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2006年1月30日 (月)

平澤基地の歴史

ピョンテク米軍基地拡張阻止反対汎国民対策委員会HPの一部を翻訳

▲ 平澤米軍基地形成史

(1)安亭里米軍基地

①日清戦争と日露戦争平澤に外国軍隊が入ってきたのは“清日戦争”の時からだ。1894年から1895年まで清と日本が朝鮮をお互いに支配するために起こした戦争は日本や清ではなく朝鮮で起こした戦争だ。この時、清と日本はソンファンで大きな激突を繰り広げ日本軍が大勝利を収めた。

この時の戦闘がどれほどのものだったのか今でも「牙山が崩れるか、平澤が割れるか」と言う言葉が残っている。日本は1904年から1995年までロシアと“露日戦争”を起こしたがこの戦争も日本やロシアではなく朝鮮で起こした。この時も平澤は外国軍基地の役割を果たした。

②彭城・安亭里・大秋里一帯に日本軍基地建設ふたつの戦争に勝ち朝鮮支配の足場を固めた日本は1941年“第二次世界大戦”を始めながら彭城・安亭里一帯に軍事基地を設置した。当時、平澤には保国隊として連れてこられ死と隣り合わせと言う状況の中で基地建設に動員された人々が多かった。

道具はショベルとツルハシぐらいで人の手で田畑と野山を壊し滑走路と格納庫を建設した。ツルハシを担いで山に入ったが山が崩れ死んだ人も多い。植民地初期とは違い戦争を終えると同時に日本人たちは悪辣になっていった。供出で穀物と家畜までもすべて日本に持っていかれ、労力動員に出た朝鮮人たちには豆や麦のようなものを煮て与えた。

③解放と共にやってきた米軍解放され安亭里の日本軍基地には米軍がやってきて残っていた日本軍とともに居座った。血気盛んな日本軍は敷地内の建物を守った。米軍たちは敷地の拡張を始め周辺の村人たちは“ハウスボーイ”として米軍部隊に就職し、部隊の工事現場で肉体労働もした。

米軍たちは15~16歳になる子どもたちにも掃除や雑用などをさせた。米軍たちはブルドーザーで工事を行なった為に野山と田畑があっという間に滑走路に変わった。この時も大秋里・安亭里・ソギョンジェ・テッチャンゴリ・トゥジョンリ・ハムジョンリ・ネリ・トンチャンリの人びとは何も言う事が出来ず土地を奪われたまま追い出された。

米軍たちは朝鮮戦争の時は勿論、休戦後も継続して基地を拡張し2005年現在、安亭里基地は150万坪にもなる。

(2)松炭米空軍基地形成史

松炭米軍基地は朝鮮戦争の真っ最中の1952年12月ヤリ・赤峰里・シンヤリ・カマグルの村人たちを二日で追い出し作った。住民たちは個人の事情によってヨンインや平澤・アンソン・ソウルのような所へ移転したが、行き場のない人々はチンウィチョンの周辺に集まった。 

米軍部隊から配布されたテントと数個の棒キレ・外国米・小麦粉ふた包みほどで厳しい冬を過ごした住民たちは翌年の春には小屋を建て住んでいたが、洪水ですべての物を失ったまま黄狗池里や金閣里・クジャント・桧花里の村で血の涙を流しながら生活しなければならなかった。米軍は休戦後にも松炭基地を継続して拡張し撤去民は引き続き増えていった。松炭米軍基地は13回も拡張工事を行い2005年現在では200万坪にもなる.

原文はコチラ・・・

http://antigizi.or.kr/sub/history01.php?id=history

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拡張阻止の10の理由

ピョンテク米軍基地拡張阻止反対汎国民対策委員会HPの一部を翻訳

1.平澤米軍基地349万坪追加、平澤が最大軍事都市になる!

Photo_2 駐韓米軍再配置の一環で竜山と東豆川、議政府にある米軍基地が平澤に移転する計画だ。これに従って平澤に349万坪の米軍基地が編入される状況に置かれている。現在の457万8千坪を合わせると平澤には総面積806万8千坪の米軍基地がやってくる事になる。汝矣島の二倍の規模だ。米軍は全世界にまたを掛け〈海外駐屯米軍再配置計画〉の一環で駐韓米軍を平澤と大邱・釜山の二個圏域に再配置する計画を推進している。 

米軍が駐韓米軍を空軍基地と海軍基地がある平澤に移そうとしている理由は迅速機動力と計算し尽くされた打撃力を核心している“アジア太平洋迅速機動軍”の役割を遂行する為だ。

2.北を先制攻撃のための駐韓米軍再配置

駐韓米軍は北に対して計算し尽くされた打撃力と迅速な攻撃のため戦力を増強させている。その上、駐韓米軍の核心戦力を漢江の以南地域である平澤に再配置することで北に対して効果的な攻撃と米軍の安全を計っているのだ。現在、駐韓米軍再配置は北に対して先制攻撃計画(CONPLAN 8022)によって進められている。計画に従い北に対して先制攻撃をアメリカ政府が判断するものだ。 

すなわち南北の和解と協力の努力にも関わらず、ただアメリカの決定によってこの地に戦争の惨劇を呼び込む事も出来る。

3.我が国が海外侵略の前哨基地になる!

駐韓米軍は現在まで“韓国の防衛”と言う名目で我が国に駐屯している。しかし、米軍のCONPLAN 8022計画によれば、この役割を韓国軍に任せ駐韓米軍は世界の他国々の紛争、事態などに迅速に積極的に介入する事が明らかにされている。これは東北アジア地域に起こる数多くの紛争に駐韓米軍を投入することだ。 

これは我が国が常時、駐韓米軍の海外侵略基地または兵站基地になると言う事を意味する。我が国は米軍を敵国と見なしている数多くの国々のテロ対象になる事であり、最悪の場合アメリカが起こした戦争に巻き込まれ戦争の惨禍を経験する事にもなるのだ。

4.住民同意なく強制的な米軍基地拡張に反対する

12114 “キャンドル集会に何度か行かなかった事があるよ。他の人は知らないけれどキャンドル集会しながらも胸が痛くてどうしよもないよ。良いって何か良いの?良いことなんて一つもない。土地を売って出て行く事を考えるだけでも腹が立つ。息子たちは息子たちなりに母親の世話をしなければ・・・と考えると心配だろう。息子たちは国がする事だから仕方がないと言うけれど政府の言うとおりにすれば大変なことになる・・・”

棹頭2里 南オンニョンお婆さん(70) (写真とコメントは同一人物ではありません)

米軍基地拡張予定地である平澤市彭城邑大秋里と棹頭里の農民たちは不安でもあり、腹立たしい気持ちにもなるし苛立ちを隠せない。一生をかけて掘り起こした田畑をまた奪われてしまうとは開いた口がふさがらない。隣村の老人たちがこの衝撃で倒れてしまうほどなのに大秋里と棹頭里の老人たちの心にどれほどの衝撃を与えた事か。

平澤米軍基地拡張を阻むために70代80代の高齢の老人たちが農業も後回しにして300日を越えてキャンドルを掲げ闘っている。住民合意の合意なく決定し、住民たちが反対すると強制収用まで持ち出した破廉恥な国防部。住民との対話も持たず無責任な政府。 住民たちに分裂をもたらすために国防部は支障物検査を受けた住民たちに対して調査記録にウソの記載をするなど公文書の偽造までしながら土地買収に熱を上げている。

政府は<移転住民対策委員会>を作り就業と代替用地を斡旋すると言う。高齢の老人たちに就職を斡旋すると言うのは話にならない。今日も政府機関と国防部は様々な脅迫と懐柔で住民たちを追い払おうとしている。

5.平澤米軍基地拡張、韓半島に戦争を招く!

  • アメリカの北対先制攻撃計画により平澤米軍基地拡張
  • 韓米首脳会議“北に対する準軍事行動の同意”
  • 6・15南北会談で金正日国防委員長は“北の認定を前提に6者会談復帰と韓半島の非核化”を明らかにしたがアメリカは“無条件復帰”と言う妄言で強硬基調を維持

歴史は証明する!戦争の始まりを示すステルス戦闘機が15機群山港に突然の配置、戦争訓練中 アメリカの対北先制攻撃計画の一環で進められている平澤米軍基地拡張とステルス戦闘機の配置は韓半島に戦争の危機を増幅させている。

6.テロの影が忍び寄る韓国金鮮一を覚えているのか?

韓国軍のイラク派兵の犠牲で無残に死んでいった金鮮一さん・・・今、我が国はイラク派兵の延長と駐韓米軍の再配置によって第二、第三の金鮮一さんを生み出す危険に直面している。

新たに拡張される平澤米軍基地に駐屯する駐韓米軍が東北アジアの紛争を管轄し、統制する役割に変われば米軍のイラク戦争で米軍基地が駐屯しているサウジアラビアとクウェート国民たちがテロの対象になったように韓国民もまたアメリカの敵対国から国際的テロの集中対象になるだろう。

平澤米軍基地はアメリカの東北アジア覇権と利益のために使われるだけで韓国民に帰ってくるのはテロの脅威だけだ。

7.大韓民国は米軍犯罪の天国!

毎年、平均1000件の米軍凶悪犯罪が発生!米軍犯罪に対しての韓国裁判権行使率はわずか3.9%

1992年 マイケル・ケネス2等兵の尹今伊さん殺害

1996年 エリック・ミューニッチ2等兵の李基順さん殺害

1997年 ライオネル・テイラー兵長の李ジョンスクさん強盗・暴行

1998年 ヘンリックス・ジェロームの許ジュヨンさん殺害・放火

2001年 チョン・ドンノクさん米軍基地高圧線感電事故

2002年 ヒョスン・ミソン米軍装甲車が2人の女子中学生を轢殺

2005年 東豆川で米軍トラック金ミョンジャさん圧死事件

“平澤基地が拡張された場合、毎年400件の米軍犯罪が集中する” 私たちの大切な生命が米軍犯罪によって無残な犠牲となる!

8.環境破壊の主犯、米軍基地!

飛行機騒音と爆撃音のため聴力を失い人は死ぬ!

“初めてここに嫁いで来たが飛行機の音がとてもうるさくて暮らす事ができなかったんですよ。子どもを産んだがビックリして驚いて眠れないんです。耳に響いて夜にも眠れないほどで空に向かって悪口もたくさん言いました。飛行機の騒音のために始めての赤ん坊は3日目に死んでしまった。”

9.とどまる事のない、駐韓米軍駐屯費

  • 駐韓米軍経費支援金、年間7469億ウォン
  • 駐韓米軍直・間接支援費年間1兆ウォン
  • 平澤米軍基地拡張費用5兆5千億ウォン
  • アメリカ製武器購入まであわせれば 年間10兆億ウォン 駐屯費用だけ減らしても国民の暮らしが違ってくる!無償医療、無償教育の実現の近道!
  • 年間10億ウォンを教育費に回せば全国の大学が無料教育
  • 4兆7千億ウォンを医療費に回せば無償医療の実現
  • 駐韓米軍経費支援金7000億を社会福祉費に回せば?
  1. 基礎生活受給者、140万名に50万ウォン支給
  2. 障害者・貧困層、28万名に毎月21万ウォン支給
  3. 70歳以上の老人200万人に35万ウォンずつ年金支給
  4. 欠食児童16万名に毎日12,000ウォンの食費提供

10.誰がお爺さんに涙を流させるのか

70歳の一生をひたすら土地を耕して暮らしてきたチョウ・チャンモクお爺さん!!カトリック正義具現司祭壇と天主教人権委員会が彭城住民たちと共に彭城邑ファンセウル野原で主催した反戦・平和ミサの途中 お爺さんは最後に込み上げて来る悲しみに絶えられず涙を流された。 平澤米軍基地拡張移転はその誰よりも住民の生を根こそぎ奪う反人道的・反人権的な行為だ。

原文はコチラ・・・

http://antigizi.or.kr/sub/ten.php?id=ten

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2006年1月26日 (木)

【挺対協】週間消息①

韓国挺身隊問題協議会(挺対協)の週間消息を翻訳

挺対協事務所2006年週間消息①【13日~14日】

                                             報告:尹美香事務総長

2006年新年が明けました。新年を迎えて私が個人的に挺対協の事務所での些細な出来事を日誌のように伝えようと計画を立ててみました。水原の市民新聞の代表が毎週各地方の人々にこのように消息をメールで送ることが良いと思いました。そこで私も一度それに従ってやってみることにしました。しかし、三日坊主どころか一度も手がつけられずもう一月も中旬に入りました。けれど今日から行なおうと思います。

13日午前11時に挺対協事務所の始業式を持ちました。挺対協事務所の常勤活動家たちとボランティアの金ウンギョンさんが参加しました。始業式の中で2006年通じて各自が達成目標などを分かち合い激励しました。そして、力強く2006年挺対協活動を始めました。

13日、午前1130分に事務所会議を持ちました。水曜デモを含み主幹活動を点検し、論議しました。

14日、水曜12時に第690回目の水曜デモを開催しました。新年最初の水曜デモであり、199218日に第一回目の水曜デモを始めて14年目を迎えた日でした。この日の水曜デモは太平洋戦争被害者補償推進委員会が主幹し、ハルモニたちはナヌムの家から4名、ウリチブから2名、ソウルのトゥンチョンドンから1名、テグから1名など合わせて8名の方が参加され、韓国女性修道会連合会所属の修道女、冬休みに合わせて参加した中高学生たちなど約70名が参加されました。

14日午後アニャンメトロ病院で約2年間、闘病生活を送っていたナヌムの家のパク・ドゥリハルモニが退院され娘さんの家に移られた。この事で女性家族部の日本軍「慰安婦」被害者支援事業担当者から電話が掛かってきました。それで、パク・ドゥリハルモニの状況にについて詳細を説明します。

パク・ドゥリハルモニは娘さんが一人います。そして、高校2年生と中学生のお孫さんが二人います。ナヌムの家を離れ病院生活を送られて2年余りになるが受入れ先となる適当な所がなく、どの場所がハルモニにとって良い場所なのか娘さんと話し合いました。娘さんは全面的にお願いすると言い、ちょうどスウォン市パジャンドンに仏教でスウォン市から委託運営している養老院を見つけました。施設とプログラムなどがとても良かったです。

ところがこのような話し合いしている最中に誰かが娘さんに電話をしてハルモニの生活費を横取りして放置していると非難したようです。娘さんはとても激怒し泣き喚きながら私に電話をしてきました。結局、話し合いの末に娘さんはお母さんが生きている間に自分で世話をしたいと言いそして、退院すれば家で世話をすると言いました。娘さんの決定は法律的に最も効力があり、また重要なため私たちは従う他ありません。

しかし、最後に娘さんにこのように話しました「私は必ず子が親の面倒を見ることだけが最善ではないと思います。ハルモニが一番気楽に過ごせる所、よく世話ができるところがあればそこで世話する事も良いと思います。だた、子どもは寂しくないようお世話をし、頻繁に顔を見せなければならないでしょう。ハルモニが楽に過ごせて、幸せに過ごせる場所が何処なのか私たちは一緒に話し合うことが出来るし、また地域社会の助けを受ける事も出来ますから」

パク・ドゥリハルモニはまだアニャンメトロ病院で治療を受けなければなりません。足の親指が腐りかけているので親指を切らないといけないのか医者が少し経過を見ようと言いました。そして、おへその横にコブができている事も気になります。

15日、パク・ドゥリハルモニの娘さんから電話がありました。ハルモニの転出申告を終えました。これからパク・ドゥリハルモニはナヌムの家のハルモニではないために挺対協で積極的に助けて欲しいと話されました。喜んでそうすると話、カン・ジュヘ局長の電話番号を伝えました。

16日に事務所の始業式討論のためにMTをしようと計画していたが行けませんでした。スタッフたちはプロジェクト報告書の提出と決算のために討論の準備をしていなかった為です。一日中、スタッフたちはPCのキーボードを叩き、発送作業をするために夜遅くまで事務所の明りが消える事はありませんでした。

19日、日曜日11時から午後3時まで新年の事業計画討論のために会議をしました。

110日、季刊、ファンヘ文化からの要請原稿を送りました。韓国語の消息誌39号を編集しました。118日に発送する予定です。

111日、水曜日691回目の水曜デモを韓国女性民友会の主幹で開催しました。ハルモニはナヌムの家から2名、ウリチブから2名、ソウルから1名、計5名が参加されました。少しずつハルモニたちの参加が減っているのが心配です。ハルモニたちの健康状態が良くないためです。

112日は一日中13日にある総会準備政策企画委員会の準備をしようと事務所は慌しかったです。夜の11時になって業務が終りカン・ジュヘ局長は明け方まで会議の準備の為に苦労しました。

113日、午後3時からソデムン、ハルモニたちの憩いの場“ウリチブ”で総会準備政策企画委員会がありました。シン・ヘス、ユン・スンニョ共同代表、ハン・クギョム政策企画委員長、チョン・テホ生存者福祉委員長、キム・ソンシル教育委員長、ハン・ウソプ文化広報委員長、カン・ヘジョン国際協力委員長、チョウ・ユニ書記、ユン・ミヒャン事務総長、実務者たちすべてが参加しました。

114日、土曜日11時から1時にケヤキカフェで開かれた民主労働党、女性新年会に参加して激励辞を行い美味しい食事も頂き、良い友人・先輩・後輩たちに会い意見を共有しました。日本語消息誌を発送しました。

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はじめまして・・・

韓流ブームが以外に長く続いているなぁ~と関心しながらも・・・

韓流だけではない韓国にも目を向けて欲しいと日々想いは募る。

毎日、仕事に追われている私にできる事は何なのか?

せめてこのブログに”今の韓国”を知らせることではないだろうか・・・

そんな気持ちからこのブログを始めてみようと思う。

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