されました。

「単独」と言う見出しをつけ、西大門刑務所内に「慰安婦博物館」設立と言う題名をついていました。記事にはソウル市が無償で西大門独立公園内の売店の敷地を提供し、審議の手続きを踏んでいると書いてありました。

ソウル市との間で障害にぶつかっている状態で私は記事が挺対協とソウル市の間にどのような影響を与えるのか気になります。

良い役割を果たしてくれる事を期待してみます。

② ハルモニたちの金剛山人権キャンプの日程がほぼ、確定しました。ハルモニたちも49名も申請しました。去る、2003年に行った時より多くの申請があり事務所では驚いています。

③ 金剛山人権キャンプ期間に金剛山に国際葛藤紛争予防東北アジア会議が同時に開かれます。挺対協も参加しますが、3月2日にその会議にハン・グギョム共同代表と私がハルモニたちと少しお別れをして参席する事にしました。

オープニングに挺対協から英語で10分程度の発言をして欲しいとの提案まで受けています。そのようにしますが、心配です。ハン・グギョム共同代表の英語の発音はドイツなまりなので原稿を読んでも多分、発言が強いです。それでも聞き取れる人はみんな聞き取る事が出来るでしょう?

④ 午後4時に定期総会がありました。21個の会員団体中16団体が参席、4団体が委任で他の時より多くの団体が参席しました。事業報告と事業計画、決算、2006年予算を確定しました。そして、何よりも重要な事は新たに活動する任員が認定を受けました。

共同代表はシン・ヘス、ユン・スンニョ共同代表で、ハン・グギョム(移住女性人権センター代表)新共同代表体制で生存者福祉委員長にチャン・テホ牧師(女性野宿者シェルター代表)国際協力委員長にカン・ヘジョン、対外協力委員長にチェ・ウッスンシスター(韓国女性修道会チャンサン連合会)、教育委員長にハン・ウソプ(女性の電話連合代表)、文化広報委員長にキム・インスク(トンブッ女性民友会代表)、財政委員長にキム・ソンシル(新しい世界を開くチョンジュ教女性共同体代表)、書記にチョ・ユニ(女性教会担任牧師)事務総長にユン・ミヒャンが承認され、監査にチョン・ボヨン牧師とパク・ノスク先生が承認を受けました。

⑤ 週間消息を受け取って読まれたパク・ジョンナム先生から返信メールが来ました。ありがとうございます。そして、臨時収入が50万ウォン入ったので挺対協に後援すると。そして、すぐに通帳に入金されました。どれほど感謝しているか、こんな時には本当に力になります。

⑥ 挺対協のスタップたちは重労働のようです。

この間、水曜デモ・写真展・国際連帯など多くの苦労を重ねてきたアン・ミヒョンさんが体調を崩しました。その上、妊娠しているのに体調が悪いので家で休む事になりました。結局、辞職する他なく私たちは涙を飲んで愛するミニョンさんを家に送り届けました。

そして、新しい活動家を探していますが、難しいです。みなさん挺対協の状況を知っているのか問合せがありません。どなたか挺対協事務所の新しい家族になればその時からたくさんの福を受けるでしょう。こんなに良いチームを私は見たことがありません。

*週末にはパク・ドゥリハルモニ訪問、カン・ファハルモニ訪問、仁川ハン・オクソンハルモニ訪問、ソウルのチェ・ガプスンハルモニ訪問などスタッフたちのハルモニ訪問が続く予定です。

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2006年2月13日 (月)

【挺対協】週間消息④

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息④【1月28日から2月5日】

                           報告:尹美香事務総長

1月28日(土)

① テグからイ・ヨンスハルモニがウリチプに来られました。正月の前日で電車のチケットがないので特別室のチケットでやっと来る事が出来たそうです。

活動的で健康なイ・ヨンスンハルモニは正月を静かにウリチプでハルモニたちと一緒にすごしにウリチプにやってきました。そして、ウリチプのソン・ヨンミ室長を説得してソウル駅の近くにあるサウナに行き、一年の疲れを癒されたようです。

ハルモニは連れ合いの実家に行っている私にも電話をかけてきて自慢げにこうおっしゃった。「羨ましかったらこっちにおいで!」

1月29日(日)

① 正月です。ウリチプでは挺対協事務所のボランティアである在日同胞の女性ヤン・ノジャ、日本の留学生ウエノ・サトシさんがハルモニたちと一緒に正月を過ごす為に訪問しました。

キム・トンフィ局長も家で作った正月料理をハルモニたちにご馳走する為に来ました。

1月30日(月)

① 正月の次の日ソン・ヨンミ室長を除いて私たちはゆっくり休みました。

1月31日(火)

① 3月1日(水)は水曜デモの日でも有り3・1節です。この日、現代アサンからハルモニたちを無料で金剛山観光をさせてくれると言って3・1節記念式と水曜デモを金剛山で行なう事にしました。3月1日から3日間、金剛山で行なわれる人権キャンプにハルモニたちは今から浮かれていました。

一日中、事務所でハルモニたちから金剛山に行くと言う申請を受けていました。ハルモニたちからの電話は現在も続いています。

② アメリカ、ワシントンにあるCentral Washington Universityで開催される“女性と少年たちに加えられた暴力”と言う行事に参加するためにイ・ヨンスハルモニと一緒に仁川空港から出発しました。ウリチプのソン・ヨンミ室長が空港までワゴン車で私たち送ってくれました。

③ 空港からあれこれ韓国料理を食べたい時に必要なものを買い、出国手続きをしたのですが、アメリカへ行く人々は特別に厳しい審査があったんです。気分を害しての出発でしたが、仕方がないと思い今の状況を受け入れようと思いました。

④ 6時30分発の大韓航空の飛行機で出発しました。アメリカが韓国より時間が遅いために私たちが出発したのは夕方なのに、ずっと飛行機の外は夕方でした。そして、シアトル空港に到着すると31日の午前11時でした。出国する時よりも面倒な質問を受け、何事もなく入国審査を終えました。

⑤ 空港に出迎えてくれたセントラルワシントン大学のCenter for Student Empowermentの職員メルさんの歓迎辞を受け、ようやくセントラルワシントン大学に到着して宿舎で荷物をときました。寝室と別に個室があり、浴室も大きく台所も別に準備されていて良かったです。

⑥ 初日は学校行事の担当者たちと実務会議を持ちました。写真展示の方法と式次第などに対しての論議を行い、大学事務所に行き作業を進めました。元々、チケットの準備をしてくれることになっていましたが、講義料として500ドルつづ1000ドル下さいました。

2月1日(水)

① 午前中はハルモニと一緒に今日の夕方に行なわれる行事の準備をしました。ハルモニの証言を時期別に整理して、短い時間で最も効果的にハルモニの経験を聞かせる方法を論議しました。昼食は学校の職員たちと共に韓国人が営む食堂へ行きました。

行事の主催者のひとりであるセントラルワシントン大学のユン・パンスン政治学教授がご馳走して下さいました。イ・ヨンスハルモニはテンジャンチゲ注文されました。

② 午後にも引き続き行事の準備をしました。ユン・パンスン教授が来られ夕方の行事のためにイ・ヨンスンハルモニに簡単なインタビューをされました。

午後7時30分会場に行きました。会場には私が持ってきた写真展示で埋め尽くされとても豪華に展示されていました。学生たちがその写真を一生懸命見ていました。350席準備したようですが、席が足りませんでした。学生・研究者・教授・市民など400余名で会場がいっぱいになりました。

まず、ユン・パンスン教授がイ・ヨンスハルモニと私を紹介して挺対協が製作した“消せない歴史”を20分上映して、私たちが舞台に上がりました。そして、ハルモニの証言が始まりました。通訳はやはりユン・パンスン教授でした。

二時間の行事が行なわれ初めから最後まで400余名は中座する事もありませんでした。証言と運動、現在の課第などに対しての討論がすべて終わる頃、参加者が立ち上がりました。そして、力強い拍手でハルモニを応援しました。

激励と連帯を約束しました。主催者たちも感動したと言う評価がとても嬉しかったです。

【事務所で】

① 事務所では2006年度の定期総会(2月10日)報告書を作るのに忙しかったです。

② 第694回、水曜デモがありました。とても寒く主幹団体もなく、今日に限ってスピーカーの調子も悪く、ただ私だけが苦労しているのではありませんでした。

③ ウリチプのソン・ヨンミ室長がウリチプに以前、住んでいたイ・オックムハルモニを訪問しました。ハルモニはまた、引越ししたくて甥っ子に家を準備して欲しいと頼んだようです。ハルモニはこの間、一所に1年以上住みつづけられないようです。なぜそうなのか胸が痛みます。

④ パク・ドゥリハルモニが他の手術をされました。顔に黄疸が出来て検査を受けると肝臓の下に腫瘍があったのでそれを取り除きました。ハルモニは続けて入院しなければならないようです。

2月2日(木)【ワシントンで】

① 朝に韓国で買ってきた五穀米とラーメン、コチュジャンなどで朝ご飯を作って食べました。

② イ・ヨンスハルモニは疲れているのか食事が終わるやいなや寝室で休みました。午前には学校職員がキャンパス見学を準備していましたが行けませんでした。宿所に訪ねてきた職員にハルモニが休まなければならないと伝えて見送りました。

③ 夕食はタイ料理の店で少し特別に食べました。

④ 午後7時、学生たちについて出かけました。小グループが準備した場所でもう少し詳細な質問を受けて、討論をしました。

【事務所で】

① 戦争を女性人権博物館建立と関係して博物館担当のキム。トンフィ局長が西大門区文化財課を訪問しました。西大門独立公園が予定地である博物館を建立するために私たちが守らなくてはならない行政手続きに対しての質問を受けました。

2月3日(金)アメリカから出発する前日です。

① 午前に今日は学校見学でもしようとキャンパス見学をしたいと言うと私たちに韓国留学生がついてくれました。そして、あちこち見学しました。学校の建物の大部分が何百年にもなる建物で外壁はそのままに内部だけリフォームしたとの事でした。古い建物を壊して新しく高い高い建物を建てる韓国の学校とは大きな差がありました。

② 昼食は時間が充分になくピザハットでビザとサラダを食べました。

③ 午後2時女性政治学講義の時間に私たちは講師をしました。ハルモニの証言と運動に対する私の報告、アメリカ社会に望む提案、アメリカの学生たちが出来る事などに対して熱のこもった討論になりました。一時間では時間が足りないと感じました。

④ ようやく、すべての日程が終り夕食時間を気を楽にしてステーキが美味しい店でステーキと魚料理を食べました。そして、ユン・パンスン教授がプレゼントを下さり女性学関連の英語の本を一箱持ってこられました。20冊が残りました。

【事務所で】

① 仁川で住んでいるハン・オクソンハルモニが入院をされましたが結局、病院に移りました。ところが、その病院が市やカトリックが運営しているのではなく個人運営のためか安全的な空間ではないと感じました。それで、事務所からカン・ジュヘ局長がソン・ヨンミ室長と一緒にハン・オクソンハルモニがいる病院を訪ねました。私たちは他の病院にハルモニが移す事にしました。

2月4月(土)

① 雨の降る朝に、学校職員メルの車に乗ってシアトルを後にしソウルへ

2月5日(日)午後6時でした

① 空港には懐かしい顔、ウリチプソン・ヨンミ室長が迎えてきてくれました。車に乗って仁川空港の高速道路を走っている間パク・ドゥリハルモニの娘さんと電話をしてハルモニが手術後、とても早い回復を見せていると言う嬉しい知らせを聞きました。そして、ハルモニが娘さんやお孫さんたちに一緒に水曜デモに行こうと言ったとそうです。パク・ドゥリハルモニの生命力はとても尊敬します。約30分ほど電話をしました。最近、娘さんは喜んでいるようです。久しぶりにオンマ(お母さん)に親孝行をしていると言う思いがそのようにさせているようです。やはり人は自身の役割が認められ尊敬を受けた時、その状況を受け入れられるようです。

② 事務所ではカン・ジュヘ局長が土曜日の夜に徹夜したようです。私が戻ってくる前に報告書をすべて作成しようとして、そんなに遅くまで事務所を守っていました。

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2006年2月12日 (日)

【挺対協】週間消息③

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の 週間消息③(1月23日~28日)

1月23日(月)

① シントンのユン・パンスン教授から連絡がきました。Central Washington Universityから航空券を大韓航空に変えてハルモニが気持ちよく来られるように準備したとのことでした。少し申しわけなく思うけれど当然そうでなければならないと思います。

② 0時30分に事務所会議がありました。第693回水曜デモの準備と2006年水曜デモを新しい形態にするため企画会議を持ちイム・ジヨンさんが担当する事になりました。

③ カンウォンドのチュンチョン大学であった全教組、正しい教育実践大会に教育教材“消せない記憶”と教育CD-ROM“日本軍「慰安婦」に名誉と正義を”の広報と販売に向かったチョ・ジョンフンボランティアが荷物をいっぱい抱えて事務所に来ました。苦労をしたのか顔色が良くありませんでした。

④ ファン・グムジュハルモニが事務所に来ました。灰色のベストをひとつ買って来られ私を見て着なさいと言われました。着てみると服が大きく静電気がとても強くアレルギーがある私には合わない服でした。それでもハルモニが買ってきてくれたので「ハルモニ、ありがとう」と言いました。黄錦周ハルモニは最近このように事務所に何かしたいようです。しかし、それは私たちにとって実用的でない物なのでハルモニのお金だけが浪費される結果となります。でも、ありがとうございます。

ファン・グムジュハルモニはイ・ヨンスハルモニがアメリカに行って来たのか、それともいつ行くのかが気になる様子で何度も聞いてきます。「行ってきたのか?」答えても答えてもまた聞かれるので少し、めんどうになったので「はい、行ってきました」と答えました。申し訳ありません。後の報告で知ることになるでしょう。尹事務総長がハルモニを騙したと・・・ホホホ。そしてまた聞かれます「私はいつアメリカに行くの?」「ハルモニまだ、どうなるか分かりません・・・また決まったら話します」このように話しましたが、眠れないようでした。

⑤ 沖縄と大阪で撮った写真を整理しました。

⑥ 2006年定期総会(代表者会議)を控えてアレコレ準備する事が多かったです。総会準備のためにソウル大チャン・ジョンソン教授と長時間電話で話しました。教育委員長を女性民友会から推薦を受ける事にした政策委員会の決定に従って女性民友会に電話して公文書の受付を確認しました。

去る1年間で行なった事務所の活動報告を総会報告様式に従って整理しました。

⑦ 現代アサンから観光企画チーム担当者が事務所を訪問しました。来る3・1節にハルモニと金剛山で記念式をするためです。その事について論議して準備しました。地方にも連絡してハルモニたちにも連絡をとり始めました。

⑧ テグのある女性が正月を迎えるにあたりハルモニたちに召し上がって欲しいとお菓子を贈ってくださいました。昨年のバレンタインデーの時にもハルモニに手紙と一緒にアメを送ってくださり私たちみんなを感動させてくれた方でした。感謝の電話をしました。私たちとても感動しましたと・・・

1月24日(火)

① 27日から29日まで日本の熊本を訪問して教師300名に証言と歴史、挺対協の運動についての話をするために仁川チャン・ジョンドルハルモニとカン・ヘジョン国際協力委員長が発ちました。その行事のためにカン・ジュヘ局長が写真展示会の準備、資料の準備などで忙しかったです。

② 第693回水曜デモの主幹団体である韓国女性の電話連合会から声明書を送ってきました。

③ 午前にパク・ドゥリハルモニの娘さんから電話がありました。今日、アニャンメトロ病院に行くと。日曜にハルモニの訪ねた時に院長に会えなかったのでもう一度行くと言われました。病院に行ってハルモニのおそへの横にある小さなコブをどうすれば良いのか相談すると言われました。

最近、パク・ドゥリハルモニの娘さんが大変なようです。娘さんがハルモニのお世話をすると決めたので安心していたのだが、初めからこのような大変なことを責任持ってすることに心配が絶えない様子です。それで私と電話を通じて癒されたいようです。パク・ドゥリハルモニが好きなお孫さんミギョンと一緒に行ったようでハルモニがとても笑って喜ばれたそうです。そして、本当に初めてハルモニの下のお世話をしておしりをきれいに拭いておしりを叩いたりもしたと・・・

ハルモニが笑って喜ばれたようです。幸せだっただろうと思いました。パク。ドゥリハルモニの娘さんは病院から戻ったらまだ電話すると言って電話を切りました。

④ イ・ヨンスハルモニが電話をくれました。イ・ヨンスハルモニはいつも携帯で電話をかけてベルを一度鳴らしてすぐに切ります。電話がかかるので、それで当然私が電話をしてくれると信じているためでしょう。

ハルモニはワシントンに私と31日に発って2月4日に帰ってきます。その為にソウル行きのチケットを29日で予約したと報告して下さいました。旧正月なのでチケットの予約が大変だったでしょうにさすがハルモニは有能で若いです。

⑤ キム・ドンフィ局長は博物館建立事業のために朝7時30分にヤンジェ駅からミョンチ大イ・ミョンジュ教授(博物館共同建立推進委員長)とキム・フィオク所長と会いデジョン文化財庁を訪問して担当者と会い第一次設計図案を見せ諮問を受けました。そして、午後7時30分頃事務所に戻ってきました。

⑥ カン・ジュヘ局長が耐えられなかったようです。結局、ほうきを持ち事務所の床を掃き始めました。窓を開けてあちこちゴミを整理して資料を整理して・・・今月は政策企画局が事務所管理をする事になっていたのですが、出来ずに事業局カン・ジュヘ局長が進み出たのです。政策企画局は誰だ?

⑦ ヤン・ノジャ(在日同胞・京都・在日韓国民主女性会会員)ボランティアが1年あまり挺対協事務所で日本関係のボランティアをしてくれました。今日は朝から出勤して日本側の名簿と住所を整理しました。ソンゴンフェ大に編入しようと申請しているがうまくいけば良いと思っています。今後韓日市民団体の交流のために良い役割をする女性です。

⑧ キム・ガンウォン弁護士が正月を控えて事務所にとても大きく美味しそうなりんご1箱送ってくれました。ソベッサンのりんごで見ごたえも有り美味しそうなので食べてみるとウワ~本当に美味しかったです。味が蜂蜜のようでした。「わ~、正月を実感しました」正月になると私たちの気持ちがどうしてさらに寂しくなるのか分かりません。

キム・ガンウォン弁護士はシム・ミジャハルモニが挺対協を相手に水曜デモ禁止及び募金活動中止の仮処分申請訴訟を出したことに対して無料弁護を引き受けて下さいました。1,2審ですべての棄却になりましたがシム・ミジャハルモニ側では上告まで考えているようですがまだ、決定していないようです。色々、本当にありがとうございます。

挺対協は現在裁判が二つ抱えています。もう一つは軍事評論家チ・マノンさんを相手にハルモニたちとナヌムの家、市民団体などが訴えた名誉毀損の刑事・民事訴訟です。この訴訟はチョン・ヨンスン弁護士が引き受けてくれています。挺対協の法律専門委員です。

⑨ 27日、正月休みの前日までも挺対協の事務所は夜遅くまで明りが点いていました。大阪の韓統連から日本人たちを対象に韓国平和研修を始めたんですが27日、日本のNTT労組会員たちが午後6時に事務所を訪問して挺対協活動家たちと交流会を持ちたいとの申し出があり、大阪韓統連キム・チャンオ事務局長が電話をくれました。参加者たちは若い方々のようです。

⑩ パク・ドゥリハルモニの娘さんが再び電話をくれました。おへその手術をしなければならないのか検査が必要なのだがこれは保険が利かないようです。おへその手術が二度目です。アニャンメトロ病院でなぜ保険が利かないか分かりません。整形でもないのに・・・それで検査するにも保険が利かないと言います。もし、手術をしなくてもよければ一ヵ月後にでも娘さんの家に退院させると言いました。もう一度、ハルモニのお世話をすることなればよくお世話をして下さいとお願いしました。私もまめに会いに行くと話しました。

⑪ 夜9時、現在まで日本とアメリカに持っていく写真展示用の資料準備などで急がしいです。

1月25日(水)

① 第693回水曜デモは韓国女性の電話連合で主幹しました。韓国女性の転化連合のパク・ヨンミ代表も参加されました。ファン・グムジュハルモニ、キル・ウォノク、イ・スンドクハルモニが参加され、最近はナヌムの家のハルモニたちが来られない日があります。

コングッ大総女子学生会も参加され、スンシル大学の学生たち、全国証券事業労組からも参加されカリタス修道女会の修道女の方も可愛い蝶のピケを作ってスローガンを作って来られました。

② 2006年度女性部共同協力事業にプロジェクトの申請書を提出しました。タイトルは“Stop!女性暴力!Yes日本軍性奴隷被害者たちに正義を”博物館建立を準備しながら資料収集と資料をデータベース化した内容を中心に申請しました。必ず必要な事業なのでうまくいけば嬉しいです。

③ 2006年度ソウル市女性基金支援プロジェクトに選定された「戦争と女性人権センター」の月例セミナー事業“戦争と女性”事業に対して詳細な計画を提出しました。今年のセンター事業もうまくいきそうです。

④ パク・ドゥリハルモニの娘さんから電話が来ました。病院に行ってきたが正月を過ぎればハルモニは退院しても良いようです。それでハルモニをまず娘さんの家に退院して足の親指が腐っている事は2,3ヶ月見守った後でひどいようであればその時に病院に入院して手術をしようと言う事になったと伝えてくれました。

⑤ ウリチプに漢方医のユン・ヨンシク先生がハルモニたちの健康治療車で訪問されました。水曜日ごとにウリチプに訪問され健康管理をしてくれている方です。

1月26日(木)

① 正月を控えていることが実感出来ました。イ・ミギョン指導委員とチ・ウニ指導委員からミカン、梨など果物を送ってくださいました。事務所に果物箱を広げておきハルモニたちと一緒に食べています。ありがとうございます。

② スタッフたちが「あ~、肩が、首が、頭が」と言う声がウリチプにボランティアで来て下さるユン・ヨンシク先生に届いたようです。ユン・ヨンシク先生が事務所まで来られスタッフたちの肩も揉んで下さり、脊髄と骨盤が歪んでいるキム・ドンフィ局長の脊髄もすぐに揉んで下さり、針も打ってくれました。私も右足が抜けて少し長いので治療を受けました。共通点!みんないずれにせよ良くありません。私たちスタッフが今年も健康でこそ仕事もよく出来るのに・・・心配です。

③ 夜の9時まで総会の準備ため実行委員会資料を準備しようと忙しかったです。2005年事業総評、2006年事業計画を作成しました。

1月27日(金)

① 朝、8時30分からカン・ジュヘ局長は事務所と教育館を掃除するのに汗を流していました。お陰で事務所と教育館が綺麗になりました。今日も掃除は企画局が始めたのではなく事業局が始めてしまいました。

② 昨日、完成しなかった2005年事業評価と新年事業計画を仕上げました。

③ チャン・ジョムドルハルモニとカン・ヘジョン国際協力委員長は熊本で開かれた教師たちの冬のセミナーに参加し、証言と講演をするために発ちました。イム・ジヨンさんがハルモニを空港まで付き添いました。

④ 10時30分から1時30分まで総会準備実行委員会がありました。ユン・スンニョ、カン・グギョム、チョン・テホ、ハン・ウソプ、キム・ソンシル、ユン・ミヒャン委員が参加しユン・スンニョ共同代表が司会を務めました。信任・任員・人選・事業総評・事業計画・予算案を審議しました。

⑤ 3月1日(水)ハルモニたちは現代アサンの後援を受け金剛山で3・1記念式及び第698回水曜デモを行ないます。元々、祝日には水曜デモを行なわないのですが今回は3月1日が水曜なので金剛山で記念式を兼ねてすることにしました。現在、申請受付がいっぱいです。ハルモニたちの日程は観光コースも別途に指定して大半を車両で移動可能な場所にする予定です。

⑥ 正月を控えてハルモニたちに正月の挨拶を電話で行ないました。ハルモニたちは逆に“たくさんの福を受けなさい”(日本の挨拶は:明けましておめでとう)と言って私たちの福を祈って下さいました。

⑦ 挺対協の事務所は正月休みの雰囲気を出す事が出来ませんでした。午前には実行委員会、夕方6時から8時30分まで大阪から韓統連主催で行なわれた2回目の韓国平和研修団15名を事務所に迎えるために今、待っているところです。今回の平和研修の参加者はNTT労組たちだと言います。キル・ウォノクハルモニも一緒に事務所で訪問する方々を待っています。

*正月にウリチプにソウルで一人暮らしをしているハルモニたちが一同に集まって過ごします。ソン・ヨンミ室長はハルモニたちと正月を過ごす為に田舎に帰る事も次の機会にされました。正月の挨拶に来られる方は予め電話して下さい。トックなどで歓迎します。

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2006年2月 8日 (水)

【挺対協】週間消息②

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息②【116日~22日】

                       報告:尹美香事務総長

1月16日(月)

1. コ・エシンさんが宣教師として4月19日にドイツ改新教団体であるEMWからグループリーダーなど12名の方が事務所を訪問され、水曜デモに参加すると連絡がありました。パク・ヨン牧師が引率して来られるようです。パク牧師は宣教使役を終えていつの間にかドイツに帰られたんですね。

2. 10時30分に事務所会議をしました。週間活動を点検しましたが、今週の水曜日は主幹団体がないので心配しました。仕方なく事務所が主幹しました。

3. 一日中事務所は火曜日にある会計監査の準備の為に忙しく過ごしました。政府点検と入出金決議書点検、プロジェクト報告書点検、通帳点検、など一年の評価を受けるために奔走しました。最後に印刷物まですべて出して、監査準備を叫んだのは夜の11時でした。

4. 午前に国民銀行女子プロバスケチームの事務局長が事務所を訪問されました。そして夕方6時30分頃、国民銀行の副頭取、本部長、事務局長が事務所を訪問され博物館後援金1300万ウォンを伝達して下さり、昨年の夏のリーグ戦で国民銀行が寄付の約束を行なったもののその約束を守れなかった事に対して謝罪の言葉が伝達されました。そして、1000万ウォンは国民銀行から、300万ウォンは頭取・副頭取・本部長の3名が100万ウォンづつ集めて下さいました。ありがとうございます。

1月17日(火)

1. 10時30分から午後2時30分まで会計監査がありました。チョン・ボヨン前韓国キリスト教ブレスビテリアン女性信徒全国連合会総務(現教会女性研究所代表)とパク・ノスクキリスト教女民会代表が監査でした。監査をされた後、お二人の監査から今年は挺対協のスタッフが本当に努力をしたとし、昨年より監査するのがはるかに簡単だったと話され「お疲れ様」と言う言葉まで頂きました。本当に気分が良かったです。

2. 監査のために2時から教科書運動本部の事務所であった国際連帯協議会韓国委員会の会議に参加出来ませんでした。

3. 午後3時30分にインサドンに少し出かけてきました。金曜日から日曜日まで沖縄と大阪平和団体とスタッフの交流の及び研修プログラムがあるのでプレゼントを買う為に行ってきました。

4. 監査も終り、スタッフたちの心も軽くなったのでウリチプのソン・ヨンミ室長も一緒に本当に久しぶりに事務所の会食をしました。おそらく監査たちの賞賛を受けてスタッフたちみんな気分が良かったです。

1月18日(水)

1. 9時30分アニャンメトロ病院のパク・ドゥリハルモニの訪問をしました。1時間30分の間ハルモニにあんまを施し、付添いの方たちと言葉を交わし11時頃ハルモニに水曜デモに出かけると行って病院を後のしました。今日はハルモニが朝食もほとんど召し上がらないで何を話されているのか聞き取るのに大変なほど発音が不正確でした。足の親指の腐敗する速度が速いと感じて心配になりました。いつかは親指の切断手術をしなければならないようだ。

2. 12時、日本大使館前で692回目の水曜デモが挺対協の主幹で進行しました。新年になって水曜デモ主幹団体の申請がほとんどないので心配です。教会・カトリック・団体・学校などの申請を待っています。

3. 国民銀行から寄付された博物館への基金を通帳に入金しようと銀行に行ったキム・トンフィ局長が嬉しい悲鳴を上げました。SKで昨年キャンペーンを行なった結果の金額950余万のカンパを通帳に入金して下さったと言うのです。本当に良い日です。ありがとうございます。さあ、戦争と女性人権博物館が建設されハルモニたちの歴史を通じて後世に平和と人権を伝える事が出きれば嬉しいです。

4. 韓国語の消息誌38号がついに印刷所から到着して郵送作業を終えました。そして韓国に830部、日本に300部を発送しました。

5. 1月18日、水曜デモを終え午後2時から5時までテグのイ・ヨンスハルモニが事務所に来られて1月31日から2月4日までアメリカのシアトルの大学で行なわれる大学での証言集会の準備をしました。イ・ヨンスハルモニの証言ビデオを一緒にもう一度見て、意見交換をしました。ハルモニは幼い時の記憶をつい何日が前の話のようにはっきりと話してくださいました。夜学で習った歌と踊りを舞いながら・・・そして、ハルモニに何度もウリチプで一晩泊まって休んで下さいと声をかけたが、遠慮してテグに変えられました。

1月19日(木)

1. ほとんど12年ぶりの連絡だと思ったのですがCBS記者だったイ・ウォンシク記者から連絡がきました。私が挺対協で活動し始めた時に会い、1993年イ・ウォンシク記者が検察庁に出入りする時に私を個人的にも助けてもらったのですが、今は記者を辞められて同じ記者だったパク・キョハク記者と一緒にビアホールをしているようです。自家製ビールが美味しい店だと噂になっている店です。名前は「オクトボ ペスト」と言います。リハビリセンタープルメ財団が運営している所でカンナムとチョンガクの二箇所にあるそうです。そこで一月に一度は水曜にチョンガクでハルモニたち約20名のランチしなさいとすごい提案を下さいました。まず、私が行ってみてからすぐに次の月からその場所で食事をとる事ができれば嬉しいです。

2. シアトルの大学にイ・ヨンスハルモニと私が一緒に行く事にしました。チケットは主催者側で準備してくれましたが経済的な問題を通りこして高齢のハルモニの事や健康状態をあまりにも無視した内容だったので抗議しました。

3. 19日から22日までスタッフたちは社会福祉共同募金会の市民団体スタッフたちのプロジェクトで沖縄と大阪を訪問するプログラムが進行しています。タイトルは「戦争を乗り越え、平和への連帯を!」それで午後4時に事務所から出発して仁川空港に午後7時30分の飛行機で沖縄に出発しました。

4. 夜9時40分頃、沖縄空港に到着し沖縄平和会の会員たちと軍隊に反対し阻止する行動をしている女性会の会員たちが歓迎の横断幕持って空港で足を運び私たちスタッフたちを歓迎して下さいました。東京からヤン・チンジャさんも到着していました。私たちの一行は準備されたワゴン車に乗って宿所であるキリスト教センターに移動しました。

5. 東京のヤン・チンジャさんから日本でこの間、集めた博物館のカンパ58万円の伝達を受けました。ヤン・チンジャさんは挺対協の「戦争と女性人権博物館」日本代表です。

1月20日(金)

1. 朝7時に起床して7時30分に朝ご飯、8時に宿所を出発。宜野湾嘉数高台公園を訪問しました。そこから普天間米軍基地を見ることができ、少し前に米軍ヘリが墜落した国際大学にも行きました。また、あちらこちらに第二次世界大戦の傷跡が残っていました。

2. 故ペ・ポンギハルモニが住んでいた家、今はサトウキビだけが残っている所に行きました。その場所でハルモニの生活に思いを馳せてみました。ペ・ポンギハルモニと沖縄に連れてこられた女性たちの生活をもっと学ぶために渡嘉敷島を訪問しなければならないが、今回は時間がなくて残念でした。次回の計画をまた立てなければなりません。

3. ひめゆり資料館と韓国人慰霊塔を訪問しました。韓国人慰霊塔は1975年建立されましたが、“朝鮮人”ではなく“韓国人”と言う名称が書いてあり親日派の詩人であるイ・ウンサンさんが書いた詩が追悼碑にありまた、追悼碑の横に朴正煕と言う名前がとても大きく彫られていました。恥ずかしかったです。私たちが新しい歴史を歪曲していると言う思いがしました。

4. 基地と軍隊を反対し阻止する行動をする女性会の事務所を訪問し、そこでペ・ポンギハルモニを76年から91年に亡くなるまでお世話をされたキム・ヒョノク先生(この方は総連の方です)からペ・ポンギハルモニの解放後の生活について証言を聞きました。安心しましたキム・ヒョノク先生がハルモニの最後を少しでも寂しくないようにして下さったのですから。

5. 沖縄平和団体たちと交流会を持ちました。行動する女性会と沖縄平和会、米軍基地を反対する運動を通じて韓国と沖縄民衆連帯を目指す会、恨の碑建立委員会と共にしました。

1月21日(土)

1. 朝8時30時に沖縄から大阪行きの飛行機にのりました。

2. 大阪空港に降りると“ハナの会”の田中さんと“在日韓国民主女性会”の方清子さんが迎えにきてくれました。スカイライナーに乗って人権センターにすぐに行きそこで部落解放運動をして来られた被差別部会の方たちと挺対協のスタッフたちとの交流会を準備された実行委の方々と共に挨拶をし、博物館を見学しました。そして昼食をとりながら交流会を持ちました。博物館の後援金を受け取りました。

3. 午後3時30分に大阪集会がありました。“消せない記憶”挺対協のビデオを上映。挺対協スタッフ紹介と挨拶。尹美香事務総長の講演、方清子さんの報告、日本の各団体活動報告がありました。特にハナの会が準備した教科書歪曲に関する演劇はリアルでした。特に富永さんと寺内さんのコミカルな演技は参加者たちの笑いを誘いました。

4. 集会は5時30分に終り、50名が参加した交流会がありました。続けて博物館の後援金を受け取りました。

1月22日(日)

1. 午前9時、宿所から在日韓国民主女性会の事務所に向かいました。そこで女性会の会員たちが心のこもったトックと果物を準備してくださり、お茶を飲みながら交流会を持ち民族愛の情を分かち合いました。本当に会っても会ってもまた会いたくなる人たちです。

2. ハナの会の井口さん、ハナの会の会員でありながら韓統連に所属している方清子さんの連れ合いのチョウ・チャンシクさん、女性会のシン・スンジャ先生の車に分乗して大阪城を訪問し、そこで戦争の痕跡を勉強しました。在日韓国青年同盟の金麻紀さんが大阪城について詳しい歴史を説明してくれました。

3. ドイツレストランで昼食を共にした後、熱い抱擁を交わしました。涙が出ました。日本で本当に厳しい活動をしている在日同胞たちの恨が深く伝わってきました。私たち民族は数奇な運命です。

4. 仁川空港に夜9時30分に到着・・・また力強い明日、月曜日が待っています。

 

原文はコチラ・・・

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=571

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2006年1月26日 (木)

【挺対協】週間消息①

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息①【13日~14日】

                                             報告:尹美香事務総長

2006年新年が明けました。新年を迎えて私が個人的に挺対協の事務所での些細な出来事を日誌のように伝えようと計画を立ててみました。水原の市民新聞の代表が毎週各地方の人々にこのように消息をメールで送ることが良いと思いました。そこで私も一度それに従ってやってみることにしました。しかし、三日坊主どころか一度も手がつけられずもう一月も中旬に入りました。けれど今日から行なおうと思います。

13日午前11時に挺対協事務所の始業式を持ちました。挺対協事務所の常勤活動家たちとボランティアの金ウンギョンさんが参加しました。始業式の中で2006年通じて各自が達成目標などを分かち合い激励しました。そして、力強く2006年挺対協活動を始めました。

13日、午前1130分に事務所会議を持ちました。水曜デモを含み主幹活動を点検し、論議しました。

14日、水曜12時に第690回目の水曜デモを開催しました。新年最初の水曜デモであり、199218日に第一回目の水曜デモを始めて14年目を迎えた日でした。この日の水曜デモは太平洋戦争被害者補償推進委員会が主幹し、ハルモニたちはナヌムの家から4名、ウリチブから2名、ソウルのトゥンチョンドンから1名、テグから1名など合わせて8名の方が参加され、韓国女性修道会連合会所属の修道女、冬休みに合わせて参加した中高学生たちなど約70名が参加されました。

14日午後アニャンメトロ病院で約2年間、闘病生活を送っていたナヌムの家のパク・ドゥリハルモニが退院され娘さんの家に移られた。この事で女性家族部の日本軍「慰安婦」被害者支援事業担当者から電話が掛かってきました。それで、パク・ドゥリハルモニの状況にについて詳細を説明します。

パク・ドゥリハルモニは娘さんが一人います。そして、高校2年生と中学生のお孫さんが二人います。ナヌムの家を離れ病院生活を送られて2年余りになるが受入れ先となる適当な所がなく、どの場所がハルモニにとって良い場所なのか娘さんと話し合いました。娘さんは全面的にお願いすると言い、ちょうどスウォン市パジャンドンに仏教でスウォン市から委託運営している養老院を見つけました。施設とプログラムなどがとても良かったです。

ところがこのような話し合いしている最中に誰かが娘さんに電話をしてハルモニの生活費を横取りして放置していると非難したようです。娘さんはとても激怒し泣き喚きながら私に電話をしてきました。結局、話し合いの末に娘さんはお母さんが生きている間に自分で世話をしたいと言いそして、退院すれば家で世話をすると言いました。娘さんの決定は法律的に最も効力があり、また重要なため私たちは従う他ありません。

しかし、最後に娘さんにこのように話しました「私は必ず子が親の面倒を見ることだけが最善ではないと思います。ハルモニが一番気楽に過ごせる所、よく世話ができるところがあればそこで世話する事も良いと思います。だた、子どもは寂しくないようお世話をし、頻繁に顔を見せなければならないでしょう。ハルモニが楽に過ごせて、幸せに過ごせる場所が何処なのか私たちは一緒に話し合うことが出来るし、また地域社会の助けを受ける事も出来ますから」

パク・ドゥリハルモニはまだアニャンメトロ病院で治療を受けなければなりません。足の親指が腐りかけているので親指を切らないといけないのか医者が少し経過を見ようと言いました。そして、おへその横にコブができている事も気になります。

15日、パク・ドゥリハルモニの娘さんから電話がありました。ハルモニの転出申告を終えました。これからパク・ドゥリハルモニはナヌムの家のハルモニではないために挺対協で積極的に助けて欲しいと話されました。喜んでそうすると話、カン・ジュヘ局長の電話番号を伝えました。

16日に事務所の始業式討論のためにMTをしようと計画していたが行けませんでした。スタッフたちはプロジェクト報告書の提出と決算のために討論の準備をしていなかった為です。一日中、スタッフたちはPCのキーボードを叩き、発送作業をするために夜遅くまで事務所の明りが消える事はありませんでした。

19日、日曜日11時から午後3時まで新年の事業計画討論のために会議をしました。

110日、季刊、ファンヘ文化からの要請原稿を送りました。韓国語の消息誌39号を編集しました。118日に発送する予定です。

111日、水曜日691回目の水曜デモを韓国女性民友会の主幹で開催しました。ハルモニはナヌムの家から2名、ウリチブから2名、ソウルから1名、計5名が参加されました。少しずつハルモニたちの参加が減っているのが心配です。ハルモニたちの健康状態が良くないためです。

112日は一日中13日にある総会準備政策企画委員会の準備をしようと事務所は慌しかったです。夜の11時になって業務が終りカン・ジュヘ局長は明け方まで会議の準備の為に苦労しました。

113日、午後3時からソデムン、ハルモニたちの憩いの場“ウリチブ”で総会準備政策企画委員会がありました。シン・ヘス、ユン・スンニョ共同代表、ハン・クギョム政策企画委員長、チョン・テホ生存者福祉委員長、キム・ソンシル教育委員長、ハン・ウソプ文化広報委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長、チョウ・ユニ書記、ユン・ミヒャン事務総長、実務者たちすべてが参加しました。

114日、土曜日11時から1時にケヤキカフェで開かれた民主労働党、女性新年会に参加して激励辞を行い美味しい食事も頂き、良い友人・先輩・後輩たちに会い意見を共有しました。日本語消息誌を発送しました。

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