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2006年3月30日 (木)

【挺対協】週間消息⑪

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑪【3月19日~3月25日】 

                    報告:ユン・ミヒャン事務総長

3月19日(日)

① 公休日

② 6・15共同宣言実践アニャングンポ市本部チン・スンイルチーム長が電話をくれました。アニャングンポ地域の女性たちと共にする事業を一度検討してみようと話しでした。そこで、次の水曜日の夕方に会うことにしました。

③ 水原メウォンメソジスト教会ユ・サレさんのご両親が生存者福祉後援金を下さいました。以前は娘さんの名前で後援金を下さいました。メウォン教会は2年間、毎月10万ウォンづつウリチプに後援して下さっています。

3月20日(月)

① スイスのジュネーブにいるチョン・ミヒョン博士からメールが来ました。3月15日12時にジュネーブでも簡単な行事を行ったと。第700回水曜デモが開催された場所はこれで9カ国17都市になりました。

② イム・ジヨン監査がチョンノ警察に一ヶ月間行う水曜定期デモ集会の申告をしてきました。 ③

文化財庁で審議申請書類と関連して若干修正と補完を要請する電話があり、手続きをしています。

④ 事務所会議をしました。第700回水曜デモの評価とプロジェクトの推進日程、国連人権委員会の状況の共有、水曜デモの準備、実行委員会の報告、HPの活性化、ハルモニたちの状況の共有など本当に多くのことについて論議しました。

3月21日(火)

① 4月5日、19日の水曜デモの主幹団体がまだ、決まっていないので会員団体を中心に交渉していますが、みんな忙しくて・・・

② キム・ドンフィ局長が2000年女性国際法廷の判決文の出版と関連してイルタル企画社に行ってきました。本当に長年の作業の末に得た結果なのでうまくいけば良いと思います。判決文はソウルで勉強している日本人のイママサさんなどでチームを作って翻訳して、校正する作業を通して行われ、序文はユン・ジョンオク2000年女性国際法廷共同代業が書いて下さいました。

日本軍「慰安婦」問題と関連した国際法廷の判断などを総体的に知ることが出来る本です。大学の教材としても良さそうです。先着順で注文を受けています。一般書店では買うことは出来ません。

③ イファ女子大学の総務に9月1日、ホジャイノ・モノローグ公演のために大講堂の場所提供を要請する公文書を発送しました。ところが、イファ女子大学から場所提供と関連して外部に貸し出す事が難しいと言う返事だったので、イファ大学の内部機関と共同主催する方向で考えています。

④ キム・ドンフィ局長がソウル市に行ってきました。文化財庁に博物館建立事業と関連して現状変更審議を申請した書類について修正と補完の要請があったのですが、この問題を解決するために行ってきました。

⑤ ドイツ・ベルリンに住んでいるアン・チャジョさんとユ・ジョンスクさんが事務所を訪問してくれました。二人は在ドイツ韓国女性の集いで一生懸命活動している方です。先週の第700回水曜デモの時にソウル集会に参加して連帯発言もして下さいました。事務所に来て在ドイツ韓国女性の集いと挺対協が日本軍「慰安婦」問題を解決するために今後も良いパートナーとして共に連帯することを確認しました。

⑥ スイス・ジュネーブで開かれた国連人権委員会に挺対協がどのように参与すれば良いのか悩んでいます。今回の会議は第62回ですが人権委員会としては今年で最後です。国連が体制を変えながら人権委員会を人権理事会に格上げするためです。今年にもまったく同じ日本軍「慰安婦」問題を戦争、或いは葛藤状況での女性に対しての暴力問題と共に連携して他の国の女性たちと共同でフォーラムも開催して公式発言もしなければなりませんが、正確な日程も決定していません。

特に今回は去る10月Amnesty Internationalが発表した日本軍「慰安婦」問題報告書で明らかにした勧告状況を履行させるためにキャンペーンを展開する問題を論議しようと準備しています。勿論、国連人権委員会に参加出来なくてもこれについては展開していきます。

⑦ 釜山のイ・オックムハルモニと電話をしました。ハルモニが引越しする事はハルモニの昔の生活を見せているようです。ハルモニは私たちが出会った後に引っ越しただけでも何回目なのか・・

・釜山→ナヌムの家→その隣の町→釜山→ナヌムの家→ウリチプ→パジュの養老院→プサンの親戚の家の近所→プサントンレ養老院。このようにハルモニは引越しをしてきました。こうしてみるとハルモニの引越しの荷物はとても簡単です。

ナヌムの家からウリチプに来られた時だけ見ても少し大きな風呂敷包み一つがすべてだったんです。釜山のトンレ養老院には少し長く住まれて良かったのですが、もう気に入らないようです。ウリチプにまた来てと言っても嫌だとおしゃって・・・

⑧ ファン・グムジュハルモニがウリチプに来られました。勿論、事務所によってユン・ミヒャン事務総長の机の横にしばらく座った後にウリチプに行かれました。

⑨ キョンヒャン新聞の時事評論に私が書いた“第700回水曜デモ、その恨と希望”と言う記事が掲載されました。

3月22日(水)

① 第701回水曜デモがありました。ソウル女性の電話が主幹したのですが、電話相談の教育を受けている教育生と事務所の活動家など、役員たちがたくさん参加しました。

日本からも名古屋から朝鮮女性勤労挺身隊訴訟を支援している団体でAALAからも参加し、大阪の在日韓国民主女性会からも参加しました。毎週、参加されるシスターたちも参加されハルモニたちも今日は10名も参加されました。おそらく参加者は100余名は参加したのではないかと思います。

あるシスターがフレジアの花を準備してこられ、ハルモニたちに差し上げました。花を持ったハルモニたちの姿は本当に美しかったです。

② キム・ドンフィ局長がチョ・ジョンフン活動家とアン・ソンミ監査と一緒に労働部で推進している青年雇用推進プロジェクトに挺対協も参加するためマポにあるソウル西部地方労働部事務所に行ってきました。

③ 大阪の在日韓国民主女性会から大阪で行った第700回連帯水曜デモの式次第と新聞記事、デモを記録したビデオテープを民主女性会の会員を通じて送って下さいました。第700回で募金した博物館へのカンパも1万円送って下さいました。今後も継続して募金活動をして下さるようです。

④ 女性歌手チヒョンさんが明日からウリチプでハルモニたちと一緒に歌の教室を開きます。これを準備しながら、ほぼ一ヶ月前から続けて水曜デモに参加してお昼も一緒にとりながらハルモニたちと心が通うように努力していました。

⑤ 6・15共同宣言実践アニャングンポ市本部から3・1節の行事で日本軍「慰安婦」問題と日本の歴史歪曲、今日の戦争などと関連した写真展示を行いながら博物館の募金箱を置いて募金をしました。今日になって募金箱を開けて、数えてみると227,360ウォンでした。

⑥ 昨日ウリチプに来られたファン・グムジュハルモニは水曜デモが終わった後、鉢植えの花に水をやるために家に帰ってきました。家に着いて「お母さんが来たよ」そうして鉢植えに水をやって再びウリチプに来られました。最近、ウリチプで過ごす日が家で過ごすより多いと思います。

⑦ キル・ウォノクハルモニと電話をしました。今日は電話の声が少し元気でした。力も出てきたようで、今度の日曜日に教会に行った後に戻ってくる予定です。

3月23日(木)

① 午前10時にウリチプで女性歌手チヒョンさんがハルモニと一緒に歌の教室を開く予定なので事務所に着いてすぐウリチプへ行きました。イ・ヨンスハルモニ、ファン・グムジュハルモニ、イ・スンドクハルモニが居間に座っていました。キル・ウォノクハルモニは今日も具合が悪いので戻っていません。早く治れば良いのに・・・

今日はオリエンテーションをする日で今後ハルモニたちとどんな歌をするのかハルモニたちと一緒に論議する日でした。主にハルモニたちが昔々子供の時に歌った歌を中心に曲名を探しました。「江南月」「サンゴ洞を泣いて泣いて連絡船は発つ」「皇城遺跡」「私もお母さんになって」「お母さんの気持ち」タリョン(朝鮮の曲調)など昔の歌を聞いて選びました。

ファン・グムジュハルモニは歌や踊りをすれば逃げ出したり、露骨に怒って嫌がるのですがどうした事が今日はリズムに合わせています。「私たちが幼い頃にたくさん聞いた歌だ。あれはファン・グムシムが歌っていたし、あれは誰かが歌っていたと・・・」「私たちが幼いときにはこんな歌を歌うだけでお母さんがどれほど殴ったか。

そんな歌はませた子たちだけが歌う歌だと」その話を聞いて私たちはゲラゲラ笑いました。私たちを笑わせて楽しくなったファン・グムジュハルモニは話を続けます。今日のファン・グムジュハルモニ語録となりました。

ハルモニたちが幼い頃は日帝の植民地時代です。植民地時代の歴史の痛みが染み付いた歌を習って歌えばハルモニたちがたとえ80歳を越えて90歳を目前にしていますが、今からでも新しく子どもの時の時間を作っていければと思います。ウリチプから事務所に戻るとお昼休みの時間でした。

② イデでボランティアをしている学生が来て日本軍「慰安婦」問題と挺対協活動について基調教育を行いました。すでに教育を受けた学生も来てボランティアをしています。

③ 39号の韓国消息誌の原稿を書いています。今日までが原稿の締め切りで来週に編集・修正して発送する予定です。

④ ドイツのある民間団体が運営しているHPで挺対協の第700回水曜デモに関連した内容が載っていると言う連絡が来て見てみると本当に具体的に掲載されていました。

HPのアドレスはhttp://www.doam.orgです。

⑤ 2006年雇用保険、産業災害保険と関連した書類をイム・ジヨン監査が作成していますが用語が難しいようです。本当に。公文書の中で用語が本当にいたずらに難しいものが多いです。

⑥ カナダ・オタワに住んでいる方が自分に出来る事が何かないかと問合せがありました。今後、カナダ・オタワの市民団体たちと連帯する掛け橋になれば嬉しいです。

⑦ 4月7日にある「戦争と女性人権センター」の“歴史の中の戦争、戦争の中の女性”二回目のセミナー「日本の侵略戦争と女性動員、日本軍「慰安婦」」-広報メールを送りました。今回の発題はスッミョン女子大博士課程のパク・ジョンエさん(強制動員真相究明委員会専門委員)が行います。

⑧ キム・フェオク代表が運営しているエイテックと言う設計事務所があります。その事務所は“戦争と女性人権博物館”現況変更審議関連して設計を引き受けてくれました。文化財庁の審議と関連して難しい業務まで含んでいます。

ところが、キム・フェオク代表だけではなく職員たちまでとても真心を込めて私たちを助けてくれているので挺対協事務所はいつもいつも感動させられています。一から十まで口出しするところが無い仕事振りにむしろ、お願いした私たちが申し訳ないぐらい親切にしてくれます。

それで、今日は私たちもプレゼンを送りました。職員たちにピザを届けました。反応は想像がつきます。あ~幸せです。

3月24日(金)

① カン・ジュヘ局長が事務所に出勤せずにソウルのソン・パニムハルモニの家を訪問して見るとソン・パニムハルモニの具合が良くないので病院にお連れしました。ウルチ病院緊急室で入院しようと待っていましたが結局、入院も出来なくまま夕方になって再び家にお連れしました。ウリチプにいらっしゃれば良いのに、ハルモニはみんなで一緒に暮らすのが嫌だとおっしゃり・・・

② ウルサンのソン・パニムハルモニがとても衰弱しています。来週頃には訪問しなければならないと思います、ユン・ドゥリハルモニにも会って。

③ 今日、一日だけで挺対協のHPを通じてCMS(自動振替)後援会員が二人加入されました。テジョンのキム・ギョンピル様、ソウルのキム・ギョンミン様ありがとうございます。3月に10名以上が加入されました。

④ 外交通産部から第700回水曜デモの時に訪問して伝達した要求事項についての返答が公文書で到着しました。

返事となると全く同じです。政府は国際機構の発言を通じてそして、日本政府に日本軍「慰安婦」問題について法的責任があると伝えているとの事です。もどかしいです。政府は継続して尽力していると言い、私たちは政府が日本に積極的に要求していないと感じていて。突破口をどうやって見つければ良いのかアドバイスを受けなければなりません。

⑤ トンチョン洞キム・ボクソンハルモニから電話が来ました。キム・ギョンスンハルモニと数日連絡が取れないと。トンチョン7洞東北担当のボランティアチームと連絡を取ると昨日、福祉館で行事があったがハルモニは出席出来ないとの事。

そこで、もう一度キム・ボクソンハルモニに電話をして見ると「帰ってきたよ。どこか、知り合いの家に行って来たみたい。連絡もなく行ったからこんなに新お会いをかけたね」とおっしゃいます。心配はしましたが、今回を契機にトンチョン洞の福祉館とハルモニたちに関連した新しいネットワークを作る事が出来ました。

⑥ チェ・グムソンハルモニの娘さんから電話が来ました。ハルモニが最近、とても具合が良くなったようです。ハルモニは申告されて約3年ほどになります。

ハルモニが暮らしている所が水原なので始めは水原の家を訪問しました。その時ハルモニの本心をたくさん聞かせて下さいました。初めて会ったにも関わらず。結婚をしましたが子どもには恵まれずこのように虐待を受けて、現在の娘さんは養女です。その時、娘さんに本当の娘のように勉強もさせ、結婚するときも本当の娘のようにしてやれる事はすべてしたが寂しいと話して下さいました。

ところで、ハルモニが一人で暮らしていて倒れたので水原のアジュ大病院に入院され、その時に私たちは娘さんに会うことが出来ました。娘さんは本当に献身的でした。お母さんのために家族の面倒は娘と夫に任せ、ハルモニの傍で下の世話をしてご飯も上手に食べさせて本当によくお世話をしていました。

私たちはその時、その時のハルモニたちの話を聞き、家族・親戚たちに対して偏見を持ってミスを犯す事があります。当然、家族たち親戚たちとの関係でハルモニ側に立っている私たちですが、ハルモニの周辺の方々と会わない状況でハルモニの話だけで決定する事を少し間隔を置こうと思います。

この間の経験から私たちはどの誰よりもハルモニたちの身内がハルモニたちに尽くす事が最も重要だと思っていて、私たちとその方々との関係形成にも神経を使います。病院のお見舞いに行く時にもハルモニの最も近い家族や親しい知人と一緒に会ってお見舞いしてハルモニの状況について論議して、そしてハルモニに対する責任を負う事ができる情緒と条件を作り出す事など努力します。勿論、すべて思い通りにはなりませんが・・・

チェ・グムソンハルモニは病院で約一ヶ月入院され、今は病院で世話になる事もなく娘さんの家に引越しされました。ハルモニは身体に麻痺があり、痴呆までありました。娘さんは時にはハルモニと喧嘩して一緒に泣いたりもして、そうするうちに一人で手におえなくなると事務所に時々、電話で訴えたりもします。しかし、その度に感じる事は本当に自分のお母さんを愛していると言う事です。最近はハルモニが娘さんに精神状態が安定していれば「ありがとう」と言ったりします。

⑦ カンルンのキョンポ台高校の先生が電話を下さいました。国語の時間に教科書に「慰安婦」問題が出てくるのですが学生たちと一緒にビデオを見て勉強をしていますが、学生たちが進んで本も借りてコピーして分けて読んで、また評価文も書いていますが内容がとても深くて良いので自分一人で読んでしまうにはとても、もったいないので電話をして下さいました。それで私たちがそれを受け取って水曜デモの時にハルモニたちに読んでさし上げて、HPにも掲示し、消息誌にも掲載するので送って欲しいと言うととても喜んで下さいました。

⑧ 挺対協に青少年のサークルを作っています。キョンギ道アンピョンのヤンソ高校の教師と学生たちが提案し推進していますが、一度本格的に動いてみようと思います。サークルの名前は“セムル”にしました。今は準備段階ですが、すでに活動する学生たちがいます。

⑨ 消息誌の原稿を書こうと実務者たちは一生懸命、キーボードを叩いています。消息誌は二ヶ月に一度発行していますが、これも仕事です。

⑩ 行政者自治部にプロジェクトを出そうと準備しています。韓日女性交流プログラムを企画しています。

⑪ 事務所にエピソードがあります。内容と言えば、まず私がご飯をおごると言うのですが・・・

事務所の実務者たちがラジオのインタビューをしたり、何処かに原稿を送ったり、後援に行ったりすれば講演料、原稿料、インタビュー料など事務所の後援金で出しました。ところが、今年に入って実務者たちに講演料などは10万ウォンを越える為に後援金にするが(通常、事務総長がたくさん行います)ラジオ・電話インタビュー料などの放送局から支給されていて、また金額も3万ウォンから4万ウォン程度なので必ず後援金に入れなくても良い事にしています。

ところが、第700回水曜デモを準備しながらカン・ジュヘ局長がラジオインタビューを受けて4万ウォンが入りました。そして、ユン・ミヒャン事務総長にも入りました。それを持ってお互いに今日は私がご飯をおごると順番を計算します。他の実務者たちは誰が先でも関係ありません。挺対協の事務所は心理的に精神的につらい事も多いですが、こんなことで笑う事が本当に多いです。お互いに対しての愛情も深まるようです。

⑫ ユン・ミヒャン事務総長がサンギョプサルをおごりました。カラオケにも行きました。私たちの食事会には可能ならばボランティアたちも一緒に行きます。実務者たちとボランティア間の友情が深まる夜です。

3月25日(土)

①キム・ドンフィ局長とカン・ジュヘ局長はメディアセンターで運営するビデオ撮影、編集教育を週末ごとに受けます。

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2006年3月23日 (木)

【挺対協】週間消息⑩

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑩【3月12日~3月18日】                                                                 報告:ユン・ミヒャン事務総長

3月12日(日)

① ユ・ジョンスクさんがウリチプのボランティアをしています。一日中、ハルモニと食事をして話をしているそうです。ハルモニはずっと横について話をする事が嬉しいようです。

3月13日(月)

① 第700回参加団体の総数確認のために事務所の電話回線はすべて話中です。

② ファン・グムジュハルモニがウリチプに行く途中で事務所を訪ねられました。何の連絡もなく突然、朝に来られて私たちはビックリしました。「まぁ、ハルモニどうしたんですか?こんなに早く」「うん、ただ全身が痛くて、それで家にいる事ができなくてウリチプへ行こうと」そして、私の机の横に少し座ってアレコレ話をした後にウリチプへ行かれました。何か言いたそうな感じだったにも思えましたが、心情が複雑なようでした。第700回水曜デモを終えてハルモニともう一度、ゆっくり話してみようと思います。

③ 第700回水曜デモを迎えて韓国政府に送る要求書を作成して、デモ行進の時に市民団体に広報する第700回水曜デモの新聞内容の編集を終えました。内容はボランティアのチョ・ジョンフンさんが担当しました。お疲れ様、そしてありがとうございます。

④ チョンノ警察署から結局、第700回水曜デモのデモ行進は不許可だと通知が来ました。初めて不法集会をするようになりますね。しかし、最後まで合法的な集会にしるために最善を尽くしています。

⑤ オーストラリア・キャンベラからも水曜デモを開催すると言う知らせが届きました。とても忙しいです。英語で準備した声明書とハルモニたちの連帯辞、海外連帯辞、主要な活動写真などを送りました。これで、韓国を含む8カ国16都市で開催する事になりました。

⑥ 第700回水曜デモ舞台用車の交渉が紆余曲折の末に日本大使館前の水曜デモに用にぴったりの車を見つけました。イム・ジヨン監査が連絡をすると担当者もとても良い人だったようです。挺対協の水曜デモも知っていて、そのお陰でレンタル費用も50%も割引して下さいました。

⑦ 第700回水曜デモの点検のために事務所会議を持ちました。同時に各自が担当して進めている一週間の業務についても論議しました。

⑧ 戦争と女性人権博物館のカン・ジウォン常任共同建立推進委員長に電話をしました。ところが、受け取ってもらえず、メールを送りました。「電話下さい。ユン・ミヒャン」夕方7時30分ごろにカン・ジウォン常任共同建立推進委員長から電話が来ました。

西大門独立公園内の売店の土地に博物館を建立するために文化財庁に現状変更審議の申請書類が受付された現状を報告して、このために私たちが準備しなければならない事などについて論議しました。カン・ジウォン常任共同建立推進委員長と電話をする度に感じる事ですが、時に市民運動をする私の中に有り得る不自然な習慣、先入観などをさっぱりと整理してくれたりもします。公務員たちを相手にする時も私たちが大変だと感じた障害も整理して、助けて下さる。

実務で直接動いている公務員、実務者、職員などを重要視する態度など私たちに「常に初心を忘れずに」と言う言葉を思い出させて下さいます。特にメールだけを残しても必ず、返事をくださり「慰安婦」問題、特に博物館建立問題に積極的に関心を持って明確に指針を示して下さりありがとうございます。

⑨ ソウル市市庁公募事業プロジェクトを提出していましたが、うまく行きました。ILOとヨーロッパ共同キャンペーンです。

3月14日(火)

① チョンノ警察署情報課から集会デモ行進の不許可公文を持ってきました。デモ行進について内部的に論議をしました。数人づつ固まって歩く事にしました。しかし、人が多ければそうならないので不可能でしょう。でも行進になるでしょう。

② ハン・グジョン共同代表が事務所に来られました。第700回水曜デモについて論議をしました。

③ 「明日は第700回デモもしなければいけないし、警察にも行かなければならないし・・・」「明日の事は明日考えて下さい。所長!」事務所の実務者たちと私の会話です。明日、第700回デモ参加者たちがたくさん来てくれるだろうか?心配になります。

とにかく、第700回水曜デモの準備のための最終点検会議をしました。私たちの事務所会議にはいつも実務者だけが行うのではなくボランティアたちも一緒に会議をします。だから、もっと良いアイディアも意見も出てくるのです。

④ 報道資料を作成して発送しましたが、ミスがありました。参加団体の中のとても重要な6・15共同声明実践アニャングンポ市本部の団体が抜けていました。それで、もう一度作成しました。

⑤ デモ行進する時、キルノリ(楽器の先導隊)をしてくれるプンムル隊の交渉が最後の段階になって失敗しました。しかし、集会が始まるまで最善を尽くして探しています。行進する時にプンムルが無ければ力が入らないような気がします。

⑥ 第700回水曜デモの記録・撮影をチャ・ヒョジョンさんにお願いして、写真撮影はインターネットニュース:チャンマル(真実の話)のイ・チョル記者にお願いしました。みなさん、一度で承諾して下さいました。ありがとうございます。そして、よろしくお願いします。

⑦ ソウル市政参加事業実務者のワークショップがあり、キム・ドンフィ局長が参加しました。

⑧ イ・ヘギョン(女性文化芸術企画理事)博物館共同建立推進委員長とシン・ヘス共同代表と一緒に9月に博物館建立基金を作るために開催するポジャイノ・モノローグ公演を準備するために会議を持ちました。

3月15日(水)

① 朝に交通放送でソウル警察がモニターで今日の集会を知らせてくれていますが、12時から2時までソウルチュンハク洞、日本大使館前で第700回水曜デモがあり、歩道を使用してデモ行進をして外交通商部前まで行くと案内をしてくれました。それで、ホッとして笑みがこぼれました。デモ行進は不許可にも関わらずソウル警察署にデモ行進の報告が出来ていたと言う事じゃないですか。

② 10時に事務所にすべての荷物を準備してトラックに積んで日本大使館に向かいました。

③ 新しく活動を共にしているアン・ソンミ監査も今日に限って女性部共同協力事業団体のワークショップがあり、第700階水曜デモを経験できずにワークショップ会場に向かいました。

④ 10時31分、日本大使館前に舞台車両が到着しましたが。予想以上に気に入りました。こじんまりとしたサイズで会社の担当者たちも好意的で本当に水曜デモ用にピッタリです。今後、姉妹提携を結ばなければなりません。

⑤ 11時、記者たちが集まりだしました。すでに日本大使館前はポリスラインも引かれ、舞台も設置され、参加者たちだけ集まるだけです。

⑥ 11時30分、歌で第700回水曜デモを始めてくれる“パダソリ”のメンバーたちも早くに到着しました。ハルモニたちも来られました。ところが、参加者たちが見えません。どうして、来ないのか?心配する実務者たちの声があちこちで聞かれます。

⑦ 今日の水曜デモは特別な発言者がいるのですが、イ・ウッチュン君(中学2年生)です。水曜デモが始まった年が1992年なので、企画会議の中で1992年に生まれた学生を探していつか、水曜デモで発言をしてくれたイ・ウッチュン君を思い出しました。

11時40分ごろ、私たちとイ・ウッチュン君を出会わせて下さったウリチプと事務所の漢方主治医ユン・ヨンシク先生とウッチュン君、そしてウッチュンくんのご両親がきてくださいました。そして、後援金20万ウォンを伝達して下さいました。「ハルモニたちに美味しいものです買って下さい」と言いながら。ありがとうございます。

⑧ 私たちが信じていたとおり一人、二人と参加者が集まってきました。団体たちもピケを作ってきました。約500名になったのではないでしょうか?

⑨ 11時50分ごろ、“パダソリ”の歌で第700回水曜デモが始まりました。

⑩ 12時10分ごろ、ユン・ミヒャン事務総長の司会で第700回水曜デモを進行しました。数十個の団体名で作られたピケと旗が見えました。目についた順番に紹介をしましたが、紹介出来ない団体も多かったです。

ユン・スンニョ共同代表の開会挨拶、ハン・グギョム共同代表の水曜デモの歴史と第700回の現状報告、民衆歌手“美しい青年”の歌、韓国女性団体連合ナムユン・インスン共同代表、6・15アニャングンポ市本部ソン・ユンソク代表の発言、全国女子大生協議会のカッコいい公演、在ドイツ女性の集いのアン・チャジョ総務の連帯発言、イ・ウッチュン訓の発言、イ・ヨンスハルモニの発言、全州から来られた全国助成農民会の歌の公演、そして声明書の朗読で日本大使館前の集会は終わりました。

午後1時30分に近づいて来ました。デモ行進が始まりました。100メートル前に警察が道を塞いでいました。人が押し寄せた状態で道を空けるように叫び、チョンノ警察署の情報課担当者と交渉の末、横断幕とピケなどを降ろして行進隊列ではない形で進むなら良いと言うことなのでそうする事にしました。

しかし、実際は行進隊列でないはずがないでしょう。本当にプンムル隊も緊急に結成されました。聞いてみると韓総連の前幹部たちが緊急に集結したそうです。

最後までプンムル隊が演奏しながらの行進は元気が出ます。プンムル隊についてスローガンも叫び、また時には降ろしたピケや横断幕を持ち上げたりして行進をしました。ハルモニたちもみんな予め準備した車に乗る事を拒否され直接歩いて行きました。

午後2時30分ごろ外交通商部に到着して面談をしました。ファン・グムジュ、イ・ヨンス、イ・オクソン、チャン・ジョムドルハルモニとハン・クギョム共同代表、ユン・ミヒャン事務総長が入っていきました。アジア太平洋区イ・ギョンス審議官と面談し、要求書と市民たちと書いてくれた抗議のハガキを伝達しました。昼食を食べるために食堂で座るとすでに3時30分になっていました。

同じ日、日本の東京、大阪、名古屋、神戸、福岡、沖縄でも一緒にデモを行ない、台湾・タイペイ市の日本大使館前で、ドイツ・ベルリンの日本大使館前で、アメリカ・ニューヨーク日本領事館前で、イギリス・ロンドンの日本大使館前で、オランダ・ハーグの日本大使館前で、オーストラリア・キャンベラ市内でデモを一緒に行い、国内でもマサンと釜山で同時に行い、計8カ国16都市で第700回水曜デモを行いました。

⑪ 中央地検に電話をしました。今日は元々、第700回デモが終え、チ・マノンさんが挺対協、ナヌムの家、ユン・ミヒャンを告訴した事に関連して被疑者調査を受けようとしましたが到底、時間的に不可能なようなので電話をしました。明日、午前に行くようになりました。幸い、時間が空いていました。

⑫ 第700回水曜デモと関連してKBS第一ラジオ“ニュースワイド3部”インタビューを受けました。 ⑬ 事務所に戻り荷物を整理して、今日の仕事を終えました。午後5時50分ごろ、事務所を閉めて久しぶりに夕食を一緒にしました。

3月16日(木)

① 午前9時、中央地検に到着して507号監査室に入りました。そして、調査を受けました。チ・マノンさんは昨年に「水曜デモをしているハルモニたちは一日当り3万ウォンを貰って動員された偽者たち」「80%が娼婦、偽者」「シム・ミジャだけが日本の法廷が認定した唯一本物の被害者で、本物であるシム・ミジャが認定した33人がおり残りは偽者」等の内容をインターネットで公開しました。

これがインターネットニュースと日刊紙などに掲載され私たちみんなが戸惑いました。その事についてハルモニたちと挺対協、ナヌムの家が名誉毀損で告訴、告発をしながら記者会見をしましたが、その記者会見が自身の名誉毀損だと告訴しました。

また「挺対協がハルモニたちを金儲けに使って」「ナヌムの家の入居者数を誇張して支援予算を受けた」など、本当に根拠の無い事を告訴状に書いてありました。午前9時から始まった調査は挺対協のこれまでの歴史をすべて話して終える事が出来ました。

午後2時30分ごろ、調査が終り事務所に戻りました。何もする気がおきません。意欲を失いました。

② 挺対協の掲示板に第700回水曜デモの時に合同授業を行った小学校6年生たちが本当に良い書き込みをしてくれていました。

③ 女性部で全国のハルモニたちのために活動している市民団体、地方団体の担当者たちが一同に集まるワークショップがありました。今年はハルモニのための事業はどうすれば効率的で、ハルモニたちに喜ばれるものを提供出来るよう出来るのかについて論議しました。

④ 明日、(17日)実行委員会がある予定なので、実行委員会の資料を準備しました。連絡もしています。今回もたくさんの参加は見込めません。

3月17日(金)

① カン・ジュヘ局長についに体調に異変が現れました。朝に電話がありました。「所長、少し遅れます。体に蕁麻疹ができました」

② 事務所に到着して続けて実行委員会の準備をしていますがまだ終わっていません。今回の実行委員会の準備はいつもより遅いです。参加者の連絡をもう一度しました。2/3は参加するようですが、1/3は委任されました。

③ 午後3時、実行委員会がありました。ユン・スンニョ共同代表、シン・ヘス共同代表、ハン・ウソプ教育委員長、チェ・ウクスン対外協力委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長、チョ・ユニ書記が参加しました。午後5時に実行委員会が終わりました。

④ 今年から挺対協附設[戦争と女性人権センター]の主催で月例セミナーを行います。今日がその最初のセミナーです。午後7時、20名を越える青年女性たちが教育館に集まりました。今日の主題は「戦争・女性そして平和」キム・エルリさんが講師をして下さいました。

4月:日本の侵略戦争と女性動員、日本軍「慰安婦」-パク・ジョンエ

5月:韓国戦争と女性-キム・キィオク

6月:米軍駐屯と女性

7月:ベトナム戦争と女性、そして韓国派遣-キム・ヒョナ

8月:韓国社会の軍隊問題と女性-クォン・インスク

9月:今日の戦争と女性

⑤ ユン・ヨンシク先生が事務所に来られました。疲れた目に必要な目薬を直接作って実務者たちとボランティアたちにまで下さいました。そして、今日も実務者たちの治療をして下さいましたが、ユン・スンニョ共同代表とシン・ヘス共同代表は特別治療を受けているために私の腰だけ治療をうけて実務者たちは次回に持ち越しました。いつも感謝しています。

⑥ 挺対協内に青少年サークルを作ろうと準備中です。これと関連して良い意見を下さい。

3月18日(土)

① ウリチプのイ・スンドクハルモニが娘さんの家で週末を過ごすので車でお連れしました。

② 実務者たちはこの週末だけは仕事ではなく休息する・・・

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2006年3月22日 (水)

【挺対協】週間消息⑨

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑨【3月5日~3月11日】

3月5日(日)

① キル・ウォノクハルモニはサムソン病院の病室に移られて本格的な検査を待っています。

② 福岡の関釜裁判支援会がパク・ドゥリハルモニと関連して亡くなられる前のハルモニの状況についての消息原稿を頼まれていたので、今日になってようやく原稿が完成して送りました。

3月6日(月)

① 月曜日なので一週間を始めるにあたって事務所会議をしました。一週間の業務について論議し、特に第700回水曜デモの検討と3・8世界女性の日の水曜デモについて論議しました。

② ファン・グムジュハルモニが急に電話をくれました。恐ろしく、振るえた声で「7団地のファン・グムジュハルモニが昨晩、死んだと」ビックリしました。全くそのような連絡を聞いていなかったからです。その瞬間、私はファン・グムジュハルモニと続けて電話して振るえているハルモニを落ち着かせ、カン・ジュヘ局長はキム・ボクソンハルモニに電話をして確認しました。キム・ボクソンハルモニと色々話をしているカン・ジュヘ局長は「ハルモニ、最近のファン・グムジュハルモニはどうですか?」と聞く体は少し痛むけど、別に何も代わりがないとの事でした。

イム・ジヨンさんが直接、ファン・グムジュハルモニの家に電話をかけました。「もしもし・・・」少しかすれた声、ハルモニ特有の声が受話器から伝わってきます。「ハルモニですか?最近、どうですか?辛い時は私たちにすぐ、連絡を下さい」と言ってイム・ジヨンさんは電話を切りました。

ファン・グムジュハルモニにもう一度、電話をしました。ハルモニは「どんな奴が、私(ユン事務総長)にそんな電話をしたんだ?」おそらく、夢でも見ていたのではないかと考えました。これが今日の最大のハプニングでした。

③ 午後にファン・グムジュハルモニは事務所に来られました。ウリチブで何日か泊まろうと来られたようでした。ファン・グムジュハルモニに関する心無い消息を聞いておそらく不安だったようでした。

小さな包みにはTシャツ三枚を買って、私とソン・ヨンミ室長、カン・ジュヘ局長を見て着なさいと言いました。青い模様にシルバーの模様が光っている到底、私たちが着るには難しいデザインです。もう、何度目の事か分かりません。「ハルモニ、有り難く頂きますよ。今度からは、店の主人にプレゼントをしようと思うけど若い人が喜ぶ服はどんなものか聞いてください。ハルモニの気持ちを思えば、いつでも着なければならないけど、こんな服では事務所に着てくる事が出来ないじゃないですか」(実は家でも着るのが難しい服でした)そう言うと、ハルモニは喜んで「うん、そうする」と答えられました。

そして、カン・ジュヘ局長に私の住民登録証はどうなったって?と急に住民登録証の話を始めました。「ハルモニの住民登録証は金剛山でハルモニに直接帰しましたよ。よく、探して下さい。もし無くしたのなら、もう一度作れますからその為の心配はしなくてもよいですよ。」しかし、明らかにハルモニは今日一日その為に落ち着かない事でしょう。

④ アン・ミヒョン監査の後任で監査志望のある女性を教育館で面接しました。年は81年生まれなのでとても心配していましたが会ってみると年の割にしっかりして見え、またNGOについての認識も私が考えていた次元よりは理解しているようでした。

⑤ ソウル市から博物館の敷地使用同意と関連した公文原本が到着しました。明日、西大門区庁に受付すれば手続きは開始されます。

3月7日(火)

① ドイツEMSからルージュ・トゥレッショ牧師がメールを送ってくださいました。4月19日にドイツEMSから3名が水曜デモに参加して、挺対協の事務室を訪問して私たちの活動を聞きたいとの事でした。

② 今日も第700回水曜デモの準備のために忙しいです。

③ 日本で第700回水曜デモに関連した日程が決定しています。京都から連絡がきました。京都は3月15日、午後6時に三条河川敷に集合して7時から行進を始めるようです。行進するコースは三条河川敷→三条川原町→四条河原町→市庁→川原町を往復するそうです。主催は全国同時証言集会京都実行委員会です。

④ 福岡からも連絡がきました。主題は「第700回水曜デモに連帯して、パク・ドゥリハルモニと亡くなられた数多くの被害者たちを追悼する福岡行動」として被害者の写真を展示しながら3月15日、午後3時から西鉄福岡駅で集会をするそうです。

⑤ 沖縄からも連絡がありました。沖縄では平和会が第700回水曜デモに連帯する集会を主催していて、計画は次のとおりです。

1.学習会【米軍と性暴力】講師:林ヒロシ(カンコ学院大学教授)

日程:3月11日(土)午後6:30~8:30

場所:ティルル3階 練習室1

2.フィールドワーク(沖縄と日本軍「慰安婦」)

日程:3月15日(水)午後1:00~5:00

集合場所:トマリン 1階

内容:那覇市内にある慰安所跡地を訪ね、軍隊と性暴力の問題、沖縄戦と日本軍「慰安婦」に対して考えます 3月15日のフィールドワーク後、沖縄総合事務局に要請書を持っていく予定だそうです。

⑥ デイリースプライズからシン・ヘス共同代表をインタビューしました。V-dayキャンペーンと博物館に関連した内容のインタビューでした。

⑦ イ・ミョンジュ共同建設委員長から電話がかかって来て文化財庁の現状変更審議と関連した手続きについて論議しました。

⑧ 韓国労総のカン・チュンホ局長とILO専門家委員会報告書がいつ発表されるのか等、今後のILOの日程について論議しました。

⑨ 戦争と女性人権センターの月例セミナーの案内メールを送りました。

⑩ キム・ドンフィ局長が西大門区庁に博物館の現状変更審議申請書の受付を済ませました。

簡単ではありませんでした。

電話で予め向かうと連絡したのに受付を拒否されたんです。ソウル施設管理公団に文書を提出しなければならないので、拒否したようです。現在、土地を掘り起こすための許可を受けに来たのではなく掘り起こす為の前段階でこの場所に建物を壊し、新しく建てる事が出来るのかの審査を受けるのにどうして拒否するのかと尋ねました。そして、西大門公園課と関連して政策を作っている公園課から許可を受けているのに施設を管理する機関がどうして否定的なのか。機関が必ず申請しなければならない根拠は何なのか教えて欲しいと綿密かつ積極的に確認作業をしていくと、ソウル市と連絡をしてまた連絡をすると言いました。10分後、「受付して下さい」と言いました。そして、受付を終えました。

⑪ カン・ジュヘ局長がサンド洞に暮らしているイ・グムスムハルモニを訪ねました。体の心配をして訪問をしましたが、ハルモニは私の心配をよそに元気なようでした。

⑫ 大阪のパン・チョンジャ先生が電話をくれました。あれこれ状況を聞き、水曜デモの共同声明書をいつ頃受け取る事が出来るかと聞かれたので、今書いているので木曜日ぐらいに送れると言ったのですが、私が無理して答えた事が分かった様子で月曜日までに送ってくれれば良いと言って下さいました。あー、感謝しなきゃ。

⑬ キム・ソンレ博物館共同建立推進委員長が博物館建立基金50万ウォンを送って下さいました。ありがとうございます。

3月8日(水)

① 新しい監査として働くようになったアン・ソンミさんが初出勤しました。まず、お互いを確認する過程として3ヶ月の研修期間として始めました。

② 3・8世界女性の日の水曜デモを行いました。統一連帯女性委員会が主管してくれましたが、各分野で熱心に活動されている代表も一緒に参加して下さいました。ユン。グムスン女性農民会の会長と副会長、パク・ドクジュン全教祖区女性委員長、全国女子大生代業者協議会議長、全国公共労働組合連盟・女性委員長、大学生たち、民主労働委員長が参加されました。マスコミと放送局の取材も熱気を帯びていました。フランス公営ラジオ放送もあちらこちらから取材をしていました。

③ 大阪から連絡がきました。6月7日に大阪の在日韓国民主女性会と在日韓国青年同盟などが水曜デモを主管するために来る事となり、8月2日には大阪の反差別部会、8月23には韓統連平和研修団が参加する予定だそうです。

④ 第700回水曜デモに参加を呼びかけるメールなどを送りました。

⑤ キョンギ・ヤンピョンのヤンソ高校から第700回水曜デモの日に共同授業を行うようです。学生たちが第700回水曜デモに直接参加することは出来ないが、同じ時間に「慰安婦」問題について勉強をして水曜デモに連帯すると言うのです。まだ、他の学校からは連絡がありません。

⑥ アメリカの女性たちに第700回水曜デモを共に連帯して欲しいと言う要請をメールで送りました。ニューヨークの女性団体には写真展示用のファイルも送りました。

⑦ デイリースプライズからシン・ヘス共同代表とインタビューした記事がネットに掲載されましたが、間違いがありました。博物館を民主労働党と一緒に推進していると出ていました。すぐ、電話をして修正を要請しました。

3月9日(木)

① ニューヨークから返事が来ました。アメリカの女性たちは第700回水曜デモ行うようです。送ってくれた写真などを集会のときに展示すると言います。

② イギリスでも日本大使館前で第700回水曜デモをするようです。韓国留学生たちが中心になって行うようです。

③ 昨年まで全国女子大生代表者協議会で活動していて、今は社会人のユ・ジョンスクボランティアがPCで第700回水曜デモの素晴らしいデザイン作ってくれました。PCの腕前が並外れています。それを印刷して大きく出来ればもっと他に仕えるかもしれませんが、今はPCの画面がとても豪華になりました。

④ カン・ジュヘ局長がサンド洞に暮らしているイ。グムスンハルモニを3日ぶりに再び訪ねました。中国から来られて何年も経たないハルモニなので心配が多いです。ウリチプに来て暮らして下されば私たちも心配がなくなるのですが、ハルモニはこのまま自分の家で死ぬまで暮らすとおっしゃるので私たちの心配は続きます。

⑤ 韓国キリスト教長老会全南老会にいる友人の牧師が電話をくれました。「すまない。100万ウォンはしなければいけないのに、50万しか出来なくて」博物館の募金がうまくいかなくて全南老会教会と社会委員会で決議して50万を入金して下さいました。100万ウォンでなくて済まないだなんて、本当に有り難いばかりです。

⑥ アニャンで教会牧師会をしているペ・ジョンス牧師が電話を下さいました。キリスト教長老会キョンギ老会と日本協会と共に交流しているのですが、4月26日の水曜デモに参加したいと言われました。そして、事務所を訪問して挺対協運動について説明を聞きたいそうです。大歓迎です。

⑦ 第700回水曜デモを迎えて日本政府に送る要求書を作成して日本に送りました。この要求書は日本市民団体が集まって第700回水曜デモに時に伝達する予定です。韓国の被害者ハルモニたちが海外から集会している団体に送る連帯辞も一緒に送りました。

⑧ 連?ニュース(原文のまま)記者が事務所に来て第700回水曜デモなどについて取材をしました。ちょうど、イ・ヨンスハルモニがいらっしゃったのでハルモニにインタビューも合わせて行いました。

⑨ 事務所は連日、第700回水曜デモを組織して色いろ作成するのに忙しいです。ボランティアのユ・ジョンスクさんは全国女子大生代表者協議会の活動を卒業して他の所で活動して、第700回水曜デモを目前にして自主的に出勤して助けてくれています。

⑩ 第700回水曜デモのために日本大使館に外交通商部まで行進集会申告のためにチョンノ警察署に出かけたイム・ジヨン監査から電話がかかって来ました。集会申告を受けてくれないと。

チョンノ警察に日本大使館前集会を担当しているパク・ヒョンサさんに連絡を取りました。変わらず、返事は不可でした。セジョンノの横断歩道を渡る事を許可した事がないために前例を残したくないためにダメだと言います。それでは私たちがこの間、見てきたセジョンノでの集会はすべて不法集会?論議をするためにイム・ジヨン監査は一旦戻ってきました。

3月10日(金)

① モクトン・キリスト教放送局にイ・ヨンスハルモニと一緒に放送出演をしました。教界週間ニュースの招待席に出演したのですが勿論、テーマは第700回と関連した事でした。9時に到着してあれこれ準備して9時20分頃、録画を始めました。約30分間、放送しましたが、イ・ヨンスハルモニを見ながら、どうして途切れることなく上手にはなされるのか?と、今日も思いました。土曜日の午前10時、午後8時、日曜日の朝6時に放送されると言いました。

② 第700回水曜デモ共同声明所を完成させ、日本とドイツに送り英語に翻訳を頼みました。

③ 西大門警察署の情報課に新しく西大門の女性団体を担当することになったソ・スギョンさんが事務所を訪問されました。ソ・スギョンさんは10年前に私たちの事務所を担当していた刑事だったのですが、再び担当になったようでした。10年前と事務所の状況が変わって今の雰囲気に私たちも適用しているようです。その時には事務所に入ってくるなんて事は夢にも思わなかったものです。

④ 女性部共同協力事業プロジェクトとなった団体実務者たちのワークショップにキム・ドンフィ局長が参加してきました。会計整理方法などが以前と変わったと報告しました。

⑤ ユン・ジョンオク先生が事務所を午前に訪問されました。15日にベトナムに行かれると言われました。私たちに会って昼食をご馳走して下さいました。そして、この間の挺身隊研究所と挺対協で研究調査したハルモニたちの中で信憑性に問題があると判断されていた何名かのハルモニたちと関連して挺対協内部で真実をよく整理して、そして公式的に記録を残す事をもう一度、要請されました。

⑥ 午後4時に実行委員会をしようと思いましたが大部分の参加が不可能だと言うので17日に延期しました。参加者が忙しく、他の団体の活動をしているのに挺対協の仕事までされていて皆さん忙しいです。

⑦ シム・ミジャさんとチ・マノンさんがユン・ミヒャンと挺対協、ナヌムの家を名誉毀損で逆告訴しました。チ・マノンさんの「ハルモニは偽者、水曜デモは3万ウォンを受け取って動員された偽者のハルモニたち」などに対してハルモニたちと関連団体たちが名誉毀損で民事、刑事訴訟したことに対して逆告訴したものです。

検察から連絡が来ました。水曜日に出頭しろと。告訴したことについて調査を受けなければならず、第700回水曜デモをする日なので忙しいのに。しかし、その日行く事にしました。私も早く悪夢から抜け出せると思います。この裁判のためにチョン・ヨンスン弁護士がいらっしゃった(現在は3月から国家人権委員会、差別改善本部長になられました)ハンギョル法律事務所が奉仕で引き受けて下さいました。

⑧ 第700回水曜デモの準備のために事務所会議をしました。実務者たちだけではなくご覧ティアのチョ・ジョンフンさんとユ・ジョンスクさんも一緒に席に着きました。各自の役割分担と進行計画について集中討論をしました。

すでにデモ行進については前例を作った団体があるということが分かりました。アメリカ大使館の裏道からセジョンノの横断歩道をセジョン文化会館前まで歩き外交通産部の建物前まで行ったと言います。チョンノ警察署に電話しました。そして、私たちが15年間法を守ってきたとして平和集会を行ってきたように今後も継続して法を守り集会を平和的に行うとのでそれを保証してくれるようチョンノ警察署で会議を開いて欲しいと要請しました。事務所会議が終わったのは夕方でした。夕方にも私たちの討論は続きました。

3月11日(土)

① 実務者たちが第700回水曜デモの前日に徹夜をしないように週末に出勤するようにしました。集会道具を作るのは平日に出来ないために週末にしなければなりません。11時に事務所に到着するとすでに教育観にはボランティアたちが出てきていて木を切ったり、横断幕をつけたり、色付けをしたりと忙しいです。キム・ドンフィ局長が12時を過ぎて、家で作ったのり巻きを作ってきました。事務所は本当に人も多く、その分の情も多く、気持ちが溢れています。体力は辛くても本当に幸せです。作業は夕方まで続きました。

② キル・ウォノクハルモニは病院から退院しました。検査の結果、異常は無いとの事です。ハルモニは解放後、養子を育てましたがその息子さんがインチョンで牧師をしています。ハルモニはウリチプに戻ろうとしましたが、お嫁さんと信者さんが一緒に来られ、まずは息子さんの家に退院されました。

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2006年3月19日 (日)

ファンセウル野原

今、”ファンセウル”では何事が・・・?

                  (強制収用が予定されている土地)

▲ まさに田を耕す時期になり田を耕さなければならないのに野原へパワーショベルを盾に警察が入り込んできました。

田を耕す作業を妨害するために国防部が兵力を盾に村にやって来て破戒している現場です。

驚いて駆けつけた住民たちとピョンテクチキミたちは巨大なパワーショベルに体ひとつで阻止しました。

▲ ついに来るべき日がやってきたな 考えてはいたけれど・・・誰がこの心情を分かるのか?素手で対峙したパワーショベルの前で虚脱と怒りで涙も出ないです。

▲ 大きなパワーショベルに対峙して無防備な姿で闘う住民たちとチキミたちは結局、野蛮的な破戒を中止させました。そして、立ち止まったパワーショベルに堂々と立ちました。

▲ 警察はパワーショベルを停止させた若者たちへの暴力的連行が始まりました。

▲ パワーショベルの上にいたチキミを引っ張って踏みつけている姿です。この日、連行されたチキミは全部で40名にものぼります。

▲ 住民たちは国防部が掘って行った穴の中に体を投げ出して抗議をしました。身を切るような風の冷たさも住民たちの意志を曲げる事は出来ませんでした。

▲ 連行者の中には歌手のチョン・テチュンさんを始めとし、作家・芸術人も含まれていました。

▲ 泥を投げたりもしましたがお母さんたちの怒りは収まりませんでした。警察は力のない住民たちにも暴力を振るいました。

▲ この経過で住民たち4名が負傷しました。失神した住民を女性警察たちが持ち上げようとしています。

▲ 倒れた住民が緊急病院へ搬送されています。

今まさにファンセウルへ駆けつけてチキミになって下さい!

国民の皆さんの力が切実に必要な時です

▲ 住民たちをなぎ倒しチキミたちを連行した後にも国防部の暴力が収まることはありません。

農民にとって田を耕す事が農業をする一年のうちで最も大切な仕事の一つです。

国防部はファンセウルでの農業が不法だとしながら、実際には自分たちは不法を欲しいままにしました。

▲ トラクターが田を耕すための道はすべてこのように破壊されてしまいました。

▲ パワーショベルの残忍な爪あとが鮮明です。

▲土を掘り起こすだけでは物足りず、国防部はこのように舗装された道路と農路をすべてぶち壊しました。

▲ 凄まじいパワーショベルが通った道に終りが見えません。

ここでは住民たちが国防部の動員した警察暴力を阻止出来なかった彭城の野原の姿です。住民たちが50年間、海水をせき止めながら沃土に変えてきた。今、国防部が米軍に捧げます。

国民のみなさん!国防部の野蛮な行動を黙って見過ごすのですか?

▲ 国防部の暴力にも関わらず15日からファンセウルには全国からトラクターを持ち込んで農民たちが田を耕し始めました。

▲ 17日まで60万坪の田を耕し終えました。

▲ ファンセウル・ヨンノンダン前には苗代を含んだ土が待っていました。田を耕し終えればすぐに苗代の出番だ

▲ 政府と国防部の弾圧にも屈することなく住民たちは力強く田を耕しました。

勿論、全国の多くの国民たちの助けがあったからこそ可能になったことです。

今後、どのような困難と試練が再びファンセウルに忍び寄るかは誰にも分かりません。

しかし、明らかな事は住民とチキミたちは命まで差し出す心情でこの地を守っているには事実です。

“粘り強い奴が勝利する”住民たちがいつも口にする言葉です。

私たちみんなは信じています。我が国民の関心が集まる時、ピョンテク闘争が勝利するはずだと言う事を・・・

▲ 名前も美しいファンセウル、50年前には海だったこの場所は米軍基地拡張によってある日突然、追い出された住民たちが素手で海を埋めて土地に変えました。そこで、春になれば白いシラサギも舞い降りて多くの生命が暮らす巨大な沃土になったんです。

▲ 農繁期になり、手がかかる仕事が苗床を運ぶ仕事です。ピョントンサの会員たちがファンセウル野原に苗床を運ぶ姿です。種もみを含んだ苗床は田んぼに移され芽を出します。

▲ 暖かい太陽に照らされて芽を出した後

▲ 整然と田んぼに植えられました。生命の活力を感じる瞬間です。

▲ 熱い日差しが照りつける夏になれば野原が緑の絨毯を敷きつめたようになります。

▲ 秋になれば風に吹かれて案山子が踊りだしたりします。

▲ 冬が来る前、黄金色に実った稲たちは収穫され、また春を待ちます。

この場所がまさに米軍基地拡張のために国防部が住民から強制的に奪おうとする土地、ファンセウル野原です。尽きる事のない面積、この場所だけで285万坪、ピョンテク全地域で349万坪を米軍に与えると言うのです。この場所を守って彭城に暮らしてきた農民たちに一言の断りもなく・・・(写真:平和の願い)

▲ 国防部は去る15日、突然パワーショベルと警察を盾にして村に侵入しました。そして、農業をさせないように農道を掘り起こしました。(写真:統一ニュース)

生命と平和の地、ファンセウル・・・

純朴な住民たちが汗を流し自然に順応しながら暮らしてきたこの場所が国防部に一瞬にして破壊されてしまいました。今年は農業をさせないようにする為にです。

ファンセウルの美しい四季をもう一度、見て・・・この写真は去る15日、国防部が米軍基地拡張を強行に行うためにパワーショベルと警察を盾にして村に入ってきて田んぼの土と道をすべて破壊した野蛮な行為を告発するために作ったフォトエッセイです。なぜ、私たちがこの地を守らなければならないのか、小さな想いでも共感することが出来れば嬉しいです。共に憤怒し、共に悲しみ、最後には共に勝利して喜びを分かち合う事が願いです。私たちだけが知っているとても美しいファンセウルの四季を思い出ではなく現在・未来にも継続させる事を願います。必ず私たち国民の手で大切なこの土地を守りましょう!

平和と統一を開く人々のHPを翻訳しました。

http://www.spark946.org/bugsboard/index.php??dummy=1142582660&BBS=photo&action=viewForm&uid=203&page=1

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2006年3月18日 (土)

ピョンテクが・・・

ピョンテクでは国防部による強制収用執行阻止のために

多くの人々が闘っています!!

この間、紹介できませんでしたが・・・

15日の様子はリンクの”やんばるヤマトだより”で紹介されています。

またその様子は汎対策委のHPで映像としてみる事が出来ます。

http://antigizi.or.kr/zboard/view.php?id=news&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=124

また、少しずつ消息をお知らせします。

引き続き感心を持って下さい。

それにしても、国内の新聞(HPでの)報道があまりにも少なすぎる!

野球も大事かもしれんけど!!それにしてもおかしすぎる!!!

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2006年3月11日 (土)

【挺対協】週間消息⑧

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑧【2月26日~3月4日】

2月26日(月)

① ウリチプで一日休まれた慶北ヨンチョンのキム・オクソンハルモ二が家に戻られました。アメリカでV-dayキャンペーンのために疲れているにも関わらずそれでも家が良いようです。

② "真珠湾侵攻"の著者であるチャン・イルソク先生が事務所に来られ本の販売金のすべてをハルモニたちのために使って欲しいと伝達のために来られる予定でしたが先生は来られず,代わりに先生から頼まれたユン・テヒョン先生が来られカンパ10,030,000ウォンを伝達して下さいました。

ファン・グムジュハルモニ、イ・ヨンスハルモニ、キル・ウォノクハルモニが代わりに感謝辞を述べられました。このカンパはハルモニたちを訪問及び慰労費・病院治療費支援費、葬儀費などのために福祉事業に使用されます。とてもありがたいです。

また、チャン先生からはウィジョンブで歯医者をしている友人からハルモニたちの歯科治療の後援も約束してくださいました。

③ アニャン・クンボ・ウィワンジ地域の615本部スタッフのチン・スンイルチーム長とアン・シンジョン活動家が来られました。3・1節行事の内容で日本軍「慰安婦」問題をアニャン市民たちと共に考えたいというのです。

これはすべてパク・ドゥリハルモニが作ってくれた繋がりです。挺隊協から所蔵している写真・本・ビデオなどを貸し出しました。そして、昼食を一緒に取りました。

④ 反米女性会からスタッフが来ました。3・8女性大会を前にして写真展示を行なうそうです。

⑤ 円仏教(仏教の一宗派)女性会のハン・ジヨン会長が週間消息を読んで返信メールを下さり、博物館の共同建立推進委員長であることに変わりがないとして円仏教女性会から1千万ウォンの建立基金の約定をして下さいました。あー、ありがとうございます。とても力になります。

⑥ キム・ユノク前共同代表からメールが届きました。パク・ドゥリの葬儀費の募金を受付けていると言う事を週間消息を通じて知ったようで10万ウォンを送るとして、すぐに送ってくださいました。ありがとうございます。

⑦ HPを通じでCMS後援申請が途切れることなく入ってきます。私たちの運動の最も安定的な財源がこのCMS後援会員のようです。1月から3月4日まで21名が申請され、毎月1万ウォンから2万ウォン、3万ウォンの後援があり5万ウォンの後援者もいます。

⑧ 故パク・ドゥリ葬儀委員たちが会費を全国で出して下さいました。葬儀委員たちが集めて下さった会費は1千万ウォンを越える葬儀費用に対して逆に約200万ウォン残りしました。

アニャン市民団体の方々と葬儀委員長と討論の末このお金は今後ハルモニたちの葬儀費用に使用するため別途、積み立てておく事にしました。みなさん、本当にありがとうございます。

⑨ 金剛山に行く日が迫ってきましたがハルモニたちの心は一日に何十回も変わるようです。電話がひっきりなしに鳴ります。「私は行くよ」「私は行けないよ」「いや、行くよ」

⑩ パク・ドゥリハルモニの娘さんが博物館に650,000ウォンのカンパを下さいました。

2月28日(火)

① ウリチプで休まれていたテグのイ・ヨンスハルモニから電話がありました。「私、とても体調が悪いから金剛山へ行けないよ」しばらく話をした末に結局は再び金剛山に行くとおっしゃりました。おそらく、慰労の言葉を待っていたのではないかと思います。

② ファン・グムジュハルモニは何かあると本当に一日に何度も電話をかけてきます。事務所に電話をしても他のスタッフが電話を受けると必ずユン事務総長に変わって欲しいと言います。今日も電話が来ました。電話を変わる時は心の中で次の事項を忘れないようにしようと考えます。

1) ハルモニに対して謙虚に

2) 私がハルモニを一番、知っていると思わないように

3) 前日までの先入観でハルモニに接しない。-いつも新しく会うハルモニのように心がけて最善を尽くす

4) 誰でも過ちを犯すことはあるけれどハルモニたちを自分と同じように考えて傷つけることがないように

しかし、・・・電話が長くなり私の声が大きくなりました。「ハルモニ!どうか、どうか、他のハルモニの話をしないで下さい。」そうするとハルモニは少し前に私に他のハルモニを物まねをしておいて「私がいつ他のハルモニの話をしたの?誰が?私が他の人の事を話したって?この口が軽いだって?」

もう一度、心を入れ替えます。そう、辛い人生を生きてきた人なのに、87歳のハルモニなのに・・・

古い時計をだけどハルモニはそれをとても良いものだからと言って事務所まで持ってきては私にくれました。「家にもって帰って使いなさい。事務所に置くのではなく」

重たいコップ、古い食器にも関わらず事務所まで持ってこられ、とても可愛いから他の人が持っていってしまうと思って。

お母さんにあげようと思って持ってきたの。家に持って帰りなさい」ハルモニは私の事を時々お母さんと呼びます。イ・ヨンスハルモニがそんな風に呼んではいけないと言ってもダメなようです。それは気になりません。私たちみんな家族なんだから。

そころで、ハルモニが家からひとつ、ふたつと持ってきた品物はまだ私の椅子の横に積んであります。家に持って帰れるものではないのです。それでも断れば寂しかると思うのでそうするしかないのです。

③ 明日、金剛山への出発を前にして地方におられるハルモニたちが一人、二人とウリチプに来られました。チョンジュ、プサン、テグ、マサン、トンヨン、ソウル、チュンチョンからも・・・ウリチプで布団が足りなくてハン・クギョム共同代表が携わっている移住女性人権センターで寝袋を借りてきました。

④ 地方から来られたハルモニたちと一緒に外食しました。

⑤ 国家人権委員会でプロジャクトの公募があったので挺対協も申請書を提出しました。事業はSTOP女性暴力!日本軍「慰安婦」被害者に正義を!グローバルキャンペーン-国際アムネスティーの勧告実行のために、として事業内容には昨年、AIから発表された日本軍「慰安婦」報告書と勧告を履行させるためにAIの各国支部と連帯する事業になっています。

⑥ ソウル市公園課から博物館管理敷地使用許可に関する公文が来ました。今回は多くの進展を含んだ内容です。キム・ヨンミ博物館共同建立推進委員長に諮問したところ内容がはるかに明らかになった、このまま推進しようとおっしゃいました。文化財庁に現状変更審議を受けるための手続きに入りました。

⑦ 3・1節記念デモ及び第698回目のデモは金剛山で行なうために日本大使館前はどうしようかと言う論議を行ないました。チョ・ジョンフンボランティアが水曜デモを日本大使館前でも行なうと進み出てくれました。本当に有りがたいです。

⑧ 金剛山で行なう3・1節記念式及び第698回目の水曜デモ式次第が決定し、決意文を作成しました。事務所で終えることが出来ず家まで持って帰りました。事務所のスタッフたちはウリチプでハルモニたちと一緒に眠ったり、事務所で少し目を閉じていました。夜中の2時を回ってカン・ジュヘ局長に決意文を渡しました。

3月1日(水)

① 朝8時、お店でハルモニたちとテンジャンチゲで朝ご飯を食べました。

② 現代アサンから専務と職員たちが来てハルモニたちの金剛山人権キャンプの出発を見送りして下さいました。とても、有りがたいです。

③ 9時、ハルモニたちは二台のバスに分かれて乗り込み金剛山へ出発しました。ハン・クギョム共同代表とチョン・テホ生存者福祉委員長も一緒に行動しました。私たちを乗せて出発したバスは金剛山まで乗っていくバスです。ハルモニたちなので乗換えがないようにアサンで特別な対応をして下さったようです。本当に有りがたいです。

④ スタッフたちはこのように話します。ハルモニたちとどこかに行くとその場所の景色や美しいものなど全く思い出さず、ハルモニたちのお尻を思い出すと。

それもそのはず、ひょっとしてハルモニが転んでしまうかと心配ですぐ横や後ろでハルモニについて行き、バスに乗るときもお尻を持ち上げて、降りる時も手を繋いで抱えながら・・・今回も休憩所で休みがあるごとに、南側出入管理所で審査をする時もハルモニたちの横でみんな手を繋ぎ付き添ったスタッフたち、在宅ボランティアたちもいました。

⑤ 金剛山に到着してすぐに私たちは準備されたホテルで荷物を解き、ハルモニたちと一緒に金剛山ホテルに移動しました。そこで北側で直接、栽培された野菜と魚、豚肉など正式に接待を受け、北側の女性たちにお世話を受けながらハルモニたちは本当に幸せそうでした。

食事を終えた後87周年3・1節記念式と第698回目の水曜デモを行ないました。

私の司会、ハン・クギョム共同代表の大会辞、テグから一緒に同行した“挺身隊ハルモニとともに”の市民の会のアン・ギョンオク運営委員長、キョンナムからマサンのハルモニたちをお連れしたキョンナム女性団体連合のキム・ミヨン会員、トンヨンのハルモニたちをお連れした “日本軍「慰安婦」ハルモニたちとともに”のトンヨンコジェ市民の会のソン・トジャ代表の連帯発言、アルンダウン(美しい)青年の歌公演、チョン・テホ生存者福祉委員長とイ・ヨンスハルモニの決議文朗読などの記念式を終えました。

3月2日(木)

① 朝7時からハルモニたちは食堂に降りて食事をしました。

② 食事が終わった後、ハルモニたちは九竜淵観光に行きました。とろこが、天気が曇ってきて少し肌寒く感じました。

③ ハン・クギョム共同代表とユン・ミヒャン事務総長は九竜淵観光に行けず、金剛山ホテルに行き、そこで9時から開催される“葛藤紛争予防東北アジア会議”のオープニングに参加しました。会議はすべて英語で行なわれました。ウラジオストックから来られた代表だけが通訳を立てて発表しました。

④ 会議が早く終わったので一足遅れて九竜淵へ向かいました。中間の駐車場に到着するとハルモニたちの大半がバスの中で歌をうたい、おしゃべりをして、また北のマッコルリを買って飲んでいたのですがスタッフはほとんど山の方へ行っていて何人もいませんでした。

現代アサンの少し偉い方のようでしたが、その方がハン・クギョム代表と私に「ボランティアたちはハルモニのお供で来たのではなく観光に来たんだな」と言う言葉を残して山へ登られました。瞬間に寒気を感じました。そして、恥ずかしくなり顔が赤くなりました。一つでも過ちがあればそんな風に見えるものだと思いました。

⑤ 昼食をオンジョン閣食堂でとり、少し休んだ後に金剛山温泉でハルモニたちと一緒にお風呂に入りました。ハルモニたちが本当に喜ばれました。ボランティアたちもハルモニたちの背中を流そうとあちこちハルモニを探していました。本当にお疲れ様でした。今でもハルモニたちの背中が目の前に浮かびます。

⑥ ピョンヤン巧芸団の巧芸を観覧しました。何度も見たが、本当に見るたびにハラハラしてすぎて大変です。ハルモニたちは歓声を上げました。

⑦ 巧芸団の公演が終わると午後6時でした。ハルモニたちは食事をしてハン・クギョム代表と私は再び葛藤紛争予防東北アジア会議に参加するために車を頼んで参加しました。ハン・クギョム代表が挺対協報告をするようになっていました。ところが、到着すると参加者たちは食事をしている真っ最中でした。食事の時間に挺対協の発表をしろと言う事でした。少し戸惑いましたが、ハン・クギョム代表は準備された原稿を要約して読みあげその場を後にしました。私たちも戸惑いましたが、ご飯を食べながら“慰安婦”問題の発表を聞かなければならない外国からの参加者たちも本当に大変だったと思います。

⑧ 夕食を終えた後、ハルモニたちと一緒にオンジョン閣のあるカフェを借りてその場所でハルモニたちの紹介と地方から一緒に来たボランティアたちの紹介や歌など交流の時間を持ちました。

⑨ ホテルに戻る途中でマサンから来られたイム・チョンジャハルモニは病院へ向かいました。ハルモニの顔色がとても白くてまた顔がとても冷たくなって心配になって行ったんですが、それもそのはずハルモニは6日間も便秘だったそうです。だから、食べるたびに消化が出来ず当然、血液循環も悪く・・・

宿舎に戻ったハルモニは病院から直接看護士が訪ねてきて点滴を受けました。ハルモニは結局、次の日も病院へもう一度行き浣腸をすると顔色が回復しました。

3月3日(金)

① 朝食をとる時に荷物も詰めて発つ準備をしました。食事を終えた後、荷物を車に積み急いで海金剛へ行きました。海金剛には朝に行かなければいけないと言います。ハルモニたちが歩けない事を予め知っているのですぐ傍までバスを着けてくれました。そこでハルモニたちと一緒にマッコルリと羊肉の串、じゃがいものお焼き、さつまいもなど食べやすく美味しいおやつを買って食べました。

② サミルポ観光を終えて再びオンジョン閣に戻り昼食を食べ、午後1時に私たちは南側へ出発しました。

③ ソウルに到着すると夜の9時になっていました。チュンチョンのハルモニたちとソウル、トンヨンハルモニたちはすぐに家に向かい、テグ・マサン・プサン・アンドンのハルモニたちはウリチプで一泊して次の日に家に帰るようにしました。

3月4日(土)

① 地方のハルモニたちは朝ご飯を食べた後、みんな家に帰っていきました。

② キル・ウォノクハルモニは体の具合が良くないようなのでサムソン病院の応急室にお連れして検査を受けました。そして、入院されました。以前に体の片方が中風になった事があるようです。そして、それが今も体に潜伏しているようです。

③ ソン・ヨンミウリチプ室長がキル・ウォノクハルモニをお連れして病院に行き、キム・ドンフィ局長が代わりにハルモニたちの昼食の準備をして事務所に来ました。

カン・ジュヘ局長、キム・ドンフィ局長、イム・ジヨン監査と私の4人はヨンサン区民会館で今日開かれる民主労総と民主労働党などが開催する3・8女性大会に日本軍「慰安婦」写真展、韓国政府に送るハガキ、博物館募金活動などのキャンペーンのための準備をしました。そして午前11時30分ごろ、その荷物を車に積んでヨンサン区民会館へ向かいました。今日、一日も日本軍「慰安婦」被害者へ正義を!の為に休む事は出来ませんでした。

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2006年3月10日 (金)

緊急呼びかけ文

     テチュリからの緊急呼びかけ文

       誰のために土地を奪うのか

何のためにこの村の人々を追い出し、家と田んぼを奪い強制撤去に踏み出すのか。我が国に自由に出入りし国際的紛争に軍事介入すると言う駐韓米軍にとてつもない規模の駐屯地を渡す為の強制撤去だ。個人の意志も問うことなく我々の平和的な生存権を強大国に譲渡する強制撤去だ。

靴の紐を緩めることなく、服も着たままで夜を過ごし緊張感に包まれた数日間を過ごした。私が1年以上、暮らしてきた田舎町であるキョンギド・ピョンテク市テチュリに国防部の強制撤去が切迫したためだ。ついに6日の朝、25台のバスに分乗した戦闘警察たちが続々とこの場所に集まった。住民たちが農地を守ろうと550日もの間、キャンドルを手に持ち闘ってきたテチュリ小学校を狙っている。法院の執行官たちがテチュリ小学校を接収するために待機している。

昨晩、まんじりともしないで夜を明かした住民たちは夜明けの霧の中で農民歌を歌っていた。“警察暴力”に備えて竹と布を繋いで作った担架と救急薬品などが学校の中に運び込まれた。二日間、夜を明かして村のあちこちを守った住民たちと市民たちはテチュ小学校に後退して悲壮感と共に切迫した激突に備えている。

政府はピョンテク・ペンソンのファンセウルの土地285万を奪う為に行政代執行を始めた。住民たちは夜毎“来るべき時が来た”と苛立った。そして今日、その日が来た。こちら側に銃口を定め“敵陣”で初銃弾が飛んだ。正当性のない収奪が始まったのだ。政府は住民たちに向けて“戦争”を宣布し、実行キーを押した。不幸の始まりだ。追い出した勝利が正当性を持つのなら5・16クーデターと光州虐殺の責任者も英雄になったはずだ。しかし、いくら経たないうちに住民たちの正当性が明らかになるでしょう。

ペンソン住民たちが政府の圧倒的な力に勝つことが出来るのか!壮絶にぶつかるしかない。連行され裁判を受けてくさい飯を食べる他ない。警察は強制撤去に抵抗する住民たちに対して全員連行方針を立てている状態だ。住民たちは逮捕され裁判になれば裁判を受けて監獄に閉じ込められるはずだ。住民たちはそんな覚悟で闘っている。

韓米政府は全国の主要米軍部隊をピョンテクに終決させようとしている。米軍に差し出す土地を農民から強奪しようと言うのだ。組織され圧倒的な暴力はすでに懐柔や交渉と言う皮を脱ぎ捨てた。「我々に対して協議の一言でもあったのか」と言う住民の悲痛な叫びが政府当局者たちに浴びせられたが、返ってきた言葉は「住民たちの闘争も理解はする。しかし、仕方のない事だ。不合理であっても仕方なく進めなければならない」と言うのだ。不合理なら道を変えても良いものを今までの態度を見ればそれもしないようだ。悲しい事だ。それならば国民が進み出なければならない。

去る4日、110余年前の農民抗戦を率いたチョン・ボンジュさんの彫刻像“カボ農民戦争”がテチュリ小学校に建てられた。目を剥き、決断をする口、確固不動とした手足の作品はまさにペンソン住民たちの姿だ。協議買収に応じて故郷を離れた人々も半数になる。去る人々はみんな去っていった。様々な懐柔にも屈さず残った住民たちは彫刻像の姿そのままだ。

住民たちは行政代執行、すなわち強制撤去を阻止する事で公務執行妨害、特殊公務執行妨害なども恐れず、立ち止まる事もなく『勝利』の日を待っている。勝利のその日に500万ウォンの牛を差し出して血判を押す。牛を数頭捕まえて大きな宴会を開くはずだ。その日にみんなをそこへ招待するだろう。それが願いだ。その日、現政府は自身の恥を隠す事が出来ないだろう。

政府は農業で忙しい片田舎の村の小学校をなぜ、巨大な警察兵力を動員して強奪しようとするのか。広大な米の生産地であるピョンテク平野に鉄条網を張り農地を荒らす、なぜそれほど執拗に執着するのか。結局、何のための強制土地収用なのか。何のためにこの村の人々を追い出し、家と田んぼを奪う強制撤去を行なうのか。我が国に自由に出入りして国際的紛争に軍事介入する駐韓米軍にとてつもなく巨大な駐屯地を差し出すための強制撤去だ。個人の意志を問う事もなく我々の平和的な生存権を強大国に譲渡する強制撤去だ。

主権を権力者に譲渡した事のない市民たち、ピョンテク・テチュリを忘れないで。現在、テチュリに駆けつけて。ファンセウルに張り巡らした韓米の権力者の鉄条網を取り除き住民たちと共に今年も農業を行なおう!

ムン・ジョンヒョン/チョンジュ教神父 平和の風平和放浪団長

原文はコチラ・・・

http://antigizi.or.kr/zboard/view.php?id=news&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=119

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再び平和を取り戻したテチュリ

再び平和を取り戻したテチュリ・・・第553日目キャンドル行事

                               3月7日のテチュリ

午前からテチュリ・トドゥリ2里の住民たちとペンソンチキミたちが一同に集まった。今日は何が起こるのか、村を守り抜くと言う住民たちの気持ちを共有できるようにした。

午前から集まった人々は学校の運動場と村のあちらこちらの掃除をする事にした。

老人ホームで一緒に昼食をとり、昨日何があったのかと言うように住民たちは田を耕しニンニクに肥料もやった。テチュリは平和を少しずつ取り戻したようだ。

今日は温かい天気で本当に気持ちが良い。藁の上に寝転がってお日様を浴び、住民たちと一緒に小学校の運動場でサッカーをし、凧揚げをしながら午後の時間を過ごした。

▲警察のテチュリ収奪に備えて午前から住民たちがテチュリ小学校に集まった。

▲学生たちと住民たちが運動場を一緒に掃除をした

▲ニンニクに肥料をやっているテチュリ住民

▲テチュリ村の入口を陣取ってお母さんたちが座っている

午後2時、予定通り各界の団体たちと住民たちが共に決意大会を持った。民主労働党カン・ギガプ議員を始めとして昨日の消息を聞き駆けつけてくれた同志たちだった。

▲力強い決意をスローガンと共に叫んだ

第553日目のキャンドル行事の場に今日も変わらず、たくさん集まった。

数日前から共にテチュ小学校を守ってくれている人々もいるが、ピョンテク・アンソン地域の労働者共同闘争本部とキア自動車、民主労総、キョンギ本部の労働者たち、キョンギロとチュンナム地域の民主労働党学生委員会の学生たち、青年団体、ピョンテク自活後援機関、疑問死対策委員会、オサン労働者センター、チャン・チャンウォン牧師、ト・ポンスさんなど昨日の消息を聞いて駆けつけてくれた新しい顔ぶれだった。

▲みんなの手にキャンドルが戻った!がんばろう!!私たちは必ず勝利する!!!

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2006年3月 8日 (水)

ついに!!!

3月6日に行政執行が行なわれると言う事で日曜日の夜から、市民団体・大学生などが駆けた。

闘いがついに始まった!

大学生たちの寝ずの番で守ったテチュリの夜が明けはじめた。午前9時テチュ小学校、強制収用行政執行があると言う予告にあわせて早朝6時から全国から集まった団体たちと住民たちはペンソンを守り抜く最初の闘いの日となる今日は決意大会から始まった。決意大会を行なった後、ピケを持って小学校前の運動場に緊張感の中で集会が始まった。住民たちは死んでも土地を守ると言う覚悟でスローガンを叫び、市民団体たちと一緒にその場に座り込み怯まず闘うという姿を見せつけた。

▲テチュ小学校前で決議大会を開き各界の市民団代たちと住民たちは集会を行なった。

▲現在、今日から3月末までテチュリ・トドゥリ・ポンジョンニまで集会申告及び許可を受けている状態だ。

▲9時テチュリ小学校、強制収用行政執行にあわせて4時間の間、集会が行なわれた。

予定されていた9時を過ぎても執行官は姿を表さなかった。ただ、遠くの米軍基地の中で戦闘警察のバスと警察が移動する姿が見えるだけだった。

午前10時ごろ、テチュリ入口に20余名と共に行政執行官が姿を表したが、住民たちの強力な抗議で30分もしないうちに追い返した。行政執行官は事前に警察に身辺保護を要請している状態だった。最初に彼らを追い出した後、人権活動家たちが強制収用行政執行を糾弾する記者会見を持った。その後、小学校の正門で守る事とした。

▲人権団体たちがテチュリ小学校正門で記者会見後、正門を守った

12時を回って警察がテチュリ入口に配置された。警察たちの中には執行官もいた。彼らは小学校前で座り込んでいる人権活動家たちに3回の解散警告をした後、公務執行妨害で連行すると通報した。行政執行官がいない状態では公務執行妨害が成立することはなく、その上今日からテチュリ小学校を含む地域に集会許可を得ている状態であるので不法ではないと主張する人権活動家の話も聞かず、一方的に解散警告放送を行なった警察たちは3回の警告放送をした後行政執行を始めた。

▲警察たちは力づくで人権活動家たちを一人、また一人と順番に連行して行った

女性たちを連行するために女性警察官もいたが、思い通りにならないと見ると女性ではない男性警察たちが女性を連行すると不法行為もためらわなかった。 腕組をして最後まで強制連行に抗議をする意志を明らかにしたが、動員された警察の暴力は無慈悲だった。その中でタサン人権センターのパク・ジンさんは小学校の正門前で腕を巻きつけて最後まで頑強な抵抗を見せ、警察たちは小学校正門を切断機を使って破り強制連行しようとしたがパク・ジンさんの粘り強い抵抗で結局は第一陣で警察たちを追い返した。

いくらも経たないうちに警察たちは小学校の入口を通り過ぎ村の仲間で侵入を試みた。正門で頑強な抵抗にぶち当たり少し簡単な方法で去勢執行をするために小学校の裏側に警察を移動させた。警察たちが村の中に入ってくるなり住民たちと市民団体たちは即刻、反発の意志を示し、これ以上村に入ってこないようにピケを抱いてその場に座り抵抗した。

午後4時ごろ・・・警察たちが再びテチュ小学校正門に再配置された。幸い午前とは違い力ずくでの行為には及ばなかったが正門側の警察を戦闘警察に交代させ、小学校の裏から侵入するために人員を二つに分け村の至るところに投入させつなど住民たちに危険が迫った。

▲小学校の裏側から警察が突入すると言う消息を聞いて入口を塞ぐ住民たち

▲強制連行を防ごうと腕を組んで応戦する住民たち

この過程でスーツを着てポケットに手を入れてうろついていたピョンテク署の捜査課長が発見され、どうしてここに来たのかと言う問いに「見物に来た」と言う、呆れた答えに住民たちの怒りを買った。

▲突然、襲い掛かってきた警察に抗議する市民団体たち

▲農協倉庫前で警察を追い返す市民団体たち

午後6時ごろ・・・村の中に配置されていた警察たちがすべて米軍基地内に撤収した。村のあちこちに分かれて抗議していた人々も小学校運動場に集まって簡単な集約集会後、キャンドル行事が開かれた。緊張感の中で最後までテチュ小学校を守り抜こうと言う多くの人々に助けられた事を感謝しながら住民たちが夕食を準備したと言われた。このように温かい食事を分かち合った人々は7時キャンドル行事会場に再び集まった。

第552回目を迎えたキャンドル行事はみんなの力で成し遂げた今日の勝利の熱気に包まれた。ピョンテク闘争を必ず勝利へと導き出そうと言うムン・ジョンヒョン神父の呼びかけ文の朗読で始まり遅れての参加になったが、継続的にテチュリに残って闘争を共にすると言う同志たちの意志を結集する場が続きました。

▲小学校の正門を先頭にたって粘り強く守ったタサン人権センターのパク・ジンさん

明日、警察たちのテチュリ侵入が再び行なわれると言う。今日を持って本当の闘いが始まりました。

そして、この闘いに私たちは勝利を迎えます。力比べとなる闘いだが、勝利を導き出す人々の意思で必ずテチュリ、トドゥリを守り抜き最後に勝利するしかない闘争になると固く誓いました。テチュリ・トドゥリはハルモニ、ハラボジの土地。ペンソンの土地は田畑を掘り起こしてきた農民たちの土地だ。日が経つにつれより多くの人々の意思が集まってこの土地を必ず生命と平和の土地として守るだろう。

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2006年3月 4日 (土)

【挺対協】週間消息⑦

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑦【2月19日から2月25日】

                                                           報告:尹美香事務総長

2月19日(日)

① 週末をウリチプで過ごしているキム・ドンフィ局長に電話をしました。「ハルモニたちは何してるの?」ハルモニたちは教会にも通い、チェ・カプスンハルモニは息子に会いたいと電話をするとそんなハルモニの言葉を受けて飛んできたと言います。

② 日曜になので、ゆったりとした気持ちで本当に久しぶりに家族だけで食卓を囲んでいました。ご飯を食べようとしたスプーンを口の前まで運んだ時に携帯が鳴りました。発信者の名前は“パク・ドゥリハルモニの娘さん”でした。

一瞬にして不安になりました。ついに来るべき時が来たと、ご飯を食べずに電話を受けました。「お母さんが息を引き取りました。お母さんが、お母さん!お母さん!」予想はしていましたが本当に呆然となりました。どうすれば良いのか。

③ 30分で病院に到着しましたが、ハルモニはすでに息をひきとっていて、ベットの上に横たわっていました。娘さんはお母さんはまだ、死んでいないとハルモニの体をしきりに揺すっていました。ハルモニの体を触ってみると冷たくなっていて、息もしていませんでした。ハルモニは本当に逝ってしまいました。でも、ハルモニにまだ声が届くと思ったので「ハルモニ、安らかに。もう、手術もなく戦争もない。病院ではない所に。」最後のお別れをしました。ハルモニは6時20分にご臨終されました。

娘さんに「ハルモニは苦しませないで。天国へ堂々といけるようにしてあげて下さい」と。娘さんと孫のミンギョンを抱えて病院の霊安室に移動し、葬儀の準備を始めました。

④ パク・ドゥリハルモニの娘さんはすべての葬儀の手順を「ユン・ミヒャン事務総長に任せます」と話されました。「お母さんが話した事、それが遺言です。水曜ごとに大使館に行け。そこに行ってユン・ミヒャンを訪ねなさい。」そう話されたその日からハルモニは言葉を発しませんでした。それが遺言だったのです・・・

⑤ 日曜日ですが急いで連絡を受けて走ってきたキム・ドンフィ局長、ソン・ヨンミ室長が葬儀準備のために事務所であちらこちらに連絡をして、準備をしました。そして、アニャンへ車で駆けつけました。

⑥ アニャンメトロ病院の霊安室。スタッフたちと協議をして3階3号室をハルモニの葬儀場として予約しました。

⑦ スウォン火葬場を予約しました。幸い、火曜日12時の時間が空いていてその時間に予約しました。ハルモニを長い間、訪ねていたハルモニの友人となっていた日本人女性のサカモト・チズコさんが来ました。着いたとたん、何をすれば良いのかと聞かれました。本当に有りがたいです。

⑧ アニャンの市民団体の幹部たちとスタッフたちがハルモニの霊安室に到着しました。6・15共同準備委員会アニャン本部の実務チームとアニャンを愛する青年会、チャジュ学校活動家たちでした。彼らにハルモニがアニャン市とは特に縁がないが、2年余りこの場所で闘病生活を送ったことを説明するとこの間、全く知らなかったと驚いていました。

私の落ち度です。なぜ、考えが及ばなかったのか?論議の末、ハルモニの葬儀を市民葬にしたいと提案し、それをアニャン・クンボ・ウィワン市民社会団体が快く引き受けてくれました。そして、すぐに動き出しました。ハルモニの天国への道を市民団体の愛と共に送ることにしました。

⑨ ナムヌの家に電話をしました。また、ボランティアが電話を受けました。ハルモニの遺影と寿衣と持ってこなければならないと言うと、今は持っていける人が誰もいないと言います。少し腹が立ちました。早く連絡をして対策を練らねばならないのに、来れる人間がいないなんて話にならない。アン・シンクォン局長に電話をして伝えたのかと聞くと、電話で伝えたと言います。もう一度、連絡してハルモニの霊安室に写真もなく祭壇を準備することも出来ないから早く持って来れる方法を論議して欲しい言いました。

⑩ ハルモニは2年以上アニャンメトロ病院で過ごされました。少し体が良くなってナヌムの家に退院したいと望んでいたハルモニでしたが、ナヌムの家に再び戻る事はなく認定老人専門病院に退院しなければなりませんでした。そして、その病院を退院しようとしていた時に医療事故が起こり、ここアニャンメトロ病院に転移し手術を受けなければなりませんでした。これが2年もの間、ハルモニが病院から退院出来なかった原因であり、三回の医療事故のためにハルモニの体は退院の出来ない体にしてしまったのです。

アン・シンクォン事務局長に電話をしました。アン・シンクォン事務局長はチュンチョン方面にいるようでした。明日の午前中には病院に向かうようにすると言われました。葬儀委員にナヌムの家の関係者、ソン・ウォルジュス僧とウォン・ヘンス僧に引き受けてもらうのはどうか、と論議しました。受話器の向こうで「そうしてください」との返答でした。

⑪ 事務所から挺対協のスタッフたちが到着しました。キム・ドンフィ、ソン・ヨンミ室長、ボランティアのチャ・ジョンフンが一緒に来ました。本当にありがたい同志たちです。身を惜しまず、勤務時間・休憩時間の区別もなく仕事する友人たち。私たちはお互いに支えあっているようです。

⑫ 統一ニュースイ・ゲファン代表に電話をしてパク・ドゥリハルモニと関連したインタビューをしました。

⑬ ナヌムの家の歴史館まりおさんと電話をしました。ソウルにいるのでナヌム家に戻り、自分が直接ハルモニの遺影と寿衣を準備して向かうと言ってくれました。安心しました。ありがとうございます。

⑭ 夜10時ごろ、ほぼ葬儀と関連した準備と予約関係がすべて終わりました。

⑮ スカイ天使オム・オクソン代表と電話しました。オム代表は2年以上ハルモニの葬儀の後援をしてくれていますが昨年、パク・ボクスンハルモニの葬儀後少し今後の事について検討したいと言っておられました。オム代表にパク・ドゥリハルモニの事を伝えて援助の要請をしました。オム社長は本当に不可能な状況の中で、ハルモニの花冠飾りと運柩車とバスの後援してくださると言います。本当に大きな後援です。また、大きな安心を得ました。大きな力になります。

⑯ ナヌムの家歴史館まりおさんと電話をしました。ナヌムの家から出発するとの事でした。

2月20日(月)

① 午前0時ごろ、ナヌムの家歴史館まりおさんが遺影用の写真2枚と額、寿衣を持って来ました。おそらくどちらを選べば良いのか簡単に決める事が出来ずに二枚用意してきたようでした。一つを選び、寿衣と他の写真を霊安室に別途保管しました。祭壇を菊の花で飾り付け祭壇の準備を終えました。

② アニャン市民団体活動家と一緒に葬儀委員を組織、葬儀日程の論議などのためにキム・ドンフィ局長はアニャンを愛する青年会事務所に行きましたが、午前1時を過ぎても終わらないようです。2時ごろ、キム・ドンフィ局長がアニャンを愛する青年会活動家と一緒に303号に戻ってきました。論議結果を共有しました。

③ パク・ドゥリハルモニの娘さんの決定でチョナン望郷の丘にハルモニを埋葬するため申請書を提出しました。納骨堂よりお墓が良いように思ったので、それから墓石に刻む言葉を聞いてみると、ハルモニがとても可愛がっていたお孫さんが「愛しています」にすれば良いのではないかと言いました。

④ 午前9時からオーマーニュース、キョンギ日報、アニャン市民新聞、連合ニュース、KBS、SBSなどの記者たちの取材が多かったです。関心を持ってくれて幸いです。これにも安心しました。

⑤ 午後10時30分ごろ、ナヌムの家から副院長とアン・シンクォン事務局長とまりおさんとウォン・ジョンソン看護士がパク・オクソン、イ・オクソン、カン・イルチュルハルモニをお連れしました。

ところが、着いたとたん昨日、まりおさんが持ってきたのこりの写真を探しました。「その写真はどこにあるのですか?歴史館に保管しなければなりません」霊安室の机の引き出しに保管しておいた写真を取り出しながら、何か問題があるように感じました。詳しくは報告しないほうが良いと思うので、私の日記にだけ記録するようにします。

ハルモニたちの状況が分かるので特別理解したくて、気配りもきかせたいのですが・・・ナヌムの家のハルモニたちはパク・ドゥリハルモニにお別れをして、遺族と言葉を交わして帰りました。

⑥ 弔問客たちが一人、二人と来られます。アニャン地域の方々が大部分です。ハルモニのお世話をした501号室の付き添いの方たちが来て下さいました。ところが、二年間初めからハルモニをお世話した付添いの方が見えません。今日は休みの日だそうです。すぐに会わなければならないのに・・・

⑦ 午後1時ごろ、キル・ウォノクハルモニとファン・グムジュハルモニをソン・ヨンミ室長がお連れしました。イ・ミギョン議員も弔問に来られました。久しぶりに少し話すことが出来ました。パク・ドゥリハルモニについて事務所について、博物館建立活動について。キル・ウォノクハルモニとファン・グムジュハルモニはKBSテレビのインタビューを受けました。ファン・グムジュハルモニは一晩中かけても語り尽くせないハルモニの歴史について話をしました。キル・ウォノクハルモニは横で「ほら、また違う話をしている」と言いながらヤキモキしていました。二人のハルモニは長い間、病院に詰めていましたが夜、遅くにウリチプに送りました。

⑧ 夕方になって葬儀会場は弔問客でいっぱいになりました。アニャン・クンポ・ウィワァン市民団体の方々がほとんど来られたようでした。取材陣たちも多かったです。弔花がひっきりなしに届きました。地域市民団体の活動家たちと挺対協スタップたち、全国女子大生代表者協議会の女子学生たちなども弔花でハルモニの棺を可愛らしく飾ってくれました。もう、スタッフたちは葬儀に関する専門家になりました。

⑨ 夜9時10分、弔問に来られた方たちと一緒に故パク・ドゥリハルモニのお通夜がありました。事務総長である私の司会で始まり、ユン・スンニョ挺対協共同代表の故パク・ドゥリハルモニの経歴紹介、福岡から来られたハナフサ・エイコさんの追悼辞、アニャン地域代表の追悼辞、パダッソリの追悼歌、参加者たちは献花をしながらハルモニとお別れの時間を持ちました。ハルモニの唯一の血縁者である娘さんはお通夜の間、床に突っ伏し慟哭する姿が参加者たちを一層悲しくさせました。

⑩ 葬儀が終り参列者たちと挨拶をしているのにパク・ドゥリハルモニの娘さんが来ました。ハルモニの遺骨をチョナンではなく、ナヌムの家にすれば良いとナヌムの家のアン・シンクォン局長がそう言っているので・・・

娘さんの意見は重要だと、挺対協やチョナン望郷の丘には少し話を複雑にして申し訳ないが取消せばいい事だと話しました。娘さんが簡単に決めきれない様子だったので、ナヌムの家のアン・シンクォン事務局長を探しで論議した末、そのようにする事にしました。

⑪ 葬儀委員会執行委員たちが作成した明日の葬儀の順序と市民団体に配布する広報誌を作り、また葬儀費の募金のための会議をしました。アニャン地域で400余万ウォンの葬儀費が集まり、挺対協関係者たちから約200余万ウォンの葬儀費が集まりました。しかし、葬儀費の支払いは700万ウォンを超えています。

⑫ 霊安室で約7年ぶりに知人を会いましたが、文化財庁で働いていました。博物館に関して論議をしましたが、文化財庁史蹟課を通じて先に知らせる方が良いそうです。

2月22日(火)

① 朝8時、出棺式を霊安室で行いました。ユン・ミヒャン事務総長の司会で、アン・シンクォン局長の追悼辞、参加者が献花を行ないました。チョナン望郷に丘に急いで取消しの連絡をしました。申し訳ありません。手続きも大半終わっていたのですが・・・

② 出棺式が終り9時30分に日帝時代の最初の事務所で日帝収奪の象徴であるアニャンソイ面事務所前で一次出棺を行ない、10時にアニャン駅で集まり出棺をしました。行き交うアニャン市民たちも一緒にハルモニを追悼してくれました。⇒一時間後にハルモニの棺と葬儀委員たちはスウォン火葬場へと向かいました。火葬場に向かう車中、ハルモニの娘さんは解放後ハルモニが自分を生んで、自分を負ぶって野菜の行商をした事から病院での闘病生活から・・・退院したら自分の家に来るはずだったのに何故、一度来ることなく逝ってしまったのかと慟哭されました。私たちも悲しかったです。

③ 11時スウォン火葬場でハルモニはそうして一握りの灰となり私たちの胸に帰ってきました。ところが、火葬がすべて終り遺骨をすべて収めたのにナヌムの家から到着する車がやってきません。一握りの灰となったハルモニの遺骨を抱いて家族と参列者たちは胸が引き裂かれそうなのに風も冷たかったです。ナヌムの家の車が現在、クリまで来ていると言います。私が大声で怒鳴ったことは省略します。

腹が立ちましたが早く対策を立てなければならず、再び大忙しでした。休む暇がないとはまさにこの事です。車を早く探す為にスウォンの知人たちにあちこちに電話を・・・結論1まず、車で遺骨とウリチプのハルモニたちで移動し、2残りの人たちは少し待ってユン・ミヒャン事務総長が実家から車を借りて乗せていく。あー、火葬場にはタクシーもない。紆余曲折の末に車を持ってきて30分があっという間に過ぎ、ナヌムの家に到着するとそこでハルモニの追悼式を行なっていました。

④ ナヌムの家のハルモニたちと一緒に話した後、午後6時ごろ出発しました。車を返して家に着くと10時を過ぎていました。

2月23日(水)

① 第697目の水曜デモでした。反米女性会が主幹だったのですが、二人の男子中学生のハーモニカ演奏と歌を習い、独島守護隊の独島関連の発言などが続きました。島根県で竹島の日が制定されて1周年行事のために日本大使館前もファルビン党ホン・○○さんは私たちの集会の間中一人で集会をしていました。私たちはたまにこの方の集会をコバンザメ集会と呼ぶのですが、他の日にすれば良いのに必ず水曜日、私たちが水曜デモをしている時に横で行なうのでそんな風に呼んでいます。

② パク・ドゥリハルモニの葬儀費用の決算をしました。アニャンで葬儀委員の中でまだ会費を出していない方々にはみんな回収すると言ってくれました。心の広さに涙が出るほど感謝しています。

③ ソウル市に電話をすると博物館業務関連の担当者か休暇でした。来週には出勤予定だそうです。

④ 午後から事務所では地方ボランティアたちとハルモニたちと電話をしました。3月1日に金剛山へ出発するので忙しいです。28日はウリチプで約40名が宿泊しなければならないようです。こんな仕事で事務所はとても騒がしかったです。ハルモニたちが耳が遠いために私たちは大きな声で電話をしなければならなかったんです。こんな習慣は他の場所で失敗を招く事もあります。電話の声がとても大きいために。

⑤ アメリカの同胞団体の中でワシントンNAKAが一周年を迎えました。祝辞を頼まれたので送りました。とても疲れました。スタッフたちに少し早く退勤するように言うときりのよいところまですると言って事務所を去りませんでした。

2月23日(木)

① バウネットジャパンの消息誌に載る原稿を送りました。原稿依頼内容はスタッフたちの状況やハルモニたちの状況でしたが最近、文章が暗い感じがするようで心機一転しなければなりません。

② 3月2日から金剛山で開かれる葛藤紛争予防北東アジア会議にハン・クギョン代表とユン・ミヒャン事務総長が参加しますが、挺対協に発言を任せられました。英語で行なうのです。そこで代表が原稿を作成しました。明日、翻訳を頼まなければなりません。

③ あるハルモニから電話が来ました。自分の通帳に生活費が入っていないが、どうしてあなたたちが持っていったのかと。あー、ハルモニたちの老人病は仕方がありませんが、スタッフたちは胸が強い気持ちでいなければならないでしょう?そんな反面、ハルモニたちにも電話をするとパク・ドゥリハルモニの葬儀を終えてご苦労様だったと声をかけてくれました。ありがとうございます。

④ 今日もパク・ドゥリハルモニ葬儀費の決算は終わりません。

⑤ パク・ドゥリハルモニの娘さんが電話をくれました。49日が終わればナヌムの家からハルモニの法事を自分の家で行なうと言いました。ナヌムの家で数日を過ごして、多くを考えたようでハルモニが願っているのはナヌムの家ではなく自分が世話をするのが良いとそう話でした。そして、あれこれ一時間ちかく話をしました。そして、お母さんに会いたくなった時には電話をするから少し付き合って欲しいと言いました。嬉しい気持ちでそうしようと答えました。

2月24日(金)

① 金剛山人権キャンプ報道資料を作成し、発送しました。

② パク・ドゥリハルモニ葬儀に参列して下さった方々にお礼の手紙を書き発送しました。

③ 事務所に良い事がありました。ウリチプのハルモニたちとスタッフたちを治療してくださっている漢方医のユン先生が事務所の椅子すべてがスタッフたちの腰を痛めるしかない椅子だと椅子を二つ持ってこられました。そして、年の順で占有するように言いました。若いスタッフたちにまず譲るのが私の性格なのですが、ユン先生はその事も察しているようでした。何よりも年をとった者が若い人より腰が悪い為に下した配慮でしょう?お陰でとても良い椅子で勤務できるようになりました。どうもありがとうございます。その上、体がとても疲れて肩もとても痛くて、足も痛くて頭もとても痛いので治療を受けました。針治療も受けて・・・体が軽くなりました。

④ ソン・パニムハルモニが電話をくれました。ソン・パニムハルモニはパク・ドゥリハルモニとカン・ドッキョンハルモニ、キム・スンドクハルモニ、パク・オッニョンハルモニと一緒に92年からナヌムの家初期の大変な時期に苦楽を共にした方です。私にお疲れ様、ありがとうと言いながら「もう、オッニョンとヨンスだけが残った」と泣かれます。「ハルモニ、泣かないで下さい。そして、ハルモニに是非お願いしたいのは体調が悪ければウリチプで過ごして下さい」と言いました。ハルモニたちが心配です。一人、また一人と逝かれる度に心が弱くなって・・・

⑤ 西大門警察署情報課の女性刑事が訪ねてきました。この間、ウリチプでの仕事もたくさんしてくれましたが、他の地方に移動になったそうです。後援金も10万ウォン下さいました。

⑥ 女性部共同協力事業のプログラムで博物館に関連した資料をDVD化、資料収集などの内容を作って提出しました。あー、貧しい暮らしがこのように軌跡をずっと作っていました。

2月25日(土)

① イ・ヨンスハルモニ、キム・オクソンハルモニ、カン・ジュヘ局長、シン・ヘス共同代表がアメリカから帰ってくる日でソン・ヨンミ室長が車で仁川空港まで迎えに行きました。カン・ジュヘ局長とハルモニと電話で話しました。お疲れ様でしたと挨拶をして今日の仕事を終えました。

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