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2006年4月25日 (火)

PCが・・・

週間消息の翻訳の途中でしたが・・・

私の不注意でブレーカーを飛ばしてしまい・・・

PCが壊れてしまいました(涙)

予定ではGW明けに復旧する予定です。

少し遅くなりますが継続して翻訳作業を続けていきますので

また、どうぞお越し下さい。

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2006年4月16日 (日)

【挺対協】週間消息⑬

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑬【4月3日~8日】                     

                                         報告:ユン・ミヒャン事務総長

4月3日(月)

① インチョンのハン・オクソンハルモニの健康状態が良くなったようです。痴呆もとても良くなって記憶力もはるかに良くなったと言います。

② チョン・ジンソン、ソウル大教授と電話で話しました。日本の“女性のためのアジア平和国民基金”について、国連人権委員会などについて意見を交わしました。

③ 消息誌39号1次編集の見本が企画者から出ました。それで、修正をしていますが写真や書体に全然、神経を使っていないので少し不愉快です。

④ ソンゴン大学の学生たち45名が教育館を訪問して教育を受けています。イ・スクジン先生が行っている“女性・生命・平和”の科目を受講している学生たちです。オリエンテーションと“消せない記憶”のビデオ上映、ユン・ミヒャン事務総長の講義を行いました。学生たちの瞳は希望でキラキラしていました。今日の講義は成功~!

⑤ カン・ジュヘ局長がチン・ギョンペンハルモニを訪問して来ました。ハルモニは遠くの親戚の家の隣に引越しされました。地方へ。

⑥ スウォン、地域オーケストラ運動協議会のキム・チョルゴン団長が電話を下さいました。土曜日にスウォンで開かれた“希望を開く春の音楽会”が終り、みんなに電話をして下っているようです。チャン・ジョムドルハルモニの証言を聞いて、またユン・ミヒャン事務総長の講演を聴きながら、初めて聞いた時の事を思い出して日本軍「慰安婦」問題が衝撃的でその時にすぐには関心を持てず胸が痛がったと言われます。それでも振り返ってでもこのような行事を準備する事ができて良かったと話して下さいました。

そして、“嬉しい知らせがある”と言われた。今後、スゥオン地域で持続的に日本軍「慰安婦」問題を市民たちが広めると言う事をする事に決まったと言われました。5月から10月まで月に1~2回スゥオン駅、市民公園で青少年オーケストラ運動を行いながら写真展示を一緒にする事にしたと言われました。本当に志があるところには道が開けます。

30分後にまた電話を下さいました。ハルモニたちが喜ばれる歌や唄っている歌があればそれを協奏曲に作って行事の時に歌うと言われます。それで“岩のように”と“アリラン”“力を集めて、力をおくれ”“今のように堂々と”を教えました。

4月4日(火)

① キム・ドンフィ局長が風邪をひどく引いたので午前で早退しました。疲労からくる風邪のようです。声が完全に枯れていました。

② 10月にドイツで行事を開く準備をしています。このためにメールのやり取りをしています。今日は挺対協活動状況とハルモニたちの生活について英語の資料を作って送りました。

③ 5月10日の“両親の日”の二日後、水曜デモを両親の日の行事を日本大使館前で持つことにしてハルモニたちに慰労と愛を伝える行事として企画しています。この日は子どもたち、青少年がたくさん参加して文化行事にしたいが、平日なのでどうなるか分かりません。

④ 総会が終わって定款改定、信任理事登録など行政業務をしようとイム・ジヨン監査が忙しいです。チョ・ユニ書記の住民登録謄本、実印を要請して、関連文書を作って登録税を納付して本当に仕事が多いです。

⑤ 今、チン・ギョンペンハルモニからかかってきた電話がカン・ジュヘ局長の携帯をずっと呼んでいます。引越しがうまくいったと伝えて下さいました。

⑥ シン・ヘス代表が事務所に来てアン。ソンミ監査と一緒にこの間の後まわしにしてきた国連人権委員会に関連した資料などの整理を始めました。今日もやっと小さな封筒をひとつを整理しただけで午後の時間をすべて費やしました。まだ、しばらくかかるようです。国連関係のビデオも点検して長く保管できる方法で残さなければなりません。

⑦ 第700回水曜デモの映像をHPに簡単にアップしようとしています。ボランティアのチャン・ヒョジョンさんが苦労しています。

4月5日(水)

① 今日の水曜デモは第703回水曜デモでした。新しい世界を開くチョンジュ教女性共同体で主幹をしました。今日、参加した団体は永遠の聖母修道会、中央大の1年生たち、北海道から来た北城高校、チョンジュ教人権委員会、太平洋戦争被害者補償推進協議会などの団体が一緒に参加しました。

この日の目玉は5歳の男の子が進み出て「こんにちは」と挨拶して“独島は私たちの土地”を歌いました。ハルモニたちの拍手喝采は本当に熱かったです。ハルモニたちは、こぞってこっちにおいでと手を伸ばしていました。

② 水曜デモが終わって学生たちの質問が降り注ぎました。ほとんどが記者の水準の質問でした。30分以上もそのままに学生たちの質問に答えて立っていました。

③ 水曜デモが終わってファン・グムジュハルモニとチャン・ジョムドルハルモニをお連れして西大門にある漢方医に行きました。そして、ハルモニたちの体に良い漢方薬を処方しました。チャン・ジョムドルハルモニは風邪を引いてひと月を過ぎ、二ヶ月目になるのに未だに治りません。咳が相変わらず続いています。漢方薬を飲めば力が少し出るでしょうか?

④ 事務所に患者が発生しました。キム・ドンフィ局長が疲れによる風邪のために声も出ず、体も辛いので欠勤しました。ウリチブのソン・ヨンミ室長も風邪が引いてしまいました。事務所の実務者たちが健康であればハルモニたちも健康だと言うのが普段からの私たちの持論ですが、倒れてはダメなのですが心配です。

カン・ジュヘ局長をみると「カン局長、あなたも体調を壊さないで~」と言いながら笑います。

⑤ LAタイムズの韓国支局長と記者が水曜デモに参加して午後から事務所を訪ねていきました。小さな記事ではなく大きく取り上げるつもりで取材したいと言います。二時間を越えるインタビューをしました。ハルモニたちの状況、65年の韓日協定についての状況、外国でのこの問題を見つめる立場についての意見などなど。

⑥ 元々、今日は水曜デモが終わった後で事務所の実務者たちの研修をする事になっていましたが、患者たちが発生したので一週間延期しました。宿舎も予め予約していたので、当日になっての取り消しは出来ないのですが、私たちの事情を話すと幸いにも延期して下さいました。

4月6日(木)

① ウリチプで10時からフェミニスト歌手のチヒョンさんが歌の教室を開かれました。今日はイ・ヨンスハルモニがいらっしゃらない中でキル・ウォノクハルモニとイ・スンドクハルモニ、ファン・グムジュハルモニが共に参加しましたが、イ・スンドクハルモニは先週には歌をあまり歌いませんでしたが、今日はとても気分良く歌も歌いました。

チヒョンさんと一緒に昼食をしながらこの間の歌の教室についての評価を一緒にしました。

② ソン・パニムハルモニの病院に退院手続きに行ったカン・ジュヘ局長が電話をかけてきました。「ハルモニが退院しようとするのですが、状況がちがいます。ところが、ハルモニがどうしても家に帰ると言うのです」ハルモニに変わって欲しいといって電話で直接話しました。ついにハルモニはウリチプに来られる事になり、有りがたいと話されました。

午後にソン・パニムハルモニがウリチプへ退院されました。ハルモニは具合がとてもよくありません。顔と足がとてもむくんで、私たちが見ても気の毒なほど体が不自由に見えました。ハルモニはパーキンス病になり、また骨粗しょう症で脊髄がずれていました。その上、倒れて腰にヒビまで入って・・・

当分、ウリチプで過ごされて本当に良くなれば家に帰られると言います。早く快癒されることを私たちも祈ります。

③ ウリチプでファン・グムジュは今日の朝、食べたものをすべて吐いてしまって何も食べられなくなりました。顔色も黒く、黄疸も一緒に出ていて今日に限って髪型を整えずに二階から降りてきました。

ところが、ハルモニは具合が悪いなら自分の家に帰ると立ち上がろうとします。長くウリチプにいようと薬などいっぱい準備されていたのに家に帰れば気分が楽になると言われます。「ハルモニ、ハルモニが具合が悪いのに独りで帰ることも、家に独りでいる事も不自由ですよ。このままここにいて下さい。私たちを助けると思って」「いや、私は帰らなきゃ」歌の教室が終わってから「帰る」「帰らないで下さい」と言いながら30分間言い争ってしまって、結局ハルモニは帰りました。

歌の教室のチヒョンさんが帰り道に駅まで車に乗せてくださいました。一時間後に電話をしてみるとハルモニは無事に家に到着していました。声がさっきより少し良くなりました。

④ ハルモニたちの漢方薬の時期がやって来ました。ハルモニたちから電話がかかり始めました。「薬代は出たの?」「私は○○薬を飲みたい」

どうして漢方薬ですって?女性部からハルモニたちに漢方健康治療費を半年に35万ウォンの予算で策定されていています。この仕事を事務所でしています。健康治療が始められた年と二年目の年には漢方医協会でこの仕事を引き受けてくれましたが多くのハルモニたちがこの恩恵を受ける事が出来ず、結局団体を通じてする事になりました。

それで、挺対協とナヌムの家、地方の市民の会たちがこの仕事を代行していますが、細かい作業が並大抵ではありません。忙しいけれど春に漢方薬を飲めば体に良いと言うので地方にいらっしゃるハルモニたちまでみんなが漢方治療を受けられるように急いでいます。

⑤ キム・ワンソプと言う人がいます。

彼は親日派のための弁明と言う本を書いたり、右翼集会に参加して親日発言をして物議をかもし出しました。

-朝鮮総督府がなければ今の韓国の発展もない。

-日本の統治時代に搾取と言うものはなく、軍隊化のノウハウを拡散させる役割をした。

-日本によって被害を被った従軍慰安婦や徴用被害者たちの主張を聞いて見ると彼らがあたかもそれ以前には進んだ先進国で人間らしい営みをしていたが、ある時急に日本によって人権を踏みつけられたように主張しているが、これは当時の現実を勘案しない不当な主張だ。彼らが経験した苦痛と非人間的な処遇は充分に悲劇的だと言うが、当時はすべての人々がそれぞれ悲劇的な生活をした時期で戦地にまで連れて行かれて、そこで生き残った事だけでも幸いな事だ。

-100年前、韓日併合を反対しながら自決したり、義兵を起こした抵抗して死んでいった人々は守る価値もないもののために闘って犬死にしたのだ。

-イ・ワニョンの訴えによって1919年3・1運動は6月始めに軍隊によって流血弾圧なく平和的に終える事が出来たのだ。

-韓国政府は独島を無断占拠して自国の領土だと主張しているがこれは泥棒と同じだ。

-金九は罪のない日本人を殺害した朝鮮王朝の忠犬だった。

-多くの若者たちが愛国心に燃えて自発的に日本軍に支援したのだ。

-北に対応して韓日軍事同盟を作ろう。

本当に話しにならない話しですが、この人は日本では人気があり右翼たちの集会に招請されて本当に危険な事がおこりました。

ここに多くの人々と共に名誉毀損で告訴したのですが、1審では勝訴し2審に入りました。日本軍「慰安婦」生存者の中からはパク・ドゥリ、キム・グンジャ、キム・スンドク、パク・オンリョン、ファン・グムジュ、ムン・ピルギハルモニが告訴人として参加しましたが、パク・ドゥリハルモニはいらっしゃらない為に3名で再び2審にも告訴人となりました。

⑥ キム・ドンフィ局長は相変わらず風邪が治りません。しかし、今日まで休む事が出来ずに事務所に出てきましたが、声が出ず顔も腫れて散々です。

ウリチプのソン・ヨンミ室長も風邪が酷くなっています。具合が悪ければ身動きするのも大変ですが、ハルモニたちのお世話をしなければならず、仕方なく明日は家事の手伝いを呼ぶことにしました。

4月7日(金)

① ドイツのキリスト教会関連であるEMS会員とスイスMission 21チョン・ミヒョン博士が事務所を訪問されました。

② 韓国語の消息誌39号が発刊されました。教育館でそれを広げて発送作業をしました。ボランティアたちまで一緒に郵送作業をして、郵便局に運びました。そして、ようやく会員たちの家に消息誌が届く事でしょう。

③ 国家人権委員会に出すプロジェクトの選考にもれました。AI(Amnesty International)の日本軍「慰安婦」問題勧告を実行させるグローバルキャンペーンを申請しましたが落ちましたね。

それは出来れば8月末に開かれるILOアジア太平洋地域の総会事業にも影響を与える事が出来ると考えたのですが残念です。他をあたらなければなりません。

④ 午前に日本のある小説家が平和市民連帯カン・ジェスクさんの案内で事務所を訪問しました。そして、インタビューをしました。

小説家の方は84歳ですがフィリピンに日本軍「慰安婦」被害者たちについての本をすべて書き、韓国の日本軍「慰安婦」被害者たちの本を書くために取材活動中でした。

トンヨンに行ってこられ、キョンブクを訪問してテグにある市民団体の助けてハルモニお二人と直接会ってインタビュー出来たと話されました。

⑤ 5月5日、子どもの日に日本軍「慰安婦」問題と子どもたちと一緒に考えるプロジェクトをアニャンの市民団体たちと一緒に推進しています。うん・・・他の地方も考えてみます。

⑥ 下半期にドイツで行事を開こうと現在、推進中です。一生懸命メールのやり取りをして、またどんな最も良い方法なのか考え中です。来週の水曜日に土いるのEMSから事務所を訪問されると言うのでその時に何か意見を聞いて共同事業を提案し見るつもりです。

⑦ ウリチプのハルモニたちは今日、ウリチプの裏にあるヒョリム院に物理治療と様々な老人福祉プログラムに参加してこられました。今日は銭湯に行く日でハルモニたちはさっぱりしたようです。ソン・パニムハルモニも一緒に行かれました。イ・スンドクハルモニはヒョリム院のプログラムに参加してまた幸せそうでした。

⑧ 午後7時から9時30分まで教育館で「戦争と女性人権センター」の二回目の月例セミナーを開きました。今日は日帝侵略戦争での女性動員日本軍「慰安婦」問題についてでした。講義はパク・ジョンエさん(サンミョン大の講師、スクミョン女子大博士終了)がして下さいました。

20名を越える青年たちが参加して、女性学を専攻する人、歴史の勉強をする人、アニメーション、映画を作る人、医大生など多様な人々が参加しました。

4月8日(土)

① 今日はパク・ドゥリハルモニが旅立たれて49日目になる日です。この日、仏教では四十九日を行うと言います。

ナヌムの家で11時に行なわれました。黄砂が今日に限ってどうして酷いのか、度々走る道だがいつも道を間違えてしまうのでナビを頼りに朝早く出掛けました。

ナヌムの家に到着すると学生たちがたくさんいました。ハルモニたちは居間に集まっていましたが、私を見つけるとみんな明るく笑って下さいました。

一時間ほどハルモニたちと談笑をしてそして、11時に法堂に移動して四十九日に参加しました。四十九日はパク・ドゥリハルモニの遺族とナヌムの家の委員長と僧侶たち、ハルモニたち、そして訪問中の大学生たち、ボランティアたちが参加しました。外部団体の参加は挺対協を除いてはいないようでした。

四十九日が12時ごろに終りパク・ドゥリハルモニの娘さんとお孫さん、ハルモニたちと一緒に食事を美味しく頂きました。お餅と果物まで接待を受けました。

食事後は居間でハルモニたちと第二次雑談を行っていましたが、地方から来ていた大学生たちが「パク・オンニョンハルモニ、あの~」「キム・グンジャハルモニ、あの~」「イ・オクソンハルモニ、あの~」と学生たちが呼んでいました。ハルモニ一人づつ学生たちが数名づつが、せがんでハルモニの証言を聞いて講義を聴いて教育をしているようでした。「あっ、ハルモニたちがお疲れだ」ハルモニたちともっと話をしたいが学生たちが待っているので席を譲って立ち上がりました。「ハルモニ、私はこれで帰ります」そして、再びきた道を車で引き返しました。黄砂はもっと酷くなり頭まで頭痛までします。

② カン・ジュヘ局長はナヌムの家から今日のウリチプの当直の為にウリチプへ向かいました。帰り道にパク・ドゥリハルモニの娘さんとお孫さんを家の近所まで乗せていきました。

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2006年4月 9日 (日)

【挺対協】週間消息⑫

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑫【3月26日~4月1日】                                                                報告:ユン・ミヒャン事務総長

3月26日(日)

① ウリチプにキル・ウォノクハルモニが帰ってこられました。ソン・ヨンミ室長によると顔が痩せたようです。これでもう体調を崩す事が無いように祈ります。

② ウルサン在宅ボランティアであるキム・ミジョンさんがソン・ナミハルモニの様子を伝えてきました。キム・ミジョンさんはウルサン女性会の活動家です。

ハルモニの具合がとても悪いと言うのです。息子さんに会いたいと言うのでトッポキなどを買って息子さんと一緒に訪ねましたが話も出来ず、顔もとても痩せてしまったようです。笑顔も見られず・・・

③ チェ・ガプスンハルモニの在宅ボランティアであるパク・ソンヒョンさんがハルモニの消息を伝えてくれました。ハルモニはパク・ソンヒョンさんがお気に入りです。訪問すれば手を握って話しません。

ハルモニはソンヒョンさんの顔を見るなりウリチプでの話や、そこで受けた物理治療の話し、そのお陰で体の調子がとても良くなった話し・・・ハルモニはトクス教会で運営している老人学校に登録もされたそうです。そこで歌も習い、踊りも習っているそうです。

3月27日(月)

① シン・ヘス代表がAPWLDの機関紙に第700回水曜デモの記事を書かれて、その記事を事務所にも送ってくださいました。うーん、英語の小さな文字の意味をすべて理解する事は出来ないが、私の英語の実力でも第700回デモの熱い雰囲気が伝わってきました。

事務所で写真を選んでAPWLDに短い英語の手紙と一緒に送ったところ、幻想的な写真を送ってくれてありがとうと言う返事が返って来ました。

② 事務所の文書資料がもう一度、すべて教育館の机の上に並べられました。博物館を準備しながら、今からコンテンツを準備するために現在、挺対協が所蔵しているすべての文書の区分、リスト化して、可能な限りすべて文書をDVD化するつもりです。オム・ギヒョンさんがこの仕事を引き受けてくれています。

③ ユン・ジョンオク先生がベトナムに言ってこられました。今回は韓国軍によって被害を受けたベトナムの女性のインタビューも含んだ様々な調査活動をして来られたようです。先生のベトナム調査記録活動のために事務所で事務作業を加える事にしました。

④ 今週の水曜デモは挺対協でボランティアをしている友人たちが主幹します。チョ・ジョンフン、ユ・ジョンスクさんは少し特別な式次第のために替え歌にピケを作るのに忙しいです。

⑤ カン・ジュヘ局長がウルサンのソン・ナミハルモニとユン・ドゥリハルモニの家を訪問しました。ソン・ナミハルモニがとても具合が悪く、話す事もほとんど出来なくて人を見分ける事も出来ないので心配な状態です。

3月28日(火)

① 東京からヤン・ジンジャさんが来られました。博物館の建立委員会日本側共同建立推進委員長を引き受けているヤン・ジンジャさんは日本で日本軍「慰安婦」問題と関連して広報大使のように活動していらっしゃいます。

私たちの女性ネットワークの活動をしながら挺対協と連帯を始められて日本軍「慰安婦」問題にとても熱心です。1992年、8月ソウルで開かれた第1回アジア連帯会議の時に参加もされました。ソン・シンドハルモニと支援する会を作り、牽引して来られ下関判決を生かす会の活動もされています。今はソン・シンドハルモニに関連した映画も作っています。とてもとても忙しい中でもいつも挺対協実務者たちに暖かい慰労と激励を惜しみません。私たち共に頑張りましょう!

② アン・ヘリョンさんが来られました。シン・スンドハルモニの映画の製作と関連して多くの仕事をしています。映画製作基金を作るためにコンサート開催もヤン・ジンジャさんと一緒に論議して推進しています。日本軍「慰安婦」問題と関連して本当に苦労を厭わず仕事をされていますが・・・

③ ソウル市福祉事業の一環で賃貸住宅を日本軍「慰安婦」被害者たちのためウリチプやグループホームのため無償で貸与するとして今日が申請の締切日で私たちも申請をしました。ソギョ洞側の住宅を申請しましたが、うまく行けば嬉しいです。

ハルモニたちはすでに「私もその家で住む」と言われます。しかし、心配がもっと大きいです。そうするために事業が大きくならなくてはならないが、運営をどうやってすれば良いのか今からもっと考えなければならないようです。

④ キム・ドンフィ局長がボランティアのチョ・ジョンフンさんと今日ついに青少年サークル“セムル”活動を始めました。ヤンピョンで夕方、仕事を終えた後に電車に乗ってヤンソ高校の学生たちに会って今後のサークル活動と関連した最初の集まりを持ちました。

学生たちが8時30分ごろに授業が終わる為に時間がそのように合わせました。夜10時30分に電話をするとその時も学生たちと話し合いをしている最中でした。始めての集まりにも関わらず14名が参加してとても関心が高かったようです。

⑤ スウォン、コドゥン洞聖堂でスウォン市民新聞社と地域青少年オーケストラ運動協議会が共同主幹で来る4月1日、“希望を開く春の音楽会”を開きます。この時、ハルモニの証言も行いユン・ミヒャン事務総長の講演も行い、挺対協のビデオも上映する予定です。しして、写真展示もするつもりです。これを準備するためにスウォン市民新聞のキム・サムソク代表と電話のやり取りをしました。

⑥ 今日もユン・ジョンオク先生が来られて、昨日出来なかったベトナム調査記録を整理しました。午前に仕事を終えて美味しい昼食をご馳走してもらいました。その場所でロシアで宣教活動をしているユン・ヨンエ先生(前韓国教会女性連合会総務)も席を共にしました。

⑦ カン・ジウォン共同建立委員長が電話を下さいました。運転中で電話をつかんで発信者の名前も見ずにぐずぐずしていたら、あ~カン・ジウォン弁護士でした。車の中で時計を見ると夜の10時30分を示していました。本当に気分が良いです。

お忙しい委員長です。今回は私が携帯メールを送ったり番号を残してもいないのに連絡を下さり博物館建立敷地と関連した意見を下さり、現状変更審議の手続きと関連した情報を下さいました。元気いっぱいに頑張ります。

3月29日(水)

① 朝から事務所は騒がしかったです。テジンさんが替え歌の歌の練習をして「踊らなきゃダメ?」「えー、どうやってするの?」今日の水曜デモを準備するために騒がしいです。

挺対協でボランティアをしている青年たちが今日のデモを主幹しながら何かハルモニたちに楽しんでもらえる事がないかと考えて青年たちが好きな運動歌より大衆歌謡がハルモニたちには慣れ親しんだものだろうと思ってハルモニたちがよく知っている歌の歌詞にハルモニたちの問題に変えました。事務所で一番奥の席に座っている私の所にその姿が見えて本当に良いです。これで挺対協の事務所はいつも笑いが絶えず、力が湧いてきます。

② ファン・グムジュハルモニに電話をしました。「ハルモニ、キム・ワンソプさんを名誉毀損で告訴したじゃないですか。ハルモニが一人で告訴されたでしょう。その初裁判で勝ったんですがキム・ワンソプさんが再び2次裁判を起こしたんですが、その裁判も同じく損害賠償をしろというのですが、ハルモニ一人当り5千万ウォンを賠償しろというのですが、ハルモニそうすると裁判所に一人当り20万ウォンづつ出さなければならないんですって」そうすると「えっ、なんだって?それで私にどうしろって」「20万ウォんを出さなければならないでしょう」「分かった。後で話そう」このようにして電話が終えた。どうやって説明すれば良いのか考えなくてはなりません。

③ ユン・ドゥリハルモニと電話をしました。カン・ジュヘ局長が訪問した時に会いたいと言われていたので電話を差し上げたのですが、ハルモニが涙を浮かべているのが見えるようでした。

「テレビでお前が出ているのを見てその夜にどれほど泣いたか分からない」ハルモニはそう言うといつもの言葉「早く息子を一人産まなきゃ。息子を産んでいないわつぃが息子を産めと言っているが、死ぬ時にどうするの」と言われます。「ハルモニ、娘は最高ですよ。ハルモニ、私が死ねばハルモニと一緒に全国を回るのに何が心配ですか?神様がすべて見守って下さいます。法事も必要ありません。ハルモニ~」ハルモニが教会に通っている為にハルモニの信仰で解釈して欲しいと伝えました。そうして話した後、本当に死んだ後に良い場所で再び会えれば良いと思いました。そして、いつ実行できるか分からない言葉を・・・「ハルモニ、花が咲いてよい時期にウルサンへ行きますからね」そうしてハルモニは受話器を置くことができるのです。「そうね、その時会おう」

④ 今日で水曜デモは第702回目です。第701、第702回。本当に慣れていないように感じるのは何故だろう・・・本当に水曜デモをもう一度始めたような感じがします。

第702回水曜デモは挺対協でボランティアをしている青年たちが主幹しました。チョ・ジョンフンさんの司会、ボランティアたちがテジナさんの“幸せに”と“お爺さん、どうして呼ぶの”を替え歌にして律動と共に歌いました。ハルモニたちは慣れた曲調にのせて自分たちの事を歌った歌を喜ばれました。今日もシスターたちは来られていました。ソンシムシスター会からも来られていました。ヨンセ大学の学生たち、トングッ大学の学生たちも来ていて、大阪の在日韓国民主女性会からも参加しました。チョンシン大学の研究所イ・ソンスン所長、太平洋戦争被害者補償推進委員会イ・フィジャ代表も参加され、ハク・ドビョン生存者、チョン・ギヨンさんも参加され、発言もされました。

⑤ ファン・グムジュハルモニは水曜デモが終わって、薬を持ってくるのを忘れて家に帰られました。カン・ジュヘ局長がキム・ボクソンハルモニを訪問するので一緒に向かいました。ところが、夜には再びウリチプに来られたようです。連絡もなく来られて私たちは本当にビックリしました。

⑥ わずか数年前からでも集会をしたりデモをしながら対峙していた警察たちと食事を共にするなんて想像も出来ない事でした。ところが、挺対協がその壁を壊しました。第700回水曜デモが終わった時にすでに時間は午後4時に近づいていましたが、その時間までハルモニたちも私たちも食事をとる事が出来ませんでしたが、日本大使館を担当しているチョンノ警察署の職員たちも私たちを同じで食事をしていませんでした。それで、集会が終わってハルモニたちと一緒に食事をしようと勧めると本当に気持ちよく受けてくださいました。

そして、食事代を返そうとその日から毎週水曜なら夕食をもてなしたいと電話を下さいました。その度に私たちも何かの集まりがあったり、約束があったりしたので、行く事が出来ませんでしたが、今日はついに時間が合って一緒に食事をしました。そして、農民問題など全般的な社会問題について簡単に話しました。

今日もまた一つの教訓が浮かびました。人との出会いにおいてその外見や表面だけで判断したり、普段の偏見で接しないようにしよう。本分を忘れてはいけない、誰でもその人々を私たちの運動に向き合ってくれる友人として運動を共にしてくれる人になるように努力しよう。

3月30日(木)

① ユン・ジョンオク先生が事務所に来られました。ベトナム現地調査活動の整理、記録をされています。事務所でアン・ソンミ監査が手伝っています。おそらく、今日一日中仕事をされるようです。

② ウリチプではフェミニスト歌手チヒョンさんが行う歌の教室が二回目を迎えました。ファン・グムジュハルモニ、イ・ヨンスハルモニ、イ・スンドクハルモニ、キル・ウォノクハルモニが参加されました。

③ 日本からタケオミキメモリアルファンデーションの研究生バロリー・ラムビンが事務所にきました。日本語が少し出来ると言うのでユン・ジョンオク先生は急に対応して下さる他ありませんでした。

④ 韓国労総のカン・チョンホ局長と会いました。昼食を一緒に食べて、コーヒーを飲みながら今後のILOで日本軍「慰安婦」問題をどのようにしなければならないかを論議しました。今後ILO総会で基準適用委員会ではなく理事会で日本軍「慰安婦」問題を提訴する事にしました。これを今回の総会からロビー活動を展開する事にして、関連準備をする事にしました。そして、8月29日から9月2日まで釜山で行われるアジア太平洋地域ILO総会の時に記者会見、集会などの活動を通じてILO関係者たちに私たちの意志を伝える事にしました。

⑤ ウリチプでささやかな変化がありました。ウリチプはソウルとは思えないほど空気も良くてこじんまりとしてハルモニたちも喜んでいます。しかし、建物が古くなっていて玄関前のセメント床にひびが入って木で作った玄関は落ちてギジギジと音がします。家の電球はウィーンと言う音を出して私たちの神経が高ぶります。

そんな消息をキョンギ大学の社会教育院で勉強しているアン・グンモさんがウリチプでボランティアをしている漢方医のユン・ヨンシク先生から聞いたようです。アン・グンモさんはすぐに駆けつけて取り付けていた玄関の扉を外して新しく取り付けて、玄関前のひび割れた部分を修理して古くなった蛍光灯を交換するなど大々的な作業をしてくれました。材料費だけでも差し上げたいと言っても受け取らず、私たちにボランティアの意味と姿勢ついて感動も与え多くの事を考えさせてくれました。

⑥ ソン・ハニムハルモニが倒れられたようです。腰にびびが入って病院に入院されましたがハルモニのパーキンス病に骨粗鬆症に脊髄まで痛めて本当に心配で仕方がありません。ウリチプに来たいと言っていたのにそのように腰を痛めるなんて・・・

⑦ ソンゴンフェ大学で授業でハルモニと学生が一緒に過ごす時間を作りたいとチャン・ギヨン神父が連絡を下さいました。5月10日(水)11時と12時の2回はハルモニが午後6時には私が行く事にしました。一時間の授業当り学生数は200名を越えるそうです。こんな機会が本当に良いと思います。ハルモニが素晴らしい講演を出来なくても歴史の証言者として戦争の経験者として人権回復運動の実践者として学生たちに良い教訓を与える事が出来ると思うからです。

⑧ 裁判所から通知書が舞い込んで来ました。シム・ミジャ、チ・マノンさんが挺対協とユン・ミヒャン事務総長に対して詐欺・横領・名誉毀損で告訴したことは該当項目がないと判定したと言う消息でした。そうだと思っていましたが気持ちががすっきりした感じです。

3月31日(金)

① 教育館で資料リストを整理しようと広げておいた作業を一旦、整理する事にしました。土曜日に高校生たちが教育を受けるためです。そして、月曜日にもソンコンフェ大学の学生たちが45名も教育を受けに来ます。実務者たちは資料を整理して動かしました。そうして資料を受け継いで仕事するという感覚を消す事は出来ません。この資料は挺対協の運動史の記録です。

② 今週は月曜日に事務所会議が出来ませんでした。それで今日、事務所会議をしました。週末に行事もあり、写真のチェックもしなければならないです。

4月1日(土)ファゴク女性情報高校教師2名と学生15名が教育館を訪問して教育。同じく4月1日スウォンコドゥン洞聖堂で行われる日本軍「慰安婦」ハルモニと共にする希望を開く春の音楽会の準備、4月3日行われるソンゴンフェ大学の学生の訪問教育。4月5日事務所ワークショップ準備、4月7日に行う「戦争と女性人権センター」月例セミナー、4月8日パク・ドゥリハルモニ四十九日と東京で開催されるソン・シンドハルモニの記録映画作成費を準備するためのコンサートなどについて論議しました。

③ 4月下旬頃、チャンウォン大学で日本軍「慰安婦」問題で講義をする要請が来ました。

④ 今後、ハルモニを訪問しながらハルモニたちが自筆で自分の名前を書けるように、それを残すようにしました。そして、水曜デモに来られたハルモニたちは各自が要求することを自筆で書いて残すようにしました。

⑤ 青少年サークル“セムル”をヤンピョンのヤンソ高校で始めましたが,全国的に拡散させる事を決定し、このために具体的な計画に入りました。

⑥ 今日はハンギョル法律事務所で引き受けてくれている“チ・マノンさんを名誉毀損“で民事告発したことについて裁判がある日でした。忙しい裁判日程中に私たちハルモニたちの問題まで引き受けて下さって本当に感謝して面目ありません。裁判がうまくいって追って少しでも弁護料を差し上げる事が出来れば良いと思っています。

⑦ チョン・ユノンハルモニがソウルで一人暮らしをされていましたが、末っ子の息子さんがいるチュンナムのアサンへ引っ越されました。チョン・ユノンハルモニも引越しを短い期間で思いの他、沢山されました。今回は長く健康に過ごされる事を願います。

4月1日(土)

① 今日はエイプリルフールですね。誰を騙そうかと考えていると、笑いがこみ上げています。

② 事務所にフェゴ女性情報高校の学生たちが訪問しました。ビデオも見てキム・ドンフィ局長の講演も聞いて質問もして日本軍「慰安婦」問題について一緒に考えました。

③ カン・ジュヘ局長がインチョン・ブピョンのチャン・ジョムドルハルモニを迎えに行きました。ハルモニは今日の午後7時にスウォンのコドゥン洞聖堂で開かれる希望を開く春の音楽会で発言をする事になっています。カン・ジュヘ局長から電話が来ました。「ハルモニの風邪がひどくて心配です、会場で会いましょう」 と。

④ 午後3時ごろ、雨がしとしと降る中で写真展示、物品、リーフレット、募金箱、ビデオなどを車に積み込みました。

スウォンには支援を要請したボランティアたちがいないために娘にお願いして同じ中学1年生の女子学生2名をボランティアとして急いで組織しました。スウォンコドゥン聖堂に到着すると午後3時30分、写真を貼り付けて広報ブースを作ってあれこれ準備を終えました。5時ごろにカン・ジュヘ局長がチャン・ジョムドルハルモニをお連れしました。天気が肌寒いために暖かいご飯で体を温めました。

7時に始めようとした行事は準備の関係のために7時30分に開始しました。今回の行事はスウォン市民新聞と地域オーケストラ運動協議会が共同主催で開かれました。美しい演奏と合唱は外で雨が降っていることも忘れるほど暖かい希望を感じさせてくれました。

その中で上映された日本軍「慰安婦」問題ビデオとチャン・ジョムドルハルモニの証言、ユン・ミヒャン事務総長の講演は歌の中で、音楽の中で歴史が生きていなければならない事を確信させてくれました。博物館の募金箱には20万ウォンのカンパが集められチャン・ジョムドルハルモニはスウォン市民新聞の代表が下さった講演料を再び博物館のカンパとして入れてくださいました。

音楽界が終わって写真を整理して荷物を整理するなど夜の10時まで仕事を続けました。体は疲れましたが、しかし私は個人的には横にいる娘が私と一緒に仕事しているのが嬉しくてまた、スウォン地域でもこれから日本軍「慰安婦」に関連した対応を始めたと言う感じがして幸せでした。

*来週の水曜デモは4月5日。第703回です。新しい世界を開くチョンジュ教女性同體が主幹します。そして、事務所は水曜デモが終わった後に今後の挺対協事業論議のためのワークショップの為に事務所を空けます。4月7日、午後7時には挺対協附設、戦争と女性人権センターで二回目の月例セミナーが開かれます。今回のテーマは日帝時代の女性動員、日本軍「慰安婦」問題と関連して、です。

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