« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月27日 (月)

三回目のビニールハウスコンサート

“三回目のビニールハウスコンサート”第543回キャンドル行事

午後3時頃、予め約束していた“みんなといっしょ”の子ども記者たちと指導先生たち20名が今日テチュリを訪問しました。米軍基地拡張予定地を歩いて周り、住民たちの話しを聞き、村も歩きました。

▲"みんなといっしょ"の子どもたち

今日はビニールハウスコンサートがある土曜日でした。キャンドル行事の一時間前から歌声が聞こえてくると思ったら、今日のコンサートの出演するノレペ“ウリナラ”が練習をしていました。

▲ロウソクが灯りキャンドル行事が始まった・・・

7時・・・キャンドルが灯り始まった543回目のキャンドル行事土曜日ごとに無料相談所を開いているソン・サンギョ弁護士とメヒャンニ爆撃場の平和の為に尽力しているチョン・マンギュ委員長、“みんなといっしょ”の子ども記者たちの公演、ハンシン大の学生、テグ大シン・ムンサさんたち学生の紹介が行なわれ、ビニールハウスコンサートが始まりました。

▲”みんなといっしょ”の子どもたちの公演とそれを楽しむ住民たち

住民たちの気持ちを込めた歌、平和を願う気持ちを込めた歌など・・・一生懸命に準備した歌の公演を楽しむ住民たちも一緒に手を叩きほのぼのとした雰囲気に包まれた。

▲コンサートの主人公ノレペ”ウリナラ”  ”いいぞ~”の掛け声

たくさん、たくさん、育て~^^/

昨日、今年の農業発起式を始め住民たちは農業の準備に忙しかった。

6時半・・・明け方前から冬に植えておいた麦に肥料をやる準備の真っ最中だ。日が昇り始めた頃にアサヒに照らし出されたファンセウルが地味ではあるが平和そのものの姿だ。

▲日が昇る前から作業は始まった、日の出を迎えるファンセウル野原

冬の間にすっかり育った麦の芽の間をトラクターであちこち肥料をまいた。肥料をやり終えた後、自転車に乗ってこっそりやって来たイ・ミンガンおじいさんがジュースの差し入れをしてくれた。

▲白い肥料をまいた・・・よーく育て~

“みんなで肥料をまきます” 今日、テチュリ1班のホン・ミニさんの家でも肥料やりの作業を、カン・クォンソクさんの家でも唐辛子の苗の作業を朝から行なっていました。田んぼに出たいと言うトラクターの願い、この土地で農業をしたいと言うペンソン住民たちの願いはこのように一つ二つと現実のものとなるように信じている!

| | コメント (0)

2006年2月25日 (土)

【挺対協】週間消息⑥

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑥【2月12日から2月18日】

                                                                報告:尹美香事務総長

2月12日(日)

① インチョンのハン・オクソンハルモニをカウン病院へお連れしました。インチョン地域のボランティアであるキム・キョンオクさんがハルモニを環境の良いところに移したいと努力の末にカウン病院に転移しました。病院は山の麓に位置しており、入口からとてものんびりとした感じのする所だそうです。

② ソンナムのチン・キョンペンハルモニをカン・ジュヘ局長が訪ねました。チン・キョンペンハルモニはとても信仰深いです。ソンナムのサンジャ教会に通っていますが、最近は教会も遠くて通うことが出来ないと残念そうだったようです。

そして、同じアパートに住んでいるイム・○○ハルモニも訪ねました。

③ チェ・カプスンハルモニを訪ねようと病院へ行ったのですが、すでにハルモニは退院していました。入院費の心配と病院が窮屈で退院してしまったようです。ハルモニは初期の中風です。家へ行ってハルモニの荷物をまとめてウリチプへお連れしました。ハルモニはウリチプに着くなりとても喜ばれました。

④ アメリカのV-dayと関連して一日に何通もメールの交換をしました。土曜日にもV-day“日本軍「慰安婦」被害者へ正義を!”アメリカキャンペーンに参加するハルモニのことで何度もメールと電話のやりとりをした末に最終的に元々行く予定だったキョンブクのパク・オクソンハルモニとイ・ヨンスハルモニが行く事になりました。そして、イ・ヨンスハルモニの簡単な英語の略歴をアメリカのV-day進行チームにメールで送りました。

2月13日(月)

① 小正月の次の日である月曜日です。一日遅れでハルモニたちと一緒にウリチプに集まりました。ソン・ヨンミ室長が準備した美味しい五穀米とナムル、焼肉とサンチュなどハルモニたちが好きな料理がずらっとお膳に並びました。ソウルトゥンチョン洞から来られたキム・ボクソンハルモニとキム・キョンスンハルモニも美味しいと喜ばれ、ハルモニたちのお陰で家のご飯が好きな私も嬉しかったです。

ポケットから1000ウォンづつ出して交通費をかけてユンノリ(すごろく)をしました。スタッフたちとハルモニたちの班に分かれて・・・「4だよ!もう、1だね」「5だ!まったく!」ウリチプは瞬間的に騒がしくなりました。

四つの班すべてハルモニたちが勝ちました。やはり、ハルモニたちを相手に適うはずがありません。そうでしょう。どんな思いで生き抜いて来られた方たちなのか・・・そうやって生き抜いてきたハルモニたちだから、戦争も死の淵からもすべて克服してこの場所に私たちと共にいらっしゃるのに・・・私たちが勝てるはずがないでしょう。

キム・ポクソンハルモニとキム・キョンスンハルモニはタクシー代をもうけたと言ってとても喜ばれました。

② ソウル市公園課イ・ウォンヨンチーム長と電話で話しました。本当は会って話そうと思っていましたが忙しいと言われるので、まず電話で話し合いたいと話し、率直に「ソウル市から受け取った公文書では西大門区庁から文化財現状変更審議申請書の受付が出来ないと言われていて、どうすれば良いのか、助けて欲しいと」話しました。

そうすると、「西大門区庁がなぜそうなのかよく分からない」とし「西大門区庁がその書類を受付できないと言われた時はソウル市が政策的に推進している事業だ」と言ってもう一度、西大門区庁に受付の申請をして欲しいと言われました。

③ キム・ヨンミ博物館共同建立推進委員長が電話をくれました。博物館の敷地問題と関連してソウル市と関わる問題でどのように解決すれば良いのか助言して下さいました。カン・ジウォン共同建立推進委員長と電話をしました。

この間の状況を報告して、どのように進めれば良いか意見を聞いてみると、担当者に直接会ってその場で今まで浮かばなかった新しい意見が出るかもしれないと、とても簡単ながらもカッコいい助言をして下さいました。

私の頭の中もすっきりと整理できました。“そうだ順番に解いて行こう!”

④ KBS1ラジオとインタビューをしました。内容は博物館と第700回目の水曜デモについてでした。

⑤ ハルモニたちから電話が途切れる事がありませんでした。シム・ミジャハルモニからウスキ・ケイコと日本男性のハラダさんまた、韓国男性と一緒にハルモニを訪ねてきたと電話がありました。「来るな」と言ったのに結局、訪ねてきて戸を叩き騒ぎを起こしたと。

ソウルのサンゲ洞のソン○○ハルモニは戸を叩いても出なかったら、言ってしまったと、

ソンナムのチン○○ハルモニはやって来て5万ウォンをよこして行ってしまったと、

ソウルのサンゲ洞のパク・○○ハルモニは15万ウォンをよこし、何か書類にサインしてくれと言うのでダメだと言ってお金を振り払いながら、こんなお金をくれなくても政府から支給されているお金で充分だと言うと、結局テレビの上に置いて行ったと、

ソウルのトゥチョン洞のキム○○ハルモニは家に来ると言うので来るなと言ったが、もしかしてと思い、町の集会所に行っていたが警備が教えたのでそこまで押しかけて10万ウォンをよこして書類を作らなければならないと言い、行ってしまったと言います。何か企んでいるのかも知れないと言って大変なお怒りでした。

そして、トゥチョン洞のキム○○ハルモニは門を叩いても戸を開けなかったら、行ってしまったと言います。

-挺対協の毎日は本当に根くらべです。あまりにも大きな忍耐を要求します。

2月14日(火)

① 10時30分に東京から15年間、活動しているツブカワさんとノブカワさんが事務所を訪ねて来られました。ファン・グムジュハルモニも一緒に同行しました。一緒に第700回水曜デモについて論議をしました。(バレンタインデーなのでチョコレートも準備してこられ、私たちに笑顔をプレゼントして下さいました)

② 午後、3時にソウル市公園課を訪問して文化財現状変更審議申請書のために土地使用同意と関連して論議しました。もう一度、公文を送るときは公文様式で送ってくれると言いました。

③ 第700回水曜デモ企画会議を行ないました。第700回はすべてのものを虹で象徴化するようにしました。私たちの7大要求も“7”、第700回も“7”そして、韓国政府に公開要求書を伝達する事にしました。

④ ソウル市の市民団体支援プログラムで“日本軍「慰安婦」被害者に正義を!”グローバルキャンペーン事業を提出しました。

⑤ 挺対協スタッフとして活動したいとある女性が願書を送ってきました。しかし、幼いです。81年生まれだと言います。もう少し、願書がくるまで待ってみようと思います。

⑥ ファン・グムジュハルモニが事務所に来られた時には家に帰ろうとしていましたが、テグのイ・ヨンスハルモニがソウルに来られるので自分もウリチプに泊まって帰ると心変わりしたようです。他のハルモニより少し欲張りなファン・グムジュハルモニは今日の夜が気になって家で眠れないようでした。

それで、ウリチプにはチェ・カプスンハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、イ・スンドクハルモニ、イ・ヨンスハルモニにファン・グムジュハルモニまで・・・ソン・ヨンミ室長は今日は大変です、どうしましょう?

⑦ 良くない知らせがまた、入ってきました。新しい本が一冊出たようですが、またそこに挺対協運動を非難する内容が一箇所あると電話をしました。

私たちとインタビューでも一度行なってそのような本を書くのであれば受入れもするが、インタビューを一度もせず、運動に全く参加したこともなくてどのような評価が可能なのか少し考えてみました。

ある女性学者たちは挺対協運動が女性人権運動ではなく民主主義的な性格が強いと言いますが、むしろ挺対協は過去史団体たちから挺対協運動がとても女性人権問題として偏向していると評価を受けています。

気にしないようにします。被害者たちの経験・立場に立って、彼女たちの名誉と人権回復のために又、私たちの人権のために、私たちの社会の正義回復のために最善を尽くして活動しているからです。そして、世界各国から女性たちが、平和運動たちが、人権運動家たちが、私たちと連帯して私たちの運動によって被害者たちがあのように堂々と主体的な運動家に変わることが出来たと評価してくれていますから心配していません。

歴史が語ってくれるでしょう。

2月15日(水)

① 今日は第696回目の水曜デモでした。キョンギ南部民族問題研究所が主管の日でした。みんなスウォンから電車に乗って来られたのですが、力強く情熱的なデモを進行してくださいました。

ナヌムの家で主催しているピースロードに参加している韓日青年たちも一緒に参加して、シスターたちも共に参加しました。

② パク・ドゥリハルモニを午前中に訪ねました。今日でなければまた、来週になってしまうと思いアニャンメトロ病院に行きました。

ハルモニはずっと眠っていて顔は黄疸がとてもひどかったです。胆嚢管が詰まって、食べても美味しくなく、ご飯もよく食べられなくなった為に手術をして他の管を入れましたが、ハルモニがそれを抜いてしまったようです。それで、今日再び手術をすると言います。ところが、看護士も心配していました。

気力がなく、手術後に回復出来るか分からず、こんなふうに寝つづけるのはダメだと言って起こさなければならないと起こし、私も起こしてみましたがハルモニは眠っていたいようでした。結局、席を立つまでの一時間の間ハルモニと目と目を合わすことも出来ず、まぶたを開いて眠っているハルモニの黒い瞳を見つめる事しか出来ませんでした。

③ 午後にパク・ドゥリハルモニの娘さんから電話が来ました。手術が無事に終わったようです。ところが、認定老人専門病院とは関係なく疾病なのでハルモニが手術費を負担しなければならないと言われたと心配していました。それで、私が調べてみるから心配ばかりしないでと声をかけると、相談する相手がいて、良かったと喜んでいました。

④ キョンブッ、ヨンチョンからキム・オクソンハルモニがウリチプに到着しました。もう、アメリカに行く準備がほとんど終わりました。

⑤ 夕方にイ・ヨンスハルモニと少し会議をしました。アメリカで行なわれる行事についての案内と説明をしなければならないためです。

V-dayが何なのか、ボジャイノ・モノローグ公演が何なのか、ハルモニたちが経験した女性の体に対する暴力問題とアメリカの女性たちとの連携性などの説明を行い、予想していた質問なども一緒に考えてみました。ハルモニは小学生のように私の言葉を良く聞いて良く理解もされました。

2月16日(木)

① 朝、7時にウリチプに電話をしました。ウリチプは朝食の真っ最中でした。イ・ヨンスハルモニとキム・オクソンハルモニが7時30分になればウリチプから空港に出発しなければならない為です。ハルモニとカン・ジュヘ局長と電話で話し出発前の挨拶をしました。

② 事務所に到着したとたんV-dayキャンペーンについての報道資料を作成してマスコミと関係団体にメールとFAXで送りました。V-dayキャンペーンである“日本軍「慰安婦」被害者に正義を!”はワシントンとニューヨークなど17日から23日まで開催されます。

2月17日(金):午後2:00 ワシントンキャンペーン

(場所:国会記者会見-アメリカエバンス下院議員、主催記者会見)

2月18日(土):Vagina Monologue ニューヨークキャンペーン参席

(場所:ニューヨークHunter College)

2月19日(日):Fordham and PACE universitiesキャンペーン

2月21日(火):Rhode Island大学キャンペーン

2月22日(水):コネティコート州大学キャンペーン

2月23日(木):V-dayレセプション-ポジャイノ・モノローグ劇作家イブエンスルロ参加(午後:7時30分にニューヨークUN Plaza Hotelで開催)

③ 最近、事務所のスタッフたちにはとてもありがたい先生が一人います。ユン・ヨンシク先生がまさにその方です。先生が来られればスタッフたちは右の肩が痛いです。頭が痛いです。腰が痛いです。等など・・・痛い所の羅列が始まります。先生についてはよく知りません。ただ、先生は漢方医先生だと言う事。

スタッフたちは「ここが痛いです。」と言えば一度、確認して「ここが良くないですね」そして治療。「わぁ、本当にちっとも痛くないです」こんな風です。ユン先生は元々ウリチプのハルモニたちのボランティアでの先生でしたが、事務所スタッフたちの主治医まで日聞きうけてくれています。今日も事務所にはスタッフたちの治療があります。私も肩がとても軽くなりました。固く固まっていた肩もほぐれました。

④ ウリチプのキル・ウォノクハルモニがついに針治療を受けました。若いときに針に対してのトラウマがあるので拒否されていましたが、針治療を終えて腕が上がると喜ばれました。

⑤ 正しい歴史企画団(東北アジア歴史財団設立委)にチョン・ウンジョン課長とチョン・ヒョンテチーム長など3名が事務所に訪ねてきました。挺対協事業と国際連帯事業について意見交換をしました。

⑥ 一日中、電話が鳴りつづけました。パク・ドゥリハルモニの娘さんと10回以上も電話で話しました。夜中でも構わないからいつでも電話をして下さい、気持ちを楽に持って、本当に逐一電話をくれました。パク・ドゥリハルモニの血圧が下がっていて集中治療室に移ったと言います。ところが、集中治療室は入院費が高いために請求金額が相当なものになるようです。

元々パク・ドゥリハルモニの病気は認定老人専門病院で過失致死による火傷から大腿部骨折に至るまで病気となったため、入院費を一切負担するように言うのですがハルモニがナヌムの家から娘さんの家に移った後に態度が変わったようです。

過失致死、民事刑事訴訟、行政提起など様々な方法で調べてみました。しかし、ハルモニにもっと多くの損害を被るかもと思うと心配で不安になります。

2月17日(金)

① ナヌムの家に電話をして認定老人専門病院でパク・ドゥリハルモニの入院費の負担する内容の覚書を受け取りました。書類は4項目に分かれていて娘さんとナヌムの家、認定病院の三者の名義になっていたのですが、認定老人専門病院がキョンギ道立病院となっていました。

病院はパク・ドゥリ患者の今後の治療と回復に最善を尽くし道義的な責任を持ちアニャンメトロ病院、及び認定病院での持続的な治療及び療養で発生する費用のすべてを負担する、となっていました。

ところが、最後に病院の治療と関連して民事・刑事上または行政的な問題について「一切、異議申立てをしない」と言う項目がありました。

こんなこともあるんですね・・・そうであっても挺対協が行政的に申立てできる方法を調べて病院費を負担する方法を探しています。

ハルモニを2年以上病院に縛り付けるようにしておいて、ここに来て疾病内容が違うから負担しないと言う事は覚書合意に違反するのではないでしょうか?

② 女性家族部福祉チームから電話がありました。シム・ミジャハルモニがハンナラ党の国会議員に挺対協の被害者支援事業(女性部プロジェクト事業)に対して問題提起をしながらムグンファ会33人については挺対協が事業のサポートが出来ないと言います。

そこで、資料を提出しました。すでに全国的にすべてのハルモニたちには挺対協から漢方薬と処方し、人権キャンプも行い、年末プレゼントも贈り、地域市民団体と温泉も行ったと報告しました。

ただ、シム・ミジャハルモニ本人が挺対協運動に反対すると言う仮処分申請を出した為にどうすることも出来なくて、心理治療事業も出来なくなったと事。33人の被害者は嘘である事も証拠と共に申告してしまいました。

33人の数字自体もおかしいですが、その名前を確認するとすでに亡くなった方もいるし、名前が確認できない方もいました。そして、ハルモニたちはムグンファ会に加入したことがない方も入っていました。正確に数えると4人だけ残りました。

あー、いつまでシム・ミジャハルモニとのこの長い闘いが続くのか・・・いつまでこのように名誉毀損を受けても黙っている他ないのか・・・

③ 明日は一人娘の小学校の卒業式なので今日は少し早く退勤しようと思っても8時になって電話がかかってきました。受けるとハンナラ党コ・キョンファ議員室からで、シム・ミジャハルモニがハンナラ党に挺対協とナヌムの家に請願を出したようです。

自分が本当の「慰安婦」ハルモニで33人の慰安婦被害者の集いムグンファ会会長だと言いながら、挺対協とナヌムの家について何か話したようです。

本当に一時間の間95年、日本の“女性のためのアジア平和国民基金”設立後シム・ミジャハルモニと挺対協の関係にすいて、そして挺対協研究室と一緒に行なった証言集調査過程で信憑性に問題があると判断された後からのシム・ミジャハルモニと挺対協との関係についてその長い歴史を報告しました。

今日は肩の治療も受けて、肺の治療も受けて気分が良かったのに・・・言葉を失いました。心が泣いているからか胸の痛みを感じます。

2月18日(土)

① 午後にパク・ドゥリハルモニを訪ねました。午後5時集中治療室へ面会時間に訪ねたのですが、血圧が依然として79/54で、ハルモニは未だ気力がありません。心配です。早く元気にならなければならないのに・・・

② 今日はウリチプのソン・ヨンミ先生が家族の集まりがあるために実家に帰り、キム・ドンフィ局長がハルモニたちを守っています。夕食はカレーライスとキムチの煮物のようです。あー、美味しそう。

| | コメント (0)

2006年2月19日 (日)

故・朴頭里ハルモニの冥福を謹んでお祈りします

本日2月19日午後6時20分、全日本軍「慰安婦」被害者として生涯を苦痛を受けながら生きてこられた朴頭里(パク・トゥリ)ハルモニが83歳でこの世を去られました。

1924年プサンで出生した故朴頭里ハルモニは、1940年17歳でサムリャンジンへ連行され、解放まで台湾で日本軍「慰安婦」として生活されました。

「慰安婦」生活中の殴 打や暴力で脊椎疾患と耳が聞こえないなどの後遺症を患い、精神的・肉体的苦痛を訴えられました。

2003年からは持病で継続した闘病生活を続けられ、本日午後亡くなられました。

ハルモニの亡骸は安養(アニャン)メトロ病院霊安室に安置されており(安養メトロ病院霊安室3階303号、031-466-6200)、出棺は2月21日9時安養メトロ病院霊安室、水原火葬場で12時、その後天安望郷の丘に安置される予定です。

故・朴頭里ハルモニ

1924年 慶尚南道蜜陽郡で出生

1940年(17歳) サムリャンジンで工場に就職させてやるという言葉にだまされ、以後台湾で日本軍「慰安婦」生活

1945年(22歳) 解放とともに輸送船に乗って帰国

1992年(69歳) 日本軍「慰安婦」被害者申告 2006年2月19日午後 安養メトロ病院で83歳の生涯をとげる

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=581

| | コメント (0)

2006年2月18日 (土)

共に米軍基地を阻止しよう!

共に米軍基地を阻止しよう!2・12第三回平和大行進

朝からテチュ小学校の運動場は慌しかった。

舞台の背景画を描き、厄除け儀式のお膳も準備して、テチュ小学校の入口には農民である住民が作ったもち米の販売、写真家ノ・スンテクさんの作品が詰まったカレンダー販売、温かいお茶が飲めるチキミ(*)の家での喫茶コーナーなど・・・お客さんを迎えるために浮かれ気分で住民たちが村の入口に陣取った。

米軍基地の敷地内に集められている戦闘警察の車両に目をやり心のわだかまりを感じながら、もまもなく平和大行進に参加するための車が入ってきて車から出てきたお客さんたちを嬉しい気分で出迎えました。

今日の一番人気は「凧揚げ」

凧の販売を始めると集まった人たちで凧を販売する学生たちが忙しくなった。風が吹かなければどうしようと心配していましたが、幸いにも凧は風にのり米軍基地の鉄条網を越えてあちこち飛び回りました。

米軍基地を阻止するための厄除けの儀式が始まり、メインイベントが始まった。ペンソン住民たちは自分たちが使っている農具を一つずつ持ってきて願いを書いた色とりどりの紙を吊るし、厄除けのお膳の横で神妙にお辞儀をした。

今日のために二ヶ月間練習したペンソン地方の文芸隊の会員たちが準備した“ナンタ”とパフォーマンス、劇公演も始まった。ここペンソン住民たちの証言を基にした台本で作られて公演内容に住民たちの目頭が熱くなった。

キム・ジテ委員長の宣言文朗読を終え、平和大行進の隊列はファンセウル野原(基地拡張予定地)へ向かった。先頭にプンムル隊の調子の良いリズムに手に握りしためた“米軍基地拡張反対”“強制土地収用、決死反対”の黄色い旗が踊っているようだった。

昨日、夕方から“ポリスライン”は生命線と言う垂れ幕をかけていた警察たちはファンセウルへ向かう道に“ポリスライン”を設置して警察たちが配置された。しかし、ファンセウルのあちこちそして、米軍基地の敷地内に武装した戦闘警察たちが集められていた。

ファンセウルのまん中で願いを込めたタルチプ(*)はパチパチとよく燃えた。ぬかるんだ足元だったので靴も服も泥だらけになりましたが、みんな一緒に手を繋ぎカンガンスウレ(*)も踊り、この地を必ず守ろうと言う人々の願いは一つでした。日暮れになりテチュ小学校に戻る人々の手には缶が一つずつ持っていました。子ども・大人に関係なく好奇心いっぱいの目で缶に火をつけてチィブルノリ(*)が続きました。

本当に平和大行進なのか確認し、平和デモを定着させようと言う気持ちで暴力デモがあるのではないかと監視しにきた戦闘警察の親たちと警察予備役たちが来たと言う話を聞いていましたが、実際にテチュ小学校に戻る道で“戦闘警察の親の集い”と言うタスキをかけた人たちの姿が目に付きました。

米軍基地内の戦闘警察車両の隊列は終りが見えない・・・

タルチプに込められた願い

私たちの願いと共によーく燃えろ!

平和デモを定着させるためにやってきた戦闘警察の親たち

関連記事

http://www.tongilnews.com/article.asp?mainflag=Y&menuid=101000&articleid=63001

http://www.voiceofpeople.org/new/news_view.html?serial=37448

チキミ・・・守り神の意

この間ピョンテクの土地を離れていく住民がいる中で①ピョンテク地を守るためにピョンテクに移住してピョンテク住民たちと共に活動する人々や②活動を支えるためにカンパをした人々や③共に活動してくれた人々たちの事。

チィブル・・・農家でねずみを追い払うと言う意味で田畑のあぜ道を野草に放つ火

タルチプ・・・15の月見の時に火をつけて明るくするための積上げた薪の山

カンガンスウ・・・陰暦の8月15日,月の明るい夜に村の娘と婦人達が焚き火のまわりに円を描きながら唄い踊る珍島地方固有の民俗ノリ(遊び)である.

【戦闘警察たちの親】

この間、韓国では多くのデモが繰り広げられてきた。その中で戦闘警察とデモ参加者の衝突も少なくない。そんな中で最近、戦闘警察の親たちが暴力を振るうデモ隊に対して“自分たちの息子を殴らないで”と言うデモを開いた事がある。

*戦闘警察の中には自身が望まなくとも、徴兵の期間戦闘警察に配置される者もいる。また、米軍基地の周囲の護衛にあたる警察もこの徴兵中の者がいると言う。

--------------------------------------------------------------

後先になりましたが、2月12日に行なわれた平和大行進の様子のメールを翻訳。

当日の様子はマイフォトにもUPしています。

| | コメント (2)

2006年2月17日 (金)

【挺対協】週間消息⑤

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息⑤【2月6日から2月12日】

                                                                   報告:尹美香事務総長

2月6日(月)

① 2006年ILO総会をどのように対応すれば良いのか見通しがつきません。去る10年間、韓国の両労組が一生懸命に活動してきましたが依然と私たちが目標にしていた案件採択されませんでした。

ここに来て引き下がる事は運動家として到底受け入れられない事であり、いつまで両労組が労働関連の重要案件を後まわしにして、この問題に戦力を傾けてくれるものではなく・・・この問題で韓国労総のカン・チョンホ局長と電話で論議をしました。民主労組は現在、国際局が臨時体制で前国際部長であるイ・チャングン部長と電話して現在の状況を共有して意見を聞いてみましたが・・・

② 東京からFAXが届きました。第700回水曜デモに連帯し、東京の参議院会館前で連帯デモを行なうように決定したので関連資料があれば送って欲しいとの事でした。現在、提案書と企画案を準備しました。

③ 夜9時ソウル、ウミョンドンに住んでいるユン・ユンマンハルモニから携帯に電話がありました。今日、事務所でもカン・ジュヘ局長にも電話をされたのに夜は私の順番のようでした。ハルモニは電話で「あなたはユン・ボソンさんの孫で、独立運動の子孫だ、などなど・・・3・1節に万歳を叫びにチョナンに行かなければならない・・・でも金剛山には行くから・・・」と30分も受話器を握りしめたままでした。

2月7日(火)

① 世界日報の記者が事務所に来ました。ハルモニたちの金剛山観光と博物館建立に関連した内容の取材をして、また電話もしました。

② ソウル市文化財課の担当者と電話して博物館のために必要な現状変更審議委員会への申請書類と関連しての助言を聞きました。

③ 博物館共同建立推進委員長団に博物館敷地準備の活動と関連した中間報告をしました。

④ 2月10日に行なわれる定期総会参加者の確認をしました。各会員団体もそろって忙しいようでした。何度か電話をしましたが、確認は不可能でした。

2月8日(水)

① 第695回水曜デモでした。今日に限ってとても寒かったです。今日もナヌムの家のハルモニたちは来られませんでした。代わりにアメリカから帰国してテグに戻らずウリチプに残っていたイ・ヨンスハルモニ、キル・ウォノクハルモニ、ファン・グムジュハルモニが参加されました。

幸い韓国労組が主管で体の大きな男性と若い女性たちがハルモニの後ろに立って風を遮ってくれました。シスターたちも今週も欠かすことなく参加して下さいました。学生たちも参加して、日本の学校の学生たちも一緒に参加して寒くても熱い集会になりました。

② 世界日報記者の取材は今日も続きました。

③ 定期総会報告書が、ようやく最後のページにたどり着きました。一日中作成した報告書を修正して、補完してはまた修正して補完しながら、昨年1年間の挺対協事業報告を作りました。報告書を整理してみると我が挺対協事務所では本当にたくさんの仕事を行ないました。(もし、私たちの報告書が必要な方がいらっしゃればお送りします)

④ 文化財庁から金曜までに博物館変更申請書の受付をすれば良いとの連絡が来たようです。キム・フィオク所長が設計図を完成させて届けてくれます。本当にありがたい気持ちになります。

⑤ ソチョ洞中央地検のある検事室から電話が来ました。チ・マノンさんとシム・ミジャさんが挺対協のシン・ヘス代表とナヌムの家のソン・ウォルジュ理事長、そして私、ユン・ミヒャン挺対協事務総長を名誉毀損で控訴したようです。訴状を見ると私をシ・マノンさんとシム・ミジャさんは(逆に私の方が名誉毀損を被っているのに・・・)北へ潜入脱出し、(2002年にピョンヤンにシンポジウムに行ったことを指しての事)シム・ミジャハルモニに対して名誉毀損しているという内容でした。

これはもう4度目の訴状になります。シム・ミジャハルモニと言う方は挺対協に4度回目の訴訟を起こしました。初めは97年にハルモニたちが受け取ったお金を横領したと、二度目は2004年水曜デモ中止及び募金活動中止の仮処分申請、三度目はやはり2004年にネチズンたちの博物館へのカンパを挺対協が支払わなかったと言うもので、四度目が名誉毀損・・・あ、際限がありません。

97年に検察から初めて調査を受けて虚無感と傷ついた気持ちを抱えて耐え切れずに挺対協を辞めるしかなかった、その当時が再び悪夢のように思い出されます。“チョン・ヨンスン弁護士~!お願いしま~す!ひょっとして逆にシム・ハルモニの国民基金関連のブローカ活動などに対しての調査は不可能ですか?”

2月9日(木)

① 最近、事務所に着いてすぐに始める業務はプロジェクト申請するところがないか、探索する事です。大部分の民間団体がそうであるように財政が劣悪なので外部プロジェクトをたくさん探します。

今日は9月1日行なう“日本軍「慰安婦」被害者に正義を!”V-dayキャンペーンの一つとして推進する“ホジャイノ・モノローグ”公演の経費の支援を受ける事が出来る所がないかを探していました。この公演の収益金は博物館建立基金に使用されるものです。

② ハルモニたちの金剛山人権キャンプ申請書類の整理をしました。思っていたより申請されるハルモニが多いです。日程が迫ってからまた取り消される方もいらっしゃるとは思いますが現在まで45名のハルモニたちの申請があります。

おそらく今回が最後の機会だと考えていらっしゃるのかハルモニたちみんな“今度は行かなきゃ、行きたい”とおっしゃります。

③ 世界日報の記者の取材は今日も継続しました。最後の仕上げをしているようです。おそらく明日ぐらいに新聞に掲載されるのか?

④ 西大門区庁、文化財課を訪問して博物館今週のための現状変更申請書を提出し、審議手続きを踏む最初の段階でしたが、暗礁に乗り上げました。西大門区庁でソウル市から確実な土地使用許可書を受けなければならないそうです。ソウル市が私たちに送ってくれた書類は公文で検討していると言う内容になっていました。

再びソウル市と協議して始めなくてはならないようです。イ・ミョンジュ委員長とキム・フィオク所長に報告をし、キム・ドンフィ局長は「私って不幸だわ~」と言う表情をしていました。ソウル市担当者ともう一度、論議を始めなければなりません。

⑤ ボランティアと共にこの間に撮影したビデオを鑑賞しました。

⑥ 女性家族部の体系が以前とは変わりました。この間、権益増進局権益企画課から「慰安婦」被害者たちの生活安定支援法を遂行していましたが、女性部がチーム体系を変えハルモニたちの支援問題が福祉チームに移りました。カン・ジュヘ局長とソン・ヨンミ室長そして私が一緒に女性家族部を訪ね福祉チーム長と「慰安婦」担当者と会いました。

直接会ってこの間、挺対協が一貫して要求してきた内容について説明しました。最も重要な事はハルモニたちに対して福祉事業を円滑にするために政府と地方自治体「慰安婦」事業担当者、市民団体活動家及びボランティアたちのネットワークを作らなければないらない事で、この為にワークショップを行なおうと提案しました。肯定的に検討すると言う回答でした。

この他にも様々な状況に対してお互い意見を共有し、望ましいも方法について論議しました。

⑦ ドイツからメールが届きました、第700回水曜デモはどのように準備しているのか知らせて欲しいと言う内容でした。私たちはすてに来各案を作っているのに・・・早く翻訳して送らなければなりません。

⑧ 女性部に行ったので昼間に出来なかった仕事を夜にしているのですが、キム・ウルレハルモニの娘さんから電話がありました。行かなければならないところがあるので、二週間ぐらいハルモニをウリチプでお世話して欲しいと、ウリチプにいらっしゃるイ・スンドクハルモニの娘さんと親しい間柄とは知りませんでしたが、親しいようでした。お互いに相談して電話をしてきたようです。

一緒に旅行にでも行かれるのか、遠いところに行かれるようです。少し気分を害しました。あなたたちのオモニを私たちに預けてあなたたちは旅行に出かけ、それならウリチプのスタッフは?

そのような方々はおそらく当たり前のように考えているようです。ハルモニたちを考えれば今以上にもっと出来る仕事もあるけれど時には図々しいと思えるその家族、親戚たちが本当に憎らしく思います。

このような時に気持ちを癒すのに一番良い方法は他のことを考えてハルモニだけを考える事です。そうします。

⑨ スタッフたちは席につけば心配します。チェ・ガプスンハルモニが中風にかかり病院に入院しました。80歳をはるかに越えたハルモニは自分が辛くて入院されながらも老いていく息子が心配な様子でした。スタッフたちがハルモニを週末に訪ねなくてはならないようです。

2月10日(金)

① 朝刊の世界日報に記事が掲載されました。

「単独」と言う見出しをつけ、西大門刑務所内に「慰安婦博物館」設立と言う題名をついていました。記事にはソウル市が無償で西大門独立公園内の売店の敷地を提供し、審議の手続きを踏んでいると書いてありました。

ソウル市との間で障害にぶつかっている状態で私は記事が挺対協とソウル市の間にどのような影響を与えるのか気になります。

良い役割を果たしてくれる事を期待してみます。

② ハルモニたちの金剛山人権キャンプの日程がほぼ、確定しました。ハルモニたちも49名も申請しました。去る、2003年に行った時より多くの申請があり事務所では驚いています。

③ 金剛山人権キャンプ期間に金剛山に国際葛藤紛争予防東北アジア会議が同時に開かれます。挺対協も参加しますが、3月2日にその会議にハン・グギョム共同代表と私がハルモニたちと少しお別れをして参席する事にしました。

オープニングに挺対協から英語で10分程度の発言をして欲しいとの提案まで受けています。そのようにしますが、心配です。ハン・グギョム共同代表の英語の発音はドイツなまりなので原稿を読んでも多分、発言が強いです。それでも聞き取れる人はみんな聞き取る事が出来るでしょう?

④ 午後4時に定期総会がありました。21個の会員団体中16団体が参席、4団体が委任で他の時より多くの団体が参席しました。事業報告と事業計画、決算、2006年予算を確定しました。そして、何よりも重要な事は新たに活動する任員が認定を受けました。

共同代表はシン・ヘス、ユン・スンニョ共同代表で、ハン・グギョム(移住女性人権センター代表)新共同代表体制で生存者福祉委員長にチャン・テホ牧師(女性野宿者シェルター代表)国際協力委員長にカン・ヘジョン、対外協力委員長にチェ・ウッスンシスター(韓国女性修道会チャンサン連合会)、教育委員長にハン・ウソプ(女性の電話連合代表)、文化広報委員長にキム・インスク(トンブッ女性民友会代表)、財政委員長にキム・ソンシル(新しい世界を開くチョンジュ教女性共同体代表)、書記にチョ・ユニ(女性教会担任牧師)事務総長にユン・ミヒャンが承認され、監査にチョン・ボヨン牧師とパク・ノスク先生が承認を受けました。

⑤ 週間消息を受け取って読まれたパク・ジョンナム先生から返信メールが来ました。ありがとうございます。そして、臨時収入が50万ウォン入ったので挺対協に後援すると。そして、すぐに通帳に入金されました。どれほど感謝しているか、こんな時には本当に力になります。

⑥ 挺対協のスタップたちは重労働のようです。

この間、水曜デモ・写真展・国際連帯など多くの苦労を重ねてきたアン・ミヒョンさんが体調を崩しました。その上、妊娠しているのに体調が悪いので家で休む事になりました。結局、辞職する他なく私たちは涙を飲んで愛するミニョンさんを家に送り届けました。

そして、新しい活動家を探していますが、難しいです。みなさん挺対協の状況を知っているのか問合せがありません。どなたか挺対協事務所の新しい家族になればその時からたくさんの福を受けるでしょう。こんなに良いチームを私は見たことがありません。

*週末にはパク・ドゥリハルモニ訪問、カン・ファハルモニ訪問、仁川ハン・オクソンハルモニ訪問、ソウルのチェ・ガプスンハルモニ訪問などスタッフたちのハルモニ訪問が続く予定です。

| | コメント (0)

2006年2月16日 (木)

ファンセウルに国防部が・・・

ピョンテク汎国民対策委のHPの翻訳

【速報!】ファンセウル野原に国防部がやってきて

                 土地の測量をしていました

02151_3

   

2月15日午前10時頃、国防部の職員と測量業者の職員がポンジョンニからファンセウル野原に入ってきて無断で土地測量をしていました。

現在、確認できたのは国防部キム・ソンジュン他1名・土地公社2名・測量業者からやってきた3名・私服刑事2名です。

テチュリ住民たちとチキミたちが駆け寄って抗議すると、なぜファンセウル野原に入ってきたのか正確な理由を明らかにせず、身分確認さえさせない状況です。

現在までファンセウル野原を土地測量するために入ってきた事が把握されています。テチュリ村の住民たちとチキミたちは国防部職員、土地公社職員、測量業者を村から追い払っています。

この過程で国防部のキム・ソンジュンは村の住民たちに”住民証を返還したのだがら、あなたたちは国民ではない。さあ、あなたたちはここから出て行け”と言う言葉をためらいもなく発しました。

11時頃、住民たちが継続的に抗議をすると、彼らは国防部車両と借りてきた軍用車に乗ってポンジョンニ方向に走りって行きました。

数日前、国防部からはファンセウル野原の入口に”今年はこれ以上の農作業を行なう事は出来ない”と言うプラカード立てると言う非常識な行動を行ないました。

このプラカードには”農業行為”を行なった場合国有財産法によって2年以下の懲役と700マンウォン以下の罰金を科すという警告文が書いてありました。

しかし、ペンソン住民たちは平和を害し、住民の生存を脅かす米軍基地がこれ以上拡張する事を黙ってみているわけにはいかず、必ず農作業を行なわなければなりません。このような国防部の行為に共に怒りを表し抗議しなければならない時です。

下記ピョンテクの現在の状況 

        ~ピョントンサ活動家チャン・ドジョンさんメールより抜粋~

土地と家の所有権が国防部にすべて移って行っている状況です。
それでいつでも強制収用が出来る状態です。まだ、始まっていませんが・・・

たぶん、2月末から3月に強制収用をすると言う噂があります。
今年は農業をさせないと言っています。
しかし、住民たちは揺らぐことなく力強く闘っています。農業をやってみせると・・・

私たちは必ず米軍基地拡張を止めます。

HPの原文はコチラ

http://antigizi.or.kr/zboard/view.php?id=news&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=107

| | コメント (0)

ピョンテク第3回平和大行進

ピョンテク汎国民対策委のHPを翻訳

第3回平和大行進に

共に参加してくださったすべての方々にお礼申し上げます。

第3回平和大行進に参加してくださったピョンテクチキミ(*)の皆さん特にコド面から来られたピョンテク国際化都市建設反対闘争をしている皆さんに深く感謝の意を表します。3000余名を越える方々が共に参加してくださり、凧揚げ・チィブル(*)・タルチプ燃やしなどみんなで楽しく遊んだ時間だったのではないかと思います。国防部が強制収用をすると言う時期が近づいていますが、ペンソン住民たちはそのような事を忘れて久しぶりに楽しい時間を過ごしました。

大部分のマスコミからは”第3回平和大行進をなぜ行い、ピョンテク米軍基地学長の問題点が何なのか?”に焦点を当てると言うよりは”暴力デモ”なのか?”平和デモ”なのか?と言う二手の意見に分かれた報道が大部分を占めていました。マスコミでは”ポリスライン”を設置した警察が平和デモを誘導したと報道したり、実際にはたくさんの私服警官たちが”ポリスライン”の中から集会参加者を継続して監視していました。このような態度が民主?警察の正しい姿ではありません。”ポリスライン”が平和デモの基準であるように報道するマスコミと警察の無神経さに再び嫌気がさします。

チキミ・・・守り神の意

この間ピョンテクの土地を離れていく住民がいる中で①ピョンテク地を守るためにピョンテクに移住してピョンテク住民たちと共に活動する人々や②活動を支えるためにカンパをした人々や③共に活動してくれた人々たちの事。

チィブル・・・農家でねずみを追い払うと言う意味で田畑のあぜ道をの草に放つ火

タルチプ・・・15の月見の時に火をつけて明るくするためのに積上げた薪の山

原文はコチラ・・・他の写真も掲載されています。

http://antigizi.or.kr/zboard/view.php?id=news&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=105#

| | コメント (0)

2006年2月13日 (月)

【挺対協】週間消息④

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息④【1月28日から2月5日】

                           報告:尹美香事務総長

1月28日(土)

① テグからイ・ヨンスハルモニがウリチプに来られました。正月の前日で電車のチケットがないので特別室のチケットでやっと来る事が出来たそうです。

活動的で健康なイ・ヨンスンハルモニは正月を静かにウリチプでハルモニたちと一緒にすごしにウリチプにやってきました。そして、ウリチプのソン・ヨンミ室長を説得してソウル駅の近くにあるサウナに行き、一年の疲れを癒されたようです。

ハルモニは連れ合いの実家に行っている私にも電話をかけてきて自慢げにこうおっしゃった。「羨ましかったらこっちにおいで!」

1月29日(日)

① 正月です。ウリチプでは挺対協事務所のボランティアである在日同胞の女性ヤン・ノジャ、日本の留学生ウエノ・サトシさんがハルモニたちと一緒に正月を過ごす為に訪問しました。

キム・トンフィ局長も家で作った正月料理をハルモニたちにご馳走する為に来ました。

1月30日(月)

① 正月の次の日ソン・ヨンミ室長を除いて私たちはゆっくり休みました。

1月31日(火)

① 3月1日(水)は水曜デモの日でも有り3・1節です。この日、現代アサンからハルモニたちを無料で金剛山観光をさせてくれると言って3・1節記念式と水曜デモを金剛山で行なう事にしました。3月1日から3日間、金剛山で行なわれる人権キャンプにハルモニたちは今から浮かれていました。

一日中、事務所でハルモニたちから金剛山に行くと言う申請を受けていました。ハルモニたちからの電話は現在も続いています。

② アメリカ、ワシントンにあるCentral Washington Universityで開催される“女性と少年たちに加えられた暴力”と言う行事に参加するためにイ・ヨンスハルモニと一緒に仁川空港から出発しました。ウリチプのソン・ヨンミ室長が空港までワゴン車で私たち送ってくれました。

③ 空港からあれこれ韓国料理を食べたい時に必要なものを買い、出国手続きをしたのですが、アメリカへ行く人々は特別に厳しい審査があったんです。気分を害しての出発でしたが、仕方がないと思い今の状況を受け入れようと思いました。

④ 6時30分発の大韓航空の飛行機で出発しました。アメリカが韓国より時間が遅いために私たちが出発したのは夕方なのに、ずっと飛行機の外は夕方でした。そして、シアトル空港に到着すると31日の午前11時でした。出国する時よりも面倒な質問を受け、何事もなく入国審査を終えました。

⑤ 空港に出迎えてくれたセントラルワシントン大学のCenter for Student Empowermentの職員メルさんの歓迎辞を受け、ようやくセントラルワシントン大学に到着して宿舎で荷物をときました。寝室と別に個室があり、浴室も大きく台所も別に準備されていて良かったです。

⑥ 初日は学校行事の担当者たちと実務会議を持ちました。写真展示の方法と式次第などに対しての論議を行い、大学事務所に行き作業を進めました。元々、チケットの準備をしてくれることになっていましたが、講義料として500ドルつづ1000ドル下さいました。

2月1日(水)

① 午前中はハルモニと一緒に今日の夕方に行なわれる行事の準備をしました。ハルモニの証言を時期別に整理して、短い時間で最も効果的にハルモニの経験を聞かせる方法を論議しました。昼食は学校の職員たちと共に韓国人が営む食堂へ行きました。

行事の主催者のひとりであるセントラルワシントン大学のユン・パンスン政治学教授がご馳走して下さいました。イ・ヨンスハルモニはテンジャンチゲ注文されました。

② 午後にも引き続き行事の準備をしました。ユン・パンスン教授が来られ夕方の行事のためにイ・ヨンスンハルモニに簡単なインタビューをされました。

午後7時30分会場に行きました。会場には私が持ってきた写真展示で埋め尽くされとても豪華に展示されていました。学生たちがその写真を一生懸命見ていました。350席準備したようですが、席が足りませんでした。学生・研究者・教授・市民など400余名で会場がいっぱいになりました。

まず、ユン・パンスン教授がイ・ヨンスハルモニと私を紹介して挺対協が製作した“消せない歴史”を20分上映して、私たちが舞台に上がりました。そして、ハルモニの証言が始まりました。通訳はやはりユン・パンスン教授でした。

二時間の行事が行なわれ初めから最後まで400余名は中座する事もありませんでした。証言と運動、現在の課第などに対しての討論がすべて終わる頃、参加者が立ち上がりました。そして、力強い拍手でハルモニを応援しました。

激励と連帯を約束しました。主催者たちも感動したと言う評価がとても嬉しかったです。

【事務所で】

① 事務所では2006年度の定期総会(2月10日)報告書を作るのに忙しかったです。

② 第694回、水曜デモがありました。とても寒く主幹団体もなく、今日に限ってスピーカーの調子も悪く、ただ私だけが苦労しているのではありませんでした。

③ ウリチプのソン・ヨンミ室長がウリチプに以前、住んでいたイ・オックムハルモニを訪問しました。ハルモニはまた、引越ししたくて甥っ子に家を準備して欲しいと頼んだようです。ハルモニはこの間、一所に1年以上住みつづけられないようです。なぜそうなのか胸が痛みます。

④ パク・ドゥリハルモニが他の手術をされました。顔に黄疸が出来て検査を受けると肝臓の下に腫瘍があったのでそれを取り除きました。ハルモニは続けて入院しなければならないようです。

2月2日(木)【ワシントンで】

① 朝に韓国で買ってきた五穀米とラーメン、コチュジャンなどで朝ご飯を作って食べました。

② イ・ヨンスハルモニは疲れているのか食事が終わるやいなや寝室で休みました。午前には学校職員がキャンパス見学を準備していましたが行けませんでした。宿所に訪ねてきた職員にハルモニが休まなければならないと伝えて見送りました。

③ 夕食はタイ料理の店で少し特別に食べました。

④ 午後7時、学生たちについて出かけました。小グループが準備した場所でもう少し詳細な質問を受けて、討論をしました。

【事務所で】

① 戦争を女性人権博物館建立と関係して博物館担当のキム。トンフィ局長が西大門区文化財課を訪問しました。西大門独立公園が予定地である博物館を建立するために私たちが守らなくてはならない行政手続きに対しての質問を受けました。

2月3日(金)アメリカから出発する前日です。

① 午前に今日は学校見学でもしようとキャンパス見学をしたいと言うと私たちに韓国留学生がついてくれました。そして、あちこち見学しました。学校の建物の大部分が何百年にもなる建物で外壁はそのままに内部だけリフォームしたとの事でした。古い建物を壊して新しく高い高い建物を建てる韓国の学校とは大きな差がありました。

② 昼食は時間が充分になくピザハットでビザとサラダを食べました。

③ 午後2時女性政治学講義の時間に私たちは講師をしました。ハルモニの証言と運動に対する私の報告、アメリカ社会に望む提案、アメリカの学生たちが出来る事などに対して熱のこもった討論になりました。一時間では時間が足りないと感じました。

④ ようやく、すべての日程が終り夕食時間を気を楽にしてステーキが美味しい店でステーキと魚料理を食べました。そして、ユン・パンスン教授がプレゼントを下さり女性学関連の英語の本を一箱持ってこられました。20冊が残りました。

【事務所で】

① 仁川で住んでいるハン・オクソンハルモニが入院をされましたが結局、病院に移りました。ところが、その病院が市やカトリックが運営しているのではなく個人運営のためか安全的な空間ではないと感じました。それで、事務所からカン・ジュヘ局長がソン・ヨンミ室長と一緒にハン・オクソンハルモニがいる病院を訪ねました。私たちは他の病院にハルモニが移す事にしました。

2月4月(土)

① 雨の降る朝に、学校職員メルの車に乗ってシアトルを後にしソウルへ

2月5日(日)午後6時でした

① 空港には懐かしい顔、ウリチプソン・ヨンミ室長が迎えてきてくれました。車に乗って仁川空港の高速道路を走っている間パク・ドゥリハルモニの娘さんと電話をしてハルモニが手術後、とても早い回復を見せていると言う嬉しい知らせを聞きました。そして、ハルモニが娘さんやお孫さんたちに一緒に水曜デモに行こうと言ったとそうです。パク・ドゥリハルモニの生命力はとても尊敬します。約30分ほど電話をしました。最近、娘さんは喜んでいるようです。久しぶりにオンマ(お母さん)に親孝行をしていると言う思いがそのようにさせているようです。やはり人は自身の役割が認められ尊敬を受けた時、その状況を受け入れられるようです。

② 事務所ではカン・ジュヘ局長が土曜日の夜に徹夜したようです。私が戻ってくる前に報告書をすべて作成しようとして、そんなに遅くまで事務所を守っていました。

| | コメント (0)

2006年2月12日 (日)

【挺対協】週間消息③

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の 週間消息③(1月23日~28日)

1月23日(月)

① シントンのユン・パンスン教授から連絡がきました。Central Washington Universityから航空券を大韓航空に変えてハルモニが気持ちよく来られるように準備したとのことでした。少し申しわけなく思うけれど当然そうでなければならないと思います。

② 0時30分に事務所会議がありました。第693回水曜デモの準備と2006年水曜デモを新しい形態にするため企画会議を持ちイム・ジヨンさんが担当する事になりました。

③ カンウォンドのチュンチョン大学であった全教組、正しい教育実践大会に教育教材“消せない記憶”と教育CD-ROM“日本軍「慰安婦」に名誉と正義を”の広報と販売に向かったチョ・ジョンフンボランティアが荷物をいっぱい抱えて事務所に来ました。苦労をしたのか顔色が良くありませんでした。

④ ファン・グムジュハルモニが事務所に来ました。灰色のベストをひとつ買って来られ私を見て着なさいと言われました。着てみると服が大きく静電気がとても強くアレルギーがある私には合わない服でした。それでもハルモニが買ってきてくれたので「ハルモニ、ありがとう」と言いました。黄錦周ハルモニは最近このように事務所に何かしたいようです。しかし、それは私たちにとって実用的でない物なのでハルモニのお金だけが浪費される結果となります。でも、ありがとうございます。

ファン・グムジュハルモニはイ・ヨンスハルモニがアメリカに行って来たのか、それともいつ行くのかが気になる様子で何度も聞いてきます。「行ってきたのか?」答えても答えてもまた聞かれるので少し、めんどうになったので「はい、行ってきました」と答えました。申し訳ありません。後の報告で知ることになるでしょう。尹事務総長がハルモニを騙したと・・・ホホホ。そしてまた聞かれます「私はいつアメリカに行くの?」「ハルモニまだ、どうなるか分かりません・・・また決まったら話します」このように話しましたが、眠れないようでした。

⑤ 沖縄と大阪で撮った写真を整理しました。

⑥ 2006年定期総会(代表者会議)を控えてアレコレ準備する事が多かったです。総会準備のためにソウル大チャン・ジョンソン教授と長時間電話で話しました。教育委員長を女性民友会から推薦を受ける事にした政策委員会の決定に従って女性民友会に電話して公文書の受付を確認しました。

去る1年間で行なった事務所の活動報告を総会報告様式に従って整理しました。

⑦ 現代アサンから観光企画チーム担当者が事務所を訪問しました。来る3・1節にハルモニと金剛山で記念式をするためです。その事について論議して準備しました。地方にも連絡してハルモニたちにも連絡をとり始めました。

⑧ テグのある女性が正月を迎えるにあたりハルモニたちに召し上がって欲しいとお菓子を贈ってくださいました。昨年のバレンタインデーの時にもハルモニに手紙と一緒にアメを送ってくださり私たちみんなを感動させてくれた方でした。感謝の電話をしました。私たちとても感動しましたと・・・

1月24日(火)

① 27日から29日まで日本の熊本を訪問して教師300名に証言と歴史、挺対協の運動についての話をするために仁川チャン・ジョンドルハルモニとカン・ヘジョン国際協力委員長が発ちました。その行事のためにカン・ジュヘ局長が写真展示会の準備、資料の準備などで忙しかったです。

② 第693回水曜デモの主幹団体である韓国女性の電話連合会から声明書を送ってきました。

③ 午前にパク・ドゥリハルモニの娘さんから電話がありました。今日、アニャンメトロ病院に行くと。日曜にハルモニの訪ねた時に院長に会えなかったのでもう一度行くと言われました。病院に行ってハルモニのおそへの横にある小さなコブをどうすれば良いのか相談すると言われました。

最近、パク・ドゥリハルモニの娘さんが大変なようです。娘さんがハルモニのお世話をすると決めたので安心していたのだが、初めからこのような大変なことを責任持ってすることに心配が絶えない様子です。それで私と電話を通じて癒されたいようです。パク・ドゥリハルモニが好きなお孫さんミギョンと一緒に行ったようでハルモニがとても笑って喜ばれたそうです。そして、本当に初めてハルモニの下のお世話をしておしりをきれいに拭いておしりを叩いたりもしたと・・・

ハルモニが笑って喜ばれたようです。幸せだっただろうと思いました。パク。ドゥリハルモニの娘さんは病院から戻ったらまだ電話すると言って電話を切りました。

④ イ・ヨンスハルモニが電話をくれました。イ・ヨンスハルモニはいつも携帯で電話をかけてベルを一度鳴らしてすぐに切ります。電話がかかるので、それで当然私が電話をしてくれると信じているためでしょう。

ハルモニはワシントンに私と31日に発って2月4日に帰ってきます。その為にソウル行きのチケットを29日で予約したと報告して下さいました。旧正月なのでチケットの予約が大変だったでしょうにさすがハルモニは有能で若いです。

⑤ キム・ドンフィ局長は博物館建立事業のために朝7時30分にヤンジェ駅からミョンチ大イ・ミョンジュ教授(博物館共同建立推進委員長)とキム・フィオク所長と会いデジョン文化財庁を訪問して担当者と会い第一次設計図案を見せ諮問を受けました。そして、午後7時30分頃事務所に戻ってきました。

⑥ カン・ジュヘ局長が耐えられなかったようです。結局、ほうきを持ち事務所の床を掃き始めました。窓を開けてあちこちゴミを整理して資料を整理して・・・今月は政策企画局が事務所管理をする事になっていたのですが、出来ずに事業局カン・ジュヘ局長が進み出たのです。政策企画局は誰だ?

⑦ ヤン・ノジャ(在日同胞・京都・在日韓国民主女性会会員)ボランティアが1年あまり挺対協事務所で日本関係のボランティアをしてくれました。今日は朝から出勤して日本側の名簿と住所を整理しました。ソンゴンフェ大に編入しようと申請しているがうまくいけば良いと思っています。今後韓日市民団体の交流のために良い役割をする女性です。

⑧ キム・ガンウォン弁護士が正月を控えて事務所にとても大きく美味しそうなりんご1箱送ってくれました。ソベッサンのりんごで見ごたえも有り美味しそうなので食べてみるとウワ~本当に美味しかったです。味が蜂蜜のようでした。「わ~、正月を実感しました」正月になると私たちの気持ちがどうしてさらに寂しくなるのか分かりません。

キム・ガンウォン弁護士はシム・ミジャハルモニが挺対協を相手に水曜デモ禁止及び募金活動中止の仮処分申請訴訟を出したことに対して無料弁護を引き受けて下さいました。1,2審ですべての棄却になりましたがシム・ミジャハルモニ側では上告まで考えているようですがまだ、決定していないようです。色々、本当にありがとうございます。

挺対協は現在裁判が二つ抱えています。もう一つは軍事評論家チ・マノンさんを相手にハルモニたちとナヌムの家、市民団体などが訴えた名誉毀損の刑事・民事訴訟です。この訴訟はチョン・ヨンスン弁護士が引き受けてくれています。挺対協の法律専門委員です。

⑨ 27日、正月休みの前日までも挺対協の事務所は夜遅くまで明りが点いていました。大阪の韓統連から日本人たちを対象に韓国平和研修を始めたんですが27日、日本のNTT労組会員たちが午後6時に事務所を訪問して挺対協活動家たちと交流会を持ちたいとの申し出があり、大阪韓統連キム・チャンオ事務局長が電話をくれました。参加者たちは若い方々のようです。

⑩ パク・ドゥリハルモニの娘さんが再び電話をくれました。おへその手術をしなければならないのか検査が必要なのだがこれは保険が利かないようです。おへその手術が二度目です。アニャンメトロ病院でなぜ保険が利かないか分かりません。整形でもないのに・・・それで検査するにも保険が利かないと言います。もし、手術をしなくてもよければ一ヵ月後にでも娘さんの家に退院させると言いました。もう一度、ハルモニのお世話をすることなればよくお世話をして下さいとお願いしました。私もまめに会いに行くと話しました。

⑪ 夜9時、現在まで日本とアメリカに持っていく写真展示用の資料準備などで急がしいです。

1月25日(水)

① 第693回水曜デモは韓国女性の電話連合で主幹しました。韓国女性の転化連合のパク・ヨンミ代表も参加されました。ファン・グムジュハルモニ、キル・ウォノク、イ・スンドクハルモニが参加され、最近はナヌムの家のハルモニたちが来られない日があります。

コングッ大総女子学生会も参加され、スンシル大学の学生たち、全国証券事業労組からも参加されカリタス修道女会の修道女の方も可愛い蝶のピケを作ってスローガンを作って来られました。

② 2006年度女性部共同協力事業にプロジェクトの申請書を提出しました。タイトルは“Stop!女性暴力!Yes日本軍性奴隷被害者たちに正義を”博物館建立を準備しながら資料収集と資料をデータベース化した内容を中心に申請しました。必ず必要な事業なのでうまくいけば嬉しいです。

③ 2006年度ソウル市女性基金支援プロジェクトに選定された「戦争と女性人権センター」の月例セミナー事業“戦争と女性”事業に対して詳細な計画を提出しました。今年のセンター事業もうまくいきそうです。

④ パク・ドゥリハルモニの娘さんから電話が来ました。病院に行ってきたが正月を過ぎればハルモニは退院しても良いようです。それでハルモニをまず娘さんの家に退院して足の親指が腐っている事は2,3ヶ月見守った後でひどいようであればその時に病院に入院して手術をしようと言う事になったと伝えてくれました。

⑤ ウリチプに漢方医のユン・ヨンシク先生がハルモニたちの健康治療車で訪問されました。水曜日ごとにウリチプに訪問され健康管理をしてくれている方です。

1月26日(木)

① 正月を控えていることが実感出来ました。イ・ミギョン指導委員とチ・ウニ指導委員からミカン、梨など果物を送ってくださいました。事務所に果物箱を広げておきハルモニたちと一緒に食べています。ありがとうございます。

② スタッフたちが「あ~、肩が、首が、頭が」と言う声がウリチプにボランティアで来て下さるユン・ヨンシク先生に届いたようです。ユン・ヨンシク先生が事務所まで来られスタッフたちの肩も揉んで下さり、脊髄と骨盤が歪んでいるキム・ドンフィ局長の脊髄もすぐに揉んで下さり、針も打ってくれました。私も右足が抜けて少し長いので治療を受けました。共通点!みんないずれにせよ良くありません。私たちスタッフが今年も健康でこそ仕事もよく出来るのに・・・心配です。

③ 夜の9時まで総会の準備ため実行委員会資料を準備しようと忙しかったです。2005年事業総評、2006年事業計画を作成しました。

1月27日(金)

① 朝、8時30分からカン・ジュヘ局長は事務所と教育館を掃除するのに汗を流していました。お陰で事務所と教育館が綺麗になりました。今日も掃除は企画局が始めたのではなく事業局が始めてしまいました。

② 昨日、完成しなかった2005年事業評価と新年事業計画を仕上げました。

③ チャン・ジョムドルハルモニとカン・ヘジョン国際協力委員長は熊本で開かれた教師たちの冬のセミナーに参加し、証言と講演をするために発ちました。イム・ジヨンさんがハルモニを空港まで付き添いました。

④ 10時30分から1時30分まで総会準備実行委員会がありました。ユン・スンニョ、カン・グギョム、チョン・テホ、ハン・ウソプ、キム・ソンシル、ユン・ミヒャン委員が参加しユン・スンニョ共同代表が司会を務めました。信任・任員・人選・事業総評・事業計画・予算案を審議しました。

⑤ 3月1日(水)ハルモニたちは現代アサンの後援を受け金剛山で3・1記念式及び第698回水曜デモを行ないます。元々、祝日には水曜デモを行なわないのですが今回は3月1日が水曜なので金剛山で記念式を兼ねてすることにしました。現在、申請受付がいっぱいです。ハルモニたちの日程は観光コースも別途に指定して大半を車両で移動可能な場所にする予定です。

⑥ 正月を控えてハルモニたちに正月の挨拶を電話で行ないました。ハルモニたちは逆に“たくさんの福を受けなさい”(日本の挨拶は:明けましておめでとう)と言って私たちの福を祈って下さいました。

⑦ 挺対協の事務所は正月休みの雰囲気を出す事が出来ませんでした。午前には実行委員会、夕方6時から8時30分まで大阪から韓統連主催で行なわれた2回目の韓国平和研修団15名を事務所に迎えるために今、待っているところです。今回の平和研修の参加者はNTT労組たちだと言います。キル・ウォノクハルモニも一緒に事務所で訪問する方々を待っています。

*正月にウリチプにソウルで一人暮らしをしているハルモニたちが一同に集まって過ごします。ソン・ヨンミ室長はハルモニたちと正月を過ごす為に田舎に帰る事も次の機会にされました。正月の挨拶に来られる方は予め電話して下さい。トックなどで歓迎します。

| | コメント (0)

2006年2月11日 (土)

“私たちは今日から大韓民国の国民である事を放棄する・・・”

午前11時ピョンテク市庁前でテチュリ・トドゥリ2里・ソンファ2里・シンデリなどペンソン地域の住民たちの住民登録証返却記者会見を持った。

私たちは大韓民国の住民であることを放棄するしかない理由・・・市庁の出入り口から廊下、2階の出入り口まで固く閉ざし、ピョンテク住民の同意していない米軍基地拡張が合理的なのか?と問う声に一言の返答もないピョンテク市の態度は参加者たちの怒りを買うのに充分だった。

住民証返却要求は二度にわたり行なったが結局、市庁職員なのか、警察なのか、身分も明らかにしない者によって黙殺された。参加者住民たちは抗議の意思を示し住民証を燃やした後、強制収用が執行された場合米軍基地拡張を反対するためにさらに強力な闘争をすることを宣布した。

住民証返却要求を拒否され記者会見参加住民たちは

抗議の意思を示し住民証を燃やした

《記者会見声明文》

私たちは今日から大韓民国の国民を放棄する

私たちはこれまでの歳月、日本基地と米軍基地によって強制的に追い出され60年あまり米軍によって有り余るほどの被害を受けて生きてきた。しかし、私たちはこれが愛国の道であると思い、この間様々な要求もしなかった。むしろ国家に支払う税金をこまめに支払い国家の意志に誠実に履行しながら大韓民国の国民としての役割を果たしてきました。しかし、私たちにやってきたのはまたしても故郷を離れろと言う政府の一般的な通報だけった。私たちが去る4年間、各種の方法を通じて私たちの願いは慣れ親しんだ自分の故郷で隣人たちと仲良く暮らすことだと訴えてきましたが、政府は私たちの意見を黙殺してしまったのだ。

国民の意見を無視して米軍が言うとおりにしろと言う政府がどうして政府と認めることが出来るのか!自国の国民のために国民の意思に従って政治を行なうことが政府の根本だ。

ところが、大韓民国の政府は自国の国民たちの家と土地を奪い米軍に貢物として捧げようと考えている、それも韓半島に戦争を呼び込む戦争基地を作るためのものだ。

ここに私たちは、私たちが大韓民国国民である事を証明する住民沓力称を国家に返却しながら、これ以上大韓民国の国民ではない事を宣言する。

私たちは私たちの土地と故郷を必ず守るだろう

私たちが暮らしている故郷は60年前、米軍基地に強制的に奪われた。そして再び日本軍に血と汗の結晶であるこの土地を奪われた、この土地は私たちの命だ。また、私たちの野原は命をかけて干潟を阻み、今では全国きっての沃土になった。それなのにどうして私たちが故郷を離れる事が出来るのか。

政府は今年から私たちに農業をさせないと通報してきた。とんでもない話した。政府が強制に略奪していこうともペンソン285万坪中、ただの一坪も渡す事は出来ない。私たちは今年もその場所で種をまき農作業をするだろう。政府がいくら邪魔をして私たちを弾圧してもかまわない。私たちは何があろうとも私たちの土地で農業を行なう。

大韓民国政府はこれ以上私たちのことに干渉するな!

今後すべてのことは私たちが決定して私たちが行なう。私たちが作った野原と私たちが作った故郷は私たちのものだ。従ってただの一坪も略奪してはいけない。万一、破った時は私たちは手段と方法を選ばず対応する。ここで生じたすべての不祥事は大韓民国政府が責任をトラねければならないと警告する。

2006年2月7日

この土地で平和に永遠に暮らすことを望みながら

大韓民国国民であることを放棄したペンソン住民一同

二度も返却を拒否された住民登録証

強制収用が執行された場合強力な闘争で対応すると決議

2/7にペンソンより届いたメールの翻訳です

| | コメント (0)

2006年2月 9日 (木)

大秋小学校がお化粧直ししました~♥

大秋小学校が綺麗になりました~♥

笑顔がつまった第423回キャンドル行事

スウォンとソンナム地域にある美術協会の画家たち30余名が朝早くから大秋里を訪ねてきました。大秋小学校の正門にペンソンの住民たちの姿を描くためです。

いっぱい準備してきた美術道具を広げておいて、水分の多い土の上に椅子を準備して登り、住民たちの写真を見ながら筆を走らせる姿を見物する人も多かったです。

正門には似顔絵を描き、壁画を描き、所々に立っている銅像も色々可愛く色を塗りました。作業は日が暮れる頃までしなければ終わりませんでした。

正門ごとに描かれた自分の顔を見るために住民たちも早めにキャンドル行事に足を運びました。

0205_020610_5

0205_02068_4

 

住民たちの似顔絵  小学校の壁画

第523回キャンドル行事スウォン民芸総文芸チーム長であるイ・ソンホ団長の味わいのあるピナリとエンメギタリョンでキャンドル行事の場が笑顔・拍手・熱気に包まれました。あちらこちらで“いいぞ~”の掛け声が飛び交いました。

【豆知識】

住民たちが行なっているのは”キャンドルデモ”ではなく”キャンドル行事その理由は?

デモだと警察がやってくるから・・・だそうです*^^*

これまではピョンテクの消息メールを抱え込んでいましたが、これからは少しづつ紹介していきます。

それにしても厳しい状況のなかでも多種多様な活動を繰り広げる韓国の活動スタイルに頭が下がるばかり・・・

*もっと、写真をアップしたいのだけれど・・・

どうしても文字化けを起こしてしまうので別途マイフォトに写真はUPしていきます。

| | コメント (0)

2006年2月 8日 (水)

【挺対協】週間消息②

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息②【116日~22日】

                       報告:尹美香事務総長

1月16日(月)

1. コ・エシンさんが宣教師として4月19日にドイツ改新教団体であるEMWからグループリーダーなど12名の方が事務所を訪問され、水曜デモに参加すると連絡がありました。パク・ヨン牧師が引率して来られるようです。パク牧師は宣教使役を終えていつの間にかドイツに帰られたんですね。

2. 10時30分に事務所会議をしました。週間活動を点検しましたが、今週の水曜日は主幹団体がないので心配しました。仕方なく事務所が主幹しました。

3. 一日中事務所は火曜日にある会計監査の準備の為に忙しく過ごしました。政府点検と入出金決議書点検、プロジェクト報告書点検、通帳点検、など一年の評価を受けるために奔走しました。最後に印刷物まですべて出して、監査準備を叫んだのは夜の11時でした。

4. 午前に国民銀行女子プロバスケチームの事務局長が事務所を訪問されました。そして夕方6時30分頃、国民銀行の副頭取、本部長、事務局長が事務所を訪問され博物館後援金1300万ウォンを伝達して下さり、昨年の夏のリーグ戦で国民銀行が寄付の約束を行なったもののその約束を守れなかった事に対して謝罪の言葉が伝達されました。そして、1000万ウォンは国民銀行から、300万ウォンは頭取・副頭取・本部長の3名が100万ウォンづつ集めて下さいました。ありがとうございます。

1月17日(火)

1. 10時30分から午後2時30分まで会計監査がありました。チョン・ボヨン前韓国キリスト教ブレスビテリアン女性信徒全国連合会総務(現教会女性研究所代表)とパク・ノスクキリスト教女民会代表が監査でした。監査をされた後、お二人の監査から今年は挺対協のスタッフが本当に努力をしたとし、昨年より監査するのがはるかに簡単だったと話され「お疲れ様」と言う言葉まで頂きました。本当に気分が良かったです。

2. 監査のために2時から教科書運動本部の事務所であった国際連帯協議会韓国委員会の会議に参加出来ませんでした。

3. 午後3時30分にインサドンに少し出かけてきました。金曜日から日曜日まで沖縄と大阪平和団体とスタッフの交流の及び研修プログラムがあるのでプレゼントを買う為に行ってきました。

4. 監査も終り、スタッフたちの心も軽くなったのでウリチプのソン・ヨンミ室長も一緒に本当に久しぶりに事務所の会食をしました。おそらく監査たちの賞賛を受けてスタッフたちみんな気分が良かったです。

1月18日(水)

1. 9時30分アニャンメトロ病院のパク・ドゥリハルモニの訪問をしました。1時間30分の間ハルモニにあんまを施し、付添いの方たちと言葉を交わし11時頃ハルモニに水曜デモに出かけると行って病院を後のしました。今日はハルモニが朝食もほとんど召し上がらないで何を話されているのか聞き取るのに大変なほど発音が不正確でした。足の親指の腐敗する速度が速いと感じて心配になりました。いつかは親指の切断手術をしなければならないようだ。

2. 12時、日本大使館前で692回目の水曜デモが挺対協の主幹で進行しました。新年になって水曜デモ主幹団体の申請がほとんどないので心配です。教会・カトリック・団体・学校などの申請を待っています。

3. 国民銀行から寄付された博物館への基金を通帳に入金しようと銀行に行ったキム・トンフィ局長が嬉しい悲鳴を上げました。SKで昨年キャンペーンを行なった結果の金額950余万のカンパを通帳に入金して下さったと言うのです。本当に良い日です。ありがとうございます。さあ、戦争と女性人権博物館が建設されハルモニたちの歴史を通じて後世に平和と人権を伝える事が出きれば嬉しいです。

4. 韓国語の消息誌38号がついに印刷所から到着して郵送作業を終えました。そして韓国に830部、日本に300部を発送しました。

5. 1月18日、水曜デモを終え午後2時から5時までテグのイ・ヨンスハルモニが事務所に来られて1月31日から2月4日までアメリカのシアトルの大学で行なわれる大学での証言集会の準備をしました。イ・ヨンスハルモニの証言ビデオを一緒にもう一度見て、意見交換をしました。ハルモニは幼い時の記憶をつい何日が前の話のようにはっきりと話してくださいました。夜学で習った歌と踊りを舞いながら・・・そして、ハルモニに何度もウリチプで一晩泊まって休んで下さいと声をかけたが、遠慮してテグに変えられました。

1月19日(木)

1. ほとんど12年ぶりの連絡だと思ったのですがCBS記者だったイ・ウォンシク記者から連絡がきました。私が挺対協で活動し始めた時に会い、1993年イ・ウォンシク記者が検察庁に出入りする時に私を個人的にも助けてもらったのですが、今は記者を辞められて同じ記者だったパク・キョハク記者と一緒にビアホールをしているようです。自家製ビールが美味しい店だと噂になっている店です。名前は「オクトボ ペスト」と言います。リハビリセンタープルメ財団が運営している所でカンナムとチョンガクの二箇所にあるそうです。そこで一月に一度は水曜にチョンガクでハルモニたち約20名のランチしなさいとすごい提案を下さいました。まず、私が行ってみてからすぐに次の月からその場所で食事をとる事ができれば嬉しいです。

2. シアトルの大学にイ・ヨンスハルモニと私が一緒に行く事にしました。チケットは主催者側で準備してくれましたが経済的な問題を通りこして高齢のハルモニの事や健康状態をあまりにも無視した内容だったので抗議しました。

3. 19日から22日までスタッフたちは社会福祉共同募金会の市民団体スタッフたちのプロジェクトで沖縄と大阪を訪問するプログラムが進行しています。タイトルは「戦争を乗り越え、平和への連帯を!」それで午後4時に事務所から出発して仁川空港に午後7時30分の飛行機で沖縄に出発しました。

4. 夜9時40分頃、沖縄空港に到着し沖縄平和会の会員たちと軍隊に反対し阻止する行動をしている女性会の会員たちが歓迎の横断幕持って空港で足を運び私たちスタッフたちを歓迎して下さいました。東京からヤン・チンジャさんも到着していました。私たちの一行は準備されたワゴン車に乗って宿所であるキリスト教センターに移動しました。

5. 東京のヤン・チンジャさんから日本でこの間、集めた博物館のカンパ58万円の伝達を受けました。ヤン・チンジャさんは挺対協の「戦争と女性人権博物館」日本代表です。

1月20日(金)

1. 朝7時に起床して7時30分に朝ご飯、8時に宿所を出発。宜野湾嘉数高台公園を訪問しました。そこから普天間米軍基地を見ることができ、少し前に米軍ヘリが墜落した国際大学にも行きました。また、あちらこちらに第二次世界大戦の傷跡が残っていました。

2. 故ペ・ポンギハルモニが住んでいた家、今はサトウキビだけが残っている所に行きました。その場所でハルモニの生活に思いを馳せてみました。ペ・ポンギハルモニと沖縄に連れてこられた女性たちの生活をもっと学ぶために渡嘉敷島を訪問しなければならないが、今回は時間がなくて残念でした。次回の計画をまた立てなければなりません。

3. ひめゆり資料館と韓国人慰霊塔を訪問しました。韓国人慰霊塔は1975年建立されましたが、“朝鮮人”ではなく“韓国人”と言う名称が書いてあり親日派の詩人であるイ・ウンサンさんが書いた詩が追悼碑にありまた、追悼碑の横に朴正煕と言う名前がとても大きく彫られていました。恥ずかしかったです。私たちが新しい歴史を歪曲していると言う思いがしました。

4. 基地と軍隊を反対し阻止する行動をする女性会の事務所を訪問し、そこでペ・ポンギハルモニを76年から91年に亡くなるまでお世話をされたキム・ヒョノク先生(この方は総連の方です)からペ・ポンギハルモニの解放後の生活について証言を聞きました。安心しましたキム・ヒョノク先生がハルモニの最後を少しでも寂しくないようにして下さったのですから。

5. 沖縄平和団体たちと交流会を持ちました。行動する女性会と沖縄平和会、米軍基地を反対する運動を通じて韓国と沖縄民衆連帯を目指す会、恨の碑建立委員会と共にしました。

1月21日(土)

1. 朝8時30時に沖縄から大阪行きの飛行機にのりました。

2. 大阪空港に降りると“ハナの会”の田中さんと“在日韓国民主女性会”の方清子さんが迎えにきてくれました。スカイライナーに乗って人権センターにすぐに行きそこで部落解放運動をして来られた被差別部会の方たちと挺対協のスタッフたちとの交流会を準備された実行委の方々と共に挨拶をし、博物館を見学しました。そして昼食をとりながら交流会を持ちました。博物館の後援金を受け取りました。

3. 午後3時30分に大阪集会がありました。“消せない記憶”挺対協のビデオを上映。挺対協スタッフ紹介と挨拶。尹美香事務総長の講演、方清子さんの報告、日本の各団体活動報告がありました。特にハナの会が準備した教科書歪曲に関する演劇はリアルでした。特に富永さんと寺内さんのコミカルな演技は参加者たちの笑いを誘いました。

4. 集会は5時30分に終り、50名が参加した交流会がありました。続けて博物館の後援金を受け取りました。

1月22日(日)

1. 午前9時、宿所から在日韓国民主女性会の事務所に向かいました。そこで女性会の会員たちが心のこもったトックと果物を準備してくださり、お茶を飲みながら交流会を持ち民族愛の情を分かち合いました。本当に会っても会ってもまた会いたくなる人たちです。

2. ハナの会の井口さん、ハナの会の会員でありながら韓統連に所属している方清子さんの連れ合いのチョウ・チャンシクさん、女性会のシン・スンジャ先生の車に分乗して大阪城を訪問し、そこで戦争の痕跡を勉強しました。在日韓国青年同盟の金麻紀さんが大阪城について詳しい歴史を説明してくれました。

3. ドイツレストランで昼食を共にした後、熱い抱擁を交わしました。涙が出ました。日本で本当に厳しい活動をしている在日同胞たちの恨が深く伝わってきました。私たち民族は数奇な運命です。

4. 仁川空港に夜9時30分に到着・・・また力強い明日、月曜日が待っています。

 

原文はコチラ・・・

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=571

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 5日 (日)

強制収用予定地

ピョンテク米軍基地拡張阻止反対汎国民対策委員会HPの一部を翻訳 

▲平澤米軍基地強制収用予定地

国防部は2005年9月8日京畿道平澤米軍基地移転予定敷地のなかで協議買収が成立していない土地の120万余坪に対して強制収用手続きに着手したと明らかにした。軍関係者はこの日「平澤・彭城と鳥山空軍飛行場一帯の予定敷地349万余坪中の229万坪は協議買収が完了した」とし「建設交通部の中央土地収用委員会に残り120余万坪の収用のための裁決手続きを9月に建議する予定だとし、11月に裁決し12月から収用に入る展望だ」と話した。

収用対象敷地には協議買収が成立していない200余世帯の土地68万余坪(彭城邑地域65万坪、鳥山飛行場地域3万余坪)と世宗大学学校法人所有の20万坪、登記上の所有者が不確実な未登記のままの土地20万8千坪を始めとして墓地、相続手続きが未協議の土地などが含まれていると話した。

国防部は11月末に予定された中央土地収用委員会裁決前まで所有者が協議買収の要請して来れば協議に臨む方針だ。国防部関係者は「土地収用に従って補償価格と協議買収した時との補償価格の差はそれほど大きくない」と話した。 

去る8月末から移転予定の総敷地349万坪に対しての協議買収の結果は鳥山飛行場地域96%、彭城邑地域60%が所有者と協議を持ち買収する。国防部は基地移転予定地である平澤市彭城邑大秋にある大秋分校7校4334坪と建物3棟284坪は平澤教育省と売買契約を締結し所有権が移転されたとし、今後米軍基地移転施設工事のための工事関連施設で運営する計画だと付け加えた。

原文はコチラ・・・

http://antigizi.or.kr/sub/history03.php?id=history

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 3日 (金)

基地の現状

ピョンテク米軍基地拡張阻止反対汎国民対策委員会HPの一部を翻訳 

▲平澤米軍基地の現状 

平澤には一般的に米軍基地が2つしかないと思われている。シンジャン洞とソジョン洞古徳面・西炭面・振威面一帯にある200万坪規模の米7空軍司令部(K-55)と彭城邑にある150万坪規模のキャンプハンフリー(K-6)がそれにあたる。しかし、彭城邑ソンファリに米軍射撃場やCPX訓練場もあり、古徳面には弾薬庫もある。このように5つの米軍供与地を合わせると現在454万9037坪になる。 

その面積を具体的に示すとキャンプハンフリー通信所23,256坪、キャンプハンフリー1,506,744坪、CPX訓練場が134,640坪、松炭米空軍基地2,175,048坪、松炭米空軍基地附属の弾薬庫738,072坪だ。

この以外にも平澤にいる米軍たちは保有している建物がある。松炭米空軍基地内に保有している建物が656棟、その保有建物の全体面積が151,836,455坪にもなる。賃貸物件も27棟あり、その賃貸物件の全体面積15,618坪にもなる。キャンプハンフリーにも保有建物が697棟あり、その保有建物の全体面積は95,389,476坪になる。CPX訓練場米軍保有建物にも保有建物が9棟あり、その保有建物全体面積は270,418坪になる。

米軍はまたすべての基地を移転し返還時に予め想定していた米軍基地の代替費用を算出したが、それらの算出費用を見ればキャンプハンフリー通信所代替費用が2,730万ドル、キャンプハンフリー代替費用74,130万ドル、CPX訓練場代替費用は890万ドル、松炭米空軍基地代替費用189,250万ドル、松炭附属弾薬庫代替費用2,200万ドルだ。現在平澤にある米軍基地全体の代替費用は2,692,000,000ドルにものぼる。

原文はコチラ・・・

http://antigizi.or.kr/sub/history02.php?id=history

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »