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2006年5月29日 (月)

ただいまっ!

帰ってきました!韓国から!!

体調が悪く・・・長らく更新がストップしておりました。

私が参加したのは光州平和キャンプです。

キャンプを通じて「人権増進と平和発展のための連帯の場をつくる。」事が目的でした。 主催の5・18財団にアンタッチャブルの山崎似の職員がいて・・・

ついシャッターをきってしまいました。 実物は山崎よりも男前ですよっ!

しかし、討論会での“ウリマル”公用語の“英語”と大変な苦労の末・・・

参加した道庁主催の前夜祭は迫力でした!!!

光州民衆抗争の様子を街中で再現すると言うものでした。

兵士と市民の対峙

投石

催涙弾

本当にタイムスリップしたかのようでした。

写真の方も追ってアップしていきま~す。

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2006年5月15日 (月)

行ってきま~す

さてさて、以前につぶやきましたとおり・・・

韓国へ明日、発ちます。

光州にある5・18財団の招待で、平和キャンプに参加するためです。

何度が代表団と称されるものに参加した事はありますが、

今回が本当に正真正銘の代表団のような気がします。

だって、費用はぜーんぶ5・18財団が支援してくれるんでるもん♪

冗談はさておき・・・

今回の平和キャンプは3日間の日程ですが

明日、韓国に発つ私は途中参加となります。

せっかく恵まれた機会ですので、何か一つでも身につけて帰ってこようと思います。

ではは・・・

*今日、挺対協から週間消息が届きました!

せっかく追いついたと思ったのに・・・(涙)

しかも、次回のは量が多かった・・・・帰ってきたら頑張ります*^^*

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【挺対協】週間消息⑰

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑰【5月1日~7日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

5月1日(月)

① 今日、事務所は労働者の日に合わせて休みました。

② 挺対協の健康治療を引き受けて下さっているユン・ヨンソク先生が事務所にまで来られてユン・ミヒャン事務総長とキム・ドンフィ局長の治療をして下さいました。

ユン・ミヒャン事務総長は今日に限って体がひどく腫れて目を開けることが辛かったのですが、治療の結果心臓が弱っているので針治療を受けました。目の上の腫れも治まり体も楽になりました。

③ 先週、訪問された1935年生まれのハルモニがまた来られました。今日は少し腹が立ちましたが、我慢しました。

静かに差し迫った仕事をしようと事務所の扉を閉めたままで一人でいると扉を開けて入ってこられました。それでも怒る事も出来なくて・・・申し訳ありませんが忙しいので30分だけしか時間がありませんと、予め話を切り出しました。今日も変わりない話をされて帰られました。

④ キョンボクのチョンウプのチン・ファスンハルモニが電話を下さいました。「おーい、ユン・ミヒャン所長かい?私よ、わたし~」はい、ハルモニお元気そうで。と答えると「アイゴ、声を聞いただけでもすぐに分かるのね。みんな元気かい?」尽きる事のない報告をし合いました。

私は足が痛くて歩けないよ。這っているよ・・・一度、おいで。他の所?いいや、嫌だ。ここが良い。みんなおかずを作って来てくれるから大丈夫。そのようにしてハルモニと30分ほど会話が続きました。

⑤ チェ・ガプスンハルモニが倒れえて腰を痛めたと連絡が来ました。それでカン・ジュヘ局長が明日の朝、出勤前にウリチプにお連れする事にしました。

5月2日(火)

① 5月、家庭の月が本格的に始まりましたが、ハルモニたちの消息があちこちから飛び込んできました。良い知らせもあり、心配な知らせもありました。

② 朝から奔走しました。チェ・ガプスンハルモニを訪問したカン・ジュヘ局長が電話をかけてきて「ハルモニをお連れしてウリチプに向かっています」と。ところが、ウリチプによる事もなくすぐに病院に行かれました。ウリチプにいる状態ではありませんでした。

カン・ジュヘ局長の車にのってカンブクサムソン病院の応急室に行きレントゲンを撮りましたが、その病院では入院が出来ず入院が出来る病院をあちこち電話で確認して、幸いにも関節・神経が専門のセラン病院が入院可能と言うのでそこにハルモニを移して入院手続きを行い、MRI検査も受け付添いを探して・・・MRIはどうして医療保険が利かないのか36万ウォンもしました。カン・ジュヘ局長は夜の9時までずっと付き添っていました。

③ 仁川地方の在宅ボランティアをしているユン・サムソンさんからムン・ブジョンハルモニを訪問した日誌が届きました。レースをあしらった少し派手な下着を買ってソンガ養老院を訪問するとハルモニは受け取って手を叩いて喜ばれたそうです。

④ ソウル市に博物館建立と関連して都市公園委員会の審議手続き推進のための公文を手続きしてから、8月末に博物館建立基金を準備するためのボジャイノ・モノローグ公演開催予定場所であるイファ女子大学の大講堂を利用と関連してイファ女子大の総務事務所に行って来ました。

5月3日(水)

① 今日は日本の平和憲法が制定された日です。

憲法記念日にあわせて日本政府が戦争をしないように制約をした憲法9条を日本政府の主導で改悪しようと言う動きがあるのでこの日、糾弾する共同声明書を出しました。

参与連帯、平和博物館、平和をつくる女性会、民主会のための弁護士の会、挺対協などが共に参加し、声明書は「平和憲法は東北アジアの平和人権共同体の土台である」としました。

② 今日は第707回水曜デモの日でした。水曜デモの主幹は平和を作る女性会で行い、対日行動ネットワーク所属団体たちが平和を作る女性会、大学生など約80名が参加しました。キム・スギム平和女性会代表の挨拶から参加者たちの発言、大部分が憲法9条改悪の動きと日米同盟体制、日本の軍国主義計画についての糾弾などでした。

③ 午後3時に挺対協教育館でキョンフィ大の学生たちを対象とした教育がありました。

④ 午後4時に事務所会議がありました。5月4日に戦争と女性人権センター月例セミナーの準備、5日に子どもの日の行事の準備、8日に両親の日の準備、10日に両親の日の水曜デモの準備などについて論議しました。

5月4日(木)

① 韓国労総の事務所で民主労総国際部長、韓国労総の国際部長、挺対協事務総長が会い、6月のILO総会と10月のアジア太平洋地域総会の準備のための会議を持ちました。論議に先立って韓国労総のカン・チュンホ局長と民主老荘のイ・チャングン部長のこの間の経過報告を聞きました。

まず、オランダ労総と会った結果をカン・チュンホ局長が報告されたのですが2006年ILO基準適用委員会の専門家委員会報告書で「慰安婦」問題が扱われない事についての怒りと共にこれからはオランダ労総がオランダ「慰安婦」被害者事例を持って直接基準適用委員会に報告書を持ち込むと言いました。

日程は6月の総会が終わった後、提訴する事にしました。Amnesty International報告書、国際活動決議文、要求書などを送る事にしました。決まって良かったです。いつも韓日間だけの問題として見えてしまうようで良くないのですが・・・

また他の意見は基準適用委員会(労・使・公三者で成立つ)次元でなく労働者グループ次元で推進するように活動する事とした。これを今度の総会で努力するとした。イ・チャングン部長は国際自由労連(ICFTU)会議で扱っている活動について報告をしてくれました。アジア太平洋総会と関連した韓国市民団体側の活動について予め予測したと言います。

今後の計画を推進するために役割分担をしました。

1) 6月の総会は両労がオランダ労総と共に積極的な活動を行い、

2) 10月のアジア太平洋地域総会は-場外記者会見、集会、キャンペーンなどは挺対協が主導的に組織、推進するが、

団体動員などについては両労が非公式的に支援する。日本団体とアジア被害国団体、被害者たちが共に参加するように積極的に活動する。

-場外では両労総が積極的な活動を通じて場外活動について知らせる。

-場外で日本軍「慰安婦」関連写真展示が出来るのか労働者グループに同意を求める問題を両労組が推進する。

② 戦争と女性人権センターで今年に入って主催している三回目の月例セミナーが開かれました。一回目は「歴史の中の戦争、戦争の中の女性」と言う全体セミナーのテーマを要りか出来るように女性と平和をテーマとしてキム・エリさんが、二回目のセミナーは日帝の女性動員、日本軍「慰安婦」問題についてパク・ジョンエさんが講義を行い、今日の三回目セミナーは「韓国戦争と女性」と言うテーマでキム・ギィオクさん(ハンソン大学教授)が講義してくれました。今日も20数名が参加しました。

5月5日(金)

子どもの日は休日です。しかし・・・私たちは子どもたちと一緒に過ごしました。

① 午前10時からアニャン中央公園でアニャン全教祖と市民団体たちがともにする第13回アニャン子どもの日フェスティバルに挺対協が一緒に参加しました。

会場の本部席前に別途のブースを設置して韓国政府にハガキ送りキャンペーンと「私も夢多き少女時代に戻りたいです」と言うテーマで展示会と体験活動を行いました。キョンイン教大の学生たちがボランティアをしましたが、たくさんの子どもたちが注意深く展示した内容を読み、クイズも解き、ハガキも書くように積極的に活動をしてくれました。博物館建立基金が集うも行いました。

事務所から総出動だったのですがウリチプのハルモニたちも一緒に同行しました。キャンペーンの場を準備して下さったアニャン市民団体に感謝申し上げます。

5月6日(土)

① 挺対協の教育館に仁川プフン高校の学生12名が来て教育を受けて帰りました。

5月7日(日)

① 仁川の在宅ボランティアであるユン・サムソンさんが両親の日を目前にしてプチョンのムン・ブジョンハルモニがいらっしゃるソンガ養老院を訪問しました。美味しい刺身を買っていって一緒に美味しく食べたそうです。

* 来週の日程

1. 5月8日、ハルモニたちと一緒に両親の日の食事会-ウリチプ

2. 5月9日、カナダのマスコミとのインタビュー、反靖国共同共同代表団会議

3. 5月10日、両親の日特別水曜デモ

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2006年5月14日 (日)

【挺対協】週間消息⑯

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑯【4月25日~30日】

                     報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月25日(火)

① ソウル市を訪問して博物館の建立と関連した今後の行政的な手続きをどのように推進すれば良いのかについて会議をしました。ソウル市土地公園委員会の審議手続きが残っているが、これからの行政的な手続きを無事に終えられるように協力関係を良好に維持しなければなりません。

② イ・ヘジョン女性文化芸術会の理事長とシン・ヘス共同代表、ユン・ミヒャン事務総長、キム・ドンフィ局長、チャン・ボギョンさんと教育館で8月31日午後7時、イファ女子大学の大講堂で行う博物館建立基金を準備するためのポジャイノ・モノローグ公演と関連した会議を持ちました。

この公演の為にはアメリカで作家であるイブ・エンスラーとV-Day担当者たちが来て映画俳優でもあるポンダが来る予定です。韓国からも6名ほどの俳優が参加する予定です。公演企画、演出、チケット販売、俳優交渉、企業協賛交渉、後援金、募金など仕事が多いです。

③ ファン・グムジュハルモニがウリチプに来られました。ところがウリチプはいつもの雰囲気と違います。

ファン・グムジュハルモニは急にイ・スンドクハルモニに「娘を自分で産んだの?」と、尋ねました。「いいえ、ハラボジの子ども・・・」イ・スンドクハルモニはそう答えました。

それからファン・グムジュハルモニはキル・ウォノクハルモニのところにも行きました。「そんな風に息子がよくしてくれるのにここに何しに来たの?」キル・ウォノクハルモニも養子縁組をして育てヒョプソン新大、メソジスト協会神学大学を卒業して、現在は仁川で牧師をされています。その牧師様はハルモニによく尽くします。牧師様もお母さんを手本にすると女の子を養子縁組して育てています。

ファン・グムジュハルモニにも朝鮮戦争孤児を4人も連れて育てられ、嫁入り道具まですべて準備しました。ところが、その子どもたちとハルモニは連絡を絶っています。

だから、キル・ウォノクハルモニに尽くす事が不満で仕方ありません。結局、ハルモニは自分が育てた子どもに対しての不満をキル・ウォノクハルモニにあたっているのです。キル・ウォノクハルモニの心もずい分傷ついた事でしょう。

ファン・グムジュハルモニの3人の息子さんと一人の娘さんはどこでどうして暮らしているのか、ハルモニに本当に優しい愛を注いでくれたらと思います。

4月26日(水)

① 午前9時30分、事務所で日本から牧師と信徒15名と韓国キリスト教長老会キョンギ中部老会の牧師様5名と一緒に事務所を訪問されました。この訪問客に日程を合わせて事務所は朝早くから忙しかったです。

9時30分から11時まで教育館で行事を開きました。教育ビデオ視聴とユン・ミヒャン事務総長の講演、質疑応答などを行いました。

② 午前10時、国防部の前で従属的な韓米同盟とピョンテク基地拡張反対のための女性団体記者会見がありました。挺対協も参加団体として連帯しました。

③ 第706回水曜デモがありました。韓国キリスト教長老会女性信徒全国連合会が主幹しましたが、50名を越える参加者で熱かったです。教会の礼拝形式を若干変更して進められました。日本から来られた日本キリスト教団関東部の牧師様たちと信徒たちも参加し、発言されました。

④ 午後2時、民主化運動記念事業会の会議室で国連人権理事会の新設と国際人権レジームの変化懇談会がありました。社団法人国連人権政策センターで主催され、韓国人権財団が主幹をした行事でしたが挺対協も一緒に参加しました。

⑤ ファン・グムジュハルモニは水曜デモを終え、昼食をとりながらもずっと怒っていました。ユン・ミヒャン事務総長が横に座ってハルモニの怒りを静めようとしましたが、今日はうまくいきませんでした。

いつまでも険しい顔をしていました。「あー、大変」とため息が事務総長の口から漏れました。そうするとハルモニは財布から急にお金を取り出しながら挺対協に後援金を出すと言われます。5万ウォンです。食事を終えてウリチプへお連れしようと手を握る実務者の手をはらいハルモニは結局、家に帰られました。具合が悪いと言いながら。

ところが・・・家に帰ってもハルモニの怒りは治まりませんでした。電話をくださり「ユン・ミヒャンに代わって」と言われます。そして、もうまた他のハルモニに悪口を言いながら自分のストレス解消をします。他の悪口を言わないようにと言っても無駄です。「誰がいつ、他人の悪口を言ったの?」と言われます。そうしてもう終りにしようと思われたのが「私がそのお金を置いてきたからさっぱりした。」「ハルモニ、それなら良かったです。夕食を召し上がって少し早く休んで下さい。薬も必ず飲んで、そして本当に具合が悪ければウリチプにいつでも来て下さい。一人で過ごされる事は私たちも不安ですから、ウリチプに来て下さることは私たちを助ける事ですよ」と言うと「うん、分かった」と答えました。一時間続いた電話はこのように終えました。

4月27日(木)

① キム・ドンフィ局長は沖縄から病気になって事務所に出勤できません。治療を続けて受けていますが、まだ良くなりません。ウリチプボランティアを続けているユン・ヨンシク先生が治療をしてくれています。どれほど有難いことでしょう。

② ファン・グムジュハルモニ、今日はウリチプへ電話をしてソン・ヨンミ室長にまた他のハルモニたちの話を話されます。大変です。ハルモニが日が経つごとに酷くなっています。

③ シム・ミジャ、チ・マノンと挺対協、ナヌムの家、ユン・ミヒャン事務総長に対して民事裁判がスウォン地方裁判所でありましたが、私たちの事を奉仕で引き受けてくれています。弁護士が連絡をくださいましたが、裁判部は和解をするように誘導していて、またチ・マノンさんもそうなることを望んでいるようだと言うのです。ただ、後悔謝罪は出来ず、チ・マノンのHPにアップされている挺対協に対する文章をすべて消去して今後、挺対協運動に対して妨害しないようにと話しました。どうするか挺対協の立場を決めなければなりません。

次の裁判日程は6月9日と聞いています。その前に挺対協の実行委員会で決定しなければなりません。

④ アニャン市に旧朝鮮総督部ソイ面所があります。アンヤン市でその面事務所を復元しようと言う動きを見せ市民団体たちが対応を始め、努力の結果アニャン市でソイ面事務所「アニャン日帝収奪写真展」として作り、日帝収奪時に焦点をあてアニャン市民の民族意識を鼓吹する場することで市民団体たちと約束をして協議書まで作ったそうです。

ところがアニャン市がそれを履行しないようでアニャン市民団体がもう一度、アニャン市に約束を履行する事を要求する記者会見がありました。

午前10時、アニャン市庁別館の記者会見所で6・15宣言実践アニャン本部の主幹した記者会見にユン・ミヒャン事務総長が参加して連帯発言をしました。

記者会見の主催団体とは去る2月故パク・ドゥリハルモニの葬儀を挺対協と共に主幹しながら共に連帯する事としその後、第700回水曜デモにも大挙参加して私たち挺対協に力を与えてくれた団体です。

4月28日(金)

① 午前8時、ヌティナム(けやき)カフェで日本軍「慰安婦」名誉と人権のための「戦争と女性人権博物館」建立委員会共同建立推進委員長団会議がありました。カン・ジウォン、シン・ヘス、チョウ・ウン常任委員長とキム・ヨンミ、イ・ヨンジュ、チョン・ヒョンベク、ハン・グギョム共同推進委員長が参加され今後の日程について論議しました。

② 1935年生まれのハルモニが事務所を訪れました。日本軍「慰安婦」被害者ではないハルモニでした。一時間以上にわたってユン・ミヒャン事務総長を捕まえて怒りをあらわにしました。

他でもなく日帝時代の日本人たちが朝鮮人をどのように扱ったのか、自分がこの目で見て経験したのに考えただけでも腹が立つのに独島を自国の領土だと言うことについてとてもお怒りの様子でした。

それで空港に行ってタスキをかけてパンフレット英語・日本語・ドイツ語で作って外国に出国する人々と韓国に入国する人々に配って広報したようです。

挺対協には今、博物館建立のために努力しているので募金活動を何度か行っているが大変だと話しました。ところが、あなたは出来ると言います。友人さえ探す事が出来れば。その友人は放送人であるイ・グミさんと同じ町に住んでいるがその町の名前が分からない、その町さえ分かれば私がその友人を探す事が出来ると言われます。その友人を見つける事が出来ればお金になると言います。そのお金を受け取って私たちが黙っていてはならず、日本に恥をかかせなければと言います。

普通ならこのような訪問者に対しては挺対協がすべての日本との問題を扱っているのではないと申し上げるのですが1935年生まれと言うハルモニの話なので「そうよ、私が経験しなかった植民地の“恨”がどれほど大きなものか。だからこうして事務所まで走ってきたのではないか」と思って受け止めました。それに挺対協に来る前にいくつかの市民団体を回ってきたが誰も話を聞いてくれなかった悔しさもあるのだろうと思いました。

しばらくして「私がお送りしますね」と言いながら席を立ったのとは対照的にハルモニはそのまま席に座って一時間ほど話を聞いていました。そしてイ・グミさんがどこに住んでいるのか探してみると言う努力もしました。しばらくたってそのハルモニがようやく気持ちをさっぱりとさせ椅子から立ち上がりました。ありがとうと言いながら。すこし気持ちが楽になったのなら幸いです。挺対協の事務所に座っていればすべての事に関連するようです。

③ ウルサンのボランティアであるキム・ミジョンさんが自分の家族と一緒にウルサンのある養老院に住んでいるソン・ナミハルモニを訪問しました。

前回の訪問の時にハルモニの具合が良くなくて心配していましたが今回、訪問したときには少し良くなっていて、タバコを消した後、お菓子も召し上がって食事もよく召し上がりました。食事をよく召し上がったと聞いて私たちはハルモニの健康状態が良くなったと思い少しは安心しました。

④ 5月からウリチプに週末のパートタイム実務者が新しく仕事を始める事になりました。まず、ヤン・ノジャさんが引き受けてくれました。ヤン・ノジャさんは在日同胞の女性で京都出身です。今学期からソンゴンフェ大学で社会学科に編入して勉強をしていて、挺対協の日本関係のボランティアをして来ました。

4月29日(土)

① 今日ウリチプの週末の当直がキム・ドンフィ局長だったのですが、沖縄の調査活動後、休む事が出来ないでいて体の調子が良くなくてソン・ヨンミ室長が自分がやるからキム・ドンフィ局長に休むように言いました。

4月30日(日)

①故キム・サンフィハルモニのボランティアだったチョウ・ジョンフンさんが両親と共に故キム・サンフィハルモニのお墓を訪問して、ハルモニのお墓を綺麗な花を植えて来ました。写真も撮って送ってきました。

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2006年5月10日 (水)

イラク戦争反対!

先日、急に韓国に行く事になったので飛行機のチケット代金を支払いに行った。

予約確認書に

航空保険料¥600-

燃油特別付加運賃¥2600-とあった。

同封された保険契約の申込書・・・確か保険は任意のはずなに・・・

と、疑問を持ちながら旅行会社に到着してその疑問をぶつけてみた。

すると・・・

旅行会社職員

「航空保険料はお客様個人の保険ではなく、航空会社がテロなどに備えて加入する保険料金が高くなったため、航空会社だけでは払えないので乗客一人一人に負担が課されているものです」

な-んて理不尽な、関係ないじゃん!!乗客には!!

さらに原油が高騰しているので最近になって燃料油特別付加運賃がついている事も知っていいたが、これは原油が安くなればなくなるものかと尋ねてみると・・・

旅行会社職員

「お客様の場合韓国ですので、2600円ですが・・・アメリカ行きともなれば1万円ほどかかってきます。それにおそらくこの付加料金はなくなることはないないと思われます。」

ギャフンと叫びそうになった。

本当に有り得ない話だ!

イラク戦争を反対する理由は身近にあると常々思っている。

冬の間にいつも言っていた事だけど・・・

数年前まで灯油は1000円でおつりが来たものだ。

ところが、今年2月頃に灯油を買ったら、ナント1650円だった。

身近な所で生活を圧迫されていると憤慨する私にそれは考えすぎだと言う人もいるかもしれない。

でも、私は本気でこんな身近な話だからこそ説得力のある話だと思っている。

そう考えればみ-んなイラク戦争には反対でしょ?

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2006年5月 7日 (日)

やっと!

パソコンが復活しました!

正確にはなんだか接触が悪かったようですが、素人には理解できないです。

中身を開けて見ないと分からないそうですから・・・

遠くから車で駆けつけて頂いたNさん夫婦に感謝、感謝です。

さて、これで週間消息が追いつきました!

でも、4月26日の週の分は届いていないので・・・後が怖いですね--;

さて、私のパソコンが壊れている間に日本軍「慰安婦」問題と同じように私の関心事であるピョンテクの状況が一変しました。

ニュースの伝える所によると500人近くの人々が拘束されているとか・・・

以前にピョンテクからのメールを紹介しましたが、彼は4月7日に拘束され未だに釈放されていません。状況は深刻です。

これは金泳三政権の時の98年(97年だったかな?)韓総連の出奔式で大量拘束者が出て以来の事件だとか・・・

私事ですが来週、光州に行く事になりました。

光州事件26周年の記念式典に参加するためです。

そこには慮武鉉大統領も参加するようです。

少し前の大統領なら嬉しい気持ちでその日を迎えることが出来たでしょう。

しかし、事態は変わりました。

光州市民2000人を虐殺し、クーデターを行った全斗煥の悪行は今や世に知らされました。

光州事件の起きた5月にピョンテクで軍隊を投入し、夜中の強制収用を行うなんて・・・

信じられません。

テチュリのキムジテ里長の牛舎では火災が起こり、牛などの家畜が死んでしまいました。

一体、このタイミングでの火事は何を意味するのでしょうか?

このピョンテクの事態を踏まえて慮武鉉大統領は光州での記念行事で何を話されるのでしょうか?

しっかりと聞いてきたいと思います。

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【挺対協】週間消息⑮-2

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑮-2【4月16日~23日】                     

                      報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月20日(木)

① 午前11時に日本大使館前で独島と関連した記者会見を開きました。統一連帯と日本の教科書を見直す運動本部、興士団、韓国挺身隊問題対策協議会などの団体が主催しました。

② ウリチプで10時に歌の教室がありました。12時には4月生まれのハルモニたちの誕生会がありました。午後には南山へハルモニたちはお花見に出かけました。風が強くてすこし苦労しました。

③ カン・ジュヘ局長がソンブクのチェ・ガプスンハルモニとサンド洞のイ・グムスンハルモニを訪ねました。ウリチプにお連れしようと思って訪ねたのですが、イ・グムスンハルモニはサンドソンキョル協会のキム・ウォンドンさんを待っていて病院に行くとおっしゃいました。チェ・ガプスンハルモニはお客さんが来られるとおっしゃりウリチプにお連れする事は出来ませんでした。

④ ユン・ミヒャン事務局長とキム・ドンフィ局長は調査のために沖縄を訪日しました。博物館の資料収集の一環で沖縄の過去の戦争と現在の戦争に焦点を絞っての調査活動でした。故ペ・ポンギハルモニについての調査活動にも比重を置いて行いました。

【沖縄で】

① 12時頃、空港に到着すると沖縄と平和会のエイコさんとキム・ジイルさんが一緒に出迎えに来てくれていました。空港で第700回水曜デモの時に作った横断幕を開いて立っていると空港職員に制止されました。理由は空港でそのようなことをする事を本来は認めているが内容がダメだと言うのです。それでも堂々と写真を一枚撮って出発!

② 荷物を車に詰め込み早速、日程を消化しました。まず、糸数洞窟に行きました。その洞窟は自然のものですが、沖縄戦の時に日本軍と沖縄住民、朝鮮の徴用者及び日本軍「慰安婦」たちが身を隠したところです。洞窟の中は負傷兵たちの治療場、軍医所、武器保管所、治療室、死体保管、沖縄の住民避難、そして最も危険な地域で米軍の銃弾に倒れた朝鮮人徴用者たちと日本軍「慰安婦」女性たちもいました。

その場所で生存者と会いましたが洞窟の入口に元々、慰安所だったと証言した。この場所が慰安所であることがどうして分かったのかと聞くと、日本軍たちが列をなしていたので村人たちはここが慰安所だと分かったと証言しました。

米軍の攻撃が酷くなり朝鮮人日本軍「慰安婦」女性たちが洞窟の中に避難しました。現在は慰安所であった場所に戦争時に犠牲になった人々を追悼する追悼碑が建てられています。

③ 市内のあるホテルで朝総連のキム・ヒョノク先生と4時間会いました。沖縄が日本に返還された1972年後、朝鮮人強制連行真相調査団がハルモニの存在を知り、新聞でも掲載して沖縄でペ・ポンギハルモニの事情が知られるようになりました。

91年に亡くなる前までキム・ヒョノク先生夫婦がハルモニのお世話をしていたそうです。それで、キム・ヒョノク先生を通じてペ・ポンギハルモニの話を聞き、また沖縄の住民たちとハルモニ、同胞とハルモニの関係について話を伺いました。

④ 日本のテレビニュースでは続けて独島問題を報道していました。韓国の日本大使館前でのデモの模様に焦点を当てていました。

4月21日(金)

① ウリチプにユン・ヨンシク先生が来られてハルモニたちに漢方治療をして下さいました。そして、ウリチプの古くなった米でトックを作りました。トックを煮込んで食べれば美味しそうです。

② 消息誌を発送している方の中でヨスの方が名前は伏せて欲しいと100万ウォンを送ってくださいました。チェ・ガプスンハルモニの入院費用と付き添いの問題でウリチプなどの消息を読んで送ってくださいました。

チェ・ガプスンハルモニの治療費と付き添いのために使いたいと思います。そして、消息誌と一緒に発送した振込用紙を通じでも後援金が振り込まれていました。

【沖縄で】

① 朝8時に宿所を出て渡嘉敷島へ向かう為に港へ行きました。渡嘉敷島はペ。ポンギハルモニがいた慰安所があった島で、沖縄も出勤時間には交通渋滞が深刻ですね。船が出発する1分前に到着してようやく船に乗りました。沖縄にも私たち一行の他に沖縄から5名も一緒に行動しました。

② 渡嘉敷島でペ・ポンギハルモニが暮らした慰安所、白玉の塔、アリラン慰霊碑、敗戦時日本軍によって集団自決した現場で生き残った方がたから証言など戦争の痛みをあちこち調査しました。渡嘉敷島には7名の朝鮮の日本軍「慰安婦」がいました。その中の4名の遺骨は塔に一緒に合葬されたと言います。別途に設けられているのなら私たちがお連れしたかったが、合葬されているため持ち帰ることが出来ないようです。

集団自決犠牲者たちのために毎年3月28日に慰霊祭が開かれているそうです。私たちも参加しなければと思いました。5分休む時間もなく額に汗しながら一生懸命に調査活動をしました。歴史的に意義深い所なので博物館に使えるかも知れないと思い、石まで集めました。

③ 渡嘉敷島は本当に美しいです。海の色は本当に表現が難しいほど美しい翡翠色と青色が広がっていました。ところが・・・私だけがそんな風に感じるのでしょうか?渡嘉敷島は本当に胸が痛む“血”を抱いているようでした。まだ見ぬ憤怒と“恨”がいっぱい詰まっているようでした。この島の歴史を考えると私の体まで痛みます。

4月22日(土)

① ウリチプの週末の当直はイム・ジヨン監査で日曜日まで行います。

実務者たちが本当に有りがたいです。

週末を休むことが出来ず24時間、ハルモニたちと共に過ごしながら活動をしているソン・ヨンミ室長の助けになろうと貴重な週末の時間を犠牲にしています。

【沖縄で】

① 今日は沖縄の過去と現代の戦争そして、日本軍「慰安婦」問題についての記録と調査活動を行う日です。朝8時30分に宿舎を出発して平和運動の象徴である辺野古の米軍基地を訪問し米軍基地阻止のための活動をしている活動家と会い、とてもよい勉強しました。タイラ牧師の報告をビデオに収めました。その場で韓国の緑色連合の活動家と会えて嬉しかったです。

② 午後にはシカマ美術館を訪問しましたが、そこでは沖縄戦争に関して描かれた絵画展がありました。絵は戦争中の子どもたちと女性たち、亡くなった人々の姿を通して今日の私たちが何をしなければならないのか考えさせられました。そして、沖縄の過去と現代、未来がその美術館には一緒に抱かれている気がしました。

自然とその場が一つになって息づいているような、沖縄戦争前の平和で美しい姿を取り戻しながら未来の新しい姿を描こうとしています。特に屋上には美術館で感じた戦争の痛みや苦しみを感じ、私が戦争を無くすために何を行うのか誓える空間に近づきました。

③ 韓日民衆連帯沖縄のコミヤマさんをインタビューしました。米軍基地反対運動と韓国の平和運動との連帯、沖縄平和運動と日本軍「慰安婦」問題関係などについて話を伺いました。そして、沖縄の歴史と韓国の歴史、沖縄と日本の関係について意義深い意見交換を行いました。

4月23日(日)【沖縄で】

① 日曜日なので道が混んでいなくて今日は少し余裕を持って出発しました。9時に宿舎を出てまず、南風原(ハエバル)文化センターへ向かいました。向かう途中でキム・ドンフィ局長が「ここは歯医者だけは多いですね」と言いました。現地に住む人々は違うと答えました。しかし、その後から車の中でみんなの視線は看板に注がれました。そして、歯医者の看板が見えるたびに笑いました。本当にそうでした。歯医者が多いんですね。私たちが沖縄を離れても私たちと共に活動して下さるキムジイルさんとエイコさんが歯医者の看板を見ながら笑う仕事が出来ました。

② 南風原(ハエバル)で沖縄戦の時に陸軍病院で書かれた歴史の現場を勉強しました。そして、こそで出て「ナガト慰安所」があった南部農林高校を調査し直接、沖縄戦争の生存者を訪ねました。証言をしてくださるオシロ・マサヨシさんは1933年生まれだそうです。

③ 対馬丸会館を訪問しました。日本は米軍が沖縄を攻撃する前に沖縄県民たちに避難命令を行いましたが、対馬丸言う船に貨物船に子どもたちと女性、老人たちを乗せて避難をしたがその船が米軍の魚雷に爆破され犠牲になったそうです。

ところで、私たちを驚かせた事はその当時、貨物船に子どもたちを乗せれば当然、戦争物資を運ぶ船と誤認され爆撃を受けても無防備状態に置かれた事ものと考えられますが、その子どもに配られた救命胴衣が綿で作られた事です。理解できません。

船が爆撃を受けた場合、救命胴衣をきる事は生きる為なのに綿は水を吸収して水に沈んでしまうではないですか?

この会館は犠牲者たちの補償要求に対して日本政府が作って運営しているそうですが、補償していません。

④ 米軍基地を反対する運動をする女性会の事務所に行きました。その場所で沖縄の慰安所地図を作ったムラサキさんと会いインタビューしました。

慰安所地図が作られた過程、意味、故ペ・ポンギハルモニについていの話、日本軍「慰安婦」問題を解決運動と沖縄と女性たちの平和運動などについて長い時間、共に学びました。午後8時40分にインタビューが終え、ムラサキさんの家も訪ね慰安所の写真、沖縄の米軍収容所で発見した写真などをコピーし、他の資料も調査しました。

ムラサキさんは単身、調査した日本軍「慰安婦」関連の資料について私たちにすべて見せて下さいました。私利私欲なくひたすら日本軍「慰安婦」問題のために親切に資料を探して提供して下さったムラサキさんに感動しました。

タカサトさんはこの日、誕生日だったのに私たちに遅くまで付き合ってくださり・・・申し訳ありません。宿所に到着すると11時30分でした。

4月24日(月)【沖縄で】

①少し前に教師をしていて活動のために辞職したエイコさんは沖縄の4泊5日の間、私たちのガイドをして下さり、自家用車で私たちを移動させてくれ地元の人々に紹介して下さいました。エイコさんは平和会のメンバーで韓日民衆連帯沖縄のメンバーで沖縄では米軍基地撤収運動や日本軍「慰安婦」問題や、また沖縄のアイデンティティーを回復する問題など体を張って活動していると感じる女性でした。

それで、空港に向かう前に時間不足でしたがエイコさんをインタビューしました。時間が足りなかったので先に空港まで移動した後に継続してインタビューを続けました。そして・・・熱い抱擁で連帯の友情を分かち合い、12時40分の飛行機で仁川空港に向かいました。

このように4泊5日間の沖縄調査を終えました。これから20個あまりのビデオを整理して、収集した資料を分析、展示用に保管する方法などが残っています。勿論、沖縄平和運動家たちと継続して連帯する仕事、韓国で平和運動ともっと密接に連帯する仕事が残っています。

-夕方に家に着いてスウォン市民新聞の記事を検索すると沖縄で運動を通じで米軍が維持する烈火ウラン弾を撤収させる運動から撤収され、韓国にやって来たました。スウォン飛行場にもこれが大量にあるそうです。沖縄女性たちならばこれを「許さない行動をする会」を作っただろうと思いました。私が住んでいる町、生命を守るためにすばやく行動しなければなりません。

*4月26~5月7日の週間消息の主要日程

1. 4月26日、第706回水曜デモ:韓国キリスト教長老会女性信徒全国連合会が主幹

2. 4月26日、午前10時に国防部前:従属的韓米同盟とピョンテク基地拡張反対のための女性団体記者会見(挺対協も共に参加します)

3. 4月28日、午前8時ケヤキカフェ:日本軍「慰安婦」名誉と人権のための「戦争と女性人権博物館」建立委員会(共同建立推進委員長団)会議

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【挺対協】週間消息⑭-1

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑭【4月9日~15日】 

                    報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月9日(日)

① ユ・ジョンスクさんがウリチプのボランティアをしています。申し訳なく、有りがたいです。来週からは実務者を中心に可能なら週末当直をしようと順番を決める事にしました。

② チン・ギョンペンハルモニは今日もカン・ジュヘ局長に電話をしました。田舎に引越しをすると心配で寂しいと言われます。

③ ファン・グムジュハルモニは週末に必ず電話をかけて来られます。「ウリチプにハルモニたちは来るの?」そうして「何かあれば電話して。私はいつ、行こうか?」と言われます。

以前なら何も言わずに来られていたのに、最近は必ず初めにこのように他のハルモニたちが来るのかと話を切り出されます。そして、「ハルモニ、いつでも来て下さい。今、来られますか?」そうすると、その言葉を待っていたように薬を準備してウリチプに来られます。そして水曜デモまで参加して木曜の歌の教室が終われば家に帰ってまた、週末に同じように「ウリチプに他のハルモニたちは来る?」と電話を下さいます。

4月10日(月)

① 英語の消息誌の原稿を編集しています。おそらく、一年ぶりに英語の消息誌を発行することになります。英語で翻訳をしなければならないのですが、英語専門の人員がたくさん必要です。誰かの横でこの噂を流して下さる方はいないでしょうか?

② 教育館では今日も挺対協所蔵の資料整理、リストと内容の記録などのために埃をかぶり「ゴホゴホ」と咳をしながら仕事をしています。キム・ドンフィ局長と友人のキヨンさんとボランティアのミンジさんが苦労してくれています。

③ 社団法人理事変更登録をする事が本当に大変です。何をこんなに大変で複雑にして・・・別途、このような業務をする職員がいるのでもなく、登録税を払わなくてはならず、会議録を公証しなければならず、会議録を公証するためには会議に参加した人々の委任状も受けなくてはならず、印鑑証明証を受けなければ受けなくてはならず、その後になって登記をしなくてはならず、提出して・・・

どうか行政業務の中にこのように堅苦しくないように是非、少し簡素化をしましょう。

④ 第700回水曜デモの映像編集をして下さいました。チャン・ヒョジョンさんが編集して送ってくださいました。本当に有難うございます。これで第700回に参加できなかった方たちにもHPで映像を見ていただけるようになりました。

⑤ 4月19日、4・19があったので4月の水曜デモのテーマは過去史問題の正しい清算にしました。ところが、すぐに主幹団体と交渉が出来なくてやきもきしました。今日、ついに確定しました。太平洋戦争戦争被害者補償推進業議会のイ・フィジャ理事とキム・ウンソク事務局と電話をしてその日の主幹をする事になりました。ファイト~!

4月11日(火)

① 12時に光化門チョンゲチョンの入口で性暴力追放キャンペーンの発足式がありました。韓国女性団体連合、韓国女性の電話連合、性暴力相談所などの女性団体たちが主催をしたのですが、挺対協も共に参加しました。

今年の挺対協活動の目標が“STOP!性暴力、正義!日本軍「慰安婦」被害者へ”です。今回の行事は特に“平和男性”も共に参加して、女性暴力根絶のために平和男性宣言と女性宣言も人目を引きました。

クォン・ヘヒョさんが進行したので田舎から観光で来られたおばさんたちは嬉しそうでした。お陰でその方たちにも性暴力根絶のメッセージを伝える事ができたようです。

② 事務所に日本語のボランティアが出来ると言うトングッ大の男子学生が訪問しました。学校で日本軍「慰安婦」問題で発表を任され、準備の為に資料を探しに来たと言います。必要な資料を探し、ボランティアの約束までしました。

③ 英語のボランティアが出来る女性が訪ねてきました。2001年度にボランティアをしていましたが、再び出来るという事でした。イデの英文科を卒業し、英語の通訳をしていると言います。

④ テグから市民の会のカク・ドンヒョプ代表が電話を下さいました。18日に日本軍「慰安婦」問題を今後、どのように展開するのかについての討論会があるが、この討論会と関連して論議をしました。今回の討論会の核心は韓国政府をして韓日間の外交焦点に日本軍「慰安婦」問題を引き出せるようにしようと言うことで絞られる事でしょう。

⑤ 司法研修生37期生たちが研修を終えるにあたり、社会福祉共同募金会から後援機関の推薦を受けたが、その中の18名が毎月、1万ウォンずつ2007年まで挺対協を後援することにしたと言う連絡を受けました。申請者の名簿を事務所に送ってくださいと言いました。ありがとうございます。

⑥ ソウル、トンジャク区に住まれるイ・グンスハルモニを訪問しました。ハルモニを担当するボランティアと一緒に訪ねました。

⑦ 日本大使館まえには3つの大きな植木鉢があります。昨年8月10日、政界連帯の日集会を通じて作った“ハルモニたちの名誉と人権花畑”です。冬の間、寂しかった花畑に2006年の春を迎えて“平和”の花畑が新しく生まれました。実務者たちがクパバルまで行って花を買って来て植えました。今後、日本大使館前を通る人たちは必ず水をあげていきます。

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日にちが前後しますがアップしました。

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2006年5月 5日 (金)

【挺対協】週間消息⑮-1

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑮【4月16日~23日】 

                          報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月16日(月)

①キョンナム・マサン地域に暮らすハルモニたちのために活動をしちえるボランティアたちの教育がありました。

②アニャン市民団体と一緒にする子どもの日の行事の計画をしています。今回の事業は新しく活動を始めたアン・ソンミ監査が担当して準備しています。

③午後10時30分から11時30分までアニャン芸術総合大学の女子学生二人がインタビューのためにビデオカメラを手に事務所を訪ねてきました。先週の水曜デモの時も参加し、戦争と女性人権センターの月例セミナーにも参加されましたが、このように努力している彼女たちの助けになりたいと思いました。

④午後1時、キョンミン大学映像学から男子学生が二人インタビューのためにやって来ました。教育観を見学し、実務者たちのインタビューをしました。

⑤国際交流団体から発刊される英語の消息誌にユン・ミヒャン事務総長がキョンヒャン新聞の紙面で書いた「第700回水曜デモ、その“恨”と希望」と言う文章を翻訳して掲載したいと依頼が来たので同意しました。外国に知らせる事が重要なのにその架け橋になってくださるのは有りがたいと思います。

4月17日(火)

①スウォンに暮らしているアン・ジョムスンハルモニを訪問しました。ハルモニは子宮ガンの治療を受けてからまだ1年も経っていませんが、相変わらず両方の骨盤が痛いとおっしゃります。部屋の半分が地下である部屋は湿気が漂い、マットの下には湿気を少しでも取り除こうとしたのか新聞紙がはみ出ていました。「消化が悪いのはこの湿気のせいと、それから歩くことが出来ないから」だとおっしゃった。ハルモニを車に乗せてスウォンにある漢方医に行きました。

漢方医の院長は1年前にハルモニをお連れしたときに会いましたが、本当に感じの良い方でした。勿論、実際にはもっと良い方でした。その時はハルモニは薬も飲まなくても良いと言いながらハルモニに漢方の消化剤をたくさん処方して下さり、物理治療と針治療をして下さいました。今日も変わらずよくして下さいました。気分が本当に良いです。

「ハルモニ、お久しぶりでした。この間、どうして来られなかったのですか?」と挨拶をして下さいました。ハルモニは「アイゴー、申し訳なくて来られなかったんですよ。治療費を受け取らないから。」治療が始められたので今日は先生の表情が嬉しそうに見えました、「ハルモニ、脈が見つからないですね。どうして、こんなに衰えたのですか。」私も横で手伝いました。

「子宮ガンのためにハルモニが放射線治療を受けておられるのです」ハルモニが消化もよくなないと伝えると二の検査もして下さいました。胃炎もひどくないのに胃が全く動いていないし、お腹にもガスがたまっているので冷たい食べ物を食べずに湿布をお腹に貼ってくださり心臓が弱っているので食べもには気をつけて、などなど・・・下半身が弱っているので下半身を強くする薬を処方しなければならないとおっしゃりました。少し前に朝鮮人参を煎じて飲んだと言うと院長はハルモニは人参を飲んではいけないとおっしゃりました。代わりに高麗人参の根は大丈夫だから飲みたい時はそれを飲みなさいと言い、ハルモニもうなずきました。

治療がすべて終わって治療費と薬代を計算してくださいと受付に向かうと院長が出てこられ「今回の薬は私が買います。ハルモニの家まで届けます。」続けて先生は「次は買ってください。」とおっしゃいました。本当に感謝します。こんな方と会うたびに私も100歳、200歳まで生きることが出来るような気がします。

②チャンウォン大学で日本軍「慰安婦」問題で講義がありました。講師として事務所からカン・ジュヘ局長が参加しました。学生たちは100余名参加しました。

③マサン地域のハルモニたちをボランティアたちと共に回りました。ハルモニたちは他の地域のハルモニたちに比べて健康そうでした。キム・ミヨン先生をはじめとしてマサン地域のボランティアたちがあれこれ尽くしてくださっているので安心しました。

④沖縄の渡嘉敷島は故ペ・ポンギハルモニが日本軍の性奴隷としての生活を強要された所です。そして、沖縄と島全体が第二次世界大戦当時の激戦地だったために歴史遺跡地だと言うことができます。キム・ドンフィ局長とユン・ミヒャン事務総長は調査のために沖縄を訪問します。「慰安所」を探したり、証人を探したり、調査のために木曜日の早朝に発つのですが、その事で沖縄に住んでいる在日同胞のキム・ジイルさんが苦労してくれています。電話やFAXなどでインタビューの確定や調査地などを確定しています。

⑤午後3時から国家人権委員会の学習会で2006年日本軍「慰安婦」問題を解決展望の討論会がありました。討論会の司会をユン・ミヒャン事務総長が行いました。シン・ヨンスク強制動員真相究明委員会の調査官二名、キョンブク大キム・チャンノク教授、コンクッ大チョ・シヒョン教授、チェ・ボンテ弁護士が発題して下さいました。ドイツから他の行事のために参加されたバーバラ・ドゥリンコ教授とハン・ジョンノさんも参加されました。

討論会を通じで韓国政府が日本軍「慰安婦」問題を韓日間の外交争点とするために国際司法裁判所へ提訴、外交保護権の責任任務を不履行した韓国政府に対して国家人権委、司法部へ提訴などの事業などが論議されました。今後より具体的な事は関連団体と専門家たちの歓談会などを通じて確定しなければならないようです。

⑥討論会を終えて事務所に戻り、明日に控えた「正しい過去史清算で明るい未来を!」の水曜デモの準備をしました。韓国の近現代史の中で清算されなかった過去史の問題を考えることが出来るように準備しています。

4月19日(水)

①午前9時30分から11時30分までドイツからEMS(Association of Churches and Missions in South Western Germany)のルーズ・トゥレショウ牧師を始めとして20数名の会員たちが教育館を訪問しました。お互いに挨拶をし、ビデオ“消せない歴史”を見てユン・ミヒャン事務総長の講義がありました。その後、質疑応答や提案などを11時30分まで2時間のぎこちない授業を行いました。質問もとても多様でした。

ハルモニたちが戦後にどのように生きてこられたのか、挺隊協の運動がどのように始まったのか、その契機となったのは何なのか、韓国の教科書はこの問題をそのように扱っているのか、韓国政府は何をしたのか、日本のマスコミはこの問題をどのように扱っているのか、日本の協会はどのように参与しているのか、北側の被害者たちがいて活動はどのように行っているのか、主張は何なのか、日本の右翼勢力の動きなど質問に対しての返答をする時間だけでもほとんど一時間は掛かりました。おまけに通訳までもあって。

②午前9時30分に戦争と女性人権博物館建立と関連して第二次関門であるソウル市都市公園委員会審議を受けるためにソウル施設管理公団側の担当者との集まりを持ちました。この集まりにエイテック職員も一緒に参加しました。

③午前10時30分、外交通商部前で記者会見がありました。韓国政府へ積極的に日本軍「慰安婦」問題を解決に進みですことを要求した会見でした。イ・ヨンスハルモニ、ファン・グムジュハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニが参加され、ナヌムの家からもイ・オクソンハルモニ、パク・オクソン、キム・スノクハルモニ、ペ・ジュヒハルモニ、パク・オンニョンが参加されました。

④韓国政府に送るハガキ送りのキャンペーンが行われています。ハガキの内容は日本軍「慰安婦」解決に韓国政府が進み出る事を要求しています。

⑤今日は第705回水曜デモでした。太平洋被害者保障推進委員会(以下、保推協)で主管されましたが、土砂降りの雨でした。キム・ウンシク事務局長が司会をされ、イ・フィジャ理事が発言、ユン・ミヒャン挺隊協事務総長の経緯か報告がありました。雨の音が騒がしく、独島問題のために私たちの気持ちも複雑でした。傘の隙間から声を大きく出すもののすぐにみんなの声は小さくなってしまいました。

日本からも多くの方々が参加されていて、ドイツのEMSの方々、ベルリン自由大学のバーバラ・ドゥリンコ教授と在独平和女性会のハン・ジョンノさんも一緒に参加しました。保推協からも多くの遺家族の方々が参加されました。参加した団体の自由発言もありました。ユン・ジョンオク先生も来られ、キム・ヘウォン先生も参加されました。集会を終え、バーバラ・ドゥリンコ教授とハン・ジョンノさんは事務所へ来られ、ハン・グギョム共同代表とユン・ミヒャン事務総長と一緒に挺隊協活動についての意見交換をしました。

⑥今日も教育館の訪問教育は続きました。ソンゴン会大学で教えているカン・ヘギョン(挺隊協、国際協力委員長)先生が学生たちと一緒に来られ直接教育活動をされました。

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続きはまた、近いうちに・・・

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2006年5月 3日 (水)

もう少し・・・

挺隊協の週間消息⑭をアップしました!

が、しかし・・・水曜から始まりです・・・

理由は現在、PCの故障に伴いリカバリーをいつもいつもPCトラブルで助けていただいている方にPCを預けていて、データはおそらく大丈夫と言われていて・・・

月曜と火曜日分はそこにあるのです・・・

無事に帰ってきたら、日にちは前後しますがせっかくなのでまたアップしますね*^^*

PCが私の手元に帰ってくるのはもうしばらく掛かると思います。

今日は一時的にPC作業が出来る場所にやってきて、作業をしました。

ではまた近いうちに更新したいと思います。

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【挺隊協】週間消息⑭-2

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑭【4月9日~15日】

                           報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月12日(水)

①今日は第704回水曜デモです。キリスト教女性民会が主管しました。ノレペ“アムハレッツ”の歌で始まりユン・ミヒャン事務総長の挺隊協の経過報告が続きました。

何よりも今日のハイライトは公演でした。プチョン市オジョン区老人総合福祉館の方々、12名が参加され楽しい体操を披露して下さいました。豪華な色とりどりの衣装にあったカッコイイ動きにお年寄りの動きとは信じられないほど活気に満ちていました。ハルモニたちも拍手を惜しみませんでした。いつでも水曜デモはこのように共に参加してくださる多くの方々の力で成りなっています。

②水曜デモが終わり、ナヌムの家におられるパク・オンニョンハルモニがウリチプにいらっしゃるソン・パニムハルモニに会いたいと言われハルモニたちみんなでウリチプへ行きました。

ハルモニたちはウリチプへ到着するやいなや久しぶりの再会に矢つぎばやに言葉を交わされました。「孫はどこに住んでいるの?息子たちはみんな元気なの?」具合が悪いと聞いていたが会って見たらとても元気そうで安心したなどひとしきり情を交わしながらおしゃべりをしたハルモニたちはナヌムの家に戻りました。

そして、ウリチプにはイ・ヨンスハルモニ、ファン・グムジュハルモニ、ソン・パニムハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニが残りました。

③事務所の実務者たちは荷物を片手に、おかずを買いにヤンピョン方面に向かいました。1/4期の挺隊協の事業評価と今後の事業計画を論議するためにワークショップを行うためです。目的地に到着して夕食をとり、すぐにワークショップを始め夜中の1時に終えました。

④実務者たちがワークショップでウリチプを空けている間、ウリチプにチョン・ジョンフンボランティアが残ってくださいました。

4月13日(木)

①朝7時にヤンピョンから出発して事務所につくと9時でした。みんな寝不足なのか眠そうでした。さぁ!しっかりして。そして、昨晩の意欲どうり力強く働き始めました。

②今日は午前10時からウリチプでフェミニスト歌手チヒョンさんが行う4回目の歌の教室でした。トゥンチョン洞からキム・ボクソンハルモニ、キム・キョンスンハルモニまで歌の教室に参加するために来られました。ファン・グムジュハルモニは今日は参加しませんでした。

「連絡船は旅立った」と「焼き栗タリョン」(キョンギ民謡のひとつ)などの歌でハルモニたちの歴史を解かれました。ところでハルモニたちはその昔の歌を歌いながらみんな心の奥で泣いているようでした。瞳が潤んで見えました。

③8月に「戦争と女性人権博物館」建立基金準備のために開催するポジャイノ・モノローグ公演のためにイファ女子大の総務長と総務課の課長を訪ねました。イファ女子大の大講堂を公演場所として後援を受けるためです。偶然、総務長がシン・ヘス共同代表の同窓生で仕事ではあるが私的な再会でその場が和ませました。

勿論、8月31日木曜日、午後7時にイファ女子大で日本軍「慰安婦」名誉と人権のための「戦争と女性人権博物館」建立基金を準備するための“ポジャイノ・モノローグ”公演をする事に決まりました。校内が工事中で騒がしいことは予想していますが、皆さんが理解してくださると思いそのように決まりました。

④午後5時、イファ女子大の学生とキム・ウンシル教授と会う場を設けました。1時間半の間、現在の日本と韓国が過去の歴史問題で決定的な解決方法がないまま平行線を辿り葛藤だけを増幅させている状況について論議をしました。対話を通じていつものように今後、女性研究者たちの間で日本軍「慰安婦」問題を取り巻く状況についての関心と研究が必要だとお互いに共感しました。

⑤ソウルのノウォン区に暮らすパク・スニハルモニを訪ねました。ハルモニをお供して漢方院を訪ねハルモニの漢方薬も処方しました。ハルモニには漢方医に着くと実務者を親戚の娘だと紹介しました。もしかして自分が日本軍「慰安婦」だった事を隣人が知ってしまうかといつも用心深く暮らしているハルモニがとてもお気の毒です。

4月14日(金)

①4月提起実行委員会がありました。シン・ヘス、ユン・スンニョ、ハン・グギョム共同代表が参加してキム・ソンシル財政委員長、チェ・オクスン対外交渉委員長、チョン・テホ生存者福祉委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長、チョ・ユニ書記、ユン・ミヒャン事務総長が参加しました。決議したのは①第700回水曜デモで韓国政府に伝達した要求に対して外交通商部が送ってきた返答の中で日本政府に対して積極的に法的責任履行を要求する事を「消耗的な論争」と比較する返答してきた事を問題だと判断し、これに抗議する記者会見と面談要請、集会などを行うこととし、②8月29日~9月1日、ILOアジア太平洋地域総会に対応した活動でアジア被害国及び、韓国市民団体の連帯記者会見、連帯集会、写真展示・ビデオ上映会などの活動を持ち、③博物館建立基金を準備するために「ポジャイノ・モノローグ」公演を開催し、④こどもの日の行事をアニョン市民団体と共同で開催することに決まりました。この他にも⑤両親の日行事⑥会員団体財政費⑦その他の案件などについて論議して決議しました。

②ウリチプでパートの実務者を一人増やすことにしました。

ウリチプに現在、ソン・ヨンミ室長がすべての事を担当していますが、週末までハルモニたちについている事が心理的に大変で実務者たちが一週ずつ当直をするようにしましたが、実行委員会で実務者たちがそのようにする事は健康面に害があると判断して募金で運営費を別途、準備しても週末に仕事をする実務者を募集する事にしました。

③文化財省で現状変更審議委員会が開かれました。私たちが審議を申請したことも取上げられました。結論は「門を叩くものには開かれる!」西大門刑務所の売店の場所に博物館を建てても良いという承諾を受けました。このために博物館カン・ジウォン常任共同建立委員長、イ・ミョンジュ共同建立委員長、キム・ヨンミ共同建立委員長、エイテックのキム・フェオク所長まで本当に苦労して下さいました。

ありがとうございます。後はソウル市都市公園委員会の審議が残っています。

④ソン・パニムハルモニは少し家に戻って荷物を整理しようと出かけましたが、間違えてもう一度ウリチプに戻ってこられました。カン・ジュヘ局長が車に乗せて行く途中に気分が悪くなって再び戻るしかありませんでした。

⑤キム・ドンフィ局長のお母さんが今日はウリチプに来られてハルモニたちと私たちに美味しいお肉を買ってきていただき美味しく頂きました。体にお肉の匂いがついて幸せな心配をします。^^

4月15日(土)

①今週の週末にウリチプを当直はアン・ソンミ監査でした。土曜日の午後から日曜日の午後まででした。

②最近、週末ごとに教育観で訪問教育があります。高校が土曜の授業を特別活動時間としているのが現状です。今日はクァナク高校の学生たちがインチョンのテイン高校の学生たちが訪問してビデオの視聴・教育・実践活動をしました。

③ヤンピョンのヤンソ高校で作った初めての挺隊協の青少年サークル“セムル”の二回目の集まりがありました。キム・ドンフィ局長が直接ヤンソ高校まで会いに行きました。青少年サークルを今後、各学校ごとに広げようということが私たちの目標です。

*来週の重要日程

①4月18日午後3時、国家人権委員会の10階でデグにある「挺身隊のハルモニと共にする会」の主催で“2006年日本軍「慰安婦」問題の解決のための展望”討論会があります。

②4月19日の水曜日は正しい歴史の清算で明るい未来を!と言うテーマで水曜デモが開かれます。太平洋被害者保障推進協議会が主管します。

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